7,
空母は瓦解を始めた。
火星方向から叫びとともにやってきた光がノアを貫通した。赤褐色の光に直接触れた部分の輪郭が、飴細工が溶けるように歪んだ。徐々に空母が赤い光の中心に向かっていき、その形を留めたまま吸い込まれていく。僕はひどい寒気を覚えた。爆弾や銃弾の火薬の光やグリア粒子の光とは違う、破滅的な光をそれは孕んでいた。
船が大きく揺れる。空母方向に向かってゆっくりと船が動き始める。赤い光に引っ張られている?離れようと舵を切っているが、甲板に固定されているせいで動けない。アラームが鳴き声とともに叫び始めた。慌ただしく作業員たちが動き始める。戦争が始まる。
『リュラ、出撃しろ!』
「了解」
床を蹴り、僕はデーモンがあるドッグへ急いだ。ありがたいことに天窓からそう離れていなかったが、まだ作動している重力のために煩わしく思った。
僕は一つのドッグに辿り着いた。真新しい銀色のデーモンが甲冑のように僕を睨みながら鎮座している。火星に着くギリギリになって仕上げたらしく、周りには工具とエンジニアたちが転がっている。こういう状況、トラヒコだったらきっと馬鹿みたいに騒ぐのだろう。
銀色の装甲の隙間、黒い部分に手をかざす。僕がもともと乗っていたハルファスの残骸をファインマンが継いだようだ。僅かな賃金で買ったOSやらAIやらが残っていると、少しは嬉しい気分になる。そう言えば脳の治験代も無くなったのか?どうでも良いか。
「行くぞ、ジル」
『セットアップを開始。あなたの帰還を歓迎します』
人工筋肉が僕を飲み込んだ。脳みそが凪いでいく。サイレンと感情たちが一絡げに消えていく。
「スクランブル」
『スクランブル了解。直ちに発進します』
オペレーターがそう言うと床が開き、弾かれたように僕のデーモンは加速を始める。背中から落下するように重力が働いて、あっという間に船から発進する。体を捻って前を向き、武装を確認する。僕のデーモンについているのはライフルとナイフだけ。ひどい軽武装だが、今ならこれで十分だ。
甲板へと向かう。とは言ってもあまりスラスターを吹かす必要はなかった。例えデーモンがただ宇宙に浮いていただけだとしても、勝手に赤い光の中心へと引っ張られているだろう。
『聞こえるか、ファインマンだ。いいか、空母に近づくな。消し飛ぶぞ』
「何が起こってるんです?」
『説明してる暇はない』
確かに、と返そうとした。もう無線は切られていた。
船の前側に着いた。甲板との接着部にマガジン2つを押し込んで打ち抜く。すると弾丸が暴発した勢いで甲板から船が離れた。正直成功するか分からなかったけど万々歳だ。
船は放された魚の様に宙域から離脱していった。僕はノア級を見た。
もう赤い光は無かった。そして空母もなかった。ただ、何ともつかない破片と灰だけが広がっていた。
コンクリートの破片、岩石の様に固まった金属と肉片。それらの塊は10cm前後から5mほどまで様々な大きさだった。さらに、それを取り囲むように大量の灰が舞っていた。
奇妙な物体たちは太陽光の角度によって表情を容易に変えた。まるでデブリじゃないか。僕は思った。小さな星々が衝突や、互いの潮汐力によって作られる小衛星帯。それらの姿に似ている。物体の漂い方は爆発のために出来た煩雑なものではなく、重力によって出来たもののように見えた。ただ、そのデブリたちは空母とその搭乗員だったものだが。
ノアをどういう兵器が破壊したか、僕には見当がつかなかった。この破壊の跡はきわめて奇妙だった。知っている限り空母を一発で破壊してしまう兵器なんて殆どない。その僅かな破壊できる兵器は原爆であるとか、水爆であるとかの禁止された兵器だ。
それをミサイルに詰めて撃つにしても、普通は迎撃されるはずだ。CIWSやらパトリオットやら……そういう前時代の枯れた兵器をノアは馬鹿みたいに積み込める。
