33,
手に馴染まない重さ、しかしドアを破ることはできた。
灼けた光が腕の中に抱えた筒から漏れた。鉄製の扉はひしゃげて、前方で転げて回った。破城槌にグリア粒子を再充填、屋内で生身で襲い掛かってくる蛮族どもに備える。金属で出来た扉を吹き飛ばせる兵器を人間に使ってはいけないのは承知しているが、相手はそう行儀良くもない。
「うおうわああああ!!でていけ!!!」
「ものすごいのが出て来ました」
上半身に倒錯的なランジェリー、下半身には何も着用していない。ジルは地球同盟のアーカイブから速やかに変態のIDを割り出す。スマートドラッグ常用者のジェームス・プリストリー。元企業での戦闘従事経験あり。非認可ライフル所持容疑も。
完璧になった神経は彼の行動をまじまじと僕に見せつけてきた。洗濯物の山からライフル、情報にあった10mm口径前後の対人対デーモン用のものを引き出す。装填済みと考えた方がいい。
彼が腕を上げる前に破城槌を武器にあてがう。トリガーを引くと充填されたグリア粒子に点火、先端の衝角が作動してライフルを壊す。暴発した銃弾がアウターシールドを消失させるが、人体には届いていない。何かしらの破滅的な行動に移る前にジェームスに組み付いて地面に伏せさせた。
ひしゃげた機関部に銃弾が入り込むと危険なので、彼に座り込んでから解体する。撃針に注意してマガジンを取り除けばいい。この使い方なら後で文句を言われる事もないだろう。どう考えても犯罪者の方が悪いのに癇癪をぶつけられるのは僕たちの方だ。
あとは簡単だ。鎮静剤の入ったシリンジを腕に打ってしばらく待つ。じたばたとしたり痙攣したり、忙しなく動いていた男がだんだんと大人しくなっていく。汗ばんだ肌に埃が付いていた。ナノマシンが麻酔を素早く選択的に体内に吸収させた。過剰に神経伝達物質が分泌されているだけならこれで終わる。
どんな粗悪なスマートドラッグに手を出したのかも分からないが、今はとにかく押さえつければ問題は無い。後はトリマンの仕事だ。通信を開いた。
「ブロードマン、目標を確保。こちらに損傷なし」
『こちらピネル。また銃撃か?何回撃たせりゃ気が済むんだ。こっちの身にもなってくれ』
「知ったこっちゃない。銃を手にした人間に撃たせないと言うのは不可能だ」
通信の相手はトリマン。僕たちはお互いの名を知っていたが暗号で呼び合った。通信をしているときは自分の名前、階級差まで隠す。地球同盟軍の慣習らしい。そもそも簡易信号やAIによる通信保護があるから無駄ではないかとは思ったけど、そういうものだと押し切られた。わざわざ戦ってもどうしようもない。
押さえつけていた男が完全に沈黙したのを見計らって、手錠をかけた。拘束しても暴れられると仕事が増える。彼のような薬物乱用者は平気で骨が露出するぐらいの力を掛ける。部屋の状態をようやく観察できるようになった。
床にぶちまけられた衣類の山、黒いゴミ箱で築かれたトーテム。床はかろうじて見える。埃こそあれあまり汚れてはいない。虫と悪臭が報告されたのは最近になってから。セルフネグレクトというわけではない。通報の理由は失踪した女性が最後にあった人物ということ。
ジルはアパートのカメラにアクセスして証拠を淡々と選ぶ。彼女にとって今の状況は虜囚と同じことだ。肥大化したプログラムを無理やりサブノックに押し込めているのだから。とはいえ文句を言えるような指向性をつけたわけでもない。やがて調査は終わった。
「部屋の奥に女性の遺体が発見されました」
「やっぱりか」
僕はノワール小説のように彼女の答えに頷いた。捜査の経験なんて無かったのにそんなことが言えるのは、地球同盟軍に入隊してからこのようなことがありふれていると知ったからだ。
慎重にゴミを掻き分けて進むと、確かに部屋の奥に女性が横たわっていた。全裸で仰向け、胸と腹に銃創が見られる。小さな爆発があったような激しい損傷は大口径のライフル弾が使われたらしい。遺体は小柄……女性?顔を見る。化粧は派手だが、骨格の形からして少女と言った方が適切に思える。
