第17話
「陛下、お気持ちの方は変わりませんか?」
ローブを羽織った男、帝国軍事最高顧問デューク・ノゲイラは視線の先、円卓の机の対面に座る皇帝、ケイロス・ノイシュヴァンシュタインにやや控えめな言い方をした。
「いくらお前の案とはいえ、魔の森を焼く事について私は首を縦に振ることはできない」
デュークの意見に対し、ケイロスはてこにも動かない姿勢で首を横に振った。
その光景を傍で見ていたファリナは表情には出さず心の中でざまぁ見ろ、とほくそ笑んだ。
場所は帝国の帝城にある会議室、今ここではリア王国攻略会議が開かれていた。議論の中心になっているのがその具体的なリア王国への進軍の方法だった。
国境であるコーゴル山脈は進軍するには標高が高く、現実的ではない。故に進軍するにはまず侵略済みのファフニールに軍を集め、魔の森かヘキレ湖をまたいでいく必要がある。
そこでデュークが提案したのが、障害になっている魔の森を焼き払うというものだった。魔の森を焼き払い、直線で進む事ができれば進軍に掛かる日数もヘキレ湖をまたぐより格段に少なくて済む。何より侵略後の貿易のし易さを考えても魔の森はただの邪魔な存在でしかないため、早めに撤去させようというのだ。
合理的に見える案だが、しかし帝国の最高権力者はその案を頑なに拒否した。
実のところ魔の森はクエーサ教において魔物が封印されている森として、危険な場所と認識されている。人々の意識の底にまで浸透しているクエーサ教で禁忌とされている場所を燃やす行為がいかに愚かなことか、ケイロスはそう言って拒否を示した。
今まで殆どの意見がすんなり通っていたデュークにとって、この結果は予想外だったようで、ファリナとしては表情に出てないまでも、デュークが苛立っているのが分かっているので、それなりに清清しい思いをしていた。
「確かに時間は掛かるが、ヘキレ湖を経由して進軍すればいいのではないか?」
この代案に対し、今度はデュークが首を横に振った。
「申し訳ありませんが陛下、ヘキレ湖を経由する方法は承服しかねます」
魔の森とは違い、ヘキレ湖はクエーサ教において神聖な場所とされている。戦いの勝利を祈る面でもヘキレ湖を通る方が幾分安全ではあるのだが、これに関してはデュークの方が頑なに拒否を示している。
「何故そうまでしてお前はヘキレ湖を避けるのだ?」
この問いに、しかしデュークは口を開こうとしなかった。何か言いづらい理由が、もしくはやましい理由があるのか知らないが、言い攻められているデュークを見るのが楽しいファリナにとってはどちらでもよかった。
しかしそんなファリナの優越な時間は、思わぬ闖入者に粉砕されることになる。
「ちょっと失礼しますね」
その人物はあろうことか帝国の会議室に、まるで慣れ親しんだ家に遊びに行くかのごとく軽いノリで入ると、皆の視線が集まる中でその憎たらしい笑みを浮かべる。
「あなたの入室を許可した覚えは無いのですが、クラウン副局長」
「ええ、私も許可された覚えはありません。ですが何やらリア王国進軍に関してお困りのよう、ここは軍事局副局長としては何か動かなければならないという使命感が私の中で芽生えましてね。こうして参じた次第です」
デュークの問いに、ライカは胡散臭さにじみ出る、非常に嫌悪感が襲ってくる言葉を返した。そもそもいつものライカを知っている者からすれば、ライカが使命感とはかけ離れた性格の持ち主である事は嫌でも認識させられている。
表面上敬語を使ってはいるものの、上辺だけ繕っているのが見え見えである。
「ふざけるのも大概にして欲しいものですね。それに残念ながら今この場であなたの力を借りる必要は」
「私は魔の森を安全に抜ける方法に心当たりがあります」
呆れた口調のデュークの物言いを物ともせず、ライカはケイロスに向かい言った。ライカが義理の父であるケイロスに話しかけるなど、ファリナにとっては始めての光景だった。
「どうでしょう、局長はヘキレ湖を避け魔の森を焼こうとしている。しかし陛下は魔の森を焼かずにヘキレ湖を経由しようとしている。ならば一つ、僕の案を聞いてみるのもいいのではないでしょうか?」
謙っているのかいないのか、よく分からない口調でライカは進言する。それに対し、ケイロスはまるでライカを値踏みするような眼で見ていた。
