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目覚まし時計  作者: nacare
2:覚醒
47/76

8,

 それから幾つかの部屋を抜けた。追跡の最中には孵卵場と言うべき場所がいくつかあった。と言っても金属製の棺に似た容器が連なっているだけの場所だ。繋がれたコンベアーにはベルトの付いた荷台が備え付けられており、べっとりと液体が付着していた。

 成人した人間があれから出てくるのか。おそらく中には幹細胞培養液が注がれているのだろう。無理矢理に成長させた方が収穫量が増える。

 実際の部分は見ることは無かった。きっと普通の屠殺場と同じように処理する場所があるのだろう。陰惨なことをやる意味もない。ここはジョージの言った通りに秘密基地だ。乱雑に積み上げられた部分が沢山あった。しかしながらそれだけでもない。やけに整えられた部分も存在している。

「ジョージ、もし……」

『いや、いける』

 後方に備え付けられたカメラが彼の歩様を捉えていた。引きずって左脚を動かして、杖がわりに右脚を使った。金曜日の歩き方だ。彼が憂鬱な、またそれ以上のものを抱えているのは明らかだった。

 何か気の利いた事を言うべきだと思った。さりとて意味があるとは思えないが、一応隊長らしくはしておくべきだ。

「まあ、いいさ。僕はそれでも戦った君を信用する」

 完全にそうとは思わないが、ある程度はそうだった。ここに来るまでの散発的な戦闘の間、かろうじて正気を保っていた。そうするしか出来ないが信頼する。転がり落ちていく車輪を止めることは出来ないのだから。もう自己嫌悪をするような年齢だと思っていなかったけれど、いつまでも続いていくものなのか。

 通路が広くなったのはありがたい。もう銃器のストラップや腰の装備品を気にすることはない。冷たい明かりはグレースケールの迷彩を照らした。清潔なラバータイルには血の付いた足跡があった。この会社の最奥部、心臓である場所がここだ。クローンを生産する場所は重要になる。

 他の部分はここと比較すると重要度で劣る。だから破壊されても問題のない、トンネルの迷路のような部分に配置して、出荷するためのエレベーターまでラインを繋ぐ。破壊されれば製造は出来ない。そして目立つ場所に置けば間違いなくまた戦争が始まる。他の場所は無造作なトンネルの何処かで構わない。考えてみれば簡単なことだ。ここを中心にしたために歪な構造になった。

 彼と再び対面したとき、僕はジョージがまた駄目にならないか心配していた。感情抑制を突き破ることはままある。長い銃身が持ち上げられたのを見て安堵した。腕が震えても銃弾は撃てるし、何なら人工筋肉が引っ張ってくれる。頭の中がだめになっていても人間を傷つけられるならいい。それが最低限だ。

 ワックスが照明に照らされて光った。窮屈そうな首元に汗が落ちていった。軽い足音と重い足音たちが止まって、僕たちは再び向き合った。デイヴィッド・ジェイは非常階段の上から僕たちを見下ろしていた。銃弾の数もグレネードもグリア粒子も足りているのに撃つ事が出来ないのはもどかしい。

「デイヴィッド・ジェイ。悪いが拘束させてもらう」

「……さすがだな。腕の良い傭兵を、雇ったみたいじゃないか。ここをよく抜けられた」

「運が良かったんだ」

 事実としてそうだ。ファフロッキーズの射程距離に偶然入らなかったら、ジルがいなかったら、ジョージの症状がもっと酷かったら。相変わらず天運と生き汚なさが働いて僕はまだ生きている。珍しくそれで良いと思った。人が教義に縋り付く理由が分かった。

 見窄らしくなった彼の格好にはよく似合う倉庫だった。金属製の天井は錆びている。グリア粒子が入っているような容器が天井まで積まれていた。大きなエレベーターが壁の中央にあった。どうしてそれから逃げないのだろう。

 見開いた目のまま彼は叫んだ。文字には書き起こせないようなそれが聞こえると、エレベーターのかごが落ちてきた。瓦礫の中で何かが僕たちを見た。デーモンはけたたましい音を立てて僕に伝える。極度の、到底普通の人間が出せない重力反応が現われた。

