28,
「じゃ、明日13時にコンテナを回収する。それまでここからは動けないからな」
「ああ」
「食い物と水は先に届いた段ボールだな?歯ブラシと石鹸はある。夜になって動くと揺れるぞ。トイレとシャワーは……」
「備え付けてあるが、タンクが空になったら使うな。水量を見ろ、だろ」
僕は彼の何度目かの忠告を先に言った。赤毛の男はそれならいい、とばかりに言葉を止めた。言いすぎておかしくなったのだろう。
彼の姿をよく見ると、背中から四肢へ機械の関節が伸びているのが分かる。積み込み作業に対応するための作業用デーモンだ。分類状はそもそも宇宙服ですらない、全くの別物だがそう言われている。要はマクスウェル機関が入っていればそれでいいらしい。
観察を続けていると彼の目線がたまに僕に向いていることに気がついた。より正確に表すなら僕が肩に提げているライフルケースに。衣類その他を詰め込んだボストンバッグを見ることもない。爆弾を詰めるには十分以上の大きさなのだが。
段々続いていく極彩色の階段を見た。伸縮する人工筋肉の腕、クレーンがコンテナを掴んで積み上げる。下部のレールが移動すると連動して次の貨物へ。僕たちはラウンケルの社員たちと別れ、火星軌道上のノア級空母船内にいた。それも本来人間が居るべき客室ではなく、貨物を運ぶためにある最中心部にいる。
なぜそんなことをしているのか、と問われればひとえに追跡をかわすためだ、と答える。これからは誰もが敵だ。
「にしても、意外と大きいじゃないか。下から2番目でも十分な広さだ」コワレフスカヤは不用意に手をつきながら言った。
「そりゃあ、あんたらみたいなのは少ないしな。ほとんど野良放浪家族の集まりだらけさ」
「それはそうか。逃げるなら沢山連れてく」
「そうそう。火星行きだからさ」
目の前にあるのは赤いコンテナ。想像の中で描くような四角柱ではなく、平べったい直方体だ。欲張ったサンドイッチが地面に落ちたような。案内役の男はそれを叩きながら自分達のサービスがいかに優れているかを喋っていた。僕は帰りに使う気も無かった。
貨物として輸送されるコンテナの中に居住空間を作り、そこに入って目的地まで過ごす。客室を使うほど金がなく、しかもIDに何かしらの瑕疵がある人間をターゲットにした商売だ。そして僕たちのようなログを残したくない人間にも。
貨物なので向こう側で開けてもらうまではここから出られないという欠点もある。だがこれの中にいれば少なくともヒットマンを警戒しなくてもいい。人間がやっているコンテナの積み込みを計算することは出来ないからだ。今からクリアリングはしなければならないが、それもすぐ終わるはず。
「さ、中を見てくれ。綺麗だろ?誰かが使ったあと、すぐに清掃しているんだ。毎回だぜ?そんなのうちだけさ」
「前の奴らはどんなのだった」
「ん、そりゃ……ひでえもんだったさ。先週も先々週も汚物を吸い上げなきゃなかったんだ。水は要らないって言ったのにトイレを使いやがって」
「ひどい客もいたものだね。その辺り我々は文化的な人間だ。私は特に」
「脱出する人間が増えたから確率的にそういう人間も増える。そうじゃなくて、直前の客はどんな人間たちだった。企業か、それともただの農家だったか」
僕がしつこく追求すると、彼は顔をしかめた。眉間に皺を寄せて苦々しく笑う。嫌な気分にさせているのは分かるが、こちらの立場からしてやるしかないと理解してもらえないだろうか。
「勘弁しろよ。俺たちだって小遣い稼ぎじゃねえ、立派なビジネスなんだ。ほら、プライバシーってのがさ」
「あそこ、まだ汚れてるな」
「え?」
僕は室内のカーペットの一部分を指差した。毛羽だった赤いそれに靴跡がはっきりと残っていた。深い溝で出来たコンバットブーツの足跡だ。僕はファッションにまるで興味はないが軍用品には詳しい。癖になってしまって、さりとて何に役立つのかとは何度も考え込んだが。
