5,
「聞こえてるか、セキスイ。応答を」
『は、はい。聞こえています……」
「よし。AIをアシスタントに送る。ジル、スペルはJILL。来てるか?」
『来ました、はい、あ、な、何か符号とか決めといたほうがいいんですか……?』
『いえ、私が通信を暗号化します。普通の会話で問題ありません。安心して下さい』
『そ、そうなの……本当なんですか?』
「本当だ。そいつが話すこともあるが落ち着いて、こっちの言うことを聞いてくれ。それだけだ」
『わかりました、努力します……え、ははへへ』
襟に付けた小型の通信機からセキスイの笑い声が聞こえる。端々に聞こえるAIのような語彙は彼女がそれなりに勉強してきたことを伝えていた。そして僕のAIはひどくご機嫌だ。
さんざめく恒星の光が顔を焼いた。明るいのは良いけど、ただ暑苦しくなるだけかもしれない。今時ビタミンDくらいどんな食品にも入ってる。オフィスの真白い光に照らされて水死体のように肌を白くさせるのとどちらがマシだろうかと考えていた。
黒い装甲車が僕たちを追い越していった。すれ違いざま、セキスイは申し訳なさそうに会釈した。コンクリートに蒸し焼きにされているので羨ましく思えた。
ネリーが用意した特別な車両だ。任務に役立つ機能が備わっている、らしい。何にせよ金があるというのは素晴らしい。当然それを運転することはかなり重要な仕事なのだけれど、隣にいる男はそれを理解してはいなかった。とんがらせた、どこの部分かも分からない髪が跳ね回る。
「クソ、なんで歩かねえといけないんだよ。あの車に乗ってきゃ良いだろ」
「犯罪組織に会いに行くのに装甲車に乗って行ったら宣戦布告としか思われない。徒歩しかないな」
「車持ってないのかよ、おっさん」
「無いね。俺は空から帰ってきたばかりでな」
「……アンタはどうなんだよ、隊長」
アゲナは極めて苦々しく言った。軍隊のように厳しく統率する必要はないと思う。あくまで雇われで、その上で僕が一時的な指揮を執っているだけだから。それでも一応「隊長」と呼ばせることにしていた。彼もそれぐらいの上下関係を認める賢しさは持ち合わせているようだった。
「家にはある。だけど第4セクターだ。あと僕は25だ」
「マジかよ。ひとつ違いか!?絶対40だろ」
『……え、年下……?隊長も……?』
ニット帽を被った男、ジョージも少し驚いた顔をしていた。なるほど、今度は老け顔になってきたのか。
ぶつくさ言うアゲナを放っておいて、僕たちはメトロに乗った。目的地は中央セクターの西側、ダウンタウンエリアにある。昨日の夜に行ったカラオケがあるような場所。正直に言うと行ったことがないのでその近辺に何があるのか分からない。
僕たちが会いにいくのはアルブム製薬会社。グリーゼに渡った移住者が構成した会社、らしい。歴史はそれなりにありコロニー建設当初から設立されている。最初はどうだったかも分からないが、今のそれを完全に表すなら犯罪組織だ。ドラッグの流通と密輸、幽霊銃の作成、身代金の請求。そして人工筋肉の仕入れ。ギャングの仕事全てを奪っている。
たちの悪いことに、このコロニーでの主要な会社のひとつだ。貧困層はそんなことをしても治安維持をしてくれるなら受け入れる。金がなければ最低限さえも選択できないのが資本主義だ。たとえゾンビだらけのストリートが出来上がっても、そうだ。そんなだから幾らかの制裁を同盟軍から行われても生き残り続けている。
ラウンケル社はアルブムと取引を行なっていた。それ自体はさして珍しいことでもない。後ろめたいことをしていない会社の方が珍しいだろう。もちろん単一の仕入先では無いけれど、死人の遺伝子が発見される確率が高く、なおかつそれを可能であるのがアルブムということだった。
「人工筋肉、か。それの一体どこが重要なんだよ?どうせハエが混ざってたんだろ」
蠅というのは比喩ではない。質の悪い筋肉は大体孤独死した遺体から取られるため、そういうものが混ざっていることがよくある。ちょうどビールを飲み干すにはいい映画に似ている。
アゲナが電車の中で思い出したように訊ねた。僕も一応行く前に説明をした方がいいのではないかと思ったので返した。
「いや。人間の遺伝子しか確認されなかった。人工筋肉は複数人かつ存在し得ない遺伝子情報を混ぜあわせたものだった」
「……わかりやすく言えよ」