 巨大なデーモンのようなものがそこに居た。いや、この言葉で形容できたのはそのサイズだけだ。土煙が晴れても皮を剥いだ牛のようなそれが何であるか、僕は分からなかった。

 角張って、それでいて人工筋肉が張り巡らされた怪物。有蹄類のようにカーブを描く4本脚を持ち、頭頂部にのみプレートが敷かれている。全体的なシルエットは蜘蛛と牛を足して割ったもの。筋肉が付いた脚は垂直ではなくやや横へと広がり、昆虫のように屈んでいる。武装が収納されているであろう腹部と背部はやけに四角い。

 隆起を繰り返す肌を見ると、その度に形が変わっているように思ってしまう。蛆が獣を食い潰していく姿を思い出す。もっとも、僕はそのような高級な家畜を見たことはないけれど。

 そいつは頭に取り付けられたカメラを回して辺りを見回した。僕に現われた少しの思考の間に何かが放たれた。

 マイクロミサイル。威力と射程を犠牲にして対応力を手にした兵器。そいつらは突如として線になり、途轍もない速度で僕たちへと迫ってくる。レンズから収束した光が何回か放たれて、それでも迫ってくるものがある。僕は自分から階段を踏み外す。

 グリア粒子が爆発を起こす。グレネードよりも小さな弾頭だと威力もそれなり程度で済むらしい。鉄で出来た階段を半分無くすぐらいだ。きっとデーモンが食らったら溶かされて回収できる部分も無くなってしまう。

『何ですか今の音!?やっぱり交渉決裂したんですか……』

「セキスイ、ドローンを発進させろ。ジル」

 次の言葉を聞く前に通信を切り、攻撃に備える。弾幕の最中に上へと逃げていくデイヴィッドが見えた。誰かのか分からない銃弾が彼の足元を掠めていった。当たった部位は間違いなく消えてしまうので、その方が良い。

 敵はおそらくエンジェルだろう。普通の人間を使ったならあそこまで巨大にする意味はない、そしてそれでもした場合にはミサイルを詰め込むようなスペースは無くなる。地球同盟軍の使っていたものを鹵獲したのだろうか。

 エンジェル。通常のドローンとは違って人体分の重量を軽量化と簡素化に回すのではなく武装に回している。動力は効率の悪いマクスウェル機関を沢山詰め込んで確保する。結果として出来たのは強固なアウターシールドとほぼ全ての距離に対応できる武装を持つ兵器。

 金をかけて製造すれば一定以上の働きは見込めるであろうもの。地球同盟軍が使いそうな兵器だ。ついでに人間も死なないことだし。

 弾幕がまたやってきた。銃弾とレーザーが行き交ってミサイルを迎撃する。一瞬浮き上がったその画は制作資金のない映画に似ている。そして直ぐに捌き切れなくなり、炎の雨となって僕たちへと降りかかってきた。フライトユニットは無い。逃げる場所が無い。

 腿からデバイスを取り出して投げる。霧状にグリア粒子が広がっていく。火の粉が降り掛かり、そして爆発が起きた。簡易通信を送る。センサーが僕を捉えるよりも早く跳躍する。このまま距離を取ってもすり潰されるだけだろう。

『……は?あれに突っ込めってか?!』

「さっさとしろ、このままだと死ぬだけだ」

『ああクソ!』

 ささやかなレーダーの光点が動いた。命令にはすんなり従ってくれてやりやすい。するとエンジェルは背部の筋肉を開き、砲塔を露わにした。恐らくはロイヤル・オードナンスの戦車砲に磁器浮上式加速器を取り付けたもの。まるで躊躇無く、砲口が火を噴いた。

 筋肉が痛む感覚が伝わる。明日は立てているかどうかも怪しい。すぐ後ろに着弾した榴弾はコンクリートを抉っていた。ただそれだけだ。アウターシールドにも損耗は無い。僕は被弾を想定していたが、性能の上昇と軽武装のおかげで目測よりも移動できていた。

