5,
「脳内閾値31%……誤作動ではないと?」
「はい。彼は後天的か先天的かは分かりませんが、その傾向が強いです。ニューロン値から情動反応率を見るとそれが分かります。皮肉と言うべきか、我々の思想とは対極に位置しています」
「情動が過度に抑制されている……過敏化とは全くの逆、か。MDMASSパイロットは無事か?」
「胸部を刺突されましたが。現在は完治しています」
「わざわざ試験中のアザエルを出したというのにこの体たらくか。やはり両方とも始末を付けることが自然というものではないのか?」
「いえ、ファインマン科学顧問から幹細胞処理の利用要請が来ています。おそらく……」
「あの男、何を考えている?……まあ良い。私は音楽を作るだけだ」
壁一面に生体データが表示されている。目に優しいライトグリーンで構成された電磁幕は、目脂だらけの僕の目によく映った。
明らかに死にかけの人間のものだった。大量出血と骨折と四肢欠損のパレードが表示されている。タイムラインを見る限り骨折はとうに治っているようだが、輸血と点滴を大量に行わなければ生きてはいけない身体となっている。
だが、死んでいない。
まろびだしたような喜びと、どうやって言い訳すればいいのか分からない気まずさが同居していた。あっちで僕の葬式なんてやってなければいいのだが。僕の生存や死亡を判定するものは今のところ無い。
僕の生体データを会社へフィードバックしているマイクロチップは切り落とされて、今頃瓦礫に埋もれている。その瞬間からデータは切れて、恐らく僕は死んだことになっている。そうなるとこの仕事の給料という問題が浮上する。しかしあの上司のことだから、振り込まれてないだろう。
徒労だ。何が死んでいない、だ。結局僕はこの星で情報を引き出されて死ぬだろう。
仰ぐように天井を見ると、煙が蟠っている。タバコの煙だ。今昔を問わずして、殆どの戦闘行為とセットであるそれは、僕たちの小隊においてマイナーな類に入る。ミランもトラヒコも僕も、タバコをあまり好んでいないのだ。ただ、義父だけは地上でよく喫っていたことを僕は知っていた。
鼻と口にかけて何らかの器具をつけられているせいで、僕はその種類が何だか分からなかった。目線を煙の発生源に向けると、紫煙を燻らせている男と簡素なテーブルに置かれたタバコのパッケージが目に入る。
A.S.A。ターコイズブルーのパッケージはTrappist-1dで栽培された煙草、それの100パーセント無添加無農薬の種類。植民星独特の風味が喫煙者には好かれているようで、人気の品だった。そしてそれなりに高価なために、成金が喫っているイメージが僕にはあった。確か僕たちの上司も縁起物だとか何とか言って喫っていた。
嫌なことを思い出した。男の顔を確認しようとするが、頭を固定されているようで顔を向けることが出来ない。ならばと体を動かそうとする。
右腕。同じく動けない。ベルトか何かが巻きついている。左腕。動けない。半透明の浮き輪のようなものに覆われている。左腕?
「……気分は?」
そう言って男は何かをテーブルに置いた。カタン、という硬質な音からグラスだと分かる。僕が何かを言おうとするのを見て、彼は人工呼吸器を外した。
「最悪ですね」
「おや、普通は”生きてる”とか、”ここは何処だ”とか、”知らない天井だ”とかじゃないのか?」
「あいにく、給料が振り込まれなかったんです」
「それはご愁傷さまだ」そう言って彼はウイスキーグラスを傾けた。
「……ウィスキー飲みながらタバコを吹かして患者を見張る医者がいますか」
「私は職業は医者ではない。なので別に問題はない」
倫理観が消し飛んでいるのか?ベッドの端に寄りかかりながら彼は言った。白衣を着た男はヘビースモーカー特有の青白さはなく、むしろ白人独特の頬の赤らみが見て取れた。ミランほど端正というわけではない、線の細い科学者然とした顔。そういうものに彼はタバコのフィルターを近づけた。
「タバコが気になるか?主流煙と副流煙はこの部屋と私の体内に充満しているナノマシンで完全に除去されている。私はただこの煙草の匂いが好きでね、そのために喫んでいるだけだ。まったく、嫌煙家にも教えてやりたい機構だ。そう思わないか?うちの先端技術らしいが……」ひとしきり話した後、その男は僕をじっと見た。