「最初はオレンジの品種改良と同じだ。まるでベストな組み合わせを探しているかのように人間の遺伝子を混ぜ合わせて、新しいものを作る。もうひとつの方は存在しない遺伝子を使っているということ。この世から跡形もなく消えた人間のを」
「死んだ人間ってことかよ?」
「そうではあるけど、少し違うな。もう細胞組織を採取できない人間のことだ。トムリンソンという男は8年前に土葬されたが、昨日になってそいつの人工筋肉が見つかった。人工筋肉の寿命は約5年だ」
「3年の間取っておいたんじゃねえのか」
「そうだとしても、なぜそんなことをする理由がある。材料はそこら中に転がってる。そいつらを殺して取ればいい。方法は存在しても、何の為に行っているかが判然としない。それを調査するのが僕たちの役目だ」
「……そもそもブリーフィングでやっただろ、お前」
「……確認だよ、確認」
「不安がないのなら特に覚える必要もない。その理由を知ることも出来るかどうかだ」
僕はネリーからブリーフケースを渡された。大昔のスパイ映画だって持っていないものだ。つまり、アルブムにとってそれほど重要で致命的な物理データがあるということだろう。もし情報が漏れたらどうなるか聞いたら”爆発”とだけ言った。僕たちを雇った意味が少しだけ理解できた。ちょうど犯罪組織が少年少女を使い走りにするのと同じだ。
きっとこれまでと同じように、何かを知ることは出来ないだろう。彼女だってそうしている。だけどそれでもやらなければいけない事だ。
「そうだな、隊長。仕事じゃ変な気を起こさないほうがいい」
「何だよ、クソッタレ。俺はそんなの嫌だね。俺を利用するやつなんざ大嫌いだ。意地でも知ってやるからな」
「……珍しく気が合うな、アゲナ」
いくつかの駅を通り過ぎれば最寄りの駅に着く。駅から降りたら珍妙なグラフィティが壁を埋め尽くしている。誰が誰のために描いているのだろう。中央セクターの西側は明るいが、やけに汚なくなることを知っていた。
「ここは古い街だ。接着剤も剥がれかけだから気をつけろよ」
「詳しいんだな」
「まあな」
僕は出来るだけ他人のことについてあれこれ尋ねるべきでは無いと思っている。果たしてそれが正だったのか邪だったのか。たったひとつ起きたことが重大なのだけれど、それで最小限の被害にとどめていると感じてしまう。何人か報復にあって死んだ人間を知っているし、それなりに仕事を続けられた。
アーウィン・リースのような人間が何処かにいることを考えたら、この疑念が晴らせないことが理解できるだろう。人間全てが時限爆弾だとは言わないけれど、それでもそういうものは存在する。
こんなことを考えたのは、ジョージが怒ったような顔をしていたからだ。
メトロから真っ直ぐに歩くとコーパス地区に出る。爪先にアルミ蒸着フィルムが触れた。甘い香りがした。ビニールで出来た不格好な建物がそこら中に建てられていて、道路にまではみ出している。まるで入植から30日も経っていないような光景だ。その間をバイクやボードが忙しなく駆けていく。
狭い道幅はとても運転するような気分にはさせてくれない。活気に満ちた人間たちが所狭しと歩き回って、路肩を侵食している。僕が想像したのは違うコロニーでの麻薬窟だったが、ここはそうではない。ゾンビになった人間は見かけない。地球同盟軍が居ないのは同じだ。
景色に目を移すと空が広く見えた。ビルやタワーが近くに存在しない。それどころか3階以上あるような建物さえあまりない。円形や曲線を持った建物たちはそういう意匠をこらしたというよりかは、素材のためにそうせざるを得なかったようだ。
駅から歩いていくと、建物はおおむね2つに分類出来るように見えた。白やオレンジ色に彩色されたビニールでできた建物と、デポジッションプリントのコンクリートと合金で出来た建物。
前者はインフレータブル式の住居にそのまま骨組みを入れている。外見は膨らませた風船のような、2世紀ほど前に作られた映画に登場するそれに似ている。要するに植民星に入植した当初の仮住居を改修したものだ。
後者は安価な住居の形式だ。表面に特徴的な斑点が見えることから、プリンターを駆使しているのが分かる。パウダーを固めるレーザーの高熱でそういう物質が生成されてしまう。この形式は安価で高速に作れるけれど、強度がどうやっても出せないので主に仮設で使われる。