しかし空母は沈んだ。宇宙船ひとつレーダーに引っかからないような状況で。そんな長距離から少しの回避行動さえ取らせず、アウターシールドを突き抜ける兵器なんてものがあるのか?しかし、僕に考えている暇はなかった。火星から悪魔がやってくる。
数ヶ月ぶりの馴染み深い戦闘に僕は帰ってきた。
レーザー照射を受けた僕はとっさに瓦礫に身を隠した。先ほどまで自分がいた場所をミサイルと銃弾たちが通過していく。爆炎が視界の端であがった後、僕は敵を見た。
デーモンは全部で6機。全てイポス。武装は分からないが、こちらは少しの間耐えれば良い。
12.7mm×99mm弾を撒き散らしながら、僕は移動を始める。マルファスが加速を行うと、瓦礫たちが散り散りになるとともに僕の口から嗚咽に似たあぶくが沸いた。遅れて感覚が遮断されていき、そこで僕はやっとスラスター量を調節することができた。いつもの様にスラスターを全開にしただけで、凄まじい初速度を出して銀色のデーモンは駆けた。
火星の兵士たちは瓦礫から派手に脱出した僕を狙ったが、その攻撃たちはアウター・シールドにかすりもしなかった。僕は何のマニューバさえとっていなかった。単純な速度だけで回避行動を取れることを喜ぶべきか、パイロット用の対G制御が殆ど作動していないことを怒るべきか、僕は複雑な気分になった。
デーモンたちのうちのひとつが焦れたようにミサイルを放った。僕はそれを撃ち落としたが、距離を詰めることはしなかった。だが彼らにとってみれば僕はようやく見つけた獲物のようで、いくつかの瓦礫を弾き飛ばしながら猛然と向かってきた。
僕はクルビットを取って、小隊の中に突っ込んだ。様々な口径の銃弾がマルファスを掠めて飛んでいき、アウターシールドから粒子が漏れ出ていく。しかし、装甲までは届かない。僕はデーモンたちの間を掻き乱し、時折射撃を混ぜながら敵兵を釘付けにしていく。
幸いながら敵兵の練度はそれほど高くは無い。加えてこのデーモンなら逃げ切れる。普段ならそんな部隊を敵陣地に送り込むのはどうかと思うが、あの攻撃によって艦隊は殆ど消滅していたのだから正しいのだろう。
ただ、この場合においては間違っていた。
高速で接近した赤いデーモンがバトンを振るう。粒子が螺旋状に巻いたそれは、イメージとしては綿飴に近い。ただ、棒に巻きついているのは飴ではなくてグリア粒子だけれど。僕は急いで離脱を始める。
原理は詳しくは知らない。見たところ、本体である棒からグリア粒子がドリルみたいに回転しながら刀身を作っている。本体が2mで、刀身はある程度変えられるようだが50~60mほど。摩擦のために粒子が赤熱し、指揮棒というよりかは炎の剣を振るっているみたいに見える。
その熱は本来の用途ではなく、単なる副産物であるということを僕は思い出した。ファインマン曰く、グリア粒子の性質を利用したデーモンを無力化する格闘戦用の武装を作ろうとしたらしい。ビルをバターみたいに切れるところを見たら、そんなもの冗談に思えてきた。彼が言っていることはひどく胡散臭く、全て本当のことにも、全て嘘にも聞こえる。
やはりあの光とは違う。僕は6機のデーモンが宇宙に散っていくさまを眺めながら思った。彼女がバトンを振るうたび、粒子の奔流に飲み込まれたイポスから小規模な爆発が巻き起こる。マクスウェル機関がその重力を放出し、レーダーが乱れる。もったいない。
赤熱した粒子は真っ赤になり、立ち上がり、巻き上げ、燃え盛るように流れていく。まるで本当の炎のようだった。空母を裂いたのはもっとどんよりとした……赤色矮星に似た光だった。もっともありふれた星で、宇宙に出たことのある人間なら見たことがあるはずの星。
『呑気にサボタージュか。いい身分だな』
「巻き込まれるだろ」
『は、もっとバカだったらそう出来たのにな』
彼女がバトンを振り抜くと、最後のデーモンが撃墜された。
僕はようやく火星の姿を見据えることができた。