「おっと、名前を言ってなかったな。私はファインマン。R・P・ファインマンだ。長い付き合い、または短い付き合いになるが宜しく頼むよ」
「はあ」
いろんな事を言おうと思ったが、大体はその言葉に意味を集約させられた。つまりは困惑だ。
ファインマンがベッドの認証装置に指を触れさせると、僕の拘束はすぐに解けた。僕は無用心だと思いながら体の感触を確かめる。怪我をしていない部分は多少の筋肉の衰えはあるものの動かせる。問題はその他だ。
そんなにはっきりと自分の怪我を眺めた訳ではないので、傷口を見たのはそれが初めてだった。無くなった筈の左腕と右脚の付け根たちは浮き輪のようなもの、幹細胞培養プールの中に浸されていた。ピンク色と赤色の筋肉たちが培養液の中に覗いている。骨の形成は終わっていて、あとは筋肉と皮膚だけのようだ。
「君は脚から治ったようだな。専門外だが、普通腕から治らないか?脚より腕のほうが小さいだろう」
「……頭に響くのでやめてもらっていいですか」
「ああ、すまない。その類のことはよく言われるのだがね、どうも直し難い」
ようやく彼が口を閉ざして、タバコに口をつける。まるで赤ちゃんのおしゃぶりだ。口をつけている間だけ黙る。
僕はまだある右腕を駆使して体を起こす。病室らしい、白塗りの無機質な部屋だ。窓の外から景色が見える。コンクリートの残骸があちこちに横たわり、その撤去に重機や作業用デーモンが奔走している。僕たちが破壊したコロニーの最大解像度がそこにあった。
僕と同じように吹き飛ばされた手足や飛び散った血液がそこら中に散らばって、凄惨な光景を築いている。企業間の抗争によって消費されたいのちたちが横たわる場所。そして僕ももうすぐそのひとつになる。
僕はその光景に対して、どう思うこともできなかった。まさか点滴と輸血装置を抱えたまま罪滅ぼしに復興作業に加わることができる訳がない。どうしようもないことを、自分のエゴのために利用しようなんて思えない。
仕事で殺したことは申し訳ないけれど、過去に戻って彼らの死を無かったことになんて出来ない。
「さて、少し振り返るとしよう」
そう言うと、生体データが古いものへと置き換えられる。今の僕よりずっと死にかけの体。そういうものが目の前にあった。
「これが3週間前の君だ。ええと、左上腕骨以降欠損、右大腿骨以降欠損、胸骨体破損、第3~7肋骨破損、それと内外問わずの大量出血。これぐらいかな?いや酷いものだった」
「どうして生きていたんでしょうね」他人事のようにごちる。
「全くだ。うちのMDMASSには硬化式ナノマシンを仕込ませておいたから納得できるが、何で君の方まで生き残ってるんだ?」
「……さあね」僕へ質問を投げかけたAIのことを思い出した。
「それにしても鮮やかな手並だったな。人工衛星監視の僅かな隙をついてここへ着陸、コロニー爆撃後6分42秒でアルクビエレ・ドライブを使って離脱。我々の新型まで撃墜した」
離脱。そうか。彼らは多分、生きている。
とりあえず目的は達成できた。それだけで僕は多少なりともいい気分になった。
「私が作った兵器の弱点を見事に突いてくれた。あれは刀身を形成するのに膨大な電力とグリア粒子を使う。現状は一時的にアウターシールドを無くすしかない……」
「そうでしょう」わざと皮肉っぽく笑う。そんなことしても彼は全く悔しそうではないので、嬉しくはない。
「そのために腕利きを用意したはずだがね。全く、見事なものだよ」彼はウイスキーを口に運んだ。喉が鳴る音。
「本題だ。私たちに雇われないか?」
最初から疑問ではあった。何故僕を生かしたのか。
僕は死にかけていた。一応生きてはいたが、放置すれば勝手に死んでいった。そんな僕をわざわざベッドに寝かせて先端治療を受けさせた。大きな謎だ。僕はただの傭兵であって、情報を持っているという訳でもない。ついでに言うと金もない。あるのは壊れかけのデーモンだけだ。
僕を生かしても全く旨味というものがない。なのにこの会社は僕を生かした。