「そんなの、ちょっとした残りだろ?どんな良いサービスでもそれぐらいあるさ」
「まあ、誰でも普通に歩いたぐらいの残りなら別に良いんだ。だけど沢山ある」
「さあな、悪いサービスだったかもしれん。前の奴らだろ?そんなもの気にするなよ、こんな所で」
「だから聞いてるんだ。ビジネスだろ。その前の奴らがどうだったんだ?何にせよ掃除はしてもらうが」
「無理だって!今更呼べるかよ!次無茶苦茶言ったらあんたらはコンテナの下だぞ」
「そうか」
彼はひどく感情的に叫んだ。貨物室は巨大だったので、その声はまるで反響せずにクレーンと積み上げられる貨物の音に紛れていった。ややくすんだ光は奇妙な部屋を照らしている。
僕は特殊清掃員の靴跡も知っている。化学防護長靴、要は普通の長靴と同じだ。コンバットブーツほど深い溝が刻まれているわけではない。目の前にあるのは深い靴跡だ。
「金払いがいいからって調子に乗るんじゃねえぞ!……ああくそ、もう一つ借りたコンテナも同じ時間でいいんだな?」
「ああ。車が入ってるだけだ」
「なら、さっさと入って閉めろ。すぐコンテナがくるからな」
彼はすぐに踵を返した。僕たちに対する詮索もない、したらどういうことになるかも理解しているのだろう。もしくは単純に機嫌を悪くしたか。しばらく硬質な足音がして、最後に大きな音がした。歩いてここから降りていったのだろう。
「入らないのかい?」
「ちょっとした用事が」
僕はボストンバッグを開けて、分解してあったSARライフルを組み合わせていく。軌道エレベーターまでの道中で何本か拾い、組み合わせて使えるようにしたものだ。対デーモンを想定した口径はこういう状況に過剰かもしれないが、わざわざ使い分けできるようにする金もない。
同時に目覚まし時計を地面に置いた。軌道上空から地上まで繋がっていたのだからコンテナとコンテナぐらいどうってことはない。
慣れ親しんだ構造のために、意識的に急がなくとも組立はすぐに終わった。精密性を代償に頑丈さと整備性の良さを手に入れたこの銃は、これからに持ってこいだろう。銃器部品がすぐ手に入る状況になるとは思えない。最後にみすぼらしい本体には不釣り合いな最新式のスコープを載せる。
「ここで伏せてろ。耳を塞いで口を開けて」
「分かってるけど!そんなことやるのかい!」
「ジル」
「サイト内に表示しました」
ディスプレイの中に赤い点がいくつも浮き上がる。僕はレティクルを合わせ、迷わず引き金を下ろした。耳を劈かんばかりの銃声がコンテナの中を跳ね回る。同時に人体を破壊して有り余る12.7×99mm弾頭が鋼板を貫通する。
立射姿勢が反動によって崩れかかる。素早く射撃する必要があった。すぐそばを敵が撃ったであろう銃弾が飛んでいくが狙いは正確でない。彼らが動いてこっちにやってくるよりも、僕の攻撃の方が速い。ゆっくりと伏せ状態に移行しながら射撃を続けた。やがて耳は爆発にも似た轟音で聞こえなくなっていく。それでもトリガーにかけた指は外さない。
全ての標的を5発ずつの射撃で消した後、ハンドルを引いてライフルを地面に下ろす。先手を打つことが出来た。立ち上がりながらジャケットの下からピコゾア拳銃を抜く。目覚まし時計を拾ってポケットに戻す。
古びたライトの光はコンテナの中を古めかしく照らしていた。
目の前にはやけに広い部屋があった。一目でわかるのは仕切りがほぼ無いことだ。一つの大きな部屋の中にテーブルと椅子が2つずつ。最低限の家具が置かれていて、それらを遮るものはほぼない。少し目を動かせば洗面台と板で囲まれた小さな部屋がある。恐らく浴室だろう。
特徴的なことは病院のようにカーテンで仕切られた何台かのベッドが置かれていることだった。彼の口ぶりからして、実際に想定されている人数はそれよりもずっと多いだろう。