 さらに距離を詰めていく。巨大なデーモンと同じだ。強力な武装は持っているが比較的至近距離戦闘に弱い。隊列をきちんと組んでいれば恐ろしいけれど、単体だと取り回しの悪さが目立つように思える。

 フルオートで放たれた銃弾が厚いアウターシールドを削り、薄くした。僕はそれへと突進する。衝撃で結合を解かれたグリア粒子が降り掛かって直ぐに落ちていった。彼我の距離が10mを切ったとき、エンジェルの体が小さく震えた。そして僕の身体が宙に投げ出された。

 あぶくが湧いて何の音かも分からなくなった。脚が捻れたのに。眼前にあったのは足らしき金属の部品だ。恐らくエンジェルが僕を蹴った。情報として渡される痛みを知りながらそう考えた。

 重力偏向で滑らかに着地し、マガジンの残りを吐き出す。アゲナを蹴っていたエンジェルは銃弾をいくつか食らいながらも距離を取った。人工筋肉が軋む。ナノマシンが血のように流れ行く。捻れた脚と潰れた胸を補修していく。なるほど、確かに傭兵なんて要らなくなるわけだ。

『……クソ、だから嫌だったのに』

 セキスイのドローンがアウターシールドの隙間から雪崩れ込んで弾けていく。小柄な体に備え付けられたネット、チェーンのような近接援護用の軽量武装。自爆するドローンの高価な破片たち。そういうものが直ぐに打ち払われていく。僕たちの時間を作るために。

 動物のような突進をどうするか考えていた。距離を取って攻撃するのは切り捨てるべき思考だ。至近距離戦に持ち込めば少なくとも死ぬのは1人だけになる。ようやく以前の僕へと戻ってきて、唇を噛んだ。けがらわしいと思ったはずだ。

「またやるぞ」

 呼吸の真似事が少し整う。足にまとわりついた感覚も流されていく。硬化の終了。立てる。だから問題はない。

 プラスチックの破片の中で蠢いたそれ、風になびくトウモロコシの茎に似た筋肉の群れ。装甲を外したのは間違いだった。援護射撃がまだアウターシールドを減衰させてくれている。僕はまた飛び込んだ。今度は後ろに重力反応はない。

 ナイフを抜いて構える。左腕を前へ、利き手は後ろへ。脚が震えると蹴りが来る。胸部の真ん中へと寸分違わずにきた蹄を今度は受け止めた。プログラミングか何かをAIが補正しているのだろうが、人間を相手には考えていないのか。

 戻そうと跳ねるそれへ、右手に残ったものを突き立てる。エンジェルの脚は液体を噴き出しながら機械的に収縮と膨張を繰り返す。必死になって離さなかった左腕はもうだめだろう。力を抜かせ、僕は跳躍する。着地したのはエンジェルの頭の上だ。

 プレートは光の加減でキラキラ光った。インフレータブル式で出来た安価なものだ。拳を作り、それへと突き立ててた。何回も、何回も。エンジェルが振り落とそうともがく。残りの腕と脚がぎりぎりと出力を上げていく。そして音が硬質なものから柔らかいものへと変わる。中にあったケーブルや半導体の細工たちを壊していくと、エンジェルの様子が変わる。

 行動は変化していない。変わったのは見た目だった。筋肉から足が生え、目が作られる。髪が生えて脳や腸や脂肪になる。真っ白い肌と金色の髪があった。かつて見ていた筈の僕を見る瞳に似ていた。それに繋がる神経が形成されるのも無作為らしく、動くものも動かないものもある。

 何秒か何分なのかも分からない。エクソダスミートがパティの形へと整えられる音。その変身が終わったときには、顔が僕を見つめていた。


 いくつかの腕が僕を掴んだ。筋肉が剥き出しのものが3本、皮膚があるものが4本。地面に打ち下ろされてずいぶん転がったあと、立ち上がってエンジェルだったものを見た。僕は攻撃を警戒していたが、先ほどまでの合理性のある行動からは対照的なことをしている。

