第6話
執務室の椅子に座りながら、レイナ・マルクスブルクは積み重ねられている書類の束に悪戦苦闘していた。クロニエル鉱山を中心とした商業関係や、国民の税の徴収記録、王都の住宅事業の結果報告書に、果ては諸国との貿易書類などが示された物が次々と運ばれてくる。レイナはもらすことなくそれら全てに目を通し、気になる部分がある時は脇に置いておき、確認が出来たものに捺印をしていく。
これらは国を統べる王の役割であり、そして若き女王としてリア王国の頂点に君臨するレイナとしての責任の表れでもあった。
リア王国の王位は男女の優劣は無く、直系の血筋が優先され、その中で多くの家臣から認められたものが先王から選定されたという形で王位に付く。
レイナはリア王国でただ一人の直系の跡取りとして、幼い頃から女王になるべく教育を受けていた。王としての礼儀作法だけでなく、学問や武道も徹底的に教育をさせられた。レイナ本人も自身がいずれ王になることを自覚しており、直系という地位に甘んじることなく次期女王に相応しい振る舞いを常に心がけていた。
そんなレイナに転機が訪れたのは1年前だった。レイナの父で先王のフライグ・マルクスブルクが病に倒れ、急死した。倒れる1年ほど前から体調を崩しながら、何とか職務をこなしてはいたものの無理が重なり、急ぐようにして亡くなってしまった。
その後を継いだレイナは父の死去に悲しみにくれることも無く直ぐに気持ちを切り替え、若き王として国政へと手を伸ばした。
リア王国は大陸の中で比較的小さな国に分類されるが、クロニエル鉱山という存在が一人歩きしたようにリア王国の名を大陸中に広めている。レイナに送られてくる書類も、クロニエル鉱山の資源に関することが多く、戦時中どこの国を贔屓するわけでも無く中立を貫き、多くの国々にその資源を輸出していた過去があるだけに、諸国との貿易は非常に神経を使う案件であった。
更にそれ以外にもう一つ、今のレイナの神経を磨り減らす案件があった。それが隣国である帝国の侵略に対する国防についてである。リア王国の東に位置する帝国が国土拡大として隣国を侵略するようになったのは5年程前からだった。軍事大国である帝国は、リア王国とは違い先の大戦でもっとも勝利を収めた本当の戦勝国であり5年にわたる侵略の結果、今では大陸の中央部が丸々帝国色で染まっている状態である。
当然クロニエル鉱山という一種の宝の山を持つリア王国は帝国から真っ先に降伏勧告を突きつけられていたのだが、リア王国は未だに帝国領にはなっていない。それは一重にリア王国と帝国の間の交通手段にあった。
この2つの国の国境には二千メートルを超えるコゴール山脈が聳え立っており、帝国はその山を越えリア王国に攻め入ることが物理的に無理な状況であった。加えてその山々を迂回して攻め入ろうにも、リア王国の北にはファフニール共和国という帝国最大の貿易国があり、また南側には帝国に勝るとも劣らない軍事力を誇るラキーナグ皇国という、帝国も手を出し難い相手が固まっていたのだ。
だからこそリア王国と言う、地図上では帝国と隣り合っている小国は生き残る事が出来た。
しかし、その平和は永続的なものではない。つい1年前、とうとう帝国はファフニールを強襲、半年の抗戦の末にファフニールをその軍事力でねじ伏せた。
自身を守っていた殻が破られたことにリア王国は震撼した。年を重ねた帝国の鬱憤の矛先がとうとう喉元に突きつけられたのだ。
そんなリア王国を辛うじて守っているのはファルニール共和国との国境にあった魔の森である。人の感覚を狂わせ、そのまま閉じ込めてしまうと言われる森は事実上リア王国の最終防衛線であった。
リア王国の戦力は帝国に比べ恐ろしく低い。その中でリア王国が考えなければならない事は二つ。魔の森の他に国を安定して守る手段を手に入れること。そして万が一魔の森が突破された際の対処方法である。
「陛下」
国防に関する書類に没頭していたレイナは侍女の言葉に顔を上げた。
「グラムリット執政官がお見えになりました」
「えぇありがとう、通してください」