壁は波打つ赤いコルゲート鋼板で構成され、カーペットはひどく薄く歩くだけでカンカン音が鳴った。巨大な一室のみで構成されたひどい安普請の部屋は、元々の使い方もすぐに理解できる。正直使いたくなかったが色々面倒なことになっているので仕方がない。僕たちは企業の追跡を受けているのだから。ここはそういう仄暗い人間の利用するサービスだった。
僕は慎重に歩みを進める。左から右へ、クリアリングを行いながら光点の場所を探していく。仕切りのカーテンを開くとぐったりした人間がいた。灰色のスウェットと黒いバラクラバ、カーキの防弾チョッキを着た男は横向きに倒れて動かない。僕はその男の頭に2発銃弾を打ち込んだ。弾頭が肉にめり込むとき、頭が小さく跳ねた。
血痕が続いていた。光点に従うべきだ。まだ動けるやつが作った罠かもしれない。射線と掩体に注意しながら死体を探していく。電子レンジの中を調べる必要はない、キッチンの名残には銃痕。開けて中に詰まっていた太っちょの頭に弾丸を撃ち込んだ。
黒い血をポンプのようにカーペットに噴き出していた奴を殺した。てんでバラバラの色の装備をしたそいつが少し動いたのを見た。死後でも筋肉が電気信号によって動くことはある。視線を動かしたとき、ポケットが振動した。
浴室の扉がけたたましい音を出して開く。一人の男がマシンガンを構えたとき、僕は咄嗟に地面に伏せた。銃声が何度も鳴った。2人が同時に引き金を下ろしていた。目の前に立った男はしばらく立っていたが、やがて倒れた。僕は何度か繰り返した動作を反復した。
一方の手で拳銃を握ったまま、自分の体に負傷がないか確認する。アドレナリンの噴出で痛みが出ていないかもしれないし、目線は警戒に充てるため動かせない。
やがてそれが終わった。幸運にも少し裂傷が出来ただけだった。目の前の死体を見ると肩が抉れている。SARの弾丸が当たっていたために狙いを合わせるのが遅れたのだろう。
生きていたのは彼一人だった。僕は全ての死体を死体にして、警戒を解いた。やがて聴覚が戻ってくると変声機で変えた声が叫んでいるのが分かった。コンテナの外でアラームが鳴っている。
「おい!おーい!」
「聞こえている、何だ。敵はとりあえずここには居ない」
「めちゃくちゃだな!こういう旅になるのか!」
「ああ」
「マスターが大変な状態の時にそういうことを言うのは止めてください」
「分かってるが!もうあいつらが来るぞ!追い出される!」
「あっちの問題だ……手袋持ってるか?」
僕はボストンバッグの中を探り、無いと知りながらも僅かな可能性に賭けていた。幸運にもなぜか彼がそれを持っていた。整備か何かのためのニトリル手袋だった。それを貰って死体の一つを引き摺った。体格は僕と同等だったが力が抜けているので運びづらい。
血の跡を作りながらどうにか扉の前まで運んで、僕はそれを目立つように地面に置いた。未だ新鮮な肉体でも血だまりを作れば目立つだろう。事実として、傷跡は運搬で広がって穴の空いた水風船のようにそうしていると作業用デーモンを着た男が跳んできた。先ほどコンテナを案内した男だった。
「おい、お前ら……なんだよこれ!なんで死んでんだよ!」
「あんたの仲間か。銃を持っていたので殺した。正当な攻撃だった」
「そんなわけ……」
「そんな訳あるんだ。お前は清掃したと言った。そして前の奴らがどんな人間だったか、それも答えなかった。いや、それは良いんだが不自然だった。だから探ったらこいつらが居た」
一部は嘘だった。ジルは倉庫のカメラの記録を探り、このコンテナの中にごろつきたちが入っていくのを知った。今さっき知った訳ではない。そうでなければこんな怪しい部屋に突っ込んで行かない。あとは本当のこと。僕なりに目の前の彼を追い詰めるためだ。
彼は死体を見てひどく動揺していた。目を見開きながら蒼白な顔面をつくる。手足も少し震えたかもしれないが、顔を見据えているとあまり全体のことは分からなかった。