娼婦を連れ込んで殺害した、ありふれた事件だ。起こったことだけに注視すればそれだけになる。だが、彼女の遺体の近くにあったコートの中にはシリンジがあった。サイズからして女物だ。
「ブロードマン、調査は終わった。粗悪なドラッグを掴まされたんだな」
『つまりいつものことか?』
「まあ、そうだ。元火星軍のカルテルらしいな。丁寧なことにシリンジにマークがある。オスのマークだ」
『過激派だな。いくら火星は苦境とはいえ、手段を間違ってる』
元火星軍は今もこの星の中で燻っている。中には真っ当に働く者もいるが、おおよそ殆どはそれ以外の場所で屈折した感情を抱えている。これは誇張された表現かもしれないが、彼らが地球からの脱却を目指して戦っていたのは本当だ。
地球同盟軍に与することは彼らにとって屈辱だろう。そして兵士たちが経済的に恵まれているわけもないので、必然的に麻薬カルテルやらの犯罪組織を作り出す。アルブムやマフィアのようなトップダウン式の意思決定がされておらず、火星という存在を中心に連帯しているのでかなりたちが悪い。
そして、別に火星の住民に害を成さないというわけでもない。
「銃創を調べるまでは確定ではありませんが、傷口の出血から死亡したのちに撃たれたことが予想できます。死因は首の痕跡から扼死であるように見受けられます」
『あんたのAIはすごいな。そこまで分かるのか?』
「ええ。私にもっとスペックのあるハードウェアがあればより調査が捗りますよ」
『俺は通知は全部切ってくタイプなんだ』
「後は後発隊に任せる。アウト」
僕は出来るだけ自分の足跡を辿るように部屋を出た。途中で地面に置いたハムのようになったジェームスを拾い上げた。開けたドアに立ち入り禁止と印刷されたテープを貼っておく。本来ならこんな杜撰な捜査は許されない。犯人を確保した時点で現場から退去して、残りは別のチームに任せるのが妥当だ。
だけど今の地球同盟軍にそんなリソースはない。派遣会社に残りの処理を任せて、それでも自分たちでやらねばならないことが山ほどある。ビルが揺れた。ここか隣かに爆弾が落ちてきた。一瞬の衝撃音の後、瓦礫が崩れて落ちてきた音が聞こえた。保険会社のエンジェルの音はデーモンが遮っているはず。
『あー、ピネルからブロードマンへ。今そのビルに負傷者が出た。保険に入ってない』
「そうか。何処に居るんだ?」
『3階と4階だ。残りの奴は企業がやってくれるさ』
やって来た無人ヘリコプターに15人と1人を乗車させる。設定されたルートを障害物や脅威があれば止まる程度の賢さをもって巡航するだけの古臭い品だ。名前すらも白々しい。ただ使えはする。今のように市街地での捜査や住民の保護、何回も基地を往復するような仕事にフライトユニットは使えない。人間を運ぶなら戦闘機よりも旅客機を選んだ方がいい。
最後に僕が乗り、ファミリアは出発する。ラポールよりも古臭い合成音声は切っておいた。タンデムローターが大気を掴むたび揺れた。椅子に縫い付けられた住民の殆どは無事、負傷も自分で動ける程度だった。耐久度に劣る建築物の中では幸運だった。そもそも爆撃に巻き込まれることが不運だろうが。
通信網にはもう一人居る。オフュークスだ。
『こちらヘルマン、紛争を制圧した。ブロードマン、ヘリをこちらに寄越してくれ』
「定員は21名だ。今は僕を入れて17人いる」
『私が乗るだけだ。ヘルマンからピネリへ、後は頼む』
『はいはい。俺が後で住民に謝りに行けばいいんだろ』
本来のトリマンの仕事は衛生兵だ。生身のまま、またはデーモンに乗って負傷した味方を治療する。大変だが死人を減らせるのはやり甲斐だったらしい。少なくとも第二次火星戦争の頃はそれだけだった。しかしながら、今の彼はオペレーターの真似事もしている。
トリマンが不満を漏らすのも理解できるほど、現在の彼の業務は多岐にわたる。今は負傷者の治療、犯罪被害者への連絡と補填、現場の調査、再発防止案の作成。そのために彼は基地に磔になってしまった。もっと嫌なのがそれを僕もやらないといけないということにある。