『な、何だよあれ……』

「あれが誤作動の原因か。むしろこれでよく動いていた」

『関係ねえ』

 グレネードが大量に放たれる。前面のアウターシールドはもう破られている。スマートランチャーは現役か。曳火射撃によって皮膚が焼かれ、破片によって裂かれていく。うねうねと殖えてケロイド状になる。まるで沢山の人を焼いているようだ。遺伝子情報の上ではそうかもしれない。

 古典的な問題、クローンはそれの元と同じ存在かどうか。僕は間違いなく違っていると思う。僕が知っている人間は、少なくとも映画を見たことがある。無関心に殺せることの理由にもなっていないか。

 爆発は終わる。ジョージが弾倉を変えるまで待つことは出来ない。腕を引きちぎり爪を潰しながらエンジェルが駆け出した。テロームを構え、引き金を下ろす。銃弾はグリア粒子を突き破って肉を貫いた。しかしその動物を止めることは出来ない。

『全員殺してやる。こんな風にした奴らも、これから全員だ』

 銃弾が過ぎていく道の中、僕は前方へと走り出す。激しい損傷が体をブレさせる。どうするべきかはまだ分からないが、とにかく殺さなければいけない。四方八方に放たれたマイクロミサイルを飛び越えて、伸びてきた腕をちぎる。飛んでくる弾頭は容易く人工筋肉を爆ぜさせる。

 肉が蠢いて傷跡が埋まる。銃弾は一定の損傷を与えるが、さして意味がないようだ。頭を潰せば機能は停止するか?僕がそう考えている間にエンジェルは行動を続ける。脚から腕が生えて、人工筋肉が纏わりついて腐ったマストのようになった戦車砲を引き外して振るった。

 咄嗟に空中へと跳ぶ。僕がいた場所を即席の戦鎚が通り過ぎていく。そして眼前には歯があった。どうやってここまで。跳躍でどうにかなるような距離感ではなかったはず。ただ、直ぐに理由は理解できた。エンジェルの脚が1本ない。自分の人工筋肉を引きちぎって投げたのだ。

 形成された脳が僕をエネルギーに変えろと信号を送る。無造作な歯がデーモンを噛み砕こうとして、アウターシールドに阻まれて辺りに飛び散る。何回も、何回も作られては壊されていくエナメル質たち。真っ赤な肉の中で行われる失敗の群れ。僕は何回か発砲したが、傷跡はたちまちに塞がれてしまう。

 この感覚は初めてだ。物理的に破壊して消化されようとしている。惑星そのものになった生命に飛び込んだら、こんなふうに食われるのだろうか。どちらかといえばこの状態の方が危険だ。ミサイルで僕を蒸し焼きにすることだって可能だし、砲塔で潰すことも出来る。

「ドローンを向かわせました」

 ジルのやや単調になった声が聞こえた。4人分の対空防御とドローン制御は相当な負荷がかかるだろう。上空の赤が割れて無機質な天井が見えた。緑色の残光からしてグリア粒子が詰まった自爆式のものを使ったようだ。エンジェルに使った方が良かったように思った。

 やや補修された体が動く。ライフルを抱き抱える。うねる肉を足場にして跳躍する。周りはジャングルのように人体のパーツが張り巡らせている。人間どころかちょっとしたビル程度はある手足が塊になった肉を支えていた。そうやって空中にいたのか。

 もう銃弾もグレネードも意味をなさない。神話の中の出来事、と言うにはいささか教訓も無い。無駄を諭しているように肉は肌を作り、髪を作り、爪を作った。どこからエネルギーが来ているんだ?いや、マクスウェル機関がある限りどういうことだって起きると考えるべきだ。

 やるべきこと、そして出来ることは変わりはしない。エンジェルは肉の樹の中を走り回る。纏わりついた肉から動かない目と鼻が作られて、巨大な顔のように見えた。見た目はともかくとしていくらかの防弾性能も考慮しなければいけない。

