第十九話 お別れ②
*乙羽視点
「はぁ……やっちゃった」
あたしはトイレの個室に入り、背中をドアに預けてため息をついた。
パパに何か言うことはないか、と聞かれ、居ても立っても居られなくて逃げ出してしまったのだ。
逃げ出した理由は二つ。
一つはこの歪んでみっともなく濡れた表情を見られたくなかったから。
もう一つは、ここ一週間くらいずっとそうだったんだけど、パパとどう接したらいいか分からなかったからだ。
だってあたしは、自分からパパから離れると決めたから。
だからどうしようもなくこみ上げてくる寂しさとか、今更一人でやっていけるのか不安になったとか、そういう感情を吐露するのは許されないのだ。
けど、いざパパと本当に離れる事になってみて、想像以上にそれを耐え難いと思っている自分に気が付いた。
――だから逃げ出した。
あのままだとパパの優しさに負けて弱音を吐いてしまいそうだったから。
……こんなお別れになっちゃってごめんね。
わがままで親不孝な娘だとは自分でも思う。
けど、これがあたしの決めた道だから。
そう必死に思い続ける事で、あたしは心の奥でぱちぱちと火種のように燻る熱い感情を押し留め続けた。
*仁視点
啓介さんから言いつかって二分ほどで、天ヶ原はトイレから顔を出した。
泣いていたのか、化粧を落とした跡があり、すっぴんの天ヶ原はいつもより幼い印象を受ける。
「天ヶ原」
こちらに気づくことなくふらふらと彷徨っていた彼女に声を掛ける。
「あんた、待ってたんだ」
びくっと肩を震わせて、意外そうな顔をする天ヶ原。
「流石に置いて帰れないだろ。……それより、よかったか? 啓介さんとはあんな別れ方で」
「……あんたに何がわかるのよ」
天ヶ原は低い声を出し、こちらをキッと睨みつけてくる。
まあそら、あんまり聞かれたい事じゃないわな。
けど、俺も引くわけにはいかない。
「分かるさ。自分から残るって言い出した手前、どういう顔で別れたらいいかわからなかったんだろ?」
「――っ」
俺がそう言うと、天ヶ原は面食らったような顔で驚きを示した。
もちろん啓介さんに頼まれたというのはある。
けど、今日の二人を見ていて俺なりにどうにかしたいと思ったのだ。
――親子がこんな形で別れていいはずがないのだから。
「本当にいいのか? 遠く離れた場所に行くんだ。何もないとは言い切れない。もし、これが最期の別れになったら一生後悔するぞ」
「あんた、なんでそこまで……」
有無を言わせぬ俺の強い口調に、天ヶ原はただ困惑していた。
けれど、思うところはあったようで、
「でも、もうどうしようもないじゃない! パパは行っちゃったのよ。今更挽回なんて――」
「いいや、それがそうでもないんだな。――ほら」
俺は彼女の本音を引き出せたところで、背後の椅子を指差す。
するとそこには、見慣れたブロンドのオールバックが見えた。
この為にぱっと見分からないところに座ってもらっていたのだ。
「パパ……」
きっと色々疑問はあっただろう。
けれど、それらを上回る激情が、今の彼女の血潮には流れていた。
その全てを発散するかのように天ヶ原は俺を強く睨みつけ、ゆっくりと啓介さんの方へと歩き出す。
そして恥ずかしそうに二、三言葉を交わした末に、涙を流しその胸に飛び込んだ。
――もう、俺は必要ないな。
これ以上見ているのは野暮ってもんだ。
俺は温かな気持ちで二人から視線を外し、人だかりの中へと姿を消した。
***
海辺の強風と、飛行機の轟音に包まれた展望デッキ。
数多の人々が最後の別れを込めて空を見守るその場所に、俺と天ヶ原は並んで立っていた。
「あれね、パパが乗ってるのは」
たった今飛び立った、青と白が縁どられたジャンボジェット。
羽田空港から出発する航路は少し特殊で、この後低空を旋回して都市部と距離を置いてから高度を取る。
蒼が描く軌跡を追いながら、その道中が安全なものであることを俺はひたすらに願った。
気恥ずかしさからか、俺たちの間に会話はない
けれど、展望デッキへの誘いを彼女は断らなかった。
だからもう、大丈夫だと思った。
やがて旋回し、ジェット機はあっという間に空港の屋根に隠れて見えなくなった。
彼女はそれでも消えた先を一心に見つめ続けた。
……空を見上げる彼女は、何を想うのだろうか。
少し考えてみたが、答えは出なかった。
「もう、いいか?」
しばらくして彼女が視線を僅かに下げたのを見て、俺は声を掛けた。
「……そうね。もう、いいわ」
小さな呟きは滑走路の轟音にかき消されてしまいそうだったが、俺にははっきりと聞き取ることが出来た。
「よし。それじゃ……帰るか」
――寂しさと、覚悟を胸に。
俺たちは同じ帰路をゆっくりと辿るのだった。
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