「さっさと殺すのかと思ってましたけど、何故です?」僕は疑問をそのまま投げかけた。
「そうして欲しいか?」
彼はホルスターから拳銃を取り出した。M1911。200年近く使われている傑作拳銃。それをゆっくりと僕の目の前に持ってくる。
「いつでもできる」彼は引き金に指を這わせた。
僕は笑った。そうすることしか出来ない。いや、しない。ファインマンを殺すのは簡単だが、そうしたとして何になるのだろう。
「……冗談だよ」彼は銃口を下げた。
「そうですか」
「助けた意味がない。君にはまだ殺して貰わなければいけない。腹芸は苦手だから安直にいこう。私兵が欲しいんだ」
なんとなく、それを聞いて話の方向線が掴めた。どうやらすぐには死ねないようだ。
「最近の情勢は大きく動いた。それにこの会社もキナ臭い。当然ながら私はまだ死にたくない。そうとなればボディーガードが必要だろ?そして今、目の前に弱みを握られた、存在し得ない筈の、腕のいい傭兵がいる」
「お褒めに預かりどうも」
「どういたしまして」彼はまた、何の感慨もなさそうに言った。
彼が言ったように、僕は都合のいい存在だ。恐らく僕は”戦死した”と判定されてA&Aの雇用リストから外されている。つけ加えるとすると、戸籍も今頃死亡に塗り替えられているだろう。僕は完全に書類上では存在していない。
僕の生存を証明するのは今のところ僕と、目の前でタバコを喫っている男しかいない。
そして、僕は途方もなく肉体的にも財政的にも弱っている。腕一本と脚一本。それを直すための資金や資源、そういうものを正当に請求されたら返しようも無い。何しろ、貯金にアクセスするための生体端末は左腕ごと吹き飛んだ。
「私に雇われて欲しい。名義は会社になるが、事が起きれば私の指示を最優先してくれ。絶対条件がそれだ。受けてくれるか?」
「別にいいですよ」
「やはり、意外だな。仲間に未練は無いのか?いつか殺すことになるかもしれないのだぞ」
「ありますけど、死んだら会えないでしょう。僕は切り替えが早いんです」
嫌になる程、僕の脳味噌というのは最適解を弾き出す。それは全て妥協と変わらないような現実味を帯びているものだ。まるでデーモンに繋がれているように生き残りへの道を模索するのは誰のためか?
僕のため、または仲間のため。そういうことを考えようとするが、どうも違う。トリチェリの顔、ミランの顔、トラヒコの顔。それらを簡単に思い起こせても、それに対する執着がないようにも思える。まるで病気だ。生存へ向かわせるための理由が見つからないのに、僕は生きようとしている。
彼は無表情を少し崩して、残念そうに顔をしかめた。やや演技らしく見えるのは彼が表情を作り慣れていないせいだろう。ファインマンが僕にあまり興味が無いのは、ある意味で幸運と言えた。僕の青ざめた顔を見られずに済むのだから。
「何てことだ。張り合いが無さすぎる。色々準備した脅しの手段が全てパアだ。君が殺しかけた女の子の写真でも見せようかと思ったのに」
彼は少女の写真をモニターに表示した。浅黒い肌をした、まだ若い女性の写真。肋骨の隙間にナイフで刺した傷があるところを見ると、僕がやったデーモン乗りなのだろう。女だったのか、ぐらいの感想しか出て来ない。
残念ながら、僕はたくさん人を殺してきたせいで良心とかが消え去っていた。数ヶ月前に殺したデーモン乗り、三週間前に殺した海賊とコロニーの人々。そうしなければいけなかったと良心に蓋をするよりも、いっそ無くした方が楽になる事はずっと前から知っていた。
「僕も腹芸は嫌いなんです」
「気が合うじゃないか。だとしたらこういうものに弱いのだろうね」
そう言って彼は書類を僕に見せる。幹細胞培養治療の請求書、病院からの請求書など。概算したところ約24万セル。僕がそんな金など持っていないことを知っているはずなのに、彼はどうしてそんなことができるのだろうか。現実から目を逸らそうと、物理的に視線をずらす。
「まあ、今は君のような職業にとっては稼ぎ時だからそう食い扶持には困らないだろう」
「そりゃ、僕がやったようなことをもう何回かやればですがね」
「……そういえば知らないのか」
