22,
黄色の大地に覆いかぶさって、ビニールの屋根が続いていくのが見える。薄いそれの下にはTrappist-1dの主力品目であるタバコの葉が整然と生え揃っていた。葉はまだ青い。もう少しだけ中心部が黄色みを帯びるころになったら収穫されて、直接コロニー内の工場に送られて加工される。この星は間接的に大量の肺癌患者を作っている。
A.S.Aも確かその中にあったはず。僕は全く吸わないので、どれぐらいの位置に存在しているのか分からない。だけどターコイズブルーのパッケージは覚えている。そして、少なくとも僕が今まで行った星の全てで見かけることが出来た。
燃やすタバコと電子タバコ、それとスマートドラッグは現在でも人間の手軽な娯楽だ。学も必要なく、それなりに安い。そして一過性だが気分が優れる。
どういう訳かそういうものの消費量は宇宙に這い上がってから激増した。原因の一つには嫌となる程に直面している。戦闘だ。デーモンという殻を手に入れてから、人間同士の殺し合いはひどく増えた。利権の奪い合い、資源の取り合い、技術の撲滅という名目がAIを動かした。欺瞞のように見えたそれは真実だった。
それはそれとして、普通のタバコも再び流行るようになった。それなりのコロニー基盤もいらず製造できて、輸送するコストも低いから。身体を気にしているような迂遠さも人類にとっては不要になった。
紫煙を吐き出していく大人たち。僕も大人になったはずなのに、まだそう思える。
煙は空中に留まって、僕の方には流れてこなかった。空中散布式のナノマシンは意外と古くに発明された。ラウンケルが開発している、飛翔可能なそれとは根本的に構造が違う。ただ空中に浮きながら電力の尽きるまで副流煙を一定方向に押しとどめるだけのシンプルなものだから。
これが宇宙進出の黎明期に開発されたのは人間の欲求の力と言えるのか。偶然だろう。
「誰か、火持ってないか」
加えたタバコの端に火を寄せた。僕の右手の中にライターがあった。無意識にジャケットから出していたらしい。数年は使っていない筈なのに、よく作動したな。それよりも僕がよく覚えていたと思うべきだろうか。
アゲナは怪訝な顔をしながら、それでも火を移した。逡巡してから吸い口をようやく塞いだ。僕は葉の中でうろつくそれを見つめた。煙は真っ直ぐに天井へと向かって、降りてくることはない。ここはただのロビーではあるが、空中に喫煙用のナノマシンが撒かれている為に喫煙が可能だった。
「……あー、あんがと。何か怖いな」
「……理由無く罰することはしない。第一仕事が始まるまでは僕たちに上下関係はないはず」
「なんだ。もっと早くやるべきだろ。年下〜」
「今ってどうなんだ、セキスイ」
「その、一応ケプラーから続いているので……仕事中と言えばそうかもしれませんけど……」
「よし、隊長。やってくれ」
しばらくの間僕は記憶を掘り起こそうとしていたので、何もすることは無かった。ただぼうっと火を見つめていればそう出来ると、脆い期待を寄せた。指先に仄かな痛みが伝わってきて終わった。
コワレフスカヤが企業のあれこれで面倒なことになって、僕たちは一度別れることになった。これが決めた時には地球同盟軍の興味はもう僕たちに注がれていなかった。彼は数日の間書類の山と睨めっこして、ようやく昨日になって手続きが終わった。彼はこの仕事を最後に一旦事業を畳んで研究に専念するらしい。また彼女との間で何かしらの取り決めがあったのだろう。
僕たちは次の便が来るまでの間を持て余していた。端的に言って暇だった。剣呑なことを考えなくていい分、余計な憂鬱さが頭を覆ってしまう。
「な、何をするつもりだよ……」
「いや、僕はタバコを吸わないのにどうして持ってるのかと。思い出せないんだ」
「知らねえよ。彼女とかだろ」
「僕に女性の知り合いは1人だけで、そいつも火星に居る。そもそも知り合いと会うことさえ2、3年していない」
オフュークスとは連絡を取っていない。大してそうする意味も無かったから。友達は1人だけで、彼も……どこに居るのか分からない。シンプルに聞く必要もないからだ。
ともかく、頭によぎった答えを思い出したくなかった。会話に集中することにした。
「なんでそう毎回聞きづらいことしか言わねえんだよ」
「そうか。確かにそうだな」
頭の中のことをそのまま言葉にすると、要らない誤解を受ける。いい加減学ぶべきことだ。
トラピスト1dのコロニー中央部、軌道エレベーター直下の港に僕たちは居た。廊や床には空港とも表示があって、呼称ははっきりしていない。どちらとも取れるのがこの施設だ。だからこそ苛つく。
