第7話
「ただ、帝国の最高軍事顧問であるデューク・ノゲイラが何かを握っている事は確かでしょう。私が面識を持ったのがファフニールの総合学府の学徒時代ですが、その当時から悪評が立っておりました。目的のためには手段を選ばない非常に狡猾な男で、教授たちからも恐れられていたほどです。7年前に帝国の最高軍事顧問になってこの所業。ある意味で納得がいきます」
「と言いますと?」
「彼は常々今の常識を超える力を夢見ていました。そしてこの世界の頂点に君臨するのだと。昔はただの近寄りがたいイカレた人物でしたが、今の現状を見ると笑い話にもなりませんな。憶測ではありますが、彼は本当に世界の常識を覆す何かを持っている。そして本気で世界を自分のものにしようとしている、私はそう考えています」
ハインズと帝国の最高軍事顧問デュークが知り合いであった事は今初めて知ったが、確かにハインズの意見は総合的に正しく聞こえるし、そう考えた方が納得できる。だが、それは根本的な解決にはなり得ない。依然帝国が持つ謎の戦略兵器については何も分かっていないし、その脅威はリア王国を危機に陥れている。
「分かりました。それでは引き続き調査を行ってください。常識を超えた力、それを視野に入れ、どんな些細なことでも決して軽んじないよう心がけてください」
「ハッ!それでは失礼させていただきます」
ハインズは再び跪き頭を垂れた後、ローブを翻し執務室を出て行く。入り口で控えていた女性は続いて執務室を出て行こうとするが、その途中で足を止めてレイナに向き直った。
肩口に揃えられ、外側に少しはねた茶色の髪の女性はその人形のような表情のない顔でレイナを見る。その目には女王を敬う気持ちなど感じられない。だが、決して軽んじてはいないであろう印象をレイナに与えた。
「何かありました、コリン?」
ハインズの護衛騎士であるコリンはレイナの言葉にさしたる反応を見せず静かに口を開く。
「今日、ヴィント騎士官は居られないのですね」
「え、えぇ。近衛騎士と言っても常に私の近くにいると言うわけではありません」
レイナはコリンが苦手だ。だが特に嫌っているという意味ではなく、よく顔を合わせる者同士として、また同じ年頃の同性として立場から、友好的でありたいと思っている。
しかしレイナはコリンに対しても一歩引いてしまうのを自覚している。それはコリンから何の感情も感じることができないからだ。喜怒哀楽が存在せず、常に平坦で変わらない無関心を貫くコリンはレイナにとってもどう接していいか分からない存在であった。
そして今も突然立ち止まったかと思えば、突拍子の無い話を口にする。
「ヴィントに何か用ですか?しばらくすれば戻ってくるとは思いますが」
「いえ特に。ヴィントがいない今ならあなたを『殺せる』んじゃないかと思っただけです」
部屋に居た侍女が息を呑んだのが分かった。
「どういう……意味ですか?」
「仮定の話です。ヴィントという盾が無い今、あなたを守るものは何も無い。殺害するには今が絶好の機会ということになりますね」
コリンの口調はレイナが知っているそれと何も違いは無い。だが、何故かレイナは背筋がぞっとした。執務室に入る時に彼女の愛刀は部屋の前に居る衛兵に預けられている。にもかかわらず、レイナは五mほど離れているコリンに、喉元に刃を突きつけられる感覚に襲われた。動いた瞬間に殺されるのではないか。ほんの一瞬本気でそう考えてしまった。
だが、その考えは直ぐに消え去ることになる。
執務室の入り口ではなく、窓から誰かが飛び込んできた。流れるような動きで受身を取ると、レイナが呆気に取られている間に剣を抜きコリンの首筋に突きつけた。
「コリン!一体どういうつもりだ!」
闖入者である騎士、ヴィント・ガラーディアはその少年の面影を残した顔を怒りに染めて怒声を発した。
「どういうつもり、とはどういうつもりですか?」
しかしコリンの無表情が崩れる事は無く、声も抑揚が感じられないままだった。
「たった今レイナに向けた殺気についてだ!どういうつもりか説明してもらおうか!」
なおも鬼気迫るヴィントにコリンはしばらく逡巡し、口を開く。
「それは命令ですか?」
「あぁ命令だ!」
「近衛騎士であるヴィントがいない場に暗殺者が現れたらどうなるのか、というフリです。結果は見ての通り、私が殺気を発した瞬間あなたが現れました」
「例えフリであろうと仕える主に刃を向けることがどんなことか分かってるのか?」
ヴィントの声音は問いかけると言うよりは尋問するといったものに近かった。
「残念ながら刀は持ち込んでいないので、刃は向けていませんが?」
コリンの行動は明らかに主に対する反逆であり、極刑に値する行為である事はどんな子供でも分かる。だがコリンはそれを実行する。その行動によって自分が不利になることなど考えずに、コリンは率直な言動を起こす。
これもコリンを良く分からなくさせている一面である。
「ヴィント、剣を収めてください」
レイナは挑発に乗る寸前のヴィントを嗜めるように言った。だがそれでヴィントが大人しく剣を収めるとは思ってもいなかった。
「おいちょっと待てよッ!」
「待ちません。同じ事を二度も言わせないでください」
