第3話
一体どうしてこうなった。
ヴィント・ガラーディアは声に出すことなく、ただ確実に心の中でつぶやいた。
今日は父親に連れられ始めて王城へと赴き、初めて城のパーティーに参加したはずだ。だがそれが今は会場から離れた庭園に腰掛けている。
隣には流れるような艶やかな金の髪に華奢な体に端正な顔立ち。歳はヴィントと同じ10歳ほどで、色の淡いレースの付いた上質な絹の寝巻き姿の美しい少女がいた。それだけでこの少女がただの少女で無い事は理解できた。
この少女は空から降ってきた。パーティーの空気に上手く馴染めず、会場を抜け出して庭園に出たヴィントはこの少女が城から飛び降りる現場に出くわし、思わずそれを滑り込みながら受け止めてしまったのだ。摩擦でお尻の部分が焼け焦げ、見るも無残な状態になっていた。あとで父親に怒られると思うと気が滅入った。
「何故、私を助けたのですか?」
少女は顔を伏せながら呟いた。
「助けちゃだめだった?」
「私は生きていてはいけないんです」
少女の顔は悲壮に満ちていた。どう捉えていいのかヴィントには分からなかったが、この少女が悲しんでいるということだけは理解できた。
「生きることって誰かの許可が必要なのか?」
少女がどういう状況にいるのかよく分からなかったから、ヴィントは率直な言葉を述べることにした。
「それって誰の許可だ?一番に思いつくのは両親だけど、お前は両親に生きてはいけないと言われたのか?」
「父は私を愛してくれている……と思います」
「母親は?」
「母は私を産んでくださった時に亡くなりました」
「おっとそれはごめんなさい。それじゃあお前はあと誰の許可が必要なんだ?」
「……お兄様」
「あん?お前は兄がいるのか?」
少女の呟きをヴィントは聞き逃さなかったが、途端に少女はハッと目を見開き、顔を横に振った。
「いえ、何でもありません。ともかく私は生きてはいけないのです。誰の許可が必要と言うわけでなく、私という存在が罪なのです」
「だから死のうとした?」
「はい」
「わけが分からないんだけど。死ぬ事は悲しいことじゃないの?」
「私に限って言えば、それは違います」
どうしようもないな、とヴィントはため息をついた。どうしてそこまで死にたがるのかやっぱり理解ができない。だけど気に喰わなかった。この少女が自分を要らない存在であると決め付けていることがなんだか腹立たしかった。
「もしお前が死んだら……きっと俺は悲しい」
「え?」
ヴィントの言葉に少女は目を見開き、呆然とした。
「だって死んだ次の瞬間にはもう一生話すことも笑うこともできない状態になるんだ。例えお前が死ななければならないとしても、今こうしてお前と話している俺からすれば、それは悲しいことだろ。違うか?」
ヴィントは少女に目線を合わせるように正面に座り込む。
「お前が死んだら悲しむ奴が一人いる。それを知ってもお前は死にたい?」
無茶苦茶だと分かっていても、ヴィントは自分の考えをぶつけた。この少女の言い分も無茶苦茶なのだ、それぐらいがちょうどいいだろう。
すると少女は堪えるように口を閉じるが、直ぐに決壊し、大粒の涙を流し始めた。
「私は生きていたら大勢の人を不幸にしてしまいます。私に関わればきっとあなたも不幸な目に逢ってしまいます。それでも、それでもあなたは私が死んだら悲しいのですか?」
「不幸不幸って言うけどさ、将来俺が不幸になったとしても、本当にお前が原因だって分かるのか?もしかしたら元々そういう人生だったかもしれないじゃないか。俺は自分の人生を他人のせいにしないし、するつもりもない」
幼い頃から武術を習ってきたヴィントは理解していた。強くなければ生きていけない。自分の道は自分の力で切り開くものなのだと。
「俺はこれから騎士になってこの国を守るって夢がある。だからこの国の人間であるお前も守る」
「私はこの国を不幸にするかもしれないのですよ?それでもあなたは私を守るのですか?」
少女の言葉にヴィントは言葉を失くした。しかしいくら考えてもその答えは出てこない。
「それはその時に考える。それでいいだろ」
「答えになってません……」
「じゃあそうなってもお前を守る!これで満足か!?」
意地になりは苦し紛れに言う。が、言ったら言ったで妙な恥ずかしさがこみ上げてきた。
「本当ですか?」
「あぁ本当だ」
ここまできたら引くに引けない。ヴィントは腹を括る。すると少女は鼻をすすりながら何とか泣くのを止めた。そして満面の笑みをヴィントに向けた。その笑みにヴィントの感覚はぞわりと震えた。
「私はレイナ・マクスブルクと言います。あなたは?」
「あ、ヴィント・ガラーディア。ってマクスブルク!?」
マクスブルクといえばリア王国の王家の姓である。つまり今ヴィントが話しているのは仕えるべき王族である。
ヴィントはマクスブルクの跡継ぎの話を父から聞いたことがある。何でも、病弱な体質ゆえ城から出ることも無く、公に姿を現したことはおろか名前すら一般に知らされていない。
この少女がその跡継ぎであり、次世代の女王。ヴィントが刃を預ける主君である。
その時、ヴィントはなにやら騒がしい声が近づいていることに気が付いた。よく聞き取れないが、声の断片からレイナを探しているようなフレーズが聞こえた気がした。これはまずい、そう思いヴィントはこの場を去ることを決めた。別に悪いことをしたわけではないが、いちゃもんをつけられるのは願い下げだ。
「悪いが俺はこれで帰……ります。それでは」
流石に王族相手に敬語は省けない。手早く言うと、ヴィントは事態を飲み込めていないレイナを置いて直ぐにその場を去る。
走り去る最中、名前を名乗っていたことを思い出し逃げても無駄であることに気が付いた。
後日、城に呼ばれたヴィントは跡継ぎとして公の場に姿を現したレイナに出会うことになった。