「で、どうする?」
「どうするって……」
「あんたたちの不祥事だろ。せめて無料の部屋だ」
「インターネットも欲しいぞ」
コワレフスカヤがまた口を挟んだ。彼はそちらの方に視線を動かそうとして、ようやく僕が何を握っているかを見た。
「おま、銃を」
「そりゃあな。あんたも連んでいたと考えるのが自然だろう。ここでマフィア映画風にやらないってのは、つまり撃ちたくはないってことだ。分かるか?」
「あ、ああ。ああ。わかった、わかってる」
「なら、もっといいコンテナに案内してくれ。出来るだけ早く。ほら」
僕は足元に転がる死体に向けて、何発か銃弾を撃ち込む。銃弾がボディープレートと肉にめり込む鈍い音がする。銃口が逸れてしまうことに不安を覚えたが、彼の様子からして問題なさそうだった。
これには威圧以外の意味も意図もない。僕が何を仕出かすか分からないタフな人間であると言うことを知らせるのだ。実際、この目論みは上手くいったらしい。デーモンを着ているという優位性も忘れ、彼は”確認してくる”とか細く言ったのちにふらふら跳んでいった。
「本当に戻ってくるかな」
「そこまですれば多分ね。むしろ過剰じゃないか?」
「あいつを撃ったら交渉にはならないし、周りに当てたら損害請求だろう。だから明確な襲撃者かつ安全な死体が適任だった」
「……なんか生き生きしてるな」
「嫌なことに、そうしなければいけない状況だ」
より良いコンテナには毛羽立ちのないカーペットがあった。僕が前に見つけた痕跡は清掃業者の雑な仕事のせいだろう。それが追い詰めるための材料になるとは不幸だと思った。
部屋は奇妙にもそれだけぐらいしか変わらず、インターネットも無い。僕はボストンバッグにライフルを再分解して詰め込んだ。内部には提げていたものとは別にガンケースが丸々入っている。ではわざわざ携行している方には何が入っているか。
頑丈なベリリウム銅の外装に包まれたガンケースを開ける。包装材を掻き分けると金色の複雑な模様が刻まれたフィルムのロールが出てきた。エヴァンジェスタ・トリチェリの遺伝子データが入ったシュワンフィルムだ。もう少しどけると何だかよく分からない機械もあった。
「君、一体どこに服とか入れてるんだい。フィルムとそのデコーダーを入れて生活のための荷物を入れておけるとは思えないんだけど」
「服を制限すればいい。流石に下着と靴下は一定以上持ち込むべきだけど」
「そんな苦痛味わいたくないね」
「お前もパーカーの下は同じようなものだろう」
「私はこの下もファッショナブルなんだ」
そう言って彼はパーカーの中を見せた。長めのツナギを着ていた。当然ながら装飾など微塵もない、薄青色で油汚れが所々付いている。それ以外に特筆すべき点はややオーバーサイズな点ぐらいか。それも頓着しなかったためだとも解釈できる。
「ツナギだろ。世界で一番ファッションと程遠く、実用的な衣装だ」
「実用とファッションは対義語じゃないぞ」
「油汚れはファッションか?」
「たぶん。しかし表現が受け入れられるとは限らないからな」
「……そうか」
それはそうだろう。僕とは違って彼は受け入れられやすいだろうけど。さしてこれ以上聞く気も無かったので作業に戻った。デコーダー、フィルムの解読機を展開してセットする。あとはテーブルの上に置いてコンセントを繋げばいい。流石に電気は通っているが、どこまでヒューズが耐えられるかは分からない。
セットしたフィルムが解読済みのデータを飛ばすためにからから回っていく。少しした後に止まり、ミルワームよりも遅い速度で動き出す、
前回の解読で解読機は焼失してしまったがフィルムは無事だった。これから数週間をかけて火星へと向かうのだから、その時間を有効活用するべきだ。有意義な情報が得られるとは思っていない。前回だって子育ての要らない情報が含まれていた。ただ必要なことだ。