「ブロードマン、残りの仕事はどれくらいある?」
『俺か?……あんたのはまだ7件残ってる。基地に降ろしたら直ぐ出勤だ。最高だな』
「残念だ。アウト」
風に揺られながら送られてきた仕事内容を確認する。今のような犯罪者の調査が4件、企業間の仲裁が3件。ただ、突発的な争いがあればそれを止めなければいけない。ただの喧嘩なら止めるのは簡単だが、この場合の”争い”というのは抗争と同義だ。ヤクザが混乱に乗じて戦い始めたと思えばいい。
何かしらのきっかけを引き起こす要因は幾らでもある。ヒットマンの銃撃、不幸な出会い。最も多いのはエンジェルが落とす爆弾。この火星に住まう反社会的組織は、天災のように降り注ぐそれを開戦理由に仕立てあげてしまう。要するにいつでもどこでも起こりえる。
ファミリアはまだハッチを開いたままだった。自動でやっていないということは不具合だ。
『失礼』
パーソナルな通信の中で彼女の声が聞こえた。最近の再会だから、まだ慣れない。ヘリが大きく揺れた。住民たちの怯える声を聞きながら振り向くとオフュークスの暗い緑色のデーモンが立っていた。ルート上のビルから跳躍して来たらしい。停める必要がなくなったので操作盤を少し触った。
「そっちは……負傷もないのか。エンジェルが沢山あったのに」
『そう大変でもない。ただの自動人形たちさ。ほら』
「ほら?」
オフュークスはバックパックから予備のケーブルを取り出して僕に渡す。それが何に使うものだったか、日が浅いのでわからなかった。思い出そうとしている間に彼女はヘリの中から予備の武器を取り出した。ラウンケルのように沢山の兵器を状況によって使い分けることが出来ることもなく、それ1つだけしかない。
SARライフルだ。サイトも付いていない、それどころかマズルブレーキさえも外されている。破城槌はそれなりに使い込まれていた。どうしようもないほどの貧困だ。デーモンの人工筋肉を総替えしたので予算がもう無いらしい。僕はこれからのことを予想して、仕方なく装備を変えた。
『ヘルマンからピネリへ、紛争を発見。これより制圧に入る』
「……ブロードマンからピネリ、制圧する」
仕事熱心なことだ。確かに眼下では爆炎があがり、銃撃音が断続的に響いている。誰かがシートを揺らした。デーモンはそれさえもシャットアウトした。一応重力レーダーの動きから察知してはいたが、現在の住民を輸送しなければいけない状況から無視すべきと判断した。
それを単純に面倒くさがっただけ、というようにも言うことは出来る。多分そうなのだろう。そうでもないかもしれない。わざとかどうかは分からないが、最近は自分の感情を無視できる環境に居れている。全く手足の動作が乱れるということはないので、悲しくはないのだろうと思う。
お望み通りに感情は不要になった。コワレフスカヤが死んだこと、ジルの親を殺してしまったこと。それについて何も感じていないこと。過剰な感傷主義に浸る事もないが、単純な論理的思考を疑う事もない。今ここでだけ、だろう。戦場は何処にでもある。
爆撃がセラフィム級から落ちてくる前に終わらせるべきだ。あれがやって来るとまた仕事が増える。対外的に見れば地球同盟軍という所属は同じだが、中身は全く違う。天上に輝くアツィルトから送られてくるエンジェルたちは、彼らしか必要としていない。
空に浮かぶ彼らを見た。まだ動いてはいない。ビルの屋上から地上の戦闘を見る。ガルガリン級が2機、交尾する虫のように組み付き合っている。市街地でマイクロミサイル等を使うような無法は流石に選択肢に無いと思いたい。
オフュークスのデーモンが跳躍した。彼女は筒状の武器を持っていた。グリア粒子がそれに纏わり付き、回転。赤熱した粒子が真昼の空を染める。かつてのバトンよりもサイズは小さいが密度が高い。実際にその後継武器であるそれには、グラディウスという名前が付けられている。僕はライフルを構えた。十分に射程距離圏内だが、サイトが無いので正確に狙えない。
