第七話 緊張の食卓
カトラリーと食器が触れ合うカチャカチャという音が、静寂に満ちる室内を支配する。
俺の目の前に並べられているのは、鴨肉のソテーやら冷製スープやら、フレンチレストランもかくやという豪華な料理だ。しかし、緊張でさっきから一向に喉を通らないでいる。
「……望月君といったか。君は、乙羽と付き合ってどれくらいになる?」
静寂を突き破ったのは、底冷えしそうなしゃがれ声。
声の主はシルバーブロンドの髪をオールバックにして、黒縁メガネを掛けた強面の外国人男性。
彼は優雅な動作で鴨肉の一枚を咀嚼し、口元をナプキンで拭うと、殺意の籠った眼差しで俺を見据えた。
「え、えっと……」
あまりの迫力に、俺は言葉を失った。
何か言わなければとは思うのだが、喉奥でつっかえて上手く声が出せない。
……いやこっわ。天ヶ原の父親こっわ。どうみても堅気じゃないだろ。ギャング? マフィア? その辺の違いはよく分かんないが、そうだと言われても違和感なく受け入れられる。
そんな相手に嘘を突き通せって、そりゃあまりのも無茶って者だろう。
……ねぇ天ヶ原さん。こんな人が出て来るなんて聞いてないんだが?
「付き合った期間はちょうど一昨日で半年よ。それよりパパ、その怖い顔止めてよ。『仁君』が怯えてんじゃん」
俺が必死に視線で訴えかけると、天ヶ原──いや、『乙羽さん』が助け船を出してくれる。
「そ、そうなんですよ。一昨日は乙羽さんと二人でお祝いもしました」
乗るしかない、このビックウェーブに。
俺は取ってつけたような薄っぺらい笑みを浮かべると、すかさず天ヶ原の作り話に便乗する。
「……ん? 確か一昨日、乙羽は『仕事』が忙しくて学校も早引きしたと聞いたが……一体どうやって祝ったんだ?」
「え、えーっと、ほら、あたしが帰るって分かったタイミングで仁君がプレゼントをくれて……」
天ヶ原は俺の話に乗っかりつつ、ギロリと咎めるような視線を向けてくる。「余計な作り話を増やすな」ということだろう。
「ほう、プレゼントね。因みに何をあげたんだね? 望月君は」
「――っ」
そんなこと、即興で答えられるわけないだろ。
下手なことを言って万一持って来て見せてくれ、なんて言われたらそれこそ詰みだ。
何か当たり障りのない、天ヶ原が持ってそうな無難なもの……
だめだ。生まれてこのかた女の子にプレゼントなんてしたことない俺が、そんな都合がいい物を思い付くはずがない。
……いや、待てよ。あるじゃないか。女の子にプレゼントを贈った経験。それも天ヶ原本人に。
「大したものではないんですが、星があしらわれたポーチを……」
「ポーチか。ここ二日、乙羽がそんな物を使っているのは見ていないが」
「――パパ。あんさ、いい加減に詮索するような真似やめてくんない? ポーチはバッグの中で化粧品とかまとめてるから見えるもんじゃないし。何なら今持ってこようか?」
「い、いや、そこまではしなくていい」
強気に咎める天ヶ原の様子に、パパさんが少したじろぐ。
……どうやら、俺の意図は伝わったみたいだな。
確かに俺は彼女にポーチをプレゼントしたことがある。尤もそれは、天ヶ原に対してではなく、ヨゾラに対してだが。
とはいえVtuberへの誕生日プレゼントなんて受け取られるかわからないから水物だし、無数に貰っているであろう彼女が覚えているかどうかは賭けだった。
……ていうか使ってくれてるのか。普通に嬉しいな。
「……それで? 半年もの間交際していたというのに、今日になって初めて顔を出した望月君の『大事な話』というのは一体何なのかね?」
パパさんはこれ以上探りを入れるのは無理だと悟ったのか、話を本題へと引き戻す。
そうだ、ここからが本当の勝負。
気を引き締めろ。……全ては、ヨゾラの為。今、この世界で星海ヨゾラを守れるのは、俺なのだ。
だけど、こういう時なんて言えば……
「何だね。早く言いなさい」
俺が何も言い出せずにいると、再びパパさんからきつい視線が送られる。
娘にはたじたじという意外な一面を見てパパさんへの印象はましになった。だが、やっぱり怖い物は怖い。
未だかつて感じたことのない緊張で視界がぐるぐると回る。
とにかく、早く何か言わないと。何か、こういう時に言うべきことは……、
「えと、その……む、娘さんを僕にください!」
「……は?」
「ちょっ、あんた何言って――」
その場の誰もが言葉を失い、今日一番、食卓が凍り付く。
……あ、これダメな奴だ。
自分が何を言ったのかを理解し、ちらと天ヶ原に視線を向ける。
彼女は顔を真っ赤にしてそれはもうブチ切れていた。
当然だろう。俺は取り返しのつかないミスをしたのだから。
……くそ、一体なんだって俺がこんなことを。
一体なぜ、俺が天ヶ原の父親と対峙する羽目になったのか。
事の発端は、一時間前。俺が天ヶ原に組み伏せられたところまで遡る。