30,
ヒドラオテス基地はまだそこにある。5年前の戦争と殺戮の記憶を残したまま。
第一次火星戦争時代に建設されたこの基地は過剰なほどの防衛力を誇る。筒状の基地の上部には旧世代のミサイルや迫撃砲に耐えるための堅牢なゲートがある。その他の非常用出口も強固な素材で出来ている為に突破はかなり難しいだろう。
そのお陰で数ヶ月間、僕たちは生き永らえる事ができた。それも悪夢そのものの日々と言ってよかった。記憶を蘇らせたのは乾いた風だ。赤い砂埃を運びながら岩肌に叩きついて回っている。せっせと土くれを掘り上げた痕跡もとうに風に流された。
そして、基地も時間に流されていた。荒涼としたカオス地形の最中にその基地は未だ存在していた。眼下に映るのは採掘場に似た巨大な穴だ。これがヒドラオテス基地、僕たちがいた場所。それが曇り空の下で大口を開けている。
谷底にあったゲートは破壊されたまま、その穴の周囲に車が停まり、簡易なバラック小屋が建っている。基地の内部には調査隊か警備隊が居るのか、高カンデラの鮮明な光が見えた。
僕はこの虎口に自ら赴かなければならない。R・P・ファインマンという男がそこで死んだから。火が燃え広がっていなければ、彼が行っていたこと全てが残っているはず。
「何で人が居るんだ?ここにはもう基地としての機能なんてないはず」
疑問の答えはおおよそ予想出来ていたが、それでも認めづらかった。
「もう驚かないでくれると嬉しいんだけどね……多分あいつらもファインマンの残滓を見つけたいんだろう」
「ノア級の貨物履歴、識別番号からおおよその星は特定出来ます。彼らはグリーゼから来たデーモン部隊です」
「ラウンケルか?」
「デーモンが登録された年次からその可能性は高いです」
いよいよ隠さなくなってきたな。いや、彼らはずっとここを彷徨っていたって事も考えられるが。
ヒドラオテス基地は数百人程度わけなく収容でき、その上トマトを栽培出来る程度には広い。そもそもは火星にマクスウェル機関を埋め込むために建設された施設だった。そのとんでもない深さの竪穴を軍事施設に使う為に改修したのか現在の基地だ。
会戦のあぶれ者たちは破壊可能性を考慮してある程度分散して暮らしていた。最後の辺り以外は消極的な行動で済んだからそれで良かった。それが偶然ファインマンの命を奪う原因になり、現在までラウンケル社員たちがあくせくしている理由になるのは因果なことだ。
「ファインマンの部屋の場所は分かってるな?」
「勿論です。それだけが私たちの唯一の優位性と言えるものです」
「こう言わないのかい、ジル?『貴方なら可能です』って」
「5年と少し前の私ならそう言ったかもしれませんが、マスターの好みはより悲観的な現実です」
「倒錯してるなあ、君たち」
耳を貸すだけ無駄な会話だった。彼女たちは仲が良いのか悪いのか分からない。ジルが本当に嫌っているならそもそも話そうともしない。
掲げていた古ぼけた端末を下ろす。ラップトップをコワレフスカヤに返す。斥候をこれ以上する理由はない。ドローンを買うだけのセルは無いし、無理矢理使用したとしても反撃の機会を作るだけだろう。古典的な手に頼っていたのはそういうことだ。
ピックアップの荷台に向かう。トラックごとジルは置いて来た。あんな巨大なものを持って来るのは自殺行為だろう。彼女が比較的安全なルートを選んで巡航させているので、恐らくは安全だ。
ビニールシートを剥がすと見窄らしいデーモンが横たわっていた。紫外線で分解しかかったゴムバンドに繋がれて、まるで打ち倒された獣のようだった。イポス。今となっては旧型も旧型、使う人間はおおよそまともではない職業を選択していると言っていい。つまりは僕だ。
