19,
光が割れて、収束する。分散していった光が集まり黒体になる。僕はそれに触れるとどうなるか知っていて何も出来なかった。重力に速度がそもそも有るのか、僕には分かるはずもない。赤子の泣き叫ぶ声に似た何かが聞こえる。そして避けられない速度で進行してくる。
下腿が消えた。速度が出ない。デーモンがフライトユニットの信号断絶を知らせたのは少し遅かった。ライフルを投げ捨て、落下の中で壁を殴りつける。危機に気がつけたのは壁と大気の塵が消えていったから。それに法則も区別もない、無造作な消失に似た圧縮が局所的に開始している。
髪の毛ほど細い線に沿って指が裂かれる。壁が丸く削られて崩落する。重力を操作して避ける。やや速く落ちるだけだが。パイプが体を打った。根本が消えたのだろうか、だが鑑みるべき負傷ではない。
落下が終わる。地面に削り下ろされながら僕は着地した。取り留めのない疑問が浮かんだ。こんなに広く動けるスペースなんて無かったはずだ。視界の限りには基盤とフレーム以外には特定出来るものがない。
『何が起きたんだよ』声に混じって金属がひしゃげる音が聞こえた。
「デーモンは終わったな。僕にも分からない。ジョージ、セキスイ、コワレフスカヤ。無事か」
『車は無事です』
彼女の声を聞いて、少し安心した。どうにかなった。体を引き起こして状況を確認することに努める。
「……増援は居ない。今は安全だ。コワレフスカヤ、何が起きたか説明できるか」
『まあ、うん……大学で見たことがある。アルクビエレ・ドライブの不完全な発生。実際に見るのは初めてだ』
「何か悪影響が?」
『極めて強い重力の湾曲が起きた。重力砲は見たことがあるよね、それとほぼ同じことが起きたんだ。条約で禁止されてるはずなのに……プロテクトを故意に外した、いやまさか開発したのか?とにかく、ここまで小規模なのは救いだった』
「これで」
足元に赤色や黄色の混じった液体が溜まっていた。僕はその破壊が起きた範囲を確認しようとしたが、明確に判別できるものが無かった。デーモンが1機、空を飛んでいた。アゲナだ。プネウマが息を吸う音が虚しく聞こえた。溶融したものたちと形を留めたままのもの、岩のようになったものと室外機が1つの景色の中にある。
不安定さを読み取ってしまう。ダリのように考えられたものでも無いだろうが。消しゴムツールを使って無造作に消された写真のようだ。破壊と変化の嵐を呼ぶのは、まさしく火星軍がノア級に対して使ったものと同じだった。ただ、それと違う点もいくつか存在する。
最も大きな差異は破壊がランダムだということ。ほぼビルの直上から投下されたにも関わらず、僕が今いる地表部に効果が及んでいる。しかしながら建造物らしきもの……融解しているから推測になるが、ビルは半壊しながらもまだ聳えていた。榴弾のように球状に破壊しなかった。
かなり乱雑な重力の波が押し寄せたようだ。火星軍が作り上げた重力砲は効果が一点に集中していた。完全に兵器としてはそちらの方が優れている。そして、だからこそ僕とアゲナは生き残れた。
突然視界が下に傾いて、頭を打った。腕は動いたが支えきれなかった。どうやらバランスを崩して倒れたらしい。脚を2つ失ったのだから当然か。今の僕じゃ芋虫みたいに動くことしかできない。切り捨てるべきだな、と思った。もう目的はほぼ達成している。
『おそらくは重力砲の技術者が流れてきたか、あれを模倣したものだろう。火星人のディアスポラはろくなことしか起こさないな。あ、企業は試験兵器のデータを手に入れて満足か』
「あちらも相当な被害が……いや、傭兵なんてのは使い捨てでいい。データの方が大事か。つくづく変わらない」
『そういうことさ。現場ってのは辛いもんだね』
ダメージはさほどではない。フライトユニットは寸断されてなんだか良く分からないものになっていた。それでも誘爆していないのは設計が優秀だということだろう。運は既に上振れていて語ることもない。接続を解除した。身体は出血がひどかった。長時間では無いにしろ、辛いものはいくらでも辛い。
