21,
任務が終わったのはそれから39日後のことだった。ジルがトラッキングの回避を甘く見積もっていたと言う訳ではない。それは最初の1週間で終わってしまった。当然糞の塊のような、実際虫のそれがあるホテルに泊まり続ける意味もない。僕はケプラー452bでのインシデントをネリーに報告して、それで終了させるつもりだった。
中心部、アルクビエレ・ドライブが行われるそこには通信サービスがいくつもある。個室でプライバシーを確保して、量子コンピューターで他の星と繋いでの通信を繋ぐというもの。主なターゲットは仕事で遠くの星にいる人間と話さなければならないサラリーマンだ。幽鬼のように表情のない人間たちに混じって、僕はその中の一つに入った。
黒塗りのてらてら光るコーティングの壁は高級感があった。それだけくらいしか褒めるところがない。通された個室の中は棺桶のように狭苦しく、人一人がようやく入れる程度の広さしかない。あとは正面にある肘を置く程度の机と、壁に備え付けられた通信機。
うんざりして、これから通信を繋ぐ相手のことも思い出してさらにうんざりした。どうやら合理性とコストカットを履き違えているらしい。あっちの時計なんて知る気にもならないが、早くしないと何かしら言われるだろう。僕はドアをいっそう強く閉じてから、特定の通信機に繋がるコードが記録されたメモリを挿入した。受話器を耳に当てるとすぐに繋がった。
『……遅かったね。随分やってくれたじゃないか。それほど難しくもなかった任務のはずだが、理由は?』
「全部報告してるが。全てどうしようもないくらい不運だった。防ぐ術があったなら、御教授いただきたいね」
事実だ。最初のエレベーターへの攻撃は、偶発的に起こるエンジェルの暴走が引き起こした。それに内内で処理したい地球同盟軍のせいで宙域から情報が出ることが無かった。つまり、僕はルートを変更することも出来なかった。
そういうことを簡潔に纏めて送ったのが3日前のこと。写真やら何やらのために中心部に置いたデーモンに戻ることになったのは死ぬほど面倒臭かった。さしてやるべきことがあったというわけじゃないが、それはそれだ。
レポートについては、どうせ僕が隊長なのだからと本当のことを書いた。軌道エレベーターでの移動中に襲撃を受けてコロニーに拾われた。エンジェル掃討戦に参加した後にケプラー452bに降りて、作戦を立案遂行したら重力爆弾が落ちた。
『あれは間違ってはないのか。そうは言われても、こちらからだと言い訳のようにしか聞こえないね。まるで失敗を誤魔化すための妄想じゃないか。なぜこうも無駄なことを?』
「対策を講じ得ないことがそんなに不満か?僕が嘘をついて、何かメリットがあるのか考えて欲しいな。そんなものは何もない。あんたがやっても同じことになるだけだ」
『そんな話はしちゃいない。この惨状は一体何だい?この一週間でうちの系列がいくつ倒産したと思ってるんだ』
「そういう話だったろ。誤魔化してるのは、あんたじゃないか」
僕はそう返したあと、そういうことでもないのだろうと考えついた。ネリーが怒っているのは重力爆弾の一件のことらしい。ではなぜそれを僕が起こしたと思っているのか?あれもどうしようもないことの1つだった。
『……ふん、文句の一つも言いたくなるさ。うちも随分忙しくなった。マクスウェル機関なんて見たくないぐらい覗き込んだ。あんたもそうだと嬉しいがね』
「ナノマシンの開発企業なのに。本業に力を入れた方が良いんじゃないのか」
『うちの商品がどれだけ使われてるか知らないね。マクスウェル機関の重力を弄るってことは、その周りの状態も変化させるってことさ。重力の変化によって作動方式も変えなければいけない。そうすると結局は重力爆弾の開発に行き着くのさ』
『どこも必要なものには手を伸ばしてる。そうせざるを得ないからね』
企業らしい言葉だ。まあ、僕たちを雇って試作装備を与える程度の財力を持っているのだから、そうか。
想像以上に、まるで本来の目的などどうでも良くなるかのように、重力爆弾の衝撃は強かった。もしかしたら5年前も同じようなことが起きていたのだろうか。いや、現在の状況はかなり違っている。重力砲は火星という巨大な企業と軍閥の複合体が作り上げたもの。
僕たちが食らった爆弾はただの一企業が作り上げてしまったものだ。電子的攻撃によって、もう外観は知れ渡っているだろう。もっと詳しく解析と検証を重ねていけば、作動する原理も発見される。そうすれば大量破壊兵器が企業の手に渡る。死を手に入れた者たちがどういう地位を築くことになるのか、僕には全く分かりようがない。
