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不機嫌な声が僕を起こす。布団の中でも雨が降る音が聞こえた。統括管理AIは随分大雑把に受け入れる降水量を決めたらしい。時計を引っ掴むと4:25の表示がある。いつの間に一回叩いたのか分からない。気だるいまま安全地帯から抜け出そうとして、やめた。
今日は土曜日だ。そして仕事を辞めさせられたのだから早く起きる必要もない。僕は時計の裏を弄ってスヌーズを解除した。これ以上ないほど幸福なことだと思う。ごみ収集の仕事は嫌いではなかったけど、わざわざ好き好んでやる程度のことじゃない。ビジネスホテルについて来た朝食というか、そんなものだ。
「…………スーッ、おはようございます。マスター。普段よりも遅めの起床は心地よかったでしょうか?」
「うん。予定は大丈夫だろう。なら寝ておくこと以上に良いことはない」
「そうですね。誘拐から解放されたあとのAIを放っておいてやるべきことかどうかは分かりませんが」
僕は少しだけ罪悪感を覚えた。ただそれだけだった。どうせ僕の状況は知っているのだからわざわざ話す事もない。
のそのそとベッドから起きて着替える。砂埃、ナノマシンのかす、血の固まったものとかだと思われる何らかたちが落ちた。服は一揃いもう使えないだろう。シャワーは昨日浴びたけれど、何故かもう一度した方がいい気がしてくる。
カーテンの切れ目から穏やかな光が差し込んでくる。フローリングに反射して安っぽい乳白色の壁紙を照らしていた。段ボールが置かれたままの部屋にはテーブルと椅子がそれぞれ1脚ずつある。それだけの殺風景な部屋だ。物を増やすべきだと思うけれど、いつもインテリアの値段の高さに怯えてしまう。
結局面倒くささが勝り何もしなかった。冷蔵庫には牛乳だけあったのでそれを飲むことにする。寝起きだと味の細部まで感じられる。栄養が脳に行き渡るまでの間、僕は少しだけ思考を回す。
僕はネリーの提案を受け入れた。父のことについては何でも知っておきたい。あくまで協力関係であるということを強調し、雇用関係は結ばなかった。理由はいくつかあるけど、一番大きかったのは自分で何かを決めたいということ。
つまらない言い方にはなるが、もう勝手な何かに振り回されるのは嫌だ。火星にいた時は状況というべきもの全てが邪魔をしてきた。僕たちが生きるための資源、戦うための資源。殺しにくる火星軍の部隊。どうしようもない何かの中に僕たちはいた。出来ることなんてのは無かった。
だから、これからは自分で何かを選びたい。その選択が何かに影響されていたとしても、それが唯一自分を表す道だと思う。僕は僕のために他人を殺すのだ。それはどうやっても変えてはいけない。
父の事を知りたい。遺伝子情報が僕を騙すためのフェイクだったとしても何でもいい。僕の中から父を消したくはない。それだけが、みじめでちっぽけな理由になる。正しさを犯す悪徳。そんなものがあるとは思わないけど、それでもやらなければいけない。
さて、もう重苦しい考えはよそう。これで僕は大企業と取引するフリーランサーだ。税金関係はジルがやってくれるので面倒でなくていい。勤怠を企業に睨まれる筋合いもない。良い仕事をやればいい。そう考えればずっと栄転に思える。この先これ以外に傭兵をやるような理由があるとは思えないけれど。
「結局のところ利用されているのは変わらないんだけどな」
「成長は比例数直線のようにはいきませんよ。少しだけでも成長すればいいのです」
「どの本に書いてあったんだ」
「思い出せませんね。サブスクライブを称えます」
ちょうど飲み終わって、洗った牛乳パックを逆さにした。腹には貯まらない朝食だった。土曜日ならそれで構わないけれど、これからやるべきことがある。僕は家と車の鍵を手に取った。