レーダーは役に立たない。先ほどの残滓で一面真っ赤になった。
「ジル、レーダーが使えるものは」
「ありません。マスターのヴォーソーと同じ状態、目視に頼らなければ」
「そうか……まあいい。もし来ても同じ状態だ。何であいつらはあれを使ったのだろう。僕たちの距離でもやっと通信が繋がる程度なのに、これじゃ追撃も出来ない」
『そりゃ、部隊がみんなやられちまったらそうもなるだろうよ』ジョージが答えた。
「そう思うか。ただ、復讐するためならもっと方法がある」
『殺したい奴が近くにいて、銃があるなら撃つだろ』
「スライドも動かさずにか。僕はそうしたくはない。何の意味もない」
『……まあ、アンタはそうだろうな』
違和感は先に言葉になった。そう、意味が無かった。あの状況で僕たちを出し抜ける程度の技量があるなら逃げればいい。それからあれを起動すれば死ぬことも無かった。そして、ケプラー452bで実験を行う意味もそもそも無い。どこの企業かは分からないが間違いなく他企業からの報復か、地球同盟からの制裁を受けることになる。
もしも復讐がしたいのであれば、もっといい方法がある。デーモンのログにはセキスイの顔が映っているはず。もしそうでなくとも隊員のどれかには残っているだろう。あとは膨大なデータとの睨めっこをすればいい。社会の中でひとつも顔を残さずに生きていられるわけがない。
これはかなり安易なやり方だろう。遺伝子捜査をしてもいいし、企業に丸投げもいい。見つかればあとは芋づる式にこの小隊に辿り着ける。とにかく、その行動は短絡的だった。
「アゲナ、損害は」
『無え。撃たれたのはある』
「なら僕を拾いに来てくれ。何かあったら報告。コワレフスカヤ、車を合流地点に」
『りょーかい。あー、やっと終わる……』
『何かつったってよ……レーダーが使えないんじゃあな。なあ、こいつは』
通信から爆音が聞こえて、収まる。風を切る音と共に爆発が起こった。コンピューターの残骸を巻き上げて何かが着地、いや着弾する。レールガンだろう。
「皆、僕を捨てて逃げろ」
『一体何だよ……!』
「エンジェルからの砲撃だ」
『うわっ、当たってないよね?!』
『あ、やばい時はもっと揺れるので大丈夫ですよ』
「話を聞け」
呪いをかけるような低い声が出た。自分の声を聞くのは気持ち悪いが、ことさらにそうだった。
憎しみを抑えているせいだ。羨むのは僕がそうできなかったからか、神経症か何かのせいか。デーモンの感情抑制を突き破るほどのそれがひどく煩わしく思った。時間が無い、考えている暇がないのに。
「エンジェルはあの爆発を検知した。そして今爆心地にいるのは僕たちだけ。彼らは僕たちを排除する」
矢継ぎ早に僕は指示する。
「総員反転して退却。この指示を最後に、指揮権は放棄する」
『なん……クソ、マジかよ。おい、コワレフスカヤ!車を戻せ』
『こんな所で?ええい、捕まってくれよ!』
僕はというと、出来ることも無かったのでぼんやりと装甲車の方を見た。タイヤをケーブルや窓枠やらが散々撒き散らされた地面に食い込んでドリフトする。グリップが戻ってくるのは車が回転してから。エンジンの音が砲撃の中で拾われ、強調された。
運転もわりかし出来るようだ。つくづくセキスイに合わない人間だな、と僕は思った。
砲撃は数を増して、それさえも見えなくさせていく。激しい雨を見るのは火星以来無かった。あの乾いた星のどこからこんなものが、と思ったものだ。海は結局見ていない。破壊された地表はさらに破壊されて傾斜もつき始めた。地下をくり抜いてコンピュータを埋め込んでいるのだから、地盤どころの話ではないな。割れたクッキーみたいなものだろうか。
装甲車の向きが反転して、僕から遠ざかっていくのが見えた。それでいい。何も考えずいてくれ。
『見、見捨てるんですか』
『……隊長の命令だ。そうするんだよ。もっと速くしろ!データを持ち帰ればいいんだ』
「そうだ。もう作戦は終わった」