住民を撃つ危険性があるなら接近するしかない。命令を下しているCPUを壊せばエンジェルは停止するはず。彼女もそう考えたようだ。空中から筒を突き出す。閃光が一瞬、僕たちの目を焼いた。目を背けることも許されないままそれを見ていた。未だ粒子が残るさなか、ガルガリン級のアウターシールドと装甲が溶けている。
『私に続け』
たった一人の後続に向かって彼女はそう言った。ジルがエンジェルの中枢部にマーカーを置く。融解した部分より2、3mほど右だ。エンジェルに着地して唯一の損傷地点へと跳躍。こんな所でライフルを撃っても装甲に弾かれるだけだ。
がしゃがしゃと揉み合っていたエンジェルたちは動きを止める。脅威に対抗すべきと判断した。オフュークスを心配する余裕はない。すぐ近くのハッチからM242が覗く。その他詰め込むだけ詰め込んだ違法銃器も。
『防衛火器を使ったな。大した価値もない市街地で、しかも行動ロジックを変えていない。一斉検挙だ』
僕の踵が離れる。地面が斜めに傾いた。いや、エンジェルがか。考えている間に跳躍は終わり、オフュークスが作った縦穴に落下する。人間が3人は軽く入れるほどの幅があった。あれだけ撃っていればいいのではないか?僕はSARをマーカーの方向に向けて、発射。
ガルガリン級の躯体は複数のブロックに分けて構成されている。鋼鉄で構成された何個かの入れものを繋げてできているのがこのエンジェルだ。もしも何処かが致命的な損傷を受けてもダメージコントロールで出来るだけ運用率を高められる。
僕はジルが纏めた資料のことを思い出していた。これまで戦ったガルガリン級は暴走状態にあったので、そのブロックを筋肉が突き破ってしまっていた。本来の彼らはもっと、ずっと硬い。それも体験出来なかったことの一つになった。天使は弾倉ひとつで死に絶えた。
視界が揺れた後衝撃が襲い、90度視界が変わる。エンジェルが機能を停止して地面に倒れ込んだのだろう。縦穴が塞がれたせいで暗くなったが、暗視状態にするような状況ではない。
「ジル、外部の状況は」
「もう一機は未だ健在です。恐らくはもうすぐ終わりますが、援護しますか?」
「しないと後で何か言われる」
オフュークスの状態がどうなっていたか僕は全く知ろうとはしていなかった。重犯罪者にでもなれば分かることだろうけど、そんなニュースは流れてこなかった。実際に再開してみるとトラックの中と戦争が終わった後と変わっていない。寛解したように感じられた。
暴力的な気配と行動は消え失せて、彼女はこのクソみたいな職場を保つために働く理想的な上司のように見えた。いつ帰っているのかも分からないほど職場に居る。出来る限り永遠に渡されてくる仕事に対処しようとするし、部下に対しても快く接する。少なくともトリマンはそう感じているらしい。
僕も直々に敬語は気持ち悪いと言われたが、それはそれとして役職が上なら使わなければいけないと答えた。
戦争のその後についてまだ詳しく聞いたわけでもない。だが治療法の特殊性からしてかなりの金額が掛かったことは予想できる。でなければこんな所で働いている訳が無い。それしかないように思えるが、同時に反証もある。彼女がこの仕事にやりがいを感じていること。
その辺りで思考は止まった。目の前には装填状態のSARライフルがあった。無意識的に銃の簡易的な点検をして、マガジンを変えていたらしい。瓦礫を押し退けてエンジェルから這いずり出る。視界はカーボンと鋼鉄の瓦礫で埋め尽くされていた。落下でひしゃげたものがほとんどだが、時々融解したものが混ざる。突然影が僕を跨いだ。
ガルガリン級が真上にいる。応射でこちらに注意を向かせる。それでオフュークスがどうにかしてくれるだろう。引き金を何回か下ろすと狙い通りにエンジェルはこちらを認識した。
『そのまま少し待て。住民の避難がまだだ』
「了解」
了解じゃないが、そう答えるしかない。僕を潰そうと足が振り上がる。跳躍して回避。既に撃破したエンジェルから抜け出して着地、また跳躍。重力を消しながらデーモンは飛んで雑居ビルの上に降り立つ。攻撃は来ていないがすぐにそこから移動した。広告がコンクリートの表面を埋め尽くしていた。
