第八話 契約
時は遡り、天ヶ原家の食卓を囲む一時間前。
組み伏せられた俺が理性を溶かされた協力を約束した直後。
「それじゃ、あんたには悪いけど力貸してくんない? ……実はもう、あんまり時間ないんだよね」
天ヶ原がそう言うと同時に、窓の外から扉が開く音が聞こえてきた。
「やば、パパ帰って来ちゃった」
「パパ……?」
唐突に呟かれた単語に、思わず反応してしまう。
「なん? あたしがパパって呼んでたら悪いわけ? ……って、今はあんたを責めてる時間もないわね。いい? 今から事情だけ簡単に説明するからよく聞いてて」
窓の外をちらちらと気にしながら、天ヶ原はそう前置きして話を始めた。
「さっきから言ってるヨゾラが引退の危機っていうの、あれは紛れもない事実よ。あたしのパパ、イギリス人でさ。仕事の関係で帰国しなきゃいけなくなったってわけ。イギリス行ったら色々環境も違うし、あたしは英語とか話せないから勉強しないとだし、多分配信なんて続けられない。仮に無理矢理続けたとしても今まで通りの星海ヨゾラではいられなくなる。絶対にほころびが出る。だから、中途半端なに続けるくらいならここで終わろうと思ってる。……ここまでいい?」
「よく、はないけどいい……」
いっぺんに情報が開示されすぎだ。正直よくわかっていない。
けど、俺にとって今の話の中で重要なのは一つだけだというのは理解できた。
「要するに、天ヶ原がイギリスに行くとヨゾラが引退するってわけか」
「……まあ今はそれだけわかっててくれればいいわ。で、それを踏まえた上であんたに頼みがあるんだけど」
天ヶ原はそこで言葉を切り、しばし逡巡する。
室内をぐるっと見回し、最後に値踏みするように俺を睨み付けて、そして、大きくため息を吐いた。
「その、言いづらいんだけどさ、あたしをここに住まわせて貰えない?」
「は!?」
あまりに突拍子もない願いに、俺は腹の底から思い切り叫び声を上げる。
「いや、待て待て待て。なんでそういう話になる?」
全くもって理解が追いつかない。
若い男女が一つ屋根の下で暮らすなんて……許されるはずがない。
「仕事も学校もあるから日本に残りたいって、ずっと交渉してたんだけどさ、娘一人残していけるわけないってどうやっても折れてくれなくて……こうなったらもう強引にこっちに残るしかないかなって」
「……いや、なんでそれで俺の家に住む話になる? 配信の収入だって結構あるだろうし、普通にどっかに家借りれば――」
「それが無理だからあんたに頼んでんの。未成年、それも高校生じゃ、親の保証がないとアパートも満足に借りられない。そうじゃなくても、配信者が家借りるのってかなり難しいのよ」
「いや、でもなぁ……」
俺は渋りつつ、ちらと天ヶ原に視線を向ける。
やっぱり、口は悪いけど天ヶ原は可愛い。校内一の美少女の称号は伊達ではない。
しかも、彼女の声は世界一俺の好みなわけで。故に、
「何? ヨゾラのためならなんでもするんじゃないの?」
「いやそうだけどさ……」
全くもって理性が持つ気がしない。間違いを起こさないと断言できない以上、同居を許すことはヨゾラのためにもならない気がする。
「……なら、こういうのはどう? 報酬を払うわ。ああ、お金じゃないわ。もちろん生活費は別にちゃんと払うけど、そうじゃなくて……」
しかし、彼女から提示された報酬は、そんな俺の葛藤を吹き飛ばす威力があった。
「……一週間。一週間に一度だけ、あんただけのヨゾラになってあげる。世界中でたった一人、ムーンさんの為だけの配信をしてあげるわ。通話も繋いでね。……あんたにとってはこれ以上ない報酬じゃない?」
「――っ、それ、は・・・・・・」
さっきまで固めていた覚悟が音を立てて崩れ去るのを感じる。
だってそれは、どれだけ望んでも虚栄を眺めるだけだったヨゾラに手が届くという事で。
彼女の言う通り、俺にとって何にも変え難い報酬だった。しかし──、
(本当に、いいのか?)
俺の中に僅かな逡巡が生まれる。
これを受けてしまえばもう、今までのファンとリスナーの距離感には戻れない。魂と出会っておいて今更何をという感じはあるが、これまで一緒に応援してきた星の子にも、後ろめたい気持ちがある。
……けど、それでも俺は――
「……わかった。ただ、俺も男だ。身の安全は保証しないぞ」
「ふん。あんた程度どうとでもなるわよ」
そう言って天ヶ原は不敵に笑う。
……信じて、いいのだろうか。
……望んで、いいのだろうか。
けど、確かにさっき天ヶ原にはお礼を言ったけど、俺はどうしても、直接ヨゾラに自分の思いを伝えたい。ヨゾラと、話したいのだ。
「……いい? これは、『契約』。天ヶ原乙羽と望月仁。ムーンさんと星海ヨゾラの間で交わされる、絶対破棄できない、何より重い誓い」
ヨゾラのものでも天ヶ原のものでもなくて、何かに乗り移られていそうな厳かな声で紡がれる約定。
それは鼓膜から脳を通り、俺の内側にしかと焼きつく。
「あんたは何があっても、あたしを高校卒業までここに住まわせる。あたしはその間ずっと、週に一度あんたのためのヨゾラになる。もし違えたら……そうね、相手から何でも一つ、権利を奪えるってのはどう? それはこの家の所有権でも、あたしの処女でもいい。あるいは相手の生殺与奪でさえも。……さて、あんたにこの契約をする覚悟がある?」
契約の内容自体は互いの利害が一致しているから、問題ない。
けれど、違約した場合の罰則があまりに重すぎる。
家? 処女? 命? ベットに対するリスクが飛び抜けすぎている。こんなの契約として成立していない。
「……一つだけ、付け加えてもいいか? もし、他に天ヶ原が配信を続けながら安全に住める場所が見つかったなら、そのときはこの契約は無効に出来る。ってことにしたい」
一応、最低限の逃げ道だけは作っておかないとな。
けれど、ある意味こんなことしか出来ないと言うべきだろう。
なにせ、最初から、天ヶ原がどんな条件を突きつけてきたとしても、俺に断るという選択肢はないのだから。
「分かった。いいよそれで。あたしも別にここにいなくていいならそうしたいしね。……それじゃ、誓いなさい」
天ヶ原はおもむろに俺のベッドの上に座ると、靴下を脱いで生足を俺に向けてくる。
「……は?」
あまりに突拍子もないその出来事に、俺は思考が止まり間抜けな声を漏らした。
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