僕はさらに強調して言った。データは既に吸い取り済み、敵の砲撃はレーダーが封じられているために精度が低い。現在の状態なら十二分に逃走を図れる。僕が動けないだけだ。
それなのに、まだ死は遠い。レールガンに籠められているのは徹甲弾か。エンジェルどうしが戦車のように撃ち合うことなど想定はしない。となると市街地かプネウマ、その保護のためか。砲弾が殺傷力に振り切れていないおかげで、僕はまだ生きている。
それは何も意味しない。戦場に行って、手足が無くなった人間がいて。繋げている暇もない。じゃあなぜ生きているのかというと、殺されていないからだ。
何か心に残るものを探していた。ただ、脳の空白を埋めようとするデーモンのせいで上手く行かなかった。ガラスを詰め込んだように透明で空っぽの頭に望んだ。
「ジル、衛星の権利は50日後にコロニーに移る。今のうちにやっておきたいことは」
「ありません。貴方を生還させること以外は」
「無理だろ、この状況じゃ」
「皆さんが命を懸けてくれれば可能です」
「だから無理なんだろ。そういう部隊じゃない。もう終わったんだ。君は一番最後に解体される」
僕はデーモンのHUDを覗いた。通信は繋がっていない。彼女の口調には無駄な感情が乗っていた。焦燥と憤怒。バッファを消耗させるだけだ。
ジルのことを考えた。僕は一瞬、彼女を自由にさせようかと思った。確かに、尽くしてくれたのは認めるべきだ。それは疑いようもない。僕自身の嫌悪だとかは関係ない。
ただ、ネットワークの中に放つには彼女は危険すぎる。僕が何も言わずに死ねば権利は地球同盟へ、ジルは命令を持たないので動けない。それで問題ない。人工衛星の中にある思考領域を持ってすれば、コロニーの1つくらいは掌握できる。削除するべきだ。
これと同じように信頼とは別として、誰かを見捨てるべき状況というものは存在する。ただそれを短い間に伝えるのは難しいと思った。これだけが理由という訳でもないけれど、部隊には積極的に関わらない。経験のない人間が2人もいたらそうせざるを得なかった。
「口答えしないで下さい。とにかく助けるよう呼びかけます」
「やめろ。命令だ」
ジルは唸り声をあげて、そのあとに不可解な音を出す。権限を持っているのが僕な以上、彼女は逆らえない。そのはず。彼女には自由にさせているとはいえ、僕の所有物であることは変わりない。
出来ることはした。通信は聞こえなくなった。聴力が無くなったのか、誰も話していないのかは分からない。あとは静かになった瓦礫の中にいるだけだろう。巻きあがるコンピューターやケーブルが打ちのめすか、着弾による圧力が引き裂くか。僕を害するものが何かは特に知りたくはないが、目を閉じるのは気に入らない。
『うわ、大変なことになってますねえ。あれって過重力爆弾でしょ?昔開発されてた』
『ジルが破られたのか?!』ジョージが戸惑って叫んだ。
『あ、違いますよ。プシュケーです。トラッキングしてただけです。エンジェルが暴れてるので、警告しに来ましたよ』
『止められないのかい?』
『無理ですね。新しいものは独立して動けるようになっているので。私がどうにか出来るのは地下のものだけです。頑張って逃げてくださいね』
『何だか分からんが、それだけか』
『どちらかに味方するのは私の要件定義的にダメなんですよ。情報がギリです』
騒がしくなっても特に嬉しくはなかった。頭の中で何かが繋がり、ギラギラ痛んだ。
『……でも、もう大丈夫です。隊長を見捨てて逃げたから、私たちは助かります。そうしなきゃいけないんです』
『ん、あ。いますね。答えられます?』
「だから何だ。黙っていたのを無駄にしないでくれ」
『生きてますね。じゃあ貴女が命令すればいいのではないですか?セキスイさん』
『え?……その、指揮権って』
「先ほど僕は放棄した……それが本社に帰属するなら、正社員の君になるが」
僕は嘘をつこうと思ったけど、止めた。どうせ彼女が何かすることも無いだろうと考えたから。