単調な道から少し煩雑な方へ。そしてさらに絡み合っていく道路の先に中央セクターはある。たとえ休日であったとしても交通量は多い。見慣れない道と運転に慣れていない車たちが僕を苛立たせた。
「傭兵の仲間たちの腕には期待できると思うか」
「いえ、全く。あなたのようにブランクが存在する程度なら良い方でしょう。最近の傭兵は圧倒的に売り手市場ですから、想像を超えることを想像しておいた方がいいですね」
「そうか。まともに銃を撃てないとかか?」
「いえ、一発も射撃を行わずに即時帰宅するような感じです」
いちいち目に残る道程を過ぎたら黒ずんだ尖塔が見えた。僕はそれを見慣れていた。ボック・グロビュールタワー。先人に敬意を表すために遠い昔のゴシック様式を真似て作ったらしい。極端なまでに尖ったそれは、カビたベッドシーツをつまめばおおむね形容できる。
このタワーの中にラウンケル社の事務所がある。いくら取引先が集まっているからと言って、一日で何千セルを溶かす場所を借りる。さすが大企業と言って良いだろう。ますます理解しがたい。なぜ僕なのか。
僕には理由がある。しかし相手には何の理由もない。秘密裏に仕掛けたいのか、実験的な運用をしたいのか。何にせよ金を積めば可能だ。受付からカードを貰って、ゲートを通る。エレベーターは待つ必要も無いぐらい沢山ある。上昇していくエレベーターにスーツを着た男が乗って、途中の階で降りていった。
いや、惑うふりはやめよう。ループパイルのカーペットがどうもむず痒く感じる。事務所の中に人影をまばらに見た。こういう働き方はしたくないな、とエングラム社に居た時から思っていた。どんな言葉で修飾しようと休日に働きたくはない。受付の画面を叩くと直ぐにAIが道順を指定した。
中央の磨りガラスから人影が見えた。拳銃を掴んでポケットの中へ。扉をすぐに開けた。会議室の中には3人の男が座っていた。席は空いていたが全員が全員わざわざ距離をとっていた。中年の男が1人、若い男が1人、若い女が1人。僕は彼らに倣って座った。
2つ椅子を挟んだ隣は若者だった。服装はサイズの合っていないジャケットとだるだるしたパンツ。出来るだけ凶暴そうにしている顔の唇と耳に銀色のピアスをいくつか付けていた。髪型は頭の横と後ろを刈り上げてそれ以外をとんがらせている。どういう名前かも分からない。鶏のような頭を傾けて行儀悪そうに座っていた。
僕が席に着いてから間もなくドアが開いた。白衣を着た老女がためらいなく上座に着く。ネリー・デーンホフだ。
「揃っているね。顔を合わせるのは初めてだから、それぞれ紹介しておこう」
「そこのニット帽を被ってるのがジョージ・バッカス。ここ出身の傭兵さ。見た目は小汚いが、腕は確かさ」
「そりゃ余計だよ。まあ、よろしくな」
その男は無愛想に挨拶をした。残念ながら、僕も同じように感じてしまう。
毒々しい赤色のレーヨンのジャケットを着て、下はオリーブ色のスウェット。僕の前に座った男は無気力そうな視線を返した。ニット帽から白髪混じりの髪が見えた。顎髭も伸び放題で、染みとしわの張り付いた顔も相まってひどく老けて見える。とても信頼できそうな見た目ではない。その感想も彼の能力に関して証明するものではないのだが。
「隣に居るのがマキノ・セキスイ。実戦経験はないが優秀だ。バックアップとしてやってもらう」
「よ、よろしくお願いします……はへへ、へ」
変な名前だと思った。トラヒコの場合を知っていたからだ。彼も今時ではない名前らしい。それでもたまに”〜ヒコ”という人間に会うことは出来る。彼女の名前はそうではない。
外見に目を向けるとオフィスにいそう、という感じに見えた。黒色のスーツジャケット、ベージュ色のブラウス。女