「それ、電力をバカ喰いするぞ。ドライヤー使ってる時は止めるからな」
「好きにしろ」
「にべ無いな。ジルはよくこんな男の下にいて、ちゃんと育ったものだ。本当はお喋りだったりする?」
「普段でもああいう感じです」
「だろうね」
彼はソファに寝そべりながら怠惰に会話を続けた。僕は銃を再びガンケースから取り出して清掃をした。すぐそばでカタカタという小さな音が鳴っていた。ゆっくりとフィルムが進行する音だった。このペースで行くととんでもない時間が掛かる。分かってはいるが焦ったくなる。
「……君、そのフィルムって一体何が入ってるんだ」
「お前が知らないことだ」
「そりゃそうだ。その最新式でもたっぷり300時間は掛かるだろうね」
「そんなに」
僕はその機種を知らない。だが適当に買ったと言うには少し語弊がある。店主の勧められるままに買った。よくある物流の廃棄物を非合法に扱うスクラップ屋だったが、珍しい人間もいたものだ。
彼は少し目を落とした間にちゃんとソファに座っていた。手を組んでテーブルに落とすと天板が軋んで鳴った。
「その時間を持ってしてしか、君の欲しいものは手に入らないってことか」
「いい加減、止めてくれないか。いくら駆け引きをしようと話すことはない」
「駆け引き自体を楽しむのはどうだい。私はそれに興味があるんだが」
「どうして?僕ほどつまらない人間はいないはず」
「表面だけをなぞってみれば、そうだろう。君の言葉は端的すぎる。だけど内面を私は知っている。それを下にした子供を育てているしね」
「育児をされた覚えはありませんが」
「赤ん坊の頃の話だ。君に興味を植え付けて、ある程度の情報を飲み込ませた。それにメンテをしているのは私だ」
それは事実だった。最適化を適度に行なっているとはいえ、もはや巨大なデータ・インテグレーションと化したジルのプログラムは僕だけで管理できなくなった。もちろん彼女自身にも。だからジルは不請にも彼とやりとりしてプログラムを受け取ったりしていた。
「おっと、話が逸れた。私は君に興味が湧いた。だから問おう。もちろん対価はあげよう」
「セルならいくらでも欲しいが」
「残念ながら、私も会社を畳んだ後は金欠だ」
「セルじゃないのか」
「君が何かを話したら、私も何か話そう。つまり情報の等価交換だ」
「ふざけているのか?」
僕は思ったことをそのまま口に出した。目の前の男はパーカーの上に発光性のナノマシンを歪める。おちょくっているのだ。そもそも情報を一定に価値づけ出来るのか?それぞれの主観に基づいてしまう以上そんなことは不可能だ。
もう話すことを止めようかと思ったが、彼のことを疑っているのも確かだ。ジルが価値基準の最も上に位置していることしか分からない。だから彼が裏切る心配は無い、というのは楽観的すぎるだろう。ふざけたゲームでも参加してみればボロを出すかもしれない。
僕は銃のパーツを置いた。コワレフスカヤは歓迎を示すように笑顔らしき絵文字をつくった。
「……はあ。本当に話すんだな?」
「等価交換。君の好きな本は?」
「『火星の人』」
「ふうん、理由は?」
「いいフィクションだ。映画を先に見た。後で小説を読んで映画よりもギークらしくて気に入った」
僕に言わせればあの映画は商業的すぎる。俳優ありきだ。小説の一人残されたばかばかしさ、そして悲嘆が隠されてしまっている。SF的なサバイバル描写も控えめになって、ただのタフな男の映画じゃないか。
それに昔の人間がこう考えていたということも知れる。ネオレトロチックというか。現在は全く違うものではあるが、過去が想像していた未来は面白い。不合理性は物語の中ではむしろ歓迎されるべきものだ。いかに現実に即してなかろうと楽しければいい。それが精一杯考えたものならなおさら。
「昔の小説か。まあ、確かに最近はルーツを理由にして、分断を煽ろうとしているみたいなのしかない」