がちゃがちゃとした補修痕だらけの装甲の間、明らかな凹みに指を入れる。おもちゃ箱のように開く。拳銃を抜いて荷台に乗せたあと、僕は体をそこへと投げ入れた。直後に人工筋肉が荒っぽく僕を掴み、悪魔の中に引き入れる。リキベントも燃料も入れていないのにポンプの音が聞こえてくる。粗雑なプロセスを経てから感情を押し潰そうとする信号の群れが迫る。ようやく僕ではない時間が終わる。
「やるしかないか」
赤黒い塗装は明らかに火星軍が使っていたことを示している。本当に”同志”に近づいて来たんじゃないか、と僕は思う。実際やっていることはテロリストと相違ない。
「おー、頑張りたまえよ。私はここで待ってる」
「やっぱりトラックの方に居た方が良かったんじゃないか?」
「そうしたら、どうやって君を回収するんだい。資料を手に入れても結局人間が必要なのは変わらないだろう?私の善意を無駄にしてくれるなよ」
「そうかい」
「一応、この旅は君のことも含めているからな。忘れた?」
「忘れた」
そうは言っても……信用しないからといって、もう警戒に割けるだけのリソースなんてない。今彼女を撃っても穴の中にいる奴らに場所を教えるだけだろう。僕の判断ミスだ。火星ではずっとそうだ。
SARライフルを握り込み、バックパックユニットに繋いだ目覚まし時計との接続を確認。オバゾア拳銃をホルスターへ。装備はこれだけ。目的はファインマンが持っていたであろう資料。それ以外は何ももう考える必要性はない。思考をフラットに合わせて歩みを進める。
斜面を降りながら重力湾曲爆弾を取り出してピンを抜く。デーモンが携行できるマイクロミサイルが台頭するようになって、戦闘距離が大きく変化したためにあまり使われなくなった。HUDの中で様々な情報が切り替わり、明滅する。
引き金に指を掛け、発砲。狙いは小屋だ。放たれた銃弾は半導体の予測通り飛んでいき、人間ごと通信設備を破壊した。デーモンが感知していた電波が消えた。仕事以外の為に人間を殺した。いよいよ戻れなくなった。
妄想よりも素早く僕の脚は動いていく。斜面を降りきり、穴の内部へと迷いなく入っていく。内部のマップはジルが記憶している。目的地もそうだ。だから最短距離で向かうことも出来るが、そうもいかない。重力波が乱れている為に正確な位置は分からないが悪魔が居る。
FCSを見る。他のレーダーも誤差と言えるような反応しかない。基地の遺構によって電波が散乱している。音に頼るような贅沢なことはイポスには出来ない。ただ、向こうもそんな悠長なことはしていられないだろう。襲撃者は重力湾曲爆弾を使っている。しかも自分達は巨大な迷路の中にいる。
お互いにかなり近づかなければ補足出来ないだろう。SARやマイクロミサイル等の対デーモン兵器の射程よりも明らかな至近距離で対峙することになる。そういう状況が抑止力になればいいが。
時間を掛ける訳にはいかないが、同時にうかうかもして居られない。ジルのハッキングで誤魔化してはいるが現在の状況にラウンケルが気づくのは時間の問題だ。基地の開口部から離れれば後は暗黒が続く。白く縁取られた暗闇の中を進む。誇張された物音と視界の端で動きそうだった何かたち、そういうノイズをひたすらに分解しながら。
基地の中は度重なる爆撃と、最後の襲撃の跡が鮮明に残っていた。前者は恐らく巨大なデーモンのやった事なのだろう。彼らには人知を超えた力があった。物理学的な言い方をすればマクスウェル機関との接続によって極めて微細な重力であっても感覚として受け取れたかららしいが。ともかく彼らはそういう性質のせいで半分制御不能だった。そのために前者は居場所がバレたというよりは、通り雨に当たったようなものだろう。