建物は概ね空港のような作りをしている。搭乗口へ向かう道はかなり広く、どこまでも続いているような気がしてくるほど長い。本来ならテナントがびっしり入るはずのフロアにはキオスクの大きいやつのようなものしかない。壁にはコロニー内についての掲示物が貼られていた。
空港の周囲一帯は何の建物もなく、滑走路のように滑らかだった。コンクリートを過ぎると後は低いビニールハウスしか見えない。これまでのコロニーとは違っていて、ここには労働者のための住居や企業のためのビルディングを建てる必要がないから。
トラピスト1dは主に農作物を生産している植民星だ。理由は比較的地球に似た環境があり、かつ早期に到達できた星だからだ。いや、比較的よりも奇跡的の方が正しいかもしれない。そうでないと人類のほとんどはエクソダス品種どころか、ただのワームを食べ続けなければいけなくなっただろうから。
どうして人類が枯渇した資源のなかで宇宙へと進出できたか。その一要因はこの星に超大規模なプランテーションを建設できたから。味はどうあれ大量の食物を生産できれば、後の輸送はアルクビエレ・ドライブでどうにかなる。
それから現在に至るまでトラピスト1dの経済は一次産業がその殆どを占めている。不安定さは技術である程度カバーできるが、そもそもとして利益を上げにくい種別だ。はっきり言ってどうしてこの星に終着点があるのか、それを担保するだけの経済力があるのかは疑わしい。
「前から思っていたが、味はどうなんだ」
「味……タバコに?考えたこともねえな。酒みたいなもんだろ?なんか吸うっていうか」
「そうですね。その、ドラッグみたいな。へ、変な意味じゃなくてですよ?!」
「ん、気遣いは無用だ」
ジョージはいつも通りに肌をほぼ露出していない。顔は辛うじて見えるが、髭のせいで表情は分からなかった。
「体に悪いって分かってるんですけどね……」
「肺が汚れるリスクよりも気分が悪くなるリスクを取るべきさ。だろ?」
変な言い回しはどうやら僕を真似たらしい。似ていないが。
アゲナとセキスイはそれぞれタバコを咥えて、紫煙を吐き出す。煙は空中に不自然に留められて僕の肺には向かってこない。よく見ると天井には複数の通気口らしきスリットがある。これぐらいしか楽しみのない星だと、設計時から分かっていたのだろう。
「それはそうだ。ストレスは取り除いた方がいい……これからやることを考えればな」
窓の外はひどく安穏で、退屈だ。思い出すのはトウモロコシ畑の中で響いた声と流れた血のこと。地平線の近くには真っ赤な線が見えた。
灰色の壁が永遠に続いていく。プリンターが焼き上げたコンクリートブロックは雲母のように揺れて光った。アクセルに気を配るだけだから、それぐらいは見える。
僕は装甲車に加えてもう一つ車を用意した。理由は幾つかある。コロニー東南にあるファキオの総務部へはそれなりの距離を移動する必要があった。装甲車の定員は4人だ。そんなに入れるものだったかは疑わしいけど。それに色々と新たな装備もある。名目上は兵器の実験をしているのだから、これを省くわけにはいかない。そんなことを言った筈だ。
隣に座った彼は油断なく視線を動かした。少し前に分かったことだが、彼はドラッグどころかタバコも好かないらしい。
「寝ててもいいぞ。特にやることもないし」
「隊長、あんたがそういう態度だからアゲナの野郎が調子付くんじゃないか。威厳がねえんだ」
「そうか。第一僕に彼を教育するのは仕事外だ。そしてここは曲がり角も無いし、エンジェルも数えるほどしかいない」
収集車のような車が曲がるのは大変だ。いくらカメラを取り付けても見えないことはあるし、第一小回りが効かな過ぎる。それに車や歩行者はスペースを作ってくれない。そういう時のために助手席がある。
トラピスト1dは特定の戦闘禁止区域に設定されている。おおよそ30年ほど前に地球が決めた、食糧を確保するための条約だ。形骸化したその他たちと違って、それはまだ生きているのだ。報復を恐れているからではなく、単純に破る理由がないからだろう。
だから、この道はただ走るだけでいい。ジョージと2人きりで話すにはうってつけの状況だ。
「合理的だろ……じゃあ聞いてくれ。面白くもない人間がするオチの無い話だが」
「俺も面白くないさ」
「お互い真面目だからな。ジョージ、今のうちに言っておくけど今回はファキオ工学社、人工筋肉を製造する工場を運営している企業に立ち入ることになる」
「……それが」
「方式は違うが、君のトラウマに関わることだ。ネリーは何も言わなかったのか」