ケイロスがライカを嫌悪しているのはファリナもよく知っている。自身とは血が繋がっていない、嫁の子供。それだけでも十分憎たらしいのに、加えて高すぎる能力にひねくれた性格。留学と称してライカをファフニールの総合学府に飛ばした過去があるだけに、二人の間には一触即発の空気が漂っていた。
「話してみろ」
椅子に寄り掛かり、ゆったりとした姿勢でケイロスは答えた。
「ありがとうございます」
そしてライカも形式的な礼を述べる。
「さて、それでは僕の案を述べようと思うのですが、実のところ案と言うよりは一つの可能性にかけてみる、と言った方がいいものになります。皆さんは『魔の森の賢人』について何かご存知でしょうか?」
まるでやり手の商人のような言葉運びで、ライカは円卓に並んだ椅子に座っている国の重役たちに向かって言う。彼らは首を横に振るだけで、頷く者はいなかった。
「これは僕がファフニールの総合学府時代に聞いた話なのですが、何でも魔の森の奥深くには小屋を構え、住み着いている一人の賢人がいるらしいのです。そしてその賢人、まるで魔術のようなものを駆使して常識では考えられない現象を引き起こすとか」
最後の言葉に多くの者が反応を示す。その中でも最も過敏だったのは他でもない、デュークだった。常識では考えられない現象を引き起こす、それはまるでデュークが行使している錬金術そのものでは無いか。
「魔の森は人の心を惑わす。これも常識では考えられないことです。ならばここは一つ、その賢人を訪ねてみてはいかがでしょうか?そしてもし魔の森を安全に通る事が出来る方法があるのなら、それを聞きだす事も出来るのではないでしょうか」
ライカの言葉が終わると同時に、重役たちからは唸るような声が漏れた。それも当然だ。ライカの言うとおり、魔の森に住んでいる人間がいるならば、その人物に話を聞く事は自然な流れだ。
しかしその賢人を訪ねるという事は、魔の森に入るということである。一度入ったら出ることができないと言われるいわく付きの森、そこにいるかも分からない賢人を探すために入るにしてはライカの話は信ずるに足りなかった。
「その話、やや信憑性に欠けるのではないか?」
その空気を代表するかのようにケイロスが口を開く。
「えぇ。ですからこの役目、私に一任させていただけないでしょうか?」
このライカの言葉に、国の重役たちは怪訝な顔をする。昼行灯と揶揄されるライカが進んで仕事をする事態に、誰もが眉を潜めた。
「流石の私もこのような噂を確かめるために魔の森に兵士を派遣するほど愚かではありません。だからこそ私自身が魔の森へと出向き、賢人を探すのが筋の通った話かと思います」
何を言っているんだ、とファリナは思った。今の帝国でのライカの立場はまさに四面楚歌、周りは敵だらけで味方は一切いない。それにもかかわらず、ライカはわざわざ死地に赴くような行動をしている。それがファリナには理解が出来なかった。
「……良いだろう。好きにするが良い」
しばしの逡巡の後、ケイロスが重々しい口調で言った。その頭の中では一体どのような思考が繰り広げられたのかは分からない。だがライカを嫌っているケイロスにとって、ライカが魔の森に囚われたとしても、何の痛手にもなら無い事はファリナにも分かる。
「ありがとうございます。では明日の朝、直ちに」
「ちょっとお待ちください」
ライカが話を切り上げようとした時、口を挟んだのはデュークだった。
「その役目、私に一任してはもらえないでしょうか?」
「訳を聞こうか?」
「はい。もしクラウン副局長の言うとおりに、魔の森に賢人がいる場合、やはり軍の代表である私が話を通した方がよろしいかと思いまして」
「お前も魔の森がどのようなところか知らぬ訳では無いだろう?」
「それは承知しています。実のところお伝えしてはいなかったのですが、魔の森を私個人だけ通り抜ける術を私は既に持ちえています。ですがそれはあまりにも非力なため、集団を動かすには不向き。故に私だけは魔の森でも迷うことなく、進む事が出来るのです。いかがでしょう。この役目、私に任せてはいただけないでしょうか?」
神妙な面持ちでデュークは訴える。何故だろう、ファリナはその表情に何か必死な感情を受けた。
「……よかろう。では賢人の探索はデュークに一任する。ライカ、それでよいな?」
「局長のお考えに、陛下の決定であれば私に異論はありません」
お株を奪われた形になったライカだが、相変わらずの笑みは崩れなかった。