最後の襲撃はそれとは全く性質が違う。獣の狩りのように、粛々と行われた殺人儀式だった。
基地内部は暗黒に包まれている。電気は5年前から止まっているらしい。人体以外は何もかもあの時のまま、何もされていない。打ちっぱなしのコンクリートと合金製の重苦しい扉、無骨なフレームに覆われた電灯。それを襲った銃弾の跡、外から無遠慮に持ち込まれた砂塵。汚いから中に入る時には徹底的にカーペットを踏めと言われていた。
悪魔が連れてきた嵐に拐われて、今はもう無い。拭われていない血痕は黒い染みになって、至近距離で吹きつけられたガスの痕が残る。崩落したコンクリートの天井が塞いでいる前にそれがあった。
はっきり言って最後の襲撃は無意味だった。僕が感情を使ってでしか説明できない徹底的な殺戮が行われた。火星軍の割けるリソースも限られていたのに、巨大なデーモンと歩兵まで使ってきた。考えずとも辺境の地にあって、たまたま敵が住み着いただけの基地をそうまでする理由はない。
今になって、ようやくその理由が分かった。
「ファインマンの資料がまだ残っているっていうのは本当なのか。死体を綺麗に片付けているあたり、正直疑わしい」
「万が一部屋に到達された場合では、デーモンや研究に使っている資料は残っていないと考えるのが適切でしょうね」
「万が一って、あっちは5年も掛けているのに入れていないって事だろ。そんな事あるのか」
「ええ。彼はかなり死にたくなかったようで、下層部の部屋を使っていました。問題は爆撃による崩落の連鎖で廊下ごと塞がれてしまった事です。ヒドラオテス基地はそういうもので溢れてしまいました。悲しい事です」
それは悲劇ではなく、当然のことだ。爆撃を受ければどんな場所だってそうなるのだから。
デーモンを使っているのにライトを照らしているのはそういうことなのだろう。デーモンで瓦礫をどけるのも限界はある。しかし重機を運んでくる労力は無駄だ。狭苦しい場所ではドローン、もしくは生身を使って調べるしかない。そう考えるとやや希望は芽生える。向こうも住み着いたギャングぐらいしか想定していないはず。
「マスターは通風口から入っていただきます。フィクションみたいでしょう?」
プシュケーと関わったことを後悔するような口ぶりで、ジルはそう言った。いくら丈夫に作られているとは言え、何回もの爆撃によってヒドラオテス基地はぼろぼろだ。いつ崩落が起きてもおかしくは無い。生身で閉所に入らなければいけないというのは狂っている。
嫌なことは目の前にあるタスクで押し潰そう。発電機の音が聞こえた。
まだ目的地まで距離がある。戦闘は出来るだけ避けるべき装備だ。デーモンが使えるナイフを買う金も無かった。このデーモンの性能ではそもそも接近できるかも怪しい。ラウンケルの兵士たちは70mほどの前方にいる。廊下を曲がった先のエングラムの研究員が使っていた部屋だ。段々と彼らの本職もできなくなり、ただの救護室に変わってしまっていた。
HUDに表示されていたルートが変わる。迂回するしかない。マイクは発電機の音を拾ったものの、逆にその音に隠されて足音や会話の声を拾えない。相手の人数もわからない状態かつ、装備や人数による優位性もない。
時間を掛けて安全にという選択は平時なら賛美されるべきだが、今はそんな緩いことは言っていられない。自分の足音が早く、大きくなっていることに気付く。せっつかれている感覚がする。どうしてそんなことが?感情抑制は間違いなく働いている。だとすれば、それ以外か?