「ああ」
だろうな。あれが他人を尊重する姿が見える気はしない。
「君の契約についても僕が知ることはないし興味もない。だがここに居るということは、少なくとも戦闘行動に従事しなければならないということだ。その時にライフルを構えることが出来るのか、僕は疑問に思う」
つらつらと皆の前で述べた理由は、これのために考えた虚言でもあった。第一間違ってもいないので、さして心は揺れなかった。
そして、僕はこの忠告がさして意味のないことを知っていた。たかが言葉で人間が変わることはない。前線から退かせるだけの言質が取れればいい。彼を見た。見窄らしい格好の中に治すことも出来ない傷を詰め込んでいるのだろう。甘い香りを吸ったときと同じように、ジョージの手は震えていた。
「やりたくないなら、君は車の中に留めておく。調査に参加させないし、戦闘中も後方から火力支援を行うだけだ。ログは残るけど、一応現場のことは僕に任されている。問題にはならない」
「そりゃ、どうもだ」
「その上で、決定権は君にある。決めるべきは君だ」
それと同時に切り捨てる権限も僕にはある。たかが人間一人を失うのと、僕の目的と作戦の遂行。後者の方が重いのは明白だ。たかがと失うは過ぎた言葉かもしれないけど、可能性という意味だ。
いざとなれば僕は彼を撃つことが出来るだろうし、そうする。発作を起こして戦えなくなり戦死するのはまだ良い方であって、僕たちに銃口を向けたりしたら最悪だ。ただでさえ気を違えたような戦力差をどうにかしているのだから。
これを当然言わないでおいて、僕はジョージの決断を優先させた。ただ僕が選択することと同じように彼にもそうする権利があるというだけだ。これは現実には何にもならないと知って、それでも何かのためにそうした。何かはいつまで考えても何かのままだった。
彼はようやく瞳を緩慢に動かして、僕を見た。まじまじと見ていられる程トラックの運転は暇では無い。それで良かった。
「やる。やるさ。あんたもあそこで見ただろ。やれる」
「……そうか」
「心配なのは分かる。薬は飲んでるし、カウンセリングも受けてるが実際どうなるかは別だ。だがもしもそうなったら、隊長。あんたは間違いなく俺を」
「そうしたくないから、僕は聞いたんだ」
フロントガラスの中には二人の男がいた。一人は前を見て、無愛想な顔をしていた。もう一人は微かに笑っていた。
憂鬱さが車の前で跳ね返って短い汚れを作った。これも小さい絶望の一つで、受け入れるべきことだ。僕にとって、人間らしくいられないのはもう飲み込んだものだから。どれだけ望んでも手に入らないものだけが増えていく。
自分でどうにかなってしまうほどの休暇は、ようやく脳の残酷さを認めさせた。僕はトリチェリを殺したことを忘れようとしていた。それは受容ではなく忘却だった。段々とあの日の夕焼けに包まれた手と焼き焦げた体、その風景が頭の中から離れていく。
いや、とうに無くなっていた。鏡の前に、枕の上に、窓の外に。5年間の最初に残っていた幻影と不安があった。自分で思い起こそうとした結果だ。一週間で消えたが。
「もう忘れたのか」
「いや。何度も思い出すさ。寝てる時とか、ノコギリを見た時とか。タバコを見ても正直な。あれとほら、根本的に同じだ」
「それでもやるって?」
「ああ」
ジョージの手が震えている。感情が抜け落ちた顔で服の袖を引っ張っていた。それでも顔が見えている限り、あの時から回復したと言えるだろう。貨物のレールを形式的に見てからアクセルを踏んだ。
「じゃあ、先に伝えておく。どうせ知ることだろう。ジル」
「もう少し早く許可を頂きたいですね」
「時計と話してる余所者なんて目立ちすぎる」
フロントガラスに向かってスライドが投射される。これから向かう手筈になっているファキオ工学社が販売するプラットフォーム式の工場。それに人工筋肉培養システムを組みこんだもの。当然違法行為を行って手にいれたものだ。
直線上に配置されたケースの中に培養液がぎっしり入っている。浮かんでいるのは地平線の彼方まで伸びていくピンク色の筋肉。恐らくレンズの構造上そう写ってしまったのだろう、と思う。実際には1、5、7ヘクタールのどれか程度になる。
培養槽の中には手足や皮膚も何もない、剥き出しの筋繊維だけがあった。そこには人体を連想させるものは何一つない。鯨を解体している資料を見たような気分にしかならない。明らかにアルブムとは違う、それこそ作物を生産するような見た目だ。
「これが今回行く、かもしれない場所だ。見ての通り色々と違うけれど」