現在僕たちが強いられている戦いは面倒という他ない。民間人はアルギュレの何処にでもいる。ゴキブリの湧いた冷蔵庫みたいな都市だ。愛着を持ったゴキブリたちが住んでいる。それを潰さないように危険を排除しなければいけない。
もっとも、一番の悪人たちが居なければこんな苦労はせずに住んでいる。争いで勢力を拡大しようと目論む犯罪組織と企業。空に浮かんだグレイ・グーたち。重力の影響も相まって、すぐにでも投げ出したくなるようだった。
鋼鉄の蹄が飛んでくる。銃弾よりは遅いが、それでもサイズからして当たれば致命傷だろう。既に破壊された建物だけを戦う場所に選ぶことも難しい。攻撃を避けていても既に瓦礫は周りの建物に当たっているだろう。
何回も回避を繰り返していると周りの状況が段々と読み取れるようになってきた。建物の残骸に閉じ込められている人間がいる。エンジェルのジェネレーターの泣き叫ぶ声、デーモンの中で人工筋肉が軋む音に紛れてその声に気付くまで時間がかかってしまった。
押し潰されるまでどれくらいかかるのだろう。もしくは攻撃の余波が続いている中でどれだけ運を信じていればいいのだろう。ライフルはほぼ使っていない。装甲を抜けないし、センサーも狙えないから。回避運動を強いられている中で撃てばどこに飛んで行くかも分からない。
見捨てるべき人間はたくさんいた。声色もそうだし、位置的にも複数地点に分かれている。最悪だ。
『もう少しだ』
赤い光が空中で散らされた。大量の熱源、武器ひとつが起こすものではない。オフュークスがエンジェルが落としたマイクログリアミサイルを撃墜したのだろう。あいつらは大勢を殺して大勢を救うつもりでいる。もしかすると、誰も救う気も無いのかもしれないが。
建物の残骸を飛び越えて、また同じ地点に着地した。ガルガリン級の人工筋肉が束の間緊張したあとに蹴りが飛んでくる。再び跳躍。着地。回避できる場所は何地点かに集約されていった。二次被害を持ち込まない場所が限られているからだ。この先に起こることも予想は出来ていたものの、取れる現実的な手段が見つかりはしなかった。
エンジェルを飛び越えて着地する。爪先が触れ、体重が地面に加わる瞬間に体が倒れかかった。筋肉とアクチュエーターが必死に踏み止まろうとした。動きが止まる。咄嗟に重ねた腕に蹄が突き刺さった。
自動的にバランスを取るデーモン、しかもジルがプログラムを洗っているなら内的要因は考えるべきでは無い。原因は何度も着地していたせいで足場が悪くなっていたこと。おそらくエンジェルのAIが僕をそこまでを誘導させたのだろう。
吹き飛ばされて入った建物の中は廃品でいっぱいだった。周りから回収したものを違法に売り捌いていたのだろう。起きあがろうとした時に壁が歪み、崩れた。避けるよりも早くコンクリートが飛んでくる。壁と天井があった場所にガルガリン級が居た。
こんな隙を晒してでも僕を殺すべきだと判断したのか。それとも彼女の攻撃が、僕がやったこととして考えられたのか。エンジェルは足を振り上げた。黒い装甲の表面に赤い光が差したのは同時だった。
高熱化したグリア粒子は顕在化したアウターシールドごとエンジェルを灼く。脚が分たれて胴体が床に倒れた。グラディウスが薙がれた。SARライフルを探す前にオフュークスは錐揉み回転跳躍。エンジェルの中心部に着地し、剣を突き立てた。
『すまない。遅れた』
「……前の君ならそんなセリフはないだろう」
『素晴らしきはナノマシン治療さ。君とジルのおかげだ』
「ジルのおかげ、だ」
そう、彼女についての不審な点はもう一つあった。僕に感謝を覚えていることだ。
不審とまでは言い過ぎたかもしれない。僕が飲み込めない部分だ。前者はまだ理解が出来る。彼女は火星の出身だから、この星の住民を守りたいという気持ちがあるのは想像がつく。後者はもう終わったことであって、現在まで覚えていることがおかしい。そもそも彼女を救ったのはジルだ。