僕が基地内での出来事に共感しているとは思えない。それが現実で進行していた時でも、何も感じなかった。
「ジル、僕のホルモン分泌はどうなってる」
「……正常な閾値の範囲です。何か問題が」
「いや、何というか変な気分がする。気分を感じている時点でおかしいと思ってくれ」
「そうですね……地球からノア級が移動してきているぐらいしか思い当たることはありません。もしかするとそのマクスウェル機関の影響かも知れません」
「嫌なことを言うなよ。人工筋肉の話を散々してきたあとだ。それにこれまで散々と重力の影響がある中で戦ってきた。そんなことはあり得ない」
『重力波は何でもありだぞ。波長が君の頭に効いてるのかも。実際いま降ってきてる量はとんでもないからな』
「喋るな。電波でバレる」
ノア級自体を運ぶアルクビエレ・ジャンプ。相当な出力が必要になるために、降り注いでくる重力波は相当なものだろう。ただ、それも今まで散々味わってきたものと同じな筈だ。
感覚は段々と強くなっていく。目の端で落下する塵芥たちが見えなくなったことに気付く。そういうものの殆どは自然な劣化による。だが本当に、本当の罠というものはそういう兆候の中にある。デーモンに乗っている限り単なる不調と断言することもできない。
今は考えている暇も無いと、思考を打ち切った。もっとも何かしらが僕の体内で進行している以上は逃げられない。
瓦礫を除ける音が聞こえるような距離に反応無し。暗視状態を塗りつぶすようなライトも見えない。階をいくつも下ったあとに、僕は目的地に到着した。これまで野盗や傭兵に出くわさなかったのは、いくらジルが居るとはいえ幸運だった。重力湾曲爆弾をもう一つ落としてから扉を向いた。
「さて……」
「どうやら私が見た時と変わっていません。多少振動による移動はありますが……問題は無いかと」
「問題だらけだろ、どう考えても」
そう僕は言ったが、これは自分自身への会話を意味している。要するにやらなくてはならないことを、いつまでも面倒臭がっているだけだ。何にせよ部屋の掃除はいつかやらなければならない。
目の前の錆び付いた扉を無理やり開ける。素っ気ないリノリウムと凹凸の壁紙、荒らされてはいない。植木鉢の中にいたサボテンは茶色く変色していた。換気扇を見つけるのは簡単だった。
デーモンを脱ぎ、暑苦しくなった体を外気にさらけ出す。空気は基地の構造が残っているようで、常に外から送り込まれてきている。警戒すべきはカビや粉塵だ。念の為バックパックに積んでおいた簡易ガスマスクを装着。目覚まし時計も持ち出して、あとは通風口に隙間に僕をねじ込んでいくだけ。
汚らしい何かが袖口に触れた。手袋が無いのはひどく不安だ。恐らくは5年前の埃だろう。ネズミが住み着けるような栄養は僕たちが食い尽くしてしまったから。明かりは端末のライトのみ。目の前を照らすだけで少し不安は紛れるものだ。
景色なんてものは無い。黄土色のような、黒色のような埃の最中を進んでいく。明かりの先にあるのは金属の板だけ。自分の服が擦れていき不快な感触を作る。芋虫になったようだった。コンクリートの上を歩かざるを得なくなって、車や靴底に潰されてしまう生き物に。
どれだけ時間が経ったかも分からないが、唐突にそれは終わった。金網に囲まれたファンが見えた。それをぶっ叩いて壊し、外側に投げ捨てる。頭側からしか出られないのでしょうがなく前転を想像しながら出た。
手先に触れたのはぼろぼろの紙だった。グリップを失った手は滑って、僕の体も同じように転がった。落としたライトを振ると、天井まで積み立てられた紙の束が僕を取り囲んでいた。
さっき入った部屋と構造はそう変わらない筈なのに全く壁が見えない。四方は完全に書類に囲まれていた。凸状に配置された山のおかげで、辛うじてテーブルがあるであろう場所は分かる。床に寝そべるわけにもいかないのでとりあえずそこに行ってみる。