 銃火のさなかを逃げ回るデーモンが居る。背部に何もついていないのは僕とアゲナしかいない。直ぐに引き金を下ろすが、エンジェルは樹の影に隠れてしまう。嘲るように何回かそれを繰り返していく。

『隊長、アゲナが喰われた』

 喰われる前に言うのもどうかと思うが、それも数秒の間だけの違和感だ。明らかに彼の動きが精細を欠いている。足先の肉を跳んで避けて、伸びた手が肩を掴んだのを弾く。それだけの動作に3秒程度。延々と追いかけてくる怪物を背にしていると誰でもそうなる。

 無造作に伸びていく器官たちに足を取られたアゲナが転倒する。その隙を逃さずにエンジェルが彼を食べた。獣のようではなく、まるでチョコレートを齧るかのように意地汚く。

「生きてるか」

『……まだ、生きてるよ……早く助けろ……』

『ああ、撃っても撃っても終わりやしねえ』

『なにか気持ち悪いのが出てきてるんですけど!?て、撤退しましょう!』

「しない。敵はたった一体だけだ」

 ドローンが飛んでくる。咄嗟に銃口を向けるが、IFFには緑色の反応。か細いアームには円筒がいくつも抱え込まれていた。僕はそれを受け取った。これで武装はライフルとハンドガン、ナノマシンの筒とナイフ、グレネード。マガジンはあと2つ。

「補足しておくと、もう攻撃型ドローンはありません」

「今助けにいく。ジョージ、ランチャーの準備をしてくれ」

 脚が弓のように緊張して、大きく跳躍する。エンジェルはアゲナを喰らっている。僕をそうしたときとは違って、歯の先端には合金製のパーツがあった。ただの蹴りを致死性の攻撃に変えた蹄だ。あまり保ちはしない。

 生えてくる爪と鼻を砕く。骨が足を掬おうとする。無造作な細胞の変化はさらに速度を増していく。ライフルをラックへ、さらに肌と肉の上を駆けていく。風の音がした。深い鼻息だった。膨らんだ肺を踏みつけたためだ。

「あと18秒間速度を維持できそうなら左上49m地点へと向かってください。射線が通ります」

「前の左か?」

「南側194°です」

 粘膜の中を抜けて、僕はエンジェルを見た。それはもはや人間のパーツで出来ているとは思えないほどのコラージュ作品だった。

 肉がところどころ抉れ、その内側から髪が覗く。歯と腎臓がその先端についていた。かろうじて人間の顔と形容できた目は突き破られて指がぎっしりと生えていた。虚しく水晶体が乱反射した。腹側にある隙間、歯と腕が動き回るプレス機の中にもがくデーモンがいる。

 僕たちはようやく相対した。どこから認識できているのかも分からないが、そいつは少しだけ動きを緩めた。マイクロミサイルを撃つには距離が無い。砲塔を振り回すような隙間は肉によって埋められている。盲目白痴なるそれの行動はなぜか自らに傾き過ぎていたが、ようやく悪魔へと傾いた。

 猛然とエンジェルは突進を開始した。グレネードを投げるべきだ。間違いなくアゲナは死ぬだろうが道連れに出来るだけいい。それで十分なはず。だけど、またそうなってしまうのだろう。結局のところ恐れているのは誰かが怒ることだ。僕には無い何かがこの世界にあって、それによって不条理な罰を貰うこと。

 がぱりと開いた口のような器官。口蓋にはケーブルやフレームが絡まっていた。僕はライフルを素早く抜いて撃つ。サイトを覗く必要もない。顎が衝撃でとどまった隙にグレネードとアゲナを取り替える。

「走れるな」

『何で来たんだよ』

「自分で呼んだんだろ」

 僕は彼の言うことは分からない。それでも行いたいのは、僕が愛してもらったことを理解したいからだ。ようやく何かが噛み合ったような感覚がした。

 手を離して全力で後方へ走る。エンジェルが口を閉じようとしたとき、グリアグレネードが起爆した。音はカットされて静かだった。そして前にはヴォーソーがいた。ナノマシンが構造体を作り上げ背後の天使を見据えている。スマートランチャーが小さな火を吐いた。