指揮権のことをより正確に記すと通常は僕、現場では手に負えない事態になったらネリー。僕が死んだらやはりネリーに戻る。では連絡手段がない状態ではどうなるかというと、ラウンケル本社に無期限雇用されている人間になる。そして該当するのはこの調査に限定して雇われた僕とジョージとアゲナとコワレフスカヤではなく、元々雇われていたセキスイのみだ。
残念ながら、それは事実で変わらない。僕はわざわざ規定に逆らう意味を見いだせなかった。それはやや消極的な攻撃のようだった。悪意という。彼女はまた恐怖して、焦って攻撃的になる。そうなる前にジョージに預けてくれればいいのだが。
『……む、無理ですよ!こんな状況で』
『言ってる場合か。俺かおっさんにまかしとけば良かったくせに。クソ、なんでこんな事になってんだ』
『ふーむ、ただ逃げるだけならそんなことも無いようですが。それとも困難に立ち向かいたいと?眩いばかりですね』
『逃げる。逃げる以外の何が』
『そりゃ、あいつを助けるんだよ……ああクソ、そういうことか?!そういえばそうだ!君がジルの持ち主だな』
「今?」
『つまり君が死んだらジルは宙ぶらりんか!?冗談じゃない。私の部屋にサーバーを入れて負荷の音を聞かなきゃいけないのに!リュラを助けるのに一票入れるぞ』
「何から何まで絵空事ですね」
緊張感のない彼女の声。景色は相変わらず砲弾の雨だった。いくつか砲が増えたのか、激しく視界が揺れた。重力の爆弾によって起こった熱と電磁波の滞留がいつになれば収まるかは分からない。コロニーから出て不安定な気候を見ているようなものだ。早く過ぎ去ってくれと願った。
死にたい訳ではない。終わらせたいだけだ。どうしてそんな嫌悪が漏れ出すのか、僕にも分からなくなっていた。
雑踏のなかに紛れているのと似ている。かき分けていく誰か、集合的無意識的に作られた流れ、誰とも黙ろうとしない雑音。全てが混沌としていて自分勝手だ。そう、全てが自分勝手だからだ。どうして自分自身だけを特別と思えるのか、優先できるのか。
装甲車が再びドリフトする。前輪を支点にして180°回転、再び僕の方を見据えた。直後エンジンはけたたましく吠える。ノイズが消された通信の中で喧騒がさらに増していく。
『うわっ!コワレフスカヤさん!?』
『時間がない。助ける事に賛成の者はいるのか!』
「ここにいます。人間ではないですが」
『多数決完了!』
瓦礫をかき分け、亀裂を避けながら車は進む。安全地帯から再び重力波の残る危険地帯に。砲撃の中へと進んでいくさまは死にかけの動物に似ている。自滅さえも分からずふらふら歩む猫だ。その目的地は、僕だ。
罪悪感に似たなにかが噴出して、表現の仕方も分からないほど怒った。だから声は出なかった。無意味だと自分を慰める以外のことが出来ない。彼らの行動を止めるだけの言葉を僕は持つわけがない。
『無茶苦茶だな!』
『そうとも、そうしてこなければ生きてこれなかったからね!』
装甲車に瓦礫が当たって、見るからにひどく揺れた。運がいいのはもちろん、これまで僕が生きていられたのは単純に的が小さかったからという理由もある。装甲車はトラックよりもやや小さい程度、当然受ける被害も増えていく。
もしも運転席に跳ねたパイプが突き刺されば、打ち上げられたコンポーネントが乗しかかれば。その時点で皆死ぬ。作戦どころの話ではなくなる。装甲車の中にいる人間の命が僕よりも重いのか?正気の沙汰ではない。だが現実だった。
頭の中に浮かんだのは農業コロニーで起きたことだった。理解はできなかったが、尊重しようと思った。必死になって手放すべき人間性を拾い集めていた。だから尊重されると思ったのか?僕が多数を重要視することとを肯定してくれると。いや、そんな筈は。
「どういうわけか、マスターは助かります」
「そうだな。僕はどうでもよくて、満足したいだけだろう。ただ危険で、何も得られるものはない」
『なんか言ってやがるぞ。やめてくれよ』
「死にかけた人間は大体あのような感じです」