本当にあったテーブルの上、書類を手に取ってみる。白いLEDに照らされて変色した紙が見えた。古いフォントを使って文章が書かれ、たまに直接ペンで書いた筆記体が挟まる。感触を確かめる限り何か変な部分は見つからない。ただの紙だ。
「劣化はあまりしていない。人が入ってこれなかったせいか……ジル、スキャンにはどれだけ時間が掛かる」
「文書のみを最低限取り込むのなら時間は掛かりません。後で私が読み取るので、時計の前に書類をお願いします」
僕は彼女の言う通りに書類を目覚まし時計の前に置いた。するとフラッシュが焚かれる。今の一瞬で良いということか。恐らくは露光とかそういうものを度外視して、後で補正を掛けるつもりだろう。その方法でも目の前に広がる書類の山を切り崩せるか。
それでもやる以外の道は無かった。ひたすら書類をかき集めて時計の前に差し出していく。途中で一応灰皿の中に溜められたタバコだったもの、ビンの中に入った酒だったものを見つけた。僕が普通の仕事をしていて良かったと思うのは初めてかも知れない。
閃光が瞬くたびに変色した紙、巻きあがった塵たちが見えた。おそらくはタバコの煙を制御するナノマシンが分解したものだろう。それもそうだし、どうやってこの量の紙をここへ運んだのだろうか?……傭兵がいたし、金を積んで重労働をやらせたのだろうか。
1、2時間程経ってどうにか書類の写真を撮り終えた。急いでいたので抜けも少なからず有るだろうが、この量の中を遡る暇はない。リスクを考えればこの辺りで終わらせるのがいい。
「ジル、あちらは大丈夫か」
「ええ。車の近くには何も近付いてはいません。より正確に言うのなら、上空には居ますが」
「何?」
「エンジェルです。大型……それも新型のものが複数体ノア級から降りてきています。これがマスターの反応の理由でしょう」
「地球同盟が新しく作ったのか?人工筋肉の誤作動があるのに……いや、僕たちが見つけたものがラウンケルに渡ったんだ。だから問題は解決した」
「しかし……何故ここに?火星は地球同盟軍にとって火薬庫のようなものです」
確かにそれはジルの言う通りだろう。未だに火星軍の残党が大勢いる。エンジェルが台頭したために他の星で傭兵が出来なくなったから。そしてこの星に生まれたから。外部の人間が下手に入って来るだけ面倒な事態になるだろうが、それでもここは地球にとっては便利な位置にある。
似たような状況が25年前、第一次火星戦争の直前にもあっただろう。同じ轍をわざわざ踏もうとする愚か者の行動だろうか?作戦中は悲観的に考えるべきだと僕は思う。
「何にせよ、向こうはヴォーソーを使ってる。高感度重力レーダーには少しは目眩しになる筈だ。今の内に逃げよう」
目覚まし時計を手に取ってジャケットの中に入れる。机に置いていた書類を一緒に払ったとき、水色のパッケージが手に触れた。タバコの箱だった。
その僅かばかりの間にファインマンのことと、父親のことを思い出した。前者はほぼ分からない。後者のことはずっと考えていた。後悔を覚えるのはどこまでも無駄という他ないし、今はそれもどことなく薄っぺらく感じてしまう。
「待って下さい。重力反応が極端に上昇しています。上空から、これは……エンジェルが爆弾を……」
ああそうか、と思った間にそれはやって来た。破裂音が聞こえ、壁と紙が突き破られる。埃だらけだから軌道を読むことは出来る。ただそれだけで避けられはしない。服を掠り、マスクが消えてしまう。眼前に迫った飛礫が進む。鼻と指が消失した。激痛がアドレナリンの噴出で抑えられる。
天井が崩落する。消失した壁へと走る。ところどころ消えた床から出た鉄筋を踏んでいく。イポスは無事だった。すぐにデーモンの中に入り、基地の中心部へと向かう。落ちてきたコンクリートを躱し、弾きながら。アウターシールドを破られて右足が押し潰されたが、今は構わない。