『じゃあな、兄弟』

 鈍重な炎が僕たちを照らした。反射した光景は焼かれていく街に似ていて乱雑としている。ジョージは結局戦えていたようだ。赤子の金切り声が爆音と混じり合い、ひどく不快な音をたてる。ああ、そうだろうな。誰だって楽な方法を選ぶものだ。

 足場にしていた肉が萎びた。ありがちな終わり方だった。魔女が倒されるとその魔法だって消えるだろう。それと同じように肉で出来た樹が形を保てなくなっていく。注意して降りる。少しすると僕たちが戦っていたものの全景が見えた。貫かれたり、焼かれたりした肉たちの山。

 ケロイド状になった筋肉や、爆発した破片によって裂かれた目。何となく、これまで見てきたものと似ているのは皮肉だと思った。

『これで終わった、のか……?』

『隊長』

「ああ。ジルがデイヴィッドを拘束している。もう一仕事ある。行くぞ」


 千切れない服。きらきら輝く時計と指輪。結婚はしていないようだ。乱れた髪もワックスでちょっとしたアレンジメントのように見えた。後は軽金属の網が無ければいいのだが。

 セキスイのドローンを放たせたときの最初の標的は彼だった。ジルは指示をしなくとも意図を汲み取ってくれると甘えたけど、うまく事が進んでくれて良かった。

「誰かロープ持ってないか」

『あ、ありますよ。ここに……どうぞ』

「ありがとう」

「助けてくれ。私はここに来るよう命令されて……」

「パレーシアのネットに捕まった人間の言うことは信じないようにしてる」

 セキスイが卑屈に笑った。デイヴィッドはこの状況でも助かる道を模索していた。さすがにデーモン4機に逆らうような気は無いようで、言葉を使うことを選んだ。率直に言ってこういうことが一番面倒臭い。

「さて、いろいろあるけどまずは人工筋肉についてだ。どうやって古い遺伝子を手に入れた」

「い、言えない」

「なぜ?殺されないと分かってるからか?その通りだが、この後の尋問がさらにきつくなるだけだ。言えばちょっとした事実確認で済む」

 僕はラウンケル社がやってきたことを思い出した。中枢神経系を遡って掌握できるナノマシン投与。実験のためには久しく失われた人権を更に潰すことも厭わない場所だ。彼がどうなるか想像もできない。僕にしては極めて穏やかな心配で言ったが、彼にはそう伝わらなかった。

「アルブムが何千の会社と提携していると思ってるんだ!?そんなことをしたら、ネリーのものよりも酷い目に遭うに決まってるじゃないか……」

 その口ぶりからして、何回かこういうことがあったようだ。僕は面倒臭くなった。デイヴィッドの動揺した、しかし純粋な意志を込めた瞳が僕を見た。どうしようもなく生きていたいのにああいう豪遊をして、人を犠牲にするやり方を選んでいるのは不思議だ。

「それはまあどうだっていい。貴方がどうなろうが、僕はどうも思わない。これで話を終わりにしたいのか。もっと……良い方法があるはずだ」

 さして思い浮かばなかった。僕の持つセルも彼にとってはコーヒーを買う小銭と一緒だ。

「変わらないさ。お前たちに言ったらもっと悪いことが起きる」

『……おい、もうヤバいぞ』

「そうか。なら替わろう。デーモンは降りろ」

 ジョージはデーモンから排出された。これまでの無気力な歩き方とは違って大股でずかずかと寄り、彼の顔を思いきり殴りつける。安っぽい縫製の手袋が擦り切れて手が見えた。中指と薬指は途中で切れていた。

「が、あぶ……」

「立てよ、くそ、お前がやってきたことだろうがよ」

 まるで自分がそうされているような声を出して、ジョージは彼を殴る。急所を狙わないのはあまりの怒りで考えられなくなっているからだろうか。これまでのことから想像しても、そうなる程度の怒りはあるだろう。