侍女に導かれ、王国のレリーフが入った文官の正装に上からローブを羽織った初老の男と、その男の後ろに控えるように軽装の鎧に身を包んだ女性が執務室に通される。その男、ハインズ・グラムリットはレイナの目の前で立ち止まり、レイナとそう歳の変わらない女性は入り口の傍に待機するように立った。
「ハインズ・グラムリット、陛下の召喚によりはせ参じました」
ハインズは一度レイナの前で跪き、頭を垂れる。そう、ハインズを呼んだのは他の誰でもない、レイナ自身だ。
「忙しいところお呼びだてして申し訳ありません、ハインズ」
レイナの声でハインズは立ち上がり、体を隠すようにローブを調える。ハインズは執政官としてリア王国の政を司る立場にある。地位としては国王であるレイナの次ではあるが、その実務実績や影響力はレイナよりも上だ。
先王フライグとは旧知の仲であり、大陸中のあらゆる才能が集まるファフニールの総合学府で教鞭をとっていたところを、帝国の侵略が始まったと同時に先王自らの要請で呼び戻され、そのまま国の要職に抜擢されたという奇抜な敬意を持つ。
元々中流貴族の出身で学の才を認められ文官の助手を務めていた経験や、学府時に培った広い見聞もあり、その異例の異動に一時は大きかった反対の声は直ぐに収まった。就任して一年後には執政官に抜擢されるも、すでにハインズに敵対しようとする者はいなかった。
しかしその影響力の大きさに疑問を投げかけているもの少なからずあり、レイナもその事態を重く見てはいるのだが、ハインズには自身が王座に戴冠する際に生じたいざこざを収めてもらった過去があり、どうしても気持ち一歩引いてしまっている。
まだ五十ほどの年齢ながら文官の誰よりも強面であるハインズは、そのがっちりとした体格もありどちらかと言えば騎士のいでたちであった。
「つきましてはどのようなご用件でしょうか?」
「はい、実は先月の帝国のファフニール襲撃の際の報告書についてなのですが」
レイナは執務机の上に積み重なっている書類の束から、数枚の束を取り出す。密偵により書かれたその束には帝国とファフニールの戦況が克明に示されていた。
ファフニールは百年前の戦争では帝国に遅れは取っていたものの、決して軍事力の観点から劣っているわけではなかった。ましてや貿易国として栄え始めた戦後は、計らずとも軍事力は強化されたと言える。
だが蓋を開けてみればファフニールは僅か半年で国自体が滅ぼされる事になってしまった。当然これにはレイナも疑問を抱かずにはいられない。そしてその疑問の根本がこの報告書であった。
「帝国が用いた謎の兵器、これについては何の情報も得られていないのですか?」
報告書には密偵による実際の戦況も記されていた。その中に、謎の大規模な火柱、帝国に味方するように吹き荒れる暴風、まるでファフニールを狙ったかのような雷撃、など目を疑うような報告がなされていた。
実のところこの類の報告は対ファフニール戦が初めてではなかった。それ以前、帝国の戦争中には偶然にも自然現象が帝国に味方する報告が何件も出されていた。
偶然にしては出来過ぎている、故に報告書ではそれらをすべて帝国の新型兵器と記しているが、結局のところ何も分かっていない。
「残念ながら何も。何分雲を掴むような話ゆえ私の方でも耳を疑う報告、手の出しようがないところであります」
ハインズは目をむせ、厳しい顔つきで言う。
耳を疑うのは仕方が無い、とレイナも納得する。報告書を鵜呑みにするのならば、帝国は自然現象を意のままに操る兵器を所有していることになる。
それに対しリア王国などの殆どの国が取れる国防の手段は火薬による砲撃と騎士による歩兵戦術程度であり、埋めようの無い圧倒的な戦力差が発生してしまっている。自然を操るなど魔術のようではないか、そう感じてしまうほどこの報告は信じがたいことだった。
この帝国の戦略兵器、その存在が帝国の横暴な侵略を可能としており、その正体が分からないからこそどの国家も敗戦を期してしまうのだ。そして今、その戦略兵器がいつリア王国に降り注ぐか分からない。