「お前の番だ。僕のことを知ろうという理由は?」
「先に言ったが、興味が湧いた。ジルの変化は素晴らしいものだった。AIだの人間だの、区別することが愚かしいぐらいにね。しかしながら再現性がない。君と同じ方法を試してみた。つまりマクスウェル機関を通じてAIと繋ぐ方法だ」
「上手くいかなかったのか」
「ああ。君の脳には何かしら……特別なものがあるかもしれない。服内側前頭前野の機能不全が原因とすればそうかもしれないが、機器の計測だけに頼るのは研究者として正しくはない。様々な情報を拾っておかなくては。いくら主観的でも。これでいいかい」
「ああ」
何か飲み物が欲しくなったが、水は節約しなければいけない。
「じゃあ次の質問。ミランと知り合ったのはいつ?」
「8、いや9年前。若い頃は更にモテていた。もちろん地上にいる間だけだが」
「今と比べてどう思う?」
「一つ言っただろ」
「今のじゃ薄すぎる」
「……そう、疲れているような気がした。だけど作戦が終わってからだと妙に元気そうだった」
最後に会ったとき、彼の目には生気があった。思い起こすと不思議だ。たかだか数週間で栄養状況は改善されるとは思わない。警戒や小規模の戦闘で、休養が取れるほど暇でも無かった。
「不思議だった」
「不思議じゃないさ。友達と会って、そいつが元気だったんだから」
「そういうものか?まあいい。僕の番だ。なぜ同行しようと?」
「ジルがいたからさ」
「それだけじゃないだろ」
「ん、まあこちらにも色々ある。流石に言う気になれないこともね。そうだな、言うとしたら都合が良かった。ラウンケルは私の技術を狙ってる。今逃げるのに都合が良かった」
「それもそうか」
変声機とパーカーを手放さない変人ではあるが、色眼鏡を外せば彼は優秀な技術者、研究者だ。加えて後ろ盾もないなら企業が放っておく訳もない。ちょっとしたハッキングで住処を奪ったあと、引き入れて特許を奪う契約を強制させればいい。筋は通っている。
とはいえ、それをそのまま信じるわけにはいかない。ジルがいる、そして逃げることもできる。だからと言ってこんな不安定な旅路に加わるわけがないのだ。第一優秀とはいえ、只の研究者をそこまで執拗に狙ってくるとは思えない。
「私の番。君の家庭はどんなものだった?」
「どうもこうも……普通のひとり親家庭だ。父親の職業は傭兵。勉強はさせてくれた。流石に大学までは行けなかったが」
「もっと感情を言ってくれ」
「そんなものはない。ただの親子の関係だ」
ただ与えられたものを返そうとしているだけだ。
僕が明らかに質問を拒否したことに、彼は動揺しなかった。もっとも仕草とナノマシンに異変を出さなかっただけだが。この変装は厄介だ。
「そうかい。私はそうは思わないが。君はトラピストの孤児たちに反応していた。それにジルを育てたじゃないか。つまり嫌いなAIを自分で育てたということだ。ということは家庭で、何かしら特異なことがあったと考えるべきじゃないか?おっと、わざわざ声まで買ってるんだから反論は不要だぞ」
「それが?誰でも子供には優しくするだろう」
「後天的な思考だよ。教育の成果は知らないが、いや欲求か」
「どうして断定する」
「テストの結果だ。ジルの最適化の過程でそう言う傾向が出た。もしかして、と思ったがやはり君からの遺伝だったか」
「だが、その断定は否定されるべきだ。そのどちらも普遍的な思考に過ぎない。僕たちが別々の、しかも大して意味のない教育から得たという可能性はある」
「そうかもしれない。だがどちらにしろそれを選択するのは君の特性だ。質問を続けよう。何があった?」
「等価交換はどうした?」
「どうして決めつけるかって、さっき答えただろ?」
彼の言葉は妙に僕を苛つかせた。さして悪意もない、攻撃の意図はないと理性は判断する。ただ感情は反撃しろと吠え立てた。関心だけで人間の奥底に入ろうとするのは悪意か、それとも僕が嫌がっているだけか。後者だろう。