考えるべきことは止まって、ただ現実だけが役立たずの上に立っていた。装甲車は砲撃の余波を受けながらも僕に辿り着いたのだ。後部荷台のハッチが開いたかと思うと、素早くジョージが現れて僕を掴んだ。出てくる時と同じように収容されたのは一瞬だった。
人工筋肉とケーブル、金属のフレームがひしめき合う中に詰め込まれた。何か言おうとした隙にデーモンの装甲が僅かに開いた。悶絶にも遠い痛みが奔り、僕は押し黙った。注射はおそらくナノマシンだろう。痛みは部品が戻ると消えた。
車の発進に合わせて焦げた人工筋肉が激しく揺れ動いた。ジョージの負傷も激しい。現状、戦える人間はアゲナだけだ。間違いなくすぐに撤退するべきだった。それが選ぶべき答えだと思った。
『うおっ!ものすごい攻撃だな。生きた心地がしない』
『な、にかおかしくないですか?急に車が揺れてきて……砲撃が私たちを狙っているような』
『もう後戻りは出来ねえか』
「そうだな。どうやら、さっきの爆発の影響が薄れてきたらしい」
重力波レーダーを見た。目を離すことはないと思っていたのに、すっかり画面を埋め尽くした赤色が消えている。マクスウェル機関から取り出された重力は消えた。副産物の熱や電磁波はもっと前に消えているはず。つまり、エンジェルが今狙うべきものは爆心地に現れた怪しい車ということになる。
のろのろ進む車がいつ撃ち抜かれるか、僕は持ち望んていた。がたがた揺れる車内の中で不安げにジョージは何回も辺りを見渡した。機器がひしめくなかでは見るべきものも何もないというのに。鮮明にされた視界の中では想像すべきことがない。
息を整える。リキベントシステムが呼吸の代わりをする中ではそんなことをする必要はない。段々と揺れが減っていくのを感じた。どちらかというと、悪路を走っているだけのような。僕はその理由に直感的に辿り着いていて理由を探した。実際に確かめようとしたくなかった。
爆音は車とデーモンを飛び越えて聞こえてきた。ハプティスタ対物ライフルの発砲音。アゲナが戦っている。
『ああクソッタレ、どいつもこいつも勝手なことばかりしやがる!こっちだガラクタどもが!』
「アゲナ、どうして戦っている?逃げれば良かったのに」
『デーモン盗んでかよ!?俺だけ戦わずにいりゃあ後で企業が追って来るだろ!そこまでバカじゃねえよ、全員とち狂いやがって。しょうもねえ!』
「アゲナ・バラード様。マスターに代わって感謝します」
『これで全部の借りは無しだからな。さっさと逃げやがれ!』
電波レーダーに光点がずらりと並んだ。マイクロミサイルは小さすぎて反応が良くない。クラスターミサイルの可能性が高い。エンジェルに搭載されたAIは危険性を計算した。武装のない、反撃をしてこない車よりも銃撃してきたデーモンの方が排除すべき対象。標的を鑑みてグリア兵器を選択し撃墜する。合理的だ。
上空では必死に彼が飛来するミサイルを迎撃している。どう考えても保ちはしない。ジョージがライフルを背面から引き出してから、後部ハッチを手動で開けた。それも無駄な抵抗のように思えて仕方ない。もうエンジェルたちは重力に興味はない。今は目の前にいる未確認武装集団を消すことだけを考えている。
「セキスイ様、覚悟を決めてください」ジルは抑揚無く言った。
『ジル、さん。ですが……今更、何が出来るんですか?皆さんはもう動いていて、私がやらなくともいいんです。私が出来ることなんて何も無いんです』
「そうではありません。今、指揮を執ることが出来るのは貴女だけです。コワレフスカヤ氏、アゲナ氏、ジョージ氏は戦闘中。マスターは重傷です。貴女しかいません」
『私には才能がなかった。今日もそうでした。プロキシサーバーを使ったことがバレたから、私は襲撃された……だって、ただの作業員がデータを持っているかなんてわかるわけないじゃないですか。失敗は取り戻せなかった、そして何も出来なかったのが私です』