コーパス地区はグリーゼを植民地化する為に、最初に使われた区域なのだろう。病原菌に冒されながらコロニーの建設を行う。落ちる所まで落ちた人間しかできなく、そして絶対に必要だった仕事だ。多くの人間が死んで、それでも生き残った人間たちが作った街。そして現在のこの街がどうなっているかは想像に難くはない。アルブム製薬会社が実質的に運営しているのだから。
「それから、不発弾がそこらじゅうに埋まってるんだ。抉れてるとこは踏むな」
「戦争でもあったわけじゃねえだろ。何ビクついてんだよ」
「あったんだよ、戦争が。浄化のためのな」
彼はその言葉を絞り出すように言った。そのあと後悔したような顔をした。ニット帽を強く掴んで引っ張ったので、すぐに表情は見えなくなった。そこで彼が手袋をしている事に気づいた。茶色の毛糸は所々ほつれていた。
誰にでも触れられたくないことはある。だからこそ面倒臭いのだけれど。
深緑色のフィルムが裂かれて、段ボールから水の入った大きなポリタンクが現れる。兵士はナイフを納めてそれを黙々と運び出した。コーパス地区の住民は当たり前のようにタンクを受け取って離れていく。おそらくアルブム社が雇った傭兵なのだろう。
浄化。極めて強い言葉だ。この街を初めて見た僕からすれば理解することは難しい。少なくとも、ここにいる人々は安全そうに見える。袖を引いてくる中毒患者も見えない。僕にその資格は無いのだが、果たしてここを壊そうとするのが良いことだとは思えなかった。
「今日はそういう日なのかよ?気のとち狂ったおっさんたちしか居ねえ。はあ……」
『……へ、へへ……』
アゲナはうんざりしたように言った。気まずい空気に同調したいのか、セキスイも陰気に笑っていた。もう何もかもやめたい気分だけれど、もう転がり始めたのだからしょうがない。バイクの前輪が轍を乗り越えていく。砂埃が舞った。
幸いにも気まずい道程は短かった。ざわざわと降る雨に似た雑踏を越えて、ドーム群の中でもひときわみすぼらしく大きなものが見えた。砂埃で当初の色が分からなくなったビニールのドーム。サラダボウルをひっくり返したような建物だ。
ドームの中央に何かプレートがあるが、汚れていて文字が読めなかった。建物の後ろ手へひっきりなしにトラックが入っていく。これが目的地。アルブム製薬会社の本社だ。
正門に立つデーモンにIDを渡した。目つきの悪い僕の写真は今日撮ったばかりだ。低く唸るような声で何度か通信を行ったあと、ぶっきらぼうに指を入り口へと振った。確認にしてはやけに時間を掛けたな。
通り際にこの辺りには珍しく塀が敷かれていることに気づく。セメント袋で出来たそれの上に鉄条網が設置されていた。防衛には物足りない。歩兵は防げるかもしれないが、ミサイルやデーモンを撃ち込まれたらどうするのだろう。いや、むしろ好都合になるか。
ゲートが不安定に空気を放出しながら開いた。植民星にコロニーが出来る前の建造物という考えは合っているようだ。案内役の男は黙って”ついて来い”とばかりに首を動かした。これは僕でも理解できた。タフさのアピールだ。
建物の中に入るとすぐに独特の臭気が僕たちを襲った。アゲナは強く顔を顰めた。
「なんじゃこりゃ。くせえな」
「……これは、スマートドラッグか」
「あいつら、ここでもやってんのか」
ジョージは辺りに漂う匂いが何であるかすぐに理解しているようだった。僕もその匂いを知っていた。スマートドラッグは形容しがたい甘い匂いがする。他の覚醒剤と違って脳内物質なので、匂いも何もないからだ。
ゴミ捨て場とたまに呼ばれるオフィスでその匂いを知った。普通の薬物よりも依存作用が少なく、それなりに気分が良くなる。使うほど気分が悪くなった覚えもないが、みんなそう言って濫用していたのでそう覚えていた。価格はそれなりにするはずで、ここの住人が日常的に使えるとは思えなかった。
「意外だ。もっと安いやつを使ってるかと」
「アルブムはスマートドラッグを供給してるんだぜ、そりゃどいつもこいつも使えるだろ」
「菓子職人はケーキ食べ放題じゃない」
「……馬鹿って言いたいのかよ!?」
「ジョージ、君は僕とアゲナよりも詳しいようだ。答えを知ってるか」
彼はやや狼狽えながら話しはじめる。
「まあ、今回はアゲナの方が合っていたな。アルブムはスマートドラッグを社員に渡してるんだ」
「へへ、聞いたかよおっさん」