地下壕にも似た基地に名前はない。たった3人に命名権はないし、地球同盟軍はそんな雑務を行なっている暇がない。僕はむき出しのコンクリートの上を歩いた。廊下に射す光は少なく、どこか薄い。基地内は節電のために徹底的に照明を落としていて、天井の大部分は暗黒で覆われている。
実際に使っていない部屋も多いので仕方なくはある。いつでも埋まっているのは負傷者を押し込んでいる医務室と、執務室だけだ。僕は鋼鉄のドアに向かって4回ノックをした。ナノマシンが入ったばかりの手は痛みを覚えなかった。
「どうぞ」
「失礼します」
「……あー、プライベートだぞ」
「どう見ても仕事中ですが」
「これは自主的に取り組んでるんだ。労働じゃない。ゆえに今私たちは上司と部下の関係性でない。わかったか」
オフュークスは特に僕の敬語を嫌っていた。これは個人的な趣向ではなくて、これを聞いた人間たちに一様に現れる傾向だ。だから正確に言うのならその中でも特に、という形が一番近いだろう。僕としては残念に思う所を通り過ぎているのでもう何もない。
彼女は長机と椅子が並ぶ部屋にいた。家具はその他にない。他の部屋とは違って壁紙とタイルがあるあたり、ここは会議室か何かだったのだろう。ラップトップを開いたまま、僕のことを見て崩れた笑みを浮かべた。
「第一、君が呼んだんだろう。”仕事に関わりがない”といって。メールにもある。だからこれは仕事じゃない」
「……ジルが考えたものだが、まあいいか。不毛だ。これまでのことを話せと言ったのは誰だったかも、まあいい。簡潔に話そう」
「マスターは簡潔すぎるので私が行います」
「……声変わりした?」
ジルはこれまでのことを話し出した。5年間何をしていたか、そしてこの数ヶ月で何があったか。ジルの提案だった。正直やらなくてもいいと思う。彼女が情に絆される可能性に欠けるのは不確実だ。話さなくとも、とは言わないがセルを貯めてコンピュータを買ってハッキングするのが確実だろう。
不満を漏らしたとしても何にもならないから言わないが。滑らかな音声を編んで、ジルはこれまでのことを要約した。ゴミ回収の仕事をしていたこと、ラウンケルに強制的に入社されたこと、傭兵としていくつかの星を回ったこと。大まかなあらすじはこんなものだが、その中にはミランとコワレフスカヤのことも含まれていた。
僕はラップトップを机に置いて、オフュークスの前に持っていく。画面にはこれまでのことを纏めたスライドと基地で発見した資料が表示されている。とても普通の会社員らしい仕事だった。僕が作ったわけではないが。彼女はそれを見ながら、時折横目で元々持っていた方のパソコンも見ていた。
「資料をご覧ください。我々はグリーゼ581d、ケプラー452b、Trappist-1d。そして火星。ここへ来たのは最終的に企業が求めているものを知るためです」
「人工筋肉の問題と企業間のネットワーク。確かに火星経済圏内でもそんな調査が各企業で行われていたな」
「それぐらい前から火星軍に?」
「そういえば言ってなかったな。すまない。5年前、くらいか?ともかく色々あってさ。脳の治療やバトンの権利を渡したりとか……そういう雑多なことをやっていたら1年弱くらい掛かった」
「結局、疾患はどれくらい元に戻ったんだ」
「大体。以前の働いていた私に戻ったような……そうでもないような。少なくとも肉体的に変わった分、元には戻れないんだろうな。それさえも主観に過ぎないが」
僕はそれに同意した。経緯こそ違えど僕たちは同じような負傷に遭った。
僕たちはファインマンの件について示し合わせていた。火星に来た理由は企業たちのルーツが知りたかったからと伝えた。嘘を言っているわけではない。彼が何をしていたかを辿れば必然的にそれも分かるからだ。結局それは不明だった。手に入ったのはマクスウェルという名前だけだ。
オフュークスは不必要な部分まで丁寧に纏められたスライドを見てから呟いた。
「……何というかいつも通りだな。いつも通りに死にかけて、いつも通りにディスコミュニケーションをしている。進歩がない」
「言い返さないが、ひどいな」