『既に投資幅の揺れ動きで世界はめちゃくちゃさ。これ以上どうにもならないことを願うよ』
「そうか。だけど僕たちには良いこともあった。人工筋肉の誤作動について、またひとつ進んだ」
『そんなもの、今となっちゃあ。下らない事だったさ』
レメディウムソフトウェアで手に入れた取引先のデータは、やはり必要のない、複雑に分化していく事例を含んでいた。それを辿っていけばこれを行っている巨大な何かに行き着くかもしれない。1点から2点に増えればかなりの確率で傾向が読み取れるはず。
総じて僕たちが手に入れたものは、企業間の繋がりを示す重要な情報だと言える。それを下らないことと言い切るのか。
「違う。もしも戦争が起きればエンジェルが山ほど必要になる。その時になって誤作動だらけじゃどうしようもない。今だってそうだろ?もしも調査が完全に成功したなら、ラウンケルの優位は揺らがないものとなる」
『ふむ』
冷たく、吐き捨てるような声が聞こえた。僕の意見を聞いても彼女から動揺は読み取れない。ひとつの咳払いすらない。この程度は考えに入ってるという事らしい。
『わざわざプレゼンをどうも。私から突いてやろうと思ったが、杞憂だったね』
「試しておく意味もないのに、よくやるな」
『そうじゃなきゃ、アンタたちなんて必要でもないさ』
僕は諦めのようなものを感じた。以前から分かっているのは、僕たちは使い捨てだということ。いくら装備をくれたとしても増援を寄越すようなことはしない。情報を得るための橋頭堡になれば及第点、もしも仕事に成功すれば万々歳。それは傭兵の仕事で、いたって普通のことだ。
それなのに違和感を抱いたのは目的の部分だった。僕が述べたことはラウンケルの利益になるということだ。ネリーにとっては大願の筈なのに、ひどく冷静に話した。期待していないからとしてしまえばそれまでだけど。
「何にせよ、調査は続行するんだろ。企業の繋がりは調べられたか?」
『誰に向かって言ってるんだい。次の場所はTrappist-1d。ファキオ工学社という企業だ。諜報が終わったらそこに向かいな』
「……なるほど。データは?」
『ここじゃドアが狭すぎる。数日のうちに暗号化して送る』
「編成はどうなる。いつも通り僕が決められないだろうけど」
『よく分かってる。新しいのを入れようかと思ったが、まだ誰も死んでないね。それにしても、不可思議なこともあったものだね。マキノが異動してくれだのぐちぐち言わなかった。どれだけアンタが社交的になったことやら』
僕はまたネリーを嫌いになった。プライバシーに障るようなこともそうだが、それよりも僕に釘を刺すことを選択したのだろう。二心があるわけがない。その前に殺してしまうだろうし。
マキノというのはセキスイの苗字のこと。彼女はどうやら部隊から離れたがっていたらしい。考えることもなく当然のことだろう。死ぬかもしれないことを好き好んでやる人間はいない。金の為か、生まれた状況によってか、それか苦痛の根源によってでしか。
だから彼女の選択は意外だった。もし外れたとしてもこの調査から逃げたとは思わない。危険な状況を回避する、ただの妥当な判断だ。でも狂ってしまうほど、彼女にとって才能とは根深いものだったらしい。ちょうど、僕と同じように。
セキスイが母親という言葉を使ったとき、僕は動揺した。彼女もまた期待に答えられなかった人間だと考えると共感できて、それまでだった。彼女は出来て、僕は出来なかった。それだけなのだ。
「何で異動したいって言ってるのに聞き入れないんだ。作戦は成功したし、ちょうどいい時期だろ」
『2つある。まず1つは要望を聞く理由がないこと。2つ目は能力が不足してること』
「……あれで?」
『そりゃそうさ。コワレフスカヤ以上に有能な奴が揃ってる。数秒もやればナノマシンの構造式を書ける人間がいて、一言添えれば段取りを終わらせてくれる人間がいる。指示を出す私がいる。どちらかが出来ないなら、わざわざ入れる必要もないだろう』
「あんたのチーム以外で良いだろう」
『そりゃ構わないが、死ぬ可能性が高い。まだ戦ってた方がマシだろうってのは親心なんだがね』
企業、それもグロビュールタワーの中に入れるようなそれがどれだけの人的資源を使い捨てているか。僕はたまに死人が出ることを知っていた。業種として違うので詳しくはないが、体とゴミが行き着く先は同じだからだ。