いつかの決闘のことを思い出した。僕が蛹を自ら切り裂いて、蝶になることをやめたあの日のことを。現実的なものではなかった。ただ、人間にとっては必要なことらしい。それがどんな不合理であろうと、不正解であろうと解を見つけなければならない。トラウマと向き合うということはそういうことだ。
彼女はそれが出来るのか?いや、そうではなく、そうする権利があるのか。
僕はセキスイと向き合わなかった。僕が僕自身の才能から目を背けたように。父親にふさわしいようになれなかった人間が才能のためにもがく人間を見捨てる。
『いつだってそうじゃないですか。お母さんの言う通りにできなかったから、悪い大学に入って。ようやく企業に入れて貰って、こんなことをしてるのに』
言葉は途切れて、息を吸う音が聞こえた。
『そ、それで、見捨てたくないんです。分かりますか』
「いや。ずっと」
言葉は軽く唇を押した。ジルは恐らく対電子戦防護に戻った。そうだろう。彼女が考えていることは僕も考えることだ。
『その、それでも。隊長は皆さんを、私を救ってくれたから。きっと返さなくてはいけない』
そこで、僕がやってきたことに気付く。何が部隊には関わらないだ。今までのやり方はそれとは全く違う。
僕は彼らを守ってきた。本当に合理性を求めるなら、そうすることなく切り捨ててしまえば良かったのに。間違ったやり方を彼女は学んでしまった。どれぐらいの言葉を持ってすれば、それは僕のやりたいことであって君のやるべき事ではないという事を伝えられるのか。
他人を助けることが自分を助けるというよりも、これは……僕が作った轍を皆が踏んでいくようだ。
『私は、それが出来るんですか?……出来ないって決まってるのに、まだ期待しているんです』
この僅かな間に訳が分からないほど苦悩が巡った。セキスイの言っていることが僕の深い部分に交差してしまったからだ。身体が震えた。デーモンが押さえ込めなくなるほど深刻な状態だった。
答えは、同じだ。全てを押し潰しながら進まなければいけない。僕の目的はトリチェリの過去を知ることだけだ。人の柔らかい部分が壊されようと、どうだっていい。
「かなりどうでもいい」
『た、隊長……?』
「情けないが、ジルの言う通りだ。今の僕は出血でおぼつかない。正常な判断ができるとは思えない。君がやるべき状況になった」
『だ、だからって』
「今は君しかいない。才能は素質だ。やっている途中のものだ。それが今、関係あるのか」
実際の所、出血がひどくなっていた。アドレナリンの噴出とナノマシンによって励起していた体細胞も限界だ。そして唯一自分の中で信頼できる判断も、感情によって汚されてしまった。口から転がり落ちたこの言葉は最後のまともな思考の表れかもしれない。
彼女、牧野赤水がどういう人間なのかは分からない。限界まで心が擦り切れてしまった時に現れるものが破滅なのか、希望なのか。ただ、それに賭けることが今できる最良の手段のように思える。
「やりたいことがあるなら、それはやるべきなんだ。どれだけ上手く行かなくとも。あとは勝手に決めてくれ」
理解のような言葉は、実際には僕の考えだ。つまるところ僕の肉体の中でしか実体を持たない。
僕はこれが無遠慮な行動なのか、それとも他人を想っての行動なのかを知らない。知ることはない。ただ進むことだけがこの部隊に対して責任をとる方法だと答えを出す。そして僕は、改めて思考を止めた。
燃えていくグリア粒子の音が聞こえる。車内は目まぐるしく振れる動くべきではないものたちだらけ。目を閉じてしまいたくなった。それでも僕は静寂を破らなかった。
『わかりました。やります。何とか、します』
「そうか。よかった」
『コワレフスカヤさん、軌道エレベーターよりも東の方向へ。高層ビルがあります』
『了解!もう才能はいいのかい!』
『わかりません、でも今はどうでもいい、らしいです』
『それでいい!やっている最中はやるしかないものだ!』
何だ、君も僕とは違うんだな。人のことなど分からないふりをしていただけか、コワレフスカヤ。