「隊長って呼べ」
子供らしく喜ぶ彼にそうとだけ言った。少しむかつくけれど、僕は思考を続けていた。
おおよその事には理由がある。会社が行うことは特にそうだ。費用対効果が高ければ行ない、そうでなければ行わない。偏執でないといいが、スマートドラッグを社員に支給していることには何らかの意図が存在している。脳内物質の中毒にさせてどうしたいのだろう。
父さんは頑張っていたのだな、と思う。こういうことについて考えが全く回らない。タバコはパカパカ吸っていたけれど、それも換気扇の下だったし。何もかもを捨ててまで薬を使いたい人間の行動は想像することも出来ない。
屋内もおおよそ麻薬会社には似合わない、実務に特化した設備が配置されていた。ただ、それはもう長年の濫用によって汚されていた。実験用のプランターは落書きとタバコの灰で中が見えない。観測機は中身が取り出されてよく分からない道具が突っ込まれている。テーブルには注射器がいくつか放棄されていた。専用の廃棄箱に入れるべきだ。
奇妙なことだ、と僕は思う。犯罪組織とは表現したけれど、それでも組織であるなら最低限に整備するべきだ。ここはモーテルではない。どこかにある工場がその役割を担っているのだろうか。
何階か下って、僕たちは応接室らしき場所に案内された。増設したのだろうか、明らかにこれまでの建物と質感が違う。コンクリートが打ちっぱなしの壁に、ウォールナット風味に改良された樹木で出来たテーブルが重々しく感じられる。けばけばしく灰皿がきらめいた。メッキかどうか疑わないほうが正しいのだろう。
案内人の男は”ボスは仕事中だ。待ってろ”と言って退室した。アポイントメントは取っている筈だ。しかしながら好都合だと思った。少し確かめておくべき事がある。ソファーに座って、出来るだけ小声で通信機に話しかける。
「セキスイ、聞こえるか?」
『えっ!?あ、はい!大丈夫です、どうぞ』
「……何かうるせえな?本当に大丈夫なのかよ」
彼の指摘通りサイレンの音がしたけど、ここでは珍しいことでもないだろうと思って言わなかった。
『ほ、本当ですよアゲナさん。隊長、御用は何ですか?』
「鞘はここまで届くか?」
『ええと、え〜』
『運動エネルギーを計算したところ5m程度が限界のようですね。もちろん貫通する材質にもよりますが』
「間違いなくここには届かないな。それと会談が終わるまでは連絡できない。そっちもマイクは切ってくれ。二人とも通信機をしまえ」
5m。地下一階に届くかどうかという程度だ。戦闘が起きたら生身になるのは間違いない。相手は間違いなくデーモンを使ってくる。僕たちの仕事は人工筋肉についての追求。それはどんなことをしてでも達成しなければならない。そして主に取れる手段は武力だ。
もちろんそうならないようにするのが手腕というものだが、同じくして自分の不出来さも知っている。誰と話しても基本的に上手くいかないのは最近になっても同じだった。
程なくして奥の扉が開いた。ストライプの入ったスーツ、赤いネクタイ。銀色に蠢く時計が袖口に見える。片側だけ伸ばしてヘアワックスで固めた非対称のブロンドヘアー。ジョージの老けた姿を鑑みれば、彼と同い年ぐらいだろうか。明らかに金を持っていそうな人間だった。
そいつはさして申し訳なさそうな顔もせずにソファーに座った。しばらく何も言わない時間が続いたあと、そいつはタバコを取り出して火をつけた。シガーケースに入っていたため銘柄は分からないが、匂いからして恐らく普通のものだろう。
「ふー、すまないね。最近は仕事が立て込んでいて。どうも。私がアルブム製薬CEO、デイヴィッド・ジェイだ」
「私はラウンケル工学社から参りました。第3兵器試験部隊リュラ・トリチェリと申します。何分特殊な状況でして、服装は勘弁下さい」
「構わないよ。急ぎの連絡だなんて、ネリーには珍しいことだ。相当危急のことらしい」
僕の精一杯の敬語を聞いて、アゲナは奇妙に顔を歪ませた。流石に相手が別になれば僕だってそれなりの対応をする。テーブルの上にブリーフケースを置いて回し、デイヴィッドへと渡す。彼が端末をかざすと暗号鍵が送信されて蓋が開いた。
僕たちはその内容について何も知らない。誰もその内容には触れてこなかった。当然のこと、知ればどうなるか分かったものではない。通信ログだって後で提出しなければいけない。追求するそぶりを見せたら解雇で済めば良いだろう。脛に傷もつ身をここまで集めた意味はそれだ。