地表の色のために「赤い星」と呼ばれていた星は、今やその異名を失おうとしていた。火星の地面のはそのままに、植物が所々に生え、湖が点々としながらも存在していた。宇宙進出最初期の技術はコロニーを作れるほど高くは無かったために、人類は火星を緑と青で汚すことにしたのだ。
遺伝子組み換えされたコケ植物が火星に定着したのを皮切りにテラ・フォーミングは幕を開けた。人工衛星は火星の希薄な大気を星にとどめ、炭素を循環する一つのセクションを作った。最後にマクスウェル機関の完成とともに、テラ・フォーミングは完成した。地中に張り巡らされたマクスウェル機関によって、火星は重力さえも地球と同じになった。そこから先は簡単だった。水は火星が大昔に失った重力を取り戻したら少しづつ戻ってきたし、一番懸念されていた公転と自転への影響も無かった。
そういう技術が移民と貧困、そして環境汚染のために生まれたのは皮肉だった。何せ今の地球はそういう技術によって暴力的なほど清浄になっていた。もしかしたら、なんて考えると火星に人間は来なかったのだろうか。もう少し人類が自分勝手じゃ無かったら。
今の火星には植物と水がある。”自然”とも言えるそれの中で、新種がいくつも見つかっている。生物があそこで生きていくのであれば、もはやエゴやらそういう言葉で語られるようなものでは無いことを僕は悟っていた。
そしていま、火星は戦争状態にある。戦争のために作られた奇妙な瓦礫が引力に惹かれて落ちていく。地表から見たなら流れ星のようにキラキラ輝いただろう。大気との摩擦でそのうちに燃え尽き、消えていくはずだ。
瓦礫は戦闘のために流れて、正確な量は推しはかれなかった。しかしながら相当なものだった。ともすれば地表に降るのではないかというほど、奇妙な物体たちは火星に落ちていった。
おそらく、赤い光によって破壊された空母の数は1や2では足りない。瓦礫の数から逆算することは難しいが、この宙域に来ていないのも含めてノア級は全部で35隻建造された。正式発表の数だが、あんな馬鹿でかいもの隠し遂せることなんてできないだろう。それでこの宙域に集まったのは全部で23隻。過半数だ。
全長20kmの船体はたかが数分の戦闘行動で見えなくなるような小柄ではない。しかし、眼下にはそんなものひとつとしてなかった。
逡巡しているうちに、ディスプレイに座標が表示される。どうやら敵のものをジルが勝手に追跡したらしい。
AIにデーモンを操作する権限は殆ど与えられていない。少なくとも僕や他の傭兵はそうしている。彼らが戦闘中に余計な気遣いをおこして、ディスプレイに邪魔なものを表示されてはたまったものではないからだ。
ただ、ある事柄についてはそうではない。ごく一部の重要な情報……敵の簡易信号や、重力波、または救援信号などは戦闘中でない時には表示させるようにしている。ジルはそれを掴んだようで、訳のわからない単語とともに送ってきた。東南に重力反応。レーダー上の点は軌道上にエングラムの宇宙船を留めたまま移動している。
「戻ろう」
『なぜだ?レーダーには動くものひとつないぞ』
「重力反応があった。来るかもしれない」
『……嘘じゃないと良いが』
エングラム社の宇宙船へ通信を送る。これからどうするかは分からないので、とりあえず護衛をする。会社に命令を下すはずの地球同盟軍は居ない。もちろん僕たちにもそうなので、指示待ち人間らしく簡易警戒をするしかできない。
しばらくして、その重力反応が何であるか分かった。撤退した地球同盟軍だ。
深緑色の脱出船。地球連邦軍特有の迷彩色は、真っ黒なステルスペンキに昔ながらのオリーブドラブを混色させている。遠くからは黒く見えるが、近くで見るとそれが緑色であることが分かった。デーモンすら伴っていないところを見ると、命からがら逃げおおせたのだろう。
「補給がてら誘導する。見張っててくれ」
『ああ』