第16話
クエーサ教といえば大陸一信仰されている宗教であり、クエーサ教の教えを基に法律を定めている国も少なくないため、大陸の共通認識としてほとんどの国でも適用されている。
世界創生の神クエーサを唯一神とし、その教えの殆どは人が平和に過ごすための方法を説いたものであり、朝の挨拶から日々の心構え、親から子の教育にまで深く浸透している。
その多くのクエーサ教の教えの中に一つ、人間の出自に言及した物が存在する。
―双子は凶兆の証、直ちに祓うべき
この場合の祓うは通常の清めると言う意味ではなく、どちらかと言うと排除すると言う意味を持っている。つまり双子は生まれながらに罪を背負っており、その罪をこの世から祓うために命を絶たせる。これはそういう教えなのである。
先導されたロキシートは、ヨハネの家へと辿り着いた。複数の家が同じ屋根の下で生活する長屋式の家には、それほど多くない人の集まりが出来ていた。近所の人間と、ヨハネの親族たちだ。皆暗く、不安そうな表情を隠せないでいた。
ロキシートは彼らに一度礼をした後、ヨハネと共に玄関を潜った。質素な居間を抜けた先、寝室に入りその光景を目に収める。
部屋の中央に置かれたベッドの上で一人の女性が体を起こしていた。そしてその女性がいるベッドの横に、赤ん坊用のベッドがあった。そしてその上には寝息を立てる瓜二つの存在が二つ乗っていた。
「先生、よく来てくださいました」
ロキシートに気付き、力なくミリアは微笑んだ。
「あ……はい、お邪魔しています」
ロキシートは女性、ヨハネの妻であるミリアに挨拶するより先に息を呑んでしまった。
「先生が予期していた通りでした」
近くの椅子に腰掛け、ヨハネは気落ちした声で言う。
クリンストン夫妻の間には中々子供が出来なかった。それについてはロキシートも相談されたことがあり、薬を使わない不妊治療などを行った結果、妊娠できた時は医師としても嬉しい瞬間だった。
だがその喜びは深い霧に包まれてしまうことになった。妊娠してしばらく経った後、ロキシートが胎内の子供の違和感に気付いた。胎盤を押す動き方がおかしかった。そしてその動きは胎児が双子であるならば説明できるものだったのだ。
胎児が双子である可能性については夫妻には事前に伝えてあった。しかし心の準備をしたとしても厳しい現実に直面する辛さが和らぐ訳ではない。
「お体の方は大丈夫ですか?」
「はい。私も、そしてこの子たちも大事ありません」
ミリアは優しい母親の表情を子供たちに向ける。
瓜二つの子供、その幸せそうな愛らしい寝顔はとてもこの子たちが吉凶の証とは思えない。ただ二人一緒に生まれただけの存在。それ以上でもそれ以下でもないはずである。
「それで、どう……されるんですか?」
具体的な言葉を使わずとも、伝わる内容だった。双子の子供を殺すか、否か。
無神経な質問である事は重々承知だった。しかしロキシートは聞かなければならなかった。命を救う医師としてもそうだが、何よりロキシート個人としてこの答えを聞かなければならなかった。
部屋を静寂が包んだ。だからだろうか、何やら家の玄関付近で言い争うような声が聞こえてきた。何か、と三人が顔を見合わせたところでその答えは寝室のドアから侵入してきた。
「ロキシートがここにいると聞いてきたんだが?」
入って来た赤髪の少女は部屋を見渡し、その目とロキシートの目が合わさった。
「クラティナ……どうしてここに?」
「だから言っただろう。お前を探しに来たと」
問いに対し闖入者クラティナはため息混じりに返す。
「ちょっとあんた待ちなさいッ!あんた一体何のようだい!」
遅れて入ってくる家族、その先頭の女性―ミリアの母親―は今にも掴みかかりそうな剣幕で言う。しかしその迫力にも、クラティナは腰に手を当てまったく怯む様子は無い。