顔色が変わったのが直ぐに分かった。そう言っても僅かに目を伏せただけで、正面に座った僕以外には分からなかっただろう。ネリーは一体何をそのトランクの中に詰めたのだろうか。
「ま、良いだろう。君たち、ちょっとついて来てくれ。ああ、ガードくんはそのままでいい」
「私たちですか?」
僕は訝しんだ。とはいえ従うしかないだろうことも分かっていた。ふたりに目配せして、従うよう言外に伝えた。
デイヴィッドは来た扉を開けてその中に入っていった。僕たちもそれについて行く。暗い廊下を過ぎて、大型のエレベーターに乗って地下10階まで降っていく。革靴が鉄でできた床に触って音をたてた。
「来た時に思っただろう、やけに汚らしい場所だってね」
「いえ……」
「うん、遠慮しなくていい。と言って太々しくなれる人間はそういないだろうね。ここは数ある拠点のひとつだ。職業柄襲撃が多くてね。いくつかの場所をローテーションしている」
彼が鉄扉を開けると、強烈な光が降りかかって目をしばたたかせた。上を見上げると高い位置に電灯が取り付けられている。天井と壁は滑らかに繋がり、半円状になっているのが分かった。トンネルだ。
「マクスウェル機関を埋め込むために使われていたトンネル。流石に火星ほど大きくはないが、我々には十分だ」
彼は説明を続けた。アリの巣のように張り巡らされたそれは地球同盟軍も立ち入れず、自分たちも安全な場所以外は入らないらしい。かつてあったカタコンベに似ている、とも発言した。
事実として、ここはそのような場所に似ていた。空調や薬物の冷却のために引かれたパイプ、電線と通信ケーブル。そしてそれらを分類するフレーム。正しく工場を形成するパーツたちが通路を狭めている。多分、生産するための機械があればもっと狭苦しくなるだろう。
「さて、本題に入ろう。人工筋肉の生産についてだ」
生産という言葉を彼は使った。最近になって、多くの人々は自分の発した言葉をさして重要視することはないということを知った。簡単に死ぬとか、殺してやるとかを言う。それでも、彼が言った単語には何かの意味があるような気がした。
丁度開けた場所に出た。天井はさらに高くなり、大きなエレベーターが設置されていた。その周りにはコンベアーで繋がれていくつかの台が見えた。ちょうど人が乗れるぐらいの大きさだ。奥にも生産ラインは続いているようだが見えなかった。
材料は無かったが、へばりついた匂いが僕にそれを知らせた。ジョージの手が目の端で震えた。
「ここの上へと材料を運んで加工する。そこはさして問題じゃない。普通の工場だ。君たちはこの先に行くんだろうね。だけど、私はまだ死にたくはない」
デイヴィッドはなんてこと無いように一つの機械に触れた。コンベアーの上に被さっている。運搬されてきたものに何かしらの作業を行うものだろう。そしてボタンを押す。赤いボタンが動くとけたたましいほどの音量でサイレンが響く。
次第にそれは合唱へと変わっていく。連鎖的に警告は響き渡っていき、だんだんと鼓動ごと一緒に連れ出そうとする。トンネルに反響しきった音を背に、彼はエレベーターへと向かっていく。
「な、何やってんだよ!間違ってるぞ!」
「そうだね。あと1分したら警備員が来る。それまでにどうにか出来るかな。期待せず待っておくよ」
アゲナが真っ先に叫んだ。デイヴィッドは全く意には介さず拳銃を取り出した。M18。素早くスライドを動かして真っ黒い銃身を手の甲に向けた。引き金を2回下ろした。響いた破裂音は小さかった。
だらだらと血を流しながらエレベーターに入ろうとする。咄嗟に走りだす。コンベアーを飛び越えて、ケーブルを踏み潰す。踏み締めるコンクリートとゴムの音だけが強調される。しかしながら、距離が開きすぎていた。僕がシャッターの前まで来た時は、彼はすでに上へと向かうボタンを押していた。
彼は痛みに動じてない。アドレナリンの放出もないのに少しも動かさない瞳、そして表情。抑うつ病者のように固まったそれは決意を持った人間のようだ。
銃を抜くべきではない。傷つけてしまえばさらに大変な事になる。詰まるところ、どうしようもない。
「じゃあね。意志に叛いて申し訳ない。そう伝えてくれ」
後にはただ刑罰を待つ僕たちが残っていた。




