3.異世界デビユウ
空太郎が目を覚ますとそこは、深い森であった。昼というのに、薄暗い、陰気な雰囲気が漂っている。
「ともかく腹が減った。食料をぶんどってくる必要があるな」
空太郎はむやみに、ドスドス、ドスドス歩く。とにかく歩く。
高下駄は森を歩くのには不向きだが、もとより承知。行く手を阻む草木は、踏み砕く。
薄暗い森をどんどん進んでいくと、一層に鬱蒼とした森に入ってしまった。
「けっ、しけてやがる。異世界の木というのは果実ひとつ実らねえのか」
すると、空太郎は良い匂いを感じる。くんくんと鼻の穴を広げると、匂いのする方へと走る。
なんと、そこにはちょうど良い塩梅に煮えた鍋がある。灰汁の多少浮いた表面に、煮えた肉片がぷかぷかと浮かび、菜っ葉がその周囲を筏のように漂っている。
「ひゃあ、牛か豚か知らねえが、随分とうまそうな肉が焼けてるじゃないか。これは、森を懸命に歩いた褒美に違いない。ここらで一つ食事にするとするか」
空太郎はバンカラなので、箸がなければ無いで済ます男だ。煮えた鍋に素手で手を入れ、肉を掴み取ると大きく開けた口へ放り込む。
「うむ、うまい。しかし、誰がこんな奥深い森で鍋を……近くに猟師がいるのだろうか」
空太郎がしばらく鍋を食っていると、ひゅううを空気を裂く音とともに、矢が飛んでくる。射手の腕はよいのか、寸分違わず空太郎の喉元へ、矢が飛ぶ。
さしもの空太郎も、これを避けるは能わず。ならば、と餌を待つ鯉の如くぽっかりと大口を開けた。
矢じりが、口の奥に入った瞬間に、空太郎、渾身の力を込めて矢じりを噛む。
バンカラの奥歯に噛まれては矢もその勢いを減じた。
ところが、ここは異世界。矢にも当然の如く魔法はかかっている。物理法則を無視して、矢はいまだ動く。そのまま空太郎の喉を突き破るつもりだ。
「これは面白い。俺の歯と弓矢どっちが強いか。なかなか勝負できるものではない。矢ごときに俺の歯が負けたとあっちゃあ、俺を生んでくれた母サマに申し訳が立たねえ」
空太郎、気をとりなおして、奥歯で捉えた矢じりをギリギリと噛み砕く。
キャンデイを砕くように、矢じりは砕けた。
空太郎、ペッと鉄片を吐き出す。
「おい、狼藉者。近くにいるのはわかっているんだ、出てこい。たしかに、俺はお前の昼飯を勝手に食べたのは悪かったが、いきなり矢で射ることはないんじゃないか」
空太郎は底引き網のごとく全方位をぐるりと見回す。気配はするが姿を現さない。
空太郎、これに立腹し、叫ぶ。
「こっちが気をきかせて手加減したら、俺を甘く見おって。この板野空太郎、一方的にやられてたままでは終わらんぞ」
空太郎、一本の大木を、相撲で相手のふんどしに手をまわすように掴むと、えいやっ、と引き抜く。
「さあ出て来い。出なけりゃ、森が砂漠に変わっちまうまで俺は戦うぞ」
手始めに、空太郎、一投目。大木はぐるんぐるんと回転しながら、進路上にある木々を粉砕していく。遠くの丘に命中してやっと止まった。
上空から見たならば、森に一本の線が引かれているだろう。
「そらっ、お次だっ!」
空太郎が景気良く、二本目の大木を引き抜こうとした時だ。
「分かったわ!空太郎殿、あなたの実力は、理解した!姿をみせるから、投げるのをやめて」
空太郎が抜こうとしていた大木の生い茂る葉から、一人の美女が現れる。耳が長い若い乙女だ。
「分かればよい。俺も人に無礼を働いてしまったことはあるからな。水に流そう」
「(……この人間、存在そのものが、無礼極まりないわね)私は、山エルフの長であり、現魔王、ノカミ・マリンよ」
「ほう、野上マリン殿か。魔王といえば、この世界では高官に当たるはずだが。どうして、魔王がここに?」
空太郎が質問を投げかけると、マリンの目が涙ぐむ。
「私の父は、先代の魔王よ。それはそれは、とても強くて優しい父上だったわ。でもね、殺されたのよ!異世界から呼び出された勇者にね」
空太郎は、先刻であった上位存在のことを思い出す。あの野郎、俺以外にも、同じように魔王を殺せと頼んでいたのか。それも名君を殺せとは、どういう了見だ。
「それは臓腑が煮くりかえるような話だ。だが、それにしては、君の父上は、強かったんだろう。それに魔王というものは城の天守閣にある玉座に座っているらしいじゃないか。部下はどうしたんだ」
「それは、甘言に乗った重臣ミノタウルスが勇者を玉座まで手引きしたの。勇者と一緒に人間の軍が攻めてきたけれど、父上を殺された城内は大パニックで、防戦するどころじゃなかったわ」
「なんてこった。つまり仙台の魔王を務める君の父上は、信頼していた重臣である箕田ウルスに裏切られ、勇者に殺されたというわけか!秋田や山形の魔王は援軍もよこしはしないのか!」
空太郎にとっては、異世界に仙台があるのは問題では無い。前世に仙台があるのだから、異世界でも仙台があってもおかしくない。
「???? ともかく、あなたの強さを見込んで頼みがあるの。私の仇討ちを手伝ってくれませんか?もちろん、報酬は弾みます。いきなり、出会ったばかりの、それも宿敵である人間にこんなことを頼むのは筋違いだと思うけれど……」
「よしきた。窮地の乙女が仇討ちしたいってんだ。これを見捨てて、明日の飯がうまいもんか。この板野空太郎、その仇討ち、引き受けた」
倫理観が鎌倉武士で止まっている空太郎に、仇討ちを引き受けることを悩むポイントはない。喧嘩もできて、人助けもできる。これほど楽しいことはない。