「確かに勝手に家に入ったことは謝ろう。だが私もこの男に至急の用があるのだ。すまないがこの場を譲るつもりは…………ん?」
悠然と言葉を返すクラティナだったがその途中で言葉を止め、部屋の一箇所に目を向ける。それはミリアがいるベッドの横、赤ん坊であった。
「なるほど。こういうことか」
その赤ん坊を見てクラティナは全てを察したのかそう呟く。
双子が生まれた場合、基本的にその事実は身近な人間にしか伝えられない。凶兆の証である双子の存在を広める理由がないということでもあるが、何より双子を授かってしまった夫婦への配慮を込めたものだった。
身近な者以外にはただの死産で押し通すのが普通であり、前もって双子が分かっている場合は出産については身内だけで行われることも多い。そして出産したその場で双子を祓う。
だがこの家では双子を出産した後、最低でも1日生かしてしまっている。それはクエーサ教においては罪であり、リア王国の法律でも罰則される事例である。双子は直ちに刑に処され、夫婦や双子を匿った者は厳罰に処される。
だからこそ、クリンストン夫妻の親族は得体の知れないクラティナの存在を恐れたのだ。
「双子未祓いはファフニールでも厳罰に入る。目の前で子供を殺され、そして独房で十五年の時を過ごすことになったはずだ。リア王国でもそれ相応の罰が下されるのだろうな」
その言葉にロキシートと夫婦以外が息を呑んだ。リア王国では十年の懲役が課せられる。それが目の前で現実になろうとしているのだ。
しかし―。
「だがそんなものは置いておこう。第一私自身がまずこの法律を好んでいない」
続くクラティナの言葉は肩透かしを食らうものであった。
「えっと、クラティナ。どういうこと?」
「どういうも何も元々私に告発するような気は無い。そもそも私はその双子を殺すという時点でこの規則が嫌いなんだ」
腕を組み、クラティナは頬を膨らませる。その姿はまるで子供だった。
「一体その子供が何をした。誰かに迷惑かけたわけでもないだろう。何せ生まれたばかりなのだ、迷惑のかけようが無い。そう思っているからこそ、私はこのことを告発しない。それどころか告発するのは私にとっても虫の居所が悪くなる損失でしかないからな」
その言葉を聞いてロキシートは改めて理解する。クラティナは思った通り、純粋な考えの持ち主であり、誠実さを好む性格の持ち主であることを。そしてそれを貫き通す意志の強さを持ってもいる。
ロキシートは思わず笑みを零す。法律的には不謹慎であるが、そのクラティナの思想に感謝を示したかった。
「ふふっ」
含むような笑いをしたのは他でもない、ミリアだった。
「何かおかしいか?」
「いえ、あなたは何もおかしくは無いわ。もっとも私がそう思えるようになったのは、この子たちが生まれたからなのだけれど」
そしてミリアは生まれたばかりのわが子の頬を軽くつつく。子供はそれがくすぐったかったのか、僅かに身を捩る。それを見たミリアはそっと微笑む。その表情はとても穏やかで、優しさに満ちた母親のものだった。
「幼い頃、近所で双子が生まれた事があったの。当時の私は何の疑問も持たずに赤ちゃんが殺されるものだと思っていたわ。それが普通だったし、常識と教わってきた。クエーサ教の教えなのだから、それが正しい行いなのだと思っていた」
そこで、笑顔だったはずのミリアの表情が急に険しいものに変わる。
「でも、いざその双子を自分が授かったかもしれないと聞いた時、私はその考え方が怖くなった。なにより双子を殺すことを常識とする社会の怖さを知ったの」
子供から手を離したミリアの表情は、悲壮感に満ちていた。辛く、重い心境が隠されることなく表へと出ている。
辛い思いをして生んだわが子を殺さなければいけないという歪んだ常識。その常識に今まで疑問を持たずに過ごしてきたという事実が、ミリアの心に重く圧し掛かっている。