地下駐車場の薄い影を踏みつけて歩んでいく処理業者たち。僕よりも上等な手袋とスーツを着た彼らに黒いゴミ袋を手渡す。拾った時にはもう包まれていたのは、彼らに一抹残った人間性だったのだろうか。厳粛にそれを両手で受け取ってから、すぐ車に戻っていった。
『これが理由さ。後はもう無いだろう?』
「まあ、な」
『決まりだ。プシュケーとやらからできる限りの情報を抜き取ったなら、そのまま向かいな』
「どうも」
僕はそれで終わりだと思っていたが、彼女が”少し待ちな”と言ったので繋いだままでいなければいなかった。幸いすぐに会話は再開した。
『……コワレフスカヤはまだ居るんだろ』
「それが?ああ、これが終わったら……」
『そいつは次の作戦にも帯同する。離れるんじゃないよ』
「随分急に決まったな」
『誰かのせいで、片手間に何かしていないといけないからさ』
嘘だろう。ペンの走る音、タブレットを触る音さえも聞こえなかった。
話が終わったあと、受話器を戻しても動く気がしなかった。すっかり疲れてしまった。目を閉じたら金属をヤスリで削るような声が聞こえてきて、目の前の狭隘な空間を眺めることしか出来なかった。それでも、頭の中に残ったネリーの音が神経を殴りつけている。
僕は彼女の声をひとつづつ思い出し、整理して、解体していく。彼女は人間性が最悪かつ重要な位置にいる。考えるべきことはまだ整理しきれていないが、なぜか彼女の言葉に違和感を覚えた。僕らしくもなく敏い。
時計は20分程度しか進んでいなかった。まだこの部屋を使用できる時間は残っている。僕は目覚まし時計を取り出した。それも疲れるから少し嫌になるが、必要なことだ。
「マスター。セキスイさんについては残念でした」
「それはそうだな。あれを作戦に持って行くとなると不安で仕方がない。それでもどうしようもないけど。受け入れるべきことか」
「主張するべきだと無責任には言えませんね。今もラウンケルから攻撃が来ています」
それぐらいのことはするだろう。そう思っていたのはずっと前、最初の仕事の辺りのこと。ジルのコード本体が記録されている衛星サーバーにクラッキングが仕掛けられた。それ以降から電子的攻撃は続き、僕たちは多少のハンデを抱えながら作戦を遂行せざるを得なかった。彼女がプシュケーに負けた一因でもあるのだろう。
それを指示したのはネリー。単純に衛星のことを言ったのは、あの星では彼女だけだからだ。困ったことに、僕の目的を抜きにしても死体を暴くだけの利益が存在する。ストレージに火星戦争の時に得たどれだけの機密情報が残っているのかは考えたくない。
ジルの声には少し余分な飛び出しがあった。まだ防御と防諜のために演算機能を割いているのだろう。注意して言葉を考えた。
「演算機能は割かなくていい。情報の共有だけだ。企業のネットワークについて、追加で分かったことは」
「事実としてはまだ不十分ですが、彼らは押し並べて火星の系列企業です。より正確に言えば第二次火星戦争以前に設立されているものばかりです」
「……正直意外だな。父さんの遺伝子を持っているのだから、地球の系列でないとおかしいと思っていた」
規模の問題を置いておくと、時系列的にはそうでないとおかしい。遺伝子を集めていたのは僕が拾われた直後のこと。つまり第一次火星戦争が終わって直ぐになる。その状態で動ける企業は地球のものに限られるだろうことは、容易に推測できる。
「論理的ですね。しかしながら、第二次火星戦争は地球同盟軍の裏切りによって勃発しました。恐らく遺伝子を持っていた企業たちが寝返ったのでしょう。そして現在、火星において結合した企業たちが人工筋肉その他の製造に至った」
二度目の大戦はとち狂った地球同盟軍によって引き起こされた。現地のクーデターに遭ったのでもなく、同盟軍のアーチボルド大佐が反乱を先導した。当然その中には現地企業も含まれる。
能動的か、受動的なものか。それを考えるにはまだ情報が足りない。しかしながら、前者をやる理由はない。恐らくは後者の方が正しい。
「これ以上はさらに根拠のない憶測になるのでやめておきましょう。マスターの方からは……お疲れ様でした」
「うん。もうやりたくない。ネリーについてだが、どうやらこの調査は本来の目的でないらしい」
口をついて出た言葉を使って、僕は考えを整理する。発言から微かに生まれた違和感は彼女の目的を暗に示していた。