「一応私も待っていたしな」
「ミラン経由か?あるかもしれないとは思っていたけど」
「それもそうだが、普通に」
「……何で?」
「知り合った……人間とは連絡を取り合うものだろう。少なくとも、戦争なんてものを経験した仲なら特に。うん」
オフュークスは疎だったタイピングの音を完全に止めた。椅子に座ったまま伸びをするとごきごき音が鳴った。仕事をする気が失せたらしい。
そういう普通は、結局僕の普通ではない。ただ僕からすれば受け入れなければいけないことなんだ。別に定まっていないのに守らなきゃいけない通念なんてありふれているが、納得はいかなかった。無理矢理飲み込むことにした。
「まあ別にいい。良くはないが。まあ会わずにどこかで野垂れ死んでいるよりはいい……それにしてもクローンによる記憶の統合か。頭痛が痛くなる話だ」
「重複した表現だ。僕も信じたくは無い。だけど僕が昏睡から目覚めたこと、ジルがその手助けをしたこと。そして君も。マクスウェル機関が人間の脳に与える影響というのは間違いなくある。しかも超自然的なほど強力に」
「強調表現さ。疑いたくなるけど、信じるよ。つまりどこにでも敵とやらが居るかもしれないってこと?」
「信じてないな。資料はあるが、AIが生成したものにも見える。こういう時に証明できる人間が居ればいいんだが」
「……ああ。コワレフスカヤのことは残念だった」
「そうだな。人が死ぬのは悲しい」
僕は率直にそう言い表した。結局この言葉を選択するまでの葛藤は些細なことだと思った。理解されようと行うことは無意味だし、長ったらしくなるだけだ。
「一応、私も面識があった。あいつはジルの話しかしないけどな。まあ、おかげで気持ちを吐き出すにはちょうどいい相手だった」
「やはりですか」
「やはりだよ。私がプログラム言語やらフェルトマン関数なんて分かるはずもないのにな。いちいち今日は質問ができるようになったとか、意思決定がプリミティブな状態から変化したとか言ってくる」
「成長の過程ですね。裏付けはこれで3人目です」
「1人で十分だろ」
オフュークスは僕の言葉にかぶりを振って答えた。
「分かってないな。愛した証拠はいくらでもあっていいのさ」
「どうだっていい」
「はあ……話が逸れたが、ともかく信じ難い」
「君だってその恩恵を受けたのに?」
「半々だ。確かに私でも治療が最先端どころじゃない、良く分からないものだったことは理解できる。それでも不審なものは不審だ。知識を多人数で完全に共有出来るなら、なぜ世の中はこんなになってるんだ?悪人がいるなら当然善人も、普通の人間もいるはず」
それは僕も知りたい。オフュークスの疑問に対する答えは今のところ”悪の組織みたいなものが発見したから”としか答えられない。
僕は彼女の言葉を聞きながら、いつ切り出すべきか考えていた。スライドの後半にはファインマンの資料があった。それまでの読み解いたものを参考にしたものとは違う、より直接的な証拠だ。それを出して説明すれば一応の答えは出せる。
そこまで考えて、やはり踏み越えなければいけないように感じた。むしろ復讐相手のことを知らないまま生きることは痛ましいだろう。そう僕は思う。彼女のことではない。分からないなら、尊重のしようもない。目的のためにはどんなものだって潰されるべきだ。
「率直に言うと、これを研究していたのはファインマンだ」
何かが爆発したような音が聞こえた。間違い探しのように少し前の光景を思い浮かべると、彼女が仕事に使っていた方のラップトップが強く閉じられていることに気がついた。彼女の身体能力は以前と変わりがない。平均的な女性の身体に戻すためにどれだけの施術が必要かも分からなかったし、戻すことによってどのような影響が出るかも分からない。そもそもそうするメリットは何もない。だからオフュークスは、今でも超人のままだ。
そういう肉体であるとジルは言っていた。万が一我を失った時のため。
「その名を聞くことはもう無いと思っていたがな」
「僕も言うことは無いと思っていたよ。実際火星に来る直前までは全く思い出していなかった」