やがて開口部が見えた。のぞいた空にはきらきらと光りながら落下するものたちが、エンジェルがいる。ミサイルが飛んでくると一瞬考えたが、僕はそれよりも速く跳躍を開始していた。筋肉が軋む音が体を伝う。暗黒の中を落下していく灰色にぶつかり、再び跳ねて飛ぶ。
瓦解していく基地に憐れみを覚えることも出来なかった。暗視が切り替わって本来の色彩が見えてくる。地表に出てもまだ終わっていない。投下された爆弾が地盤まで到達して、未だ爆発し足元を揺らしている。ヒドラオテス基地の構造のせいだ。
岩が撥ね上げられて、空中を飛んでいく。岩は瓦礫になり基地を構成していただろう鉄骨が混じった。僕は伏せて空想図じみた破壊が収まることを待つしかなかった。運が悪ければ押し潰されるだろうが、足場が崩されていてはどうしようもない。やがて嵐は引いていった。
伏せていた頭をあげると、空に天使たちが浮かんでいた。いや、落下している。ズームしてその外観を見た。銀色のウイングを何枚も付け、大型のレドームを上部に配置したエンジェル。恐らくは熱圏から中間圏程度の高さに居る。ここからでも見えるほど大きい。
このエンジェルが数十体、恐らくはもっと沢山。等間隔になって空を埋めている。その異様な光景は僕の想像を誘った。企業間のネットワーク。それの行き着く先のこと。これもただの手段に過ぎない事は何となく理解できた。
ファインマンの資料は、彼らにとって不要になった。もしくは破壊するべきものになった。
「ジル、コワレフスカヤは」
「……ロックが外されたログがあります。爆弾の余波でその相手は追跡出来ません。申し訳ありません」
「いい。基地に居た奴らだろう。時間を掛け過ぎたか、それか偶然地表に速く出れたか。瓦礫の中を移動して任務を行うことがヴォーソーなら可能だったかも知れない」
何にせよ今は無意味だ。FCSが反応した。近距離だ。格納していたSARライフルを抜いて素早く構え、射撃。瓦礫に挟まっていた人間が潰れる。その次、敵のデーモンの射撃に合わせて横に転がりながら撃つ。ヴォーソーは跳躍して射線から逃げる。破損しているのか動きが鈍い。
僕も跳躍して、一気に距離を詰める。引き金は下ろしたまま。目の前で緑色の粒子が消え飛んだ。撃ち尽くすと投げて目眩しに。敵のナイフを引いた手に当たった。利き手じゃないらしい。そのまま繰り出した蹴りがまともに当たった。僕は倒れ込んだデーモンの上に跨ってひたすらに殴った。格闘戦のための装備がほぼ無い。ハンドガンは隙ができる。
ガードの上から横から拳を叩きつける。鈍器が欲しかった。そうすれば直ぐに終わるはずだ。僕の体の中にナイフが侵入したが、片手で押さえつけているために浅い。もう一方の腕は僕の頭を狙っている。
やがて、デーモンは動きを止める。僕はふらつきながら立ち上がった。レーダーに他の反応はない。側頭部に何度も殴打を喰らった。デーモンが痛みを消しても脳への振動は消せない。リキベントがないなら尚更だ。デーモンの骨格がぎりぎりで僕を生かしてくれた。
空は晴れていたらしい。エンジェルは何事も無かったように空に浮かんだままだった。コワレフスカヤは連れ去られた。相手はネリーであることは直ぐに理解できた。ラウンケルのデーモンの側、破損したライフルはそこでは開発中のテロームだ。それに、あれは直接決着を付けなければ満足しない人間だろう。どうせ僕も殺したかったからいい機会だ。
結局僕はこういう人間らしい、と頭の片隅で思った。いつまでも悔やんでいるし、望みが無かったわけでもないのに。懺悔だって結局無駄だ。こんなことを考えるのは頭が変になっているせいだろう。車は潰れたから徒歩か。