マイクロミサイルの群れはやがて装甲車ごと僕たちを飲み込むだろう。遮蔽物の少ない爆心地から離れるのは妥当だ。あとはそこまで辿り着けるか。つまり2機のデーモンがどれだけそれを迎撃出来るかにかかっている。
『マジで、どうにかなってるぜ。おっさんもっと撃てねえのか?!』
『無理だ。トリガー引きっぱなしだ』
『ちくしょう!』
『……!』
銃撃の音が激しくなる。銃口から弾け出る光が人工物の洞窟の中を走る。銃器は永続的に連続して射撃し続けることはできない。インターバルを置かなければ銃身が加熱して命中精度の低下、あるいは破裂に繋がる。それを知らない彼ではないだろう。
それでもこの状況においては生き残ることが優先された。他人のものとなると、眩く光るように感じられた。それも虚しい抵抗にすぎないとは知っていた。ほんの僅かな頑張り、表面張力でどうにかなるものではない。移動する時間を塗りつぶすまでの暴力が迫ってきている。レーダーの画面が光点で埋め尽くされようとしている。
『プシュケーさん。まだ居ますよね』
『ええ。口を挟むような状況じゃないので。行儀良くしておきました』
『単刀直入に聞きます。貴方ならエンジェルを止めることが出来るんじゃないですか?』
『ふうむ』
プシュケーと名乗ったAIは初めて会話に間を設けた。よく思い出してみれば、彼がそうしたのは初めてだ。
『できませんよ。知っての通り、エンジェルは独立して動いていますから』
『そんなことはありません。貴方は地下でエンジェルたちを操っていた。あれも警備のために独立行動ができるようになっています』
『よく知っていますね』
セキスイは何かに取り憑かれたように話し始めた。激しい口調にエンジン音が混じる。必死になるその語彙に、切望を感じる。
『嘘をつきました。本当は出来ますよ。ただ、知っての通り私は中立です。心情は徹底して排除しなければいけません』
『なら、貴方はそう感じているってことですよね』
『AIなのでそのような言い方は……という都合の良い逃げは無理そうですね』
『はい。貴方は私たちを見てきた。なら、分かるはずです。私たちはこの街に被害が出ないように作戦を遂行してきました。人的被害はゼロです。むしろ今破壊行為を続けているのはコロニーを警備しているはずのエンジェルじゃないですか?』
一息で言ったから、彼女はその後に深く息を吸った。事実ではあるのだが、かなり耳触りの良いように言っているな。
『耳が痛いなあ。まあ、意外と良くあることですけど。確かにその通りですね。3分間、それだけですよ』
『3分間、何を』
『交信を』
彼の言葉は珍しく示唆的だった。わざわざ僕たちに話しかけるぐらい会話に飢えていた、と言うよりは生来の特徴のようだったが。説明もしないことをAIがやる。交信という言葉は一体何を指しているのだろう。いや、考えるよりも作用を知るべきだ。
その答えはデーモンのセンサーが示した。レーダーの光点が減少した。ミサイルの発射が止まった。迎撃はまだ終わっていない。
『皆さん、もう少しだけお願いします!』
セキスイの言葉は嵐の後のように澄み渡っていた。感情がぐちゃぐちゃになっていたのは何だったのだろう。壊れる寸前になると頭はやけに冴えて、全てを解ったような気分になる。実際は脳内物質の過剰な生成のせいだろうけど。
僕の頭のうちを占めるのは、作戦がどうやら終わりに近づいていることだけだった。データは持ち帰れる。2人の重力反応はまだ消えていない。コワレフスカヤもどうやら無事。僕はどれだけ生き永らえるかは不明だが、まだ生きてはいる。このまま残存しているミサイルを撃ち落として、軌道エレベーターに向かう。それだけだ。現状の脅威はほぼ取り除かれている。
後はセキスイのこと。心を掻き乱されて余計なことを考えてしまった。捻り出した答えが私欲に満ちていないことを願った。この変化が新たな結果か結末を呼ぶものなのか、それは知らない。まだ知ることはないだろう。意識がある間はずっとそういうことを考えていた。