「私は夜毎思い出す」
「そうか。ファインマンが研究していたのはマクスウェル機関と人間の脳の関係について。手に入れたのは最近で、精査したのは数時間前だ。彼が脳をマクスウェル機関で統合できることを火星系列企業にもたらし、研究を続けていた」
「もたらした?じゃあ、あの野郎以外が開発したことか」
「そうだ。それを手土産にして火星に入り込み、ほぼ仕事せずに研究を続けていた。その成果が……重力砲だ」
オフュークスの顔は歪んでいて、その言葉に対して動揺しているのかも分からなかった。不安定に鳴る靴の音は僕の心拍数を増やさせた。僕たちは無言でスライドを進めた。ヒドラオテス基地で見つけた資料を読み解き、纏めたものだ。
そこには彼が行った実験とその結果、そしてそれを行ってきた企業たちが記されている。普通の企業からしたら喉から手が出るほど欲しいものだろう。これがあればどれだけの他陣営の弱みと技術的優位を手に入れられるだろうか。凝視を続ける彼女からすればそんなのどうだっていいはずだ。
「もっと驚いてくれよ」
「もう驚いているからな。さっさと話せ」
「では続きは私から。ファインマン氏は研究の末に膨大な重力を取り出すことに成功しました。結果については知っての通りです。過程についても」
資料には何個かの非人道的な実験が記されていた。頭を切り開いて脳を削り出し、一方向の感情に誘導させるもの、手足を切り落として反応速度を高める実験。その過程で赤子を使ったデーモン、モロクも生まれた。コストの関係上こちらの方が量産しやすかったようだ。
そのような実験は企業、火星の地球同盟軍が存在感を増していった頃には軍内部で行われた。アーチボルド・ヒュームと関わったのもその頃になる。
最終的に到達したのがマクスウェル機関の信号を脳信号に置換する技術。手にしたのは重力砲を撃てる程度の膨大な出力だった。まあ、この辺りは彼女にとっては問題ではない。スライドが終わるとともに、オフュークスは椅子の背に大きくもたれかかった。
「……それだけなら、いい。良くないことだが。もしも実は生きていた、なんてことだったら今すぐ殺しに向かっていた」
「死んだ人間は死んだままだ」
「人間の脳みそを繋げるだの言われた後じゃな。それで、これを言ったのは調査とやらに協力させるためか?もっと危険を冒し過ぎているあたり、別の理由があるようにしか思えないが」
「それはそうだ。言わないが。ミランから言われているなら隠し通し続けることも出来ないだろう。いっそのこと言ってしまう方がいい。ファインマンのことでもあるし」
「……なんだそりゃ」
隠すなら隠し通すべきだ。ただ、いつかは限界が来るだろう。私的な部分と違ってファインマンの関与は事実だ。それに影響も大きい。だから言った。一番醜い部分は結局言わなかったのだから、それでいい。
「はあ。すまない。取り乱した。殺したい人間の情報教えられただけか?私は」
「そうだな」
「何かセールスぐらい言わないのか?ジル」
「私はマスターの補佐をするAIですので。本当は助けてほしいと思っていますが、言いません。ええ」
「……よし、分かった。君たちに協力する」
話を聞いていたのか?僕は彼女を見た。落ち着いているように見えた。褐色の肌と黒髪。整った顔立ちはむしろ表情が分かりづらい。装飾のない地球同盟軍の軍服、座ったまま顎に手首を当てていた。
「良く聞け。私は嫌いな人間を、そいつが生み出したもの全てを焼き払ってしまいたいんだ。ファインマンが関わったものがこの世にあること全てが許せないんだ。君が来たのは僥倖と言う他ない」
オフュークスは笑った。限界まで唇の端を上げて、目尻を下げていた。眉間に寄った皺と声色からして単純な感情でないことは僕にも分かった。彼女は持っていたラップトップを開き、また閉じた。
「私もこの5年間に何もしていなかったわけじゃない。君たちが必要だ。面倒で、だが核心に迫れる任務がある」
「それをやれって?」
「一緒にな。アーチボルド・ヒュームの護送だ」