「……そうは言ってもな。特に出来事なんて無かった。強いて言うなら僕の問題だろう」
「問題、ねえ」
「そうだ。僕の脳の問題、先天的なものだ。つまり特性だよ。システマチックに考えるなら、動物が子供を守ろうとするのと同じだ。僕はたまたまそういうものを詰め込むだけの素養があったというだけで、どちらが先かなんてのは、原因と結果が絡み合っている以上ナンセンスだ」
「それもそうだが、その上で君にはトラウマに近しい出来事があったと思う。言いそうに無いけど」
「そんなもの無いが、同じことだ」
本当にそうだ。覚えてもいないということは何も無かったのだろう。事実として僕は今まで差し障りのあるような症状に出会ったことがない。
「ただ、周りにはいくらでも不幸が落ちてきた。僕は幸運だった。それを直したいだけだ」
路上の子供たち、教室の子どもたち、僕。これらが何が違ったのか。そういうことを考えるうち、何も変わらないということにした。結局の所脳細胞の定位か経済的な位置しか違いは無い。それを受け入れていられれば、不満も覚えない筈だが。
不条理しかこの世界にはないが、その不条理な優しさが父親だった。
どうしてここまで言ってしまったのか、僕は後悔した。いや、言ったからとして何が有るとは思わない。父との約束はなく、僕だけの一方的な誓いしかないのだから。そう思えるだけ擦り切れたんだな。
「まあ、なんとなく分かった。プライバシーを尊重してここまでにしておこう。君の番だ」
ここまでやっておいて、ルールには従うのか。律儀というか何というか……好都合ではあるけど。とはいえ、僕の会話術で情報を聞き出せないことは分かっていた。何らかの秘匿された理由は有るだろうが、彼が一線を引いた以上僕も強行的な手段をとるべきではない。
まだピコゾア拳銃の弾丸は残っている。ホルスターから抜き放てば、この距離なら間違いなく先に攻撃できる。
悩んだ末に最初に捨てておいた疑問を問いかけることにした。彼がそれなりに踏み込んできた以上、これは良いだろう。
「何で容姿を隠すんだ?理由が知りたい」
「なぜ今になって……まあいい。理由は言わないが、君には見せることはできる」
そういうと彼、彼女はパーカーを脱いだ。その時顔に何層か黒いナノマシンフィルムが掛かったので、思っていたよりも変装は厳重だったらしい。それは重要な情報ではない。
現れたのは病的に白い顔。何らかの薬品に見えるような白抜けたそれは、長い間パーカーを被り続けていたからでもあり、同時に人種的に特有のそれを感じさせる。今時狭い遺伝子を持っている人間は稀だ。ミランのように偶然で出来た可能性もあるが、そういう特定の人種の特徴を持つ人間は大抵地球生まれだ。
そういう考えが頭を巡った。目の前にいる女性はネリーに似ていた。
あまり頻繁に顔を合わせることもなかったがそれだけは十分すぎるほど分かる。起伏の激しい顔と、真っ白い肌。やや薄めの金髪を無作為に後ろで結んでいた。表情は全くない。あの腐れババアの年齢を僕と同じぐらいにすれば、こういう顔立ちになるだろう。
「何とか言いたまえ」
声を聞いた。偶然か?いや……不意に動かした手がバレルに当たった。声は顔よりもずっと聞いている。この前もくだらないことでわざわざ量子コンピューターを使ったのだから。それも覚えていられないような備品の使い方だったか。
「ネリーに似ている」
「ああ。ま、見ての通りだ。これで私がここに居る理由の半分が分かったということだね」
「クローン。確かに可能だろうけど」
「わざわざ人間を育てるのは非合理的だと?それに見合うだけのパフォーマンスがあったら?ここまでだな」
行うだろうが……考えているうちに彼女はパーカーを再び被った。陰鬱な声は再び変声機の名状しがたいものになった。残ったのは言葉を失った僕とデコーダーの音だけだった。