「なるほど、その考えに行き着いた事は私としては賞賛に値する。だがただ思ったのと、実際に行動に移せるかは似ているようでまるっきり違うものだ」
そのミリアの心情を理解し、クラティナは一度深く頷く。しかし直ぐに真剣な視線をミリアへと向ける。
「あなたはその常識が歪んでいると気付いた。なら次はその先だ。それに気付いたあなたはその双子をどうする?もっと言うなら、生かすのか殺すのかどちらにするんだ?」
クラティナの言葉にはミリアを責め立てるような意思はなかった。ただ事実を明らかにし、確認をする。それを追求するための言葉だった。
その場にいた誰もの視線がミリアへと向けられる。ミリアはお腹の上で手を組み、静かに下を向いている。
「話し合った結果、祓おうと思います」
「え……?」
ミリアの言葉に声を漏らしたのはロキシートだった。
「それは……どういうことですかッ!?」
そして思わず声を荒げ、詰め寄ってしまう。
「今さっき、それが間違っていると言ったばかりじゃないですかッ!?」
「命を助けるお医者である先生には申し訳ないことですが、家族で話し合った結果です」
ヨハネが頭に手を置き、吐き出すような辛い口調で言う。
「以前先生がおっしゃっていた通り、家族皆でキスカを出ることも考えました。しかしこのご時勢、キスカを出たところで働く当てもなく、そうでなくとも国自体が危ない状態にあります」
ミリアの意見はある意味正論だった。首都の下町ですら何とか職についているという状態であり、そこを離れたからといって裕福になれる訳ではない。ましてや、今のリア王国は常勝の帝国に睨まれているのだ。
「そんな世の中で、私はこの子たちを幸せに育てる自信がまるでありません。飢えて死ぬ、殺されるくらいならいっそ教えに従ってこの手で―ッ!」
熱がこもったミリアの独白はクラティナに頬を叩かれたことによって中断された。
「それ以上は思っても声に出してはいけない。あなたは人の親になったのだからな」
口調は変わらなかったがその言葉の裏に苛立ちが隠れているのは明らかだった。
そこでミリアは自分が言わんとした事を改めて認識し、顔を隠すように手を当て、泣き崩れた。その光景をミリアの家族は口惜しそうに眺めるしか出来なかった。
「あなた方の意見は理解した。子供を殺すと言うのなら殺せばいい。私は確かにこの常識が嫌いではあるが、親であるあなた方がそう決めたのならば部外者である私は反対しない」
「クラティナ、君までッ!」
ミリアの意見にクラティナが賛同したことに、ロキシートは驚きが隠せなかった。クラティナは愚直なまでに誠実だ。そうであるからこそ、この場も双子を生かす側に回ると思っていた。確信していたと言ってもいい。だが、それはあっけなく裏切られた。
「仕方ないだろう、これはこの家族内での問題だ。私たちが口出し出来るものでもない。それは医者であるお前も同じなはずだ」
「だけど!」
「それとも何か?ロキシート・マクスウェル、お前はこの家族の決定に口を挟む権利でも、何か特殊な事情でもあるとでもいうのか?」
「―ッ!?」
ロキシートはそこで言葉を詰まらせた。そして同時に気付いた、確信した。クラティナは予想通り、ロキシートの秘密に気付いている。最早確認する必要も無い。
今の質問を聞けば、ロキシートには十分だった。そして今の質問によって、ロキシートのあらゆる意見は全て無効化されることになった。この質問が決定打となった。
だがそんな状態でもロキシートは思考を巡らせる。何か良い案が無いかと知恵を絞る。認めない、認められる訳が無い。もしこの事例を認めてしまったら、それは自分自身を否定することに他ならない。
しかしロキシートは自分もろとも地獄に落ちる手札は持っていても、この状況を覆す切り札は持ち合わせていなかった。
「先生、申し訳……ありませんでした」
深く頭を下げるヨハネを、ロキシートは甘んじて受け入れるしかなかった。