食い下がるヴィントの気持ちは良く分かっている。だがこの場で騒ぎを大きくするのは誰も得をしない。
「コリンは私に警告してくれたのです。確かに今後護衛について見直す必要があります。ですから今すぐに剣を収めなさい」
頭ごなしの言葉だが、ヴィントは逆らうことなく甘んじた様子で剣を引いた。その姿にレイナは罪悪感を覚えるが、胸の奥に無理矢理しまい込んだ。
「もう二度とこんな真似はするな」
「それは命令ですか?」
「あぁ、命令だ」
「承知しました。では私は失礼します」
淡々とした答えを返し、一度レイナに頭を下げた後、コリンは執務室を出て行った。
しばらくの間、執務室に沈黙が流れた。
「……ヴィント、すみま」
「謝るな」
切り出した言葉を途中で止められてしまう。
「俺はお前の命令に従った。それだけだ」
なんて事は無い言葉だったが、レイナには少し寂しく聞こえた。
昔、レイナの自殺を身を挺して防いだ少年はその言葉通り、王国を守る騎士としてレイナの近衛騎士となっていた。
昔に比べ当然体や顔付きは変わり、騎士としての風格を漂わせているが、時折見せる昔と変わらない少年のような笑顔はやはりヴィントなのだとレイナに実感させていた。
ヴィントとはその出会い以降騎士団長の子供と次期王位継承者として何度か顔を合わせる機会があり、女王としての教育が始まり友達と遊ぶということを殆どしなかったレイナとしては唯一心を許せる存在であった。
だからヴィントがファフニールの総合学府に留学に行くと聞いた時には驚きもしたし寂しい思いがあったが、大陸中から人が集まる総合学府にて開かれた武道大会でヴィントが優勝したと聞いた時は我を忘れて喜んでしまった。
そんな経緯があり、ヴィントが様々な国の騎士団の勧誘を断りリア王国へと帰還してくれたことはレイナにとって嬉しい以外の何物でもなかった。
しかし騎士となって戻ってきたヴィントは、レイナが知っているヴィントとは少し違っていた。昔と変わらず立場を気にせずに気さくに話しかけてくれるヴィントではあるが、時折レイナと距離を置こうとする言動があった。
確かに王であるレイナと近衛騎士であるヴィントが仲良くするのは対外的に良い事とは言えない。レイナには既に婚約者がいるため、そういった事情も含めレイナも深く追求することはできなかった。
「コリンがいたって事はハインズと話していたのか?」
ヴィントはレイナに向き直ることなく背中を見せながら言う。心なしか厳しい口調だった。
「前にハインズと話す時は俺を呼べと言ったと思うんだが?」
言葉に詰まる。
「騎士の俺が言うのもなんだが、頼むから言うことを聞いてくれ。あいつと話す時は絶対に俺を傍に置くんだ」
ヴィントはハインズを嫌っている。敵視していると言っても良い。
この2人には意外な共通点がある。ヴィントが総合学府に留学中、教鞭をとっていたのが何を隠そうハインズであった。二人の間に何かあったとすればその時期となるが、特別何があったかを聞いたことは無い。
「確かに忠告を無視したことは謝ります。ですがハインズはわが国の執政官。今は味方に疑心暗鬼を起こしている場合では」
「その味方の意見で俺たちはファフニールを見殺しにしたんだぞ」
「……」
「確かに帝国の軍事力は脅威だ。元々勝ち目が無かった戦いかもしれない。だがあいつは同盟国としてファフニールに援軍を送らなかった。それは帝国に手を貸したも同然の行為じゃないのか!?」
激高、ヴィントは怒鳴りつけるような声を出し、執務机に拳を叩き付けた。ヴィントは非常に熱くなり易い性格であることをレイナはよく知っている。そして留学していたファフニールが無くなったことにヴィントが憤りを感じていることも分かっていた。
だがレイナは臆するわけには行かなかった。引くわけには行かなかった。
「ですが死地に兵士を送り込むほどわが国の兵力に余裕が無いことも確かです。義理人情で兵士に死ねと言えるほど私は強くありません」
「ファフニールの人間は死んでいるんだぞ!」
「私が守らなければならないのはリア王国であり、ここに住む国民です。それを考えた結果、私はハインズの意見を採用したのです。確かにあなたの言う通りです。私は自国を守るという名目でファフニールを、その人々を見殺しにしました。だからヴィント騎士官、この件に関して責任を追及されるのはハインズではなく王である私です」
レイナは自分の口調が熱くなっているのを感じた。だが仕方ないと割り切った。
国を守るために隣国の滅亡を傍観したことに心が痛まないわけではない。逆にレイナはファフニールが滅亡して以降、満足な睡眠を送ることが出来ないでいた。だからこそ、自分のしたことが間違いだったのではないかと常に考えてしまう。
だがファフニールが滅亡した事は取り戻しようの無い事実であり、リア王国がファフニールに援軍を送らなかった事実も変わることが無い。レイナはその責任を背負わなければならない。それが王としての責務であり、レイナが選んだ道であった。
真っ直ぐにヴィントを見る。ヴィントは険しい顔をした後、何かをかみ締めるように徐々に顔を伏せた。
「それがお前の選んだ道なら……その道が俺の歩むべき道だ」
先ほどまでとは違い穏やかに、しかし感情を押さえ込んでの発言だった事は幼馴染のレイナには手に取るように分かった。