「死なない程度にしてくれよ」僕はそう言った。聞こえているかどうかは分からなかった。

「ちくしょう、なんでこんなことばかりしやがる。どいつもこいつもドラッグを吸ってお前の兵隊になった。そして何十回でも殺されていくんだ」

「……それが効率的だったからだ、分かるか?ぐふっ……」

「分かってんだよ。でも人間にこんなことをするな」

「じゃあどうしろ、と」

 デイヴィッドの顔が赤く腫れ上がっていくのを見て、僕はもう止めようかと迷った。まだ死に至る段階ではないけど、ナノマシンスプレーにも限りはある。

「ここと同じことをしている会社なんてどこにでもある。火星へ行ったことは?Trappist-1dへは?ケブラー442bにだって製薬会社はある。同じビジネスをして、儲けてそれのどこが悪いんだ。誰だって、どこだってやってることじゃないか……」

「ふざけるなよ。お前がやったことのせいで、俺はまだ戦っているんだ。俺が何回も殺されていった。その死体袋から抜け出したあと、ミサイルがここへ降ってきていたときの気分が分かるか?何もかもお前がやったんだ。お前が作ってきた人間が、人生をめちゃくちゃにされた奴が、俺なんだ。この肉の塊が這い出たのが戻ってきたんだぞ!」

「そうかもな。私の前任者が行ったことだ」

「今もやってんじゃねえか」

「そうでなければ、この街を大きくすることは出来なかったじゃないか。折り合いをつけて、うまくやっていくものだろう」

 いよいよ暴力はチープな合皮の靴先に変わっていく。さすがに問題になると思っていたらアゲナがジョージをはがいじめにした。彼は手足を動かして抵抗したが、やがて疲れて静かになった。顔を見る気にはなれなかった。

『早く止めろよ』

「お前は、死ぬべき人間だ」

 デイヴィッドは力を抜いて笑った。目尻は全く下がっていない。嘲笑とも見えるような、諦めのついた空虚な表情だった。

「そうだな。鎮魂歌の一節としてはそうだろうな。結局私は死ぬ時期を伸ばしただけだ。何もかも無駄だった。どうせ後任も来るだろうし……」

 彼はそれきり、口をつぐんでしまった。僕はアゲナとジョージを見た。また何か言わなければいけないのか。

「こうなると後は後発部隊に任せた方がいいだろう。援軍が来るかも分からない。僕たちの目的は達した。デイヴィッドだけ連れて帰ればそれも証明できる……ジョージ、気は晴れたか」

「……いや。だが、命令だよな」

「申し訳なく思うけど、そうだ」

「……これでアルブムは終わるんだ、それでいいさ。俺が生きてきた意味はそこにあったんだ」

 アゲナが彼を離す。不自然に歩いてデーモンの中に入った。ようやく何もかも終わったのだと思い、安堵した。僕の目的も概ね達成できた。これからこう言う事も増えるだろうが、今回ほど上手くいくだろうか。

『ようやく帰れんのか』

「そうだな。思ったよりも余裕はあったが」

『冗談ですか……?その、あんまり面白くは……』

『隊長は慣れてらっしゃるからなあ』

 冗談ではなく、まだ多少なりとも継戦は出来るということは本当だ。アゲナの揶揄した声からして、それは第二次火星戦争に侵食されたがゆえの言葉なのだろうけど。

 セキスイがデイヴィッドを拾い、ダンボールを運ぶのと同じようにしてやや乱暴に抱えた。彼が逃げようとした先には地上へと繋がるエレベーターがあった。セキスイは少し足を止めて、それに入りづらそうな仕草をした。来るときに僕がやった一件を知ってしまったからだろうか。

 そこで個別の回線が作られた。ジルだ。どうやら仕事を終えたらしい。

「申し訳ありません、時間がかかりました」

「手がかりは手に入れたか?」

「ええ。ドローンでも扱える手足があるというのはいいものです。脱出経路も独自に確保しました」

「ログも消去したな」

「問題なく……考えましたが、貴方にとって重要な事なので先に報告します。予想は当たっていました。私が発見したのはエヴァンジェリスタ・トリチェリ氏が記述したフィルムです」


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