「積極的な支援が無いのは今まで通りだが、この状況になってもそのままなのは変だ。今なら全部突っ込むか切り捨てるか、そういう判断をすべきなはず」
「忙しいからではないですか?この目的を追っているのは私たちだけではない。誰が到達するかは問題ではないのです。それゆえ手を割く必要もなく、関係を終わらせる必要もない。単純に放置しているだけの状態では」
「それでも、僕たちが分かる程度には情報は集まってる。それなら向こうももう分かっているだろう。次のファキオ工学社は人工筋肉の超大規模プランテーションを持っている。君が調べたことだ」
「ええ。そして終着点に近い位置にあると予期されます。調査は終局へと向かいつつある。それを知らないラウンケルでは無い、と」
ジルはネリーに渡す取引相手のデータを複製して、企業間のネットワークがどこまで続いているかを調べた。プシュケーと下らない会話を繰り返していた時間があれば十二分に可能だった。
ファキオ工学社はトラピスト1dを事実的に支配する巨大企業。そしてこの人工筋肉の誤作動と遺伝子データ、その他無意味とも言える製品たちの源流にあたる。そう推測されている。もしもまた調査を終わらせることが出来たなら、真相が見えてくるはず。
「そうだ。だから金が無いのなら傭兵は切るべきだ。もしも本当に達成したいなら外して本来の部隊を出すだろう。このまま僕たちを飼い続けるのはコストに敏感な企業らしくない」
「ふむ。その通りですね。傭兵をまだ使って、資源を投入する様子もない。ネリーという相手を侮ってしまうには性急です。人工筋肉の誤作動というのは、彼女およびラウンケルにとっては次善策なのでしょうか」
僕は再び考えを巡らす。全ては不確かだが、それなりに納得のいく答えは見つかる。僕はいつか、このような不可解な状態を見たことがある。火星戦争の始まりを告げたのは重力砲ではなく、コールドスリーパーたちの船だった。矛盾している状況は、相手が何かしらの謀略を巡らせた結果だ。
ジルとの会話は思考を整理するのにちょうどいい。僕の脳内をマッピングしているから当然だろう。嫌悪感も長年の中で薄れてしまったのは残念だった。それでも関係は微妙なままなのは、僕の羨望はまだ消えていないから。
「それだと、探すにはやや強行的だ。推理すると、最初からそうではなかったということ。つまり人工筋肉の問題は重要だったが、重力爆弾がそれ以上に重要な意味を持った」
「世界が死神を求めることと違う、別の目的があるために……ですか」
「そう。ラウンケルは大量破壊兵器を求めているわけではない。そして人工筋肉の問題もそうだ。本質的に求めている目的は別に存在する。僕たちが知ることもないだろうけど」
そこまで言い終わると、また思考が回った。防音が施された壁から音が聞こえてくることはない。ちりちりと鳴るノイズは劣化したケーブルのせいだろう。ではそれが聞こえるのは何故だ。
過分な集中は怒りに似ていた。そして、それはほぼ無意味なことも知っていた。僕は流れに棹さすことを選んだが、結局は何も出来なかった。ジョージの時も、セキスイの時も。全部は機運のままに進んで僕が出来たことはない。あれは2人が再び立つことのできる人間だったからに他ならない。
かなり長い休憩は僕に倦怠を思い出させるには十分すぎた。この先も彼女に楯突く態度を続けたとして、何が起きるのだろう。ネリーは間違いなく何かをしてくる。人面獣心で、利益のことしか考えていないような人間だから。そして害されることもない位置に居る。
また反抗心を持ったとしてもやれることはないだろう。気に入らないから殺す事もできない距離だし、もし居ても不可能だ。それでも気に食わない。
「何にせよ、私たちの邪魔をするなら排除する。そうですね」
「ああ。そうして進まなければいけない」
ふつふつ湧いた怒りは何も意味をなさない。だが、たまたま目的を達すためには必要だった。それだけだと言い訳して、僕はこの子供らしい情動を残しておくことにした。感情は抑えつけて消すべきだと僕は思う。そして、それが出来るのだ。
父のことを知っても今更どうにもならないのと同じように、完全な人間にはなれないとは分かっている。僕は失敗した。腹内側前頭葉の障害、それか単純な遺伝によるアルゴリズムによって。平易な言葉を使うとすると才能がなかったからだ。
それでも目指さなければいけない。終わりが来るまで、続けなければならない。