「何を?」
「戦争だよ。今、火星と地球は戦争状態にある」
僕が知る限り火星と地球は複雑な関係にあった。それは火星戦争(この場合第一次火星戦争と呼ばなければならないだろうか)に敗北したからでもあったし、もっと根本的な問題も抱えていた。
地球はまだ国家という存在があった時代から浪費に励んでいたせいで、鉱物資源が枯渇しかかっていた。石油が無ければプラスチックは作れないし、金属がなければ建物は作れない。しかも需要は増え続けている。これが本格的に宇宙に進出した理由の一つでもある。人類は人口過密と資源不足を苦に生まれ故郷を去ったのだ。
そして、それは火星が一方的に搾取される形で解決された。強力な資金と発言力を持つ地球の企業たちは一方的に資源を独占し、地球へと流通させた。人口に関しては難民やら貧困者を詰め込んで、意図的に経済的に困窮した国家を作り上げたのだ。
そうしてできたのは二つの星の間の深刻な利害関係だった。地球は資金や技術を火星に渡し、対価として資源を受け取る。火星はその逆だ。火星政府のAIは不等価であるそれを肯定するように造られて、さらに両者の対立は深まっていった。何十年かその関係が続いた後に戦争は勃発した。
だから、第一次火星戦争が起こったのはある意味必然と言えた。問題はそれを起こされて、尚も搾取し続けたことなのだろう。人類が過去の過ちから学ばないのは、これまでの歴史と一緒だ。
僕は第二次火星戦争が起きたことを、まるで不思議に思えなかった。戦争に向かうための条件をこれでもかと詰め込んだ星のことだ。それよりも僕が生きていることの方がよっぽどのように思えた。
「事の始まりはちょうど1ヶ月前。多方面の星系へ小型のマクスウェル搭載型艦船が飛び立った。植民星AIの多くはそれを海賊船と判断、撃墜した。火星政府はこれを意図的な難民の護送船の撃墜と判定、各植民星へ声明を発表後に全ての政府へと宣戦した。で、火星円周上にある自軍以外の設備を襲撃した」
「それにしたって無謀じゃないですか。火星がいくら復興を遂げたといえ、地球とその他大勢を相手にするだなんて」
「戦争なんてそういうものさ。特に半ば民族紛争じみたものは。人の衝動性はどうにもなるまい」
喜劇のように戦争は始まって、多くの悲劇を作る。僕はその一つだ。
それはどうしようもないとして、戦争が起きたということが経済にどのような影響を及ぼすか。当然ながら実際に戦争をする側は途方も無く資源を使う。だが、それ以外の国にとってはそうでは無い。
戦争とは需要が高まるイベントなのだ。軍事資源、例えば弾丸や銃やらは戦争を起こす側にとっては必要なものだし、さらにそれを作る鉄やらの金属も必要になる。要するに、明確な需要ができる。旧国家やのいくつかがそれで発展や復興を遂げたところを見れば、それはすぐに分かる。
傭兵である僕もその需要の一つだ。植民星政府が軍隊を手放してから、第一線で戦う兵士たちは殆ど傭兵になった。経済的な才能に乏しい僕も、仕事を多くこなすとどうなるかぐらいは知っている。
ありがたいことだ。戦闘が多ければ治療費の返済にあてられるし、少なくとも相手取るのは火星の兵士たちだ。A&Aが突然親火にならない限り仲間たちと争うことは無いだろう。
「この会社……エングラム社はTrappist-1dに駐屯していた地球同盟第6惑星軍に合流。医薬品、医療支援を行いながら作戦に随行する。ついでにMDMASS搭乗者は戦闘行動にも従事する。当然ながら、君も」
「そうでしょうね。でもデーモンが無いんだから、僕がやれることはないですよ」
「それならば問題はない」
ファインマンが電磁幕を操作する。するとデーモンの写真がいくつか現れた。ハルファスよりも巨大なスラスターウイングが特徴的だ。戦闘用デーモンには基本的に塗布されている筈のステルス塗料を塗られていないのを見ると、開発中のものに見える。
「君しかいないとは言わない。ただ、君がいたと言っておこう。デーモンだ。元いた会社で開発中止になったものだが、使えるようにしておく」ファインマンは短くなったタバコを灰皿に付けた。
「疲れるだろうが、もっと殺してもらうぞ」