第十八話 お別れ①
ライブ告知動画の件から二週間が経った。
あれ以来天ヶ原と関わる機会は殆どなく、俺の日常は平穏そのものだった。
幼馴染の皆川康太を通じてクラスにも適度に打ち解け、放課後はバイトとヨゾラの配信、切り抜き動画の作成に勤しむ。
一応、時々荷物を運び込む天ヶ原と顔を合わせる機会はあったが、会話はあまりなかった。
お陰で玄関は彼女の私物が詰まったダンボールだらけだが、それも些細な問題だろう。
──しかし今日、その平穏は終わりを迎える。
***
雑踏に様々な言語が入り乱れる中に、自分は関係なくてもついつい焦って傾聴してしまうフライト時間を告げるアナウンスが鳴り響く。
外では容赦なく響いていた80デシベルを超える飛行機のエンジン音が、一歩空港の中に入ると遠く意識から外れてしまうのは何故だろうか。
四角く切り抜かれた出発ロビーを眺めながら、俺はぼんやりとそんな事を考えていた。
しばらくすると、荷物の預け入れを終わらせたシルバーブロンドオールバッグの、強面メガネ男がこちらに近づいて来た。
「やあ、待たせたね二人とも」
強面メガネ男、もとい啓介さんがどこか疲れた顔で微笑みかけてくる。
だが、俺の隣で座る天ヶ原は、居心地悪そうにスマホを弄ったまま生返事をするだけだ。
「いえ、俺たちは大丈夫ですよ。啓介さんはまだ時間あるんでしたよね?」
代わりに俺が話を振る。
本来親子の時間を尊重すべきなのだろうが、当の本人がこれなのだから仕方ない。
「いや、それが少し時間を勘違いしてたようでね。荷物を預けるのもギリギリだったんだ」
「……そう、なんですか」
どう見ても出来る男、という風な啓介さんがそんな危ないミスをしてしまったのは、この違和感だらけの親子仲のせいだろうか。
全く、第三者の俺が一番気まずいというのに。いいから二人ともそれを察して仲良くして欲しい。
そんな俺の願いも虚しく、その後も二人の間に会話は殆どなく、気付けば俺ばかりが喋っていた。
──そして、別れの時はやって来た。
ゆっくり十分かけて歩いて、保安検査場の前到着した。
カップル、家族、友人。国を隔てて会えなくなる大切な人との最後地点では、多くの人が別れを惜しみ、列に並べずにいる。
「じゃあ望月君、乙羽の事は君に任せたよ。……もし、何かあったら」
「だ、大丈夫ですよ。乙羽さんの事は何があっても守り抜きますから」
ギロリと向けられた視線が怖くて、俺はつい大見えを切る。
「尤も、私からするとやはり君が一番危険に思えるがね」
「や、それは……」
思わぬ追撃を受けて口籠る。眼光の鋭さに背筋が凍る。
「はは、冗談だ。しかし一線を越えるのは高校を卒業してからにしなさい。いいね?」
一連の怖い演出は啓介さんなりに場を和ませようとした結果なのだろう。
俺はひとまずほっと胸をなでおろす。
……けど今、追撃に即答できなかったのは何でだろうか。
そんな事あり得ないですよ、と否定しようとした俺の脳裏に、ヨゾラと天ヶ原、二人の顔が浮かんでそれが遮られていた。
「さて、それでは私は行くよ。そろそろ時間のようだ」
啓介さんはそう言うと、優しい視線を天ヶ原に向ける。
「乙羽……これでしばらくお別れだね。何か私に言っておきたい事はないか?」
「あたし……あたしはっ! ──っ、ごめん、少しトイレ」
天ヶ原は泣きそうな声で何かを言いかけてしかし、堪え切れなってその場から逃げ出した。
「ちょ、おい! もう時間ないんだぞ!」
駆ける背中に呼び掛けるも、振り返る事はなくて。
自分にはどうしようもない事だと分かりつつも、際限ない悔しさに襲われる。
「そう気にしないでくれ、望月君」
「けど、もう時間が……!」
「ああ、時間の事は嘘だよ。こうなるだろうというのは分かっていたからね。余裕を持たせる為に巻かせてもらったんだ」
「そういうことでしたか」
流石父親。娘の行動はお見通しだったようだ。
「それとね……少し、君と話がしたかったんだ。望月君」
「俺と?」
「ああ。結局この二週間、私も忙しくて君とゆっくり話す時間を取れなかったからね」
意外っちゃ意外だし、普通っちゃ普通だな。
こんな別れ際じゃなくてもいいとは思うが、しかし大事な娘を預ける相手だ。話の一つもしておきたいだろう。それに、
「流石に隣人同士だ。私も君の事情はある程度知っている。……不躾かもしれないが、その、君は大丈夫なのかと思ってね。うちで食卓を囲む君の眼差しには、色々と含みを感じるものがあったから」
その色々の大半は啓介さんの知らない『契約』のせいなのだが。
けれど、それ以外の感情がなかったわけでもなくて。
「確かに、あの温かさは少し羨ましかったです。……けど、もう慣れましたよ。時々しんどくないと言えば噓になります。でも俺には乙羽さんが居ますから」
寂しい気持ち、辛い気持ち、そういうのは全部ヨゾラが吹き飛ばしてくれるから。
だから俺は、前を向いていられる。
「それ程までにあの子が君の支えになっているとは……けど、あの子は君の事情を知らないんじゃないか?」
「ええ。知りませんし、自分から言うつもりもありません。変な気を遣わせたくないですから」
「……そうか。そうだね、君がそれを望むなら、その方がいい」
啓介さんは納得したように神妙な面持ちで頷いた。
それから暫く無言の時間が流れて、
「望月君、申し訳ないが、乙羽を任せてもいいかな? 私もこのままお別れは少々寂しい。彼女を焚きつけてきてはくれないか」
そこにいたのは強面の外人なんかじゃなく、優しい眼差しをしたただの父親で。
とてもじゃないが、その切な願いにノーとは言えなかった。
「わかりました。……任せてください」
そう言って俺は、一人彼女の方へと歩みを進めた。