「……そうだな。取り敢えずは人間が出て来なくて安心だ。結局人の遺伝子を使ってんのは変わらないのか」
「ああ。それはそうだ。人間ほど遺伝子多様性に満ちている生物はいない。この方式からして君の時とは違うらしい。とにかく使い捨てるのではなく、選別を行って適切な状態に持っていく。そして幹細胞培養法を使って筋肉だけを生産している」
「俺の時とは必要な部分が違うってわけだ。それで、こんなに人道的になるとはな」
自嘲するかのような笑みを横目で見て、かなり後悔した。
「おっと、安心してくれよ。意外と大丈夫なんだ」
「かもしれない。前は会話すら出来なかったからな……」
「続けてくれ、気が紛れるからな」
「そして、モジュールに取り付けられたレーザーカッターで摘出、収穫って言った方がいいのか?とにかく、そうしてここから人工筋肉は出荷されていく。主な取引先はエンジェルを製造する工廠だな。トラピスト1dの2番目の輸出品目、かなり好調らしい」
スライドは画像からグラフに変わった。揺れる車内と視界を遮らない程度の大きさでは見づらいが、僕はもう読んでいるので問題はなかった。ジョージも見ていられる状態ではないだろうし。
「ここで作ってんのはトウモロコシとかだろ?筋肉を作らなくても良いんじゃねえか」
「いや、そう簡単な話じゃない。前の作戦が終わった時からコロニーでの戦闘がかなり増えている。重力爆弾のせいで、開発競争や市場操作が激化したからだ。そして企業たちはエンジェルを必要としている。人工筋肉の需要は破滅的に上昇してしまった」
彼の様子を見る勇気はなかった。畢竟、人工筋肉の生産とは遺伝子の選別だ。企業が人間を殺す理由はないが、優しく扱う理由も分かりはしないだろう。現在もジョージのような人間は増え続けている。
「このプラットフォームは効率が良い。最低でも一基につき80m以上の筋繊維が収穫できる。だが欠点がある。平地でしか使えないことだ。そして、大規模な平地がある星はそう多くはない。だからここでもっと生産したいが……そうもいかない」
「結局、利権の話かよ。戦わなくて良いって思ってたんだがな」
「詳しくは知らないが、色々面倒なことになっているらしい。多かれ少なかれ血は流れるだろう」
「そうか……感謝するぜ」
「何が。結局の所、状況として工場を調査することは間違いない。交渉でどうにか出来る相手じゃない。それに……」
「そうだな。だけど俺が決めたことなんだ。あの場所から出なくちゃ、囚われたままだ。やらなくちゃな」
ジョージは真っ直ぐ、ガラスに浮かんだ数字を見つめていた。顔のある部分に泥が跳ねていた。心の中で僕は彼を賞賛した。僕には出来ないことだからだ。
「……話でもしよう。バカみてえに広えからな、ここは」
「ああ。と言っても、これで事前の情報は終わりだ。あまりこの星の外での活動がないから、不確かになる」
「仕事の話はもういいよ。疲れるだけだ。隊長はタバコ、嫌いか?」
「いや。吸わないだけで嫌いじゃない」
事実を包み隠さず言うと長くなるために、僕は端的に表現した。喫煙室での企みと、それに付随する情けなさを言葉で表せられるかというと、きっと無理だろう。そしてなぜそんなことを聞いたのか疑問が湧いてきた。
「なんでそんなことを?」
「あんた、頭は回るが周りの人間を見てないな。そこまでプライベートを分けると逆に怖えよ」
「そうかもしれない」
「それで直す気もないと。別に良いがよ。じゃあアゲナに子供が産まれるってのも?」
「知るわけない」
轍は乾き切っている。それが延々と続いているような錯覚の中で、僕は劣等感を覚え続けた。キラキラ光るコンクリートの壁、途切れて見えるビニールシート。爆発が起こればいい。きっと戦いの中では自由になれる。だからこそ捨てなければいけない思考だ。
羨ましいと思った。絶対に口には出さないが。無くなるよりも傷を持ったままの方がいい。忘れるよりかは……ずっと壊れたままの方がいい。そしてそれでも歩き始められるのなら、それこそ最高だ。
僕は自分自身について考えるのはそこまでにした。運転に集中するべき、というほど道は荒れてもいないが無意味だと思ったから。疲れたからとも言うけど。会話に専念すれば、頭の中も彼のように少しはマシになるかもしれない。
「あんなのでも子供を作れるのか」
「2人目だってな。まあ、死ななきゃ4、5年は大丈夫らしい」
「ただ生きるだけなら、そうかもしれない。だけど教育を受けさせて、よりよい人生を送らせるにはもっと必要なはず」
「重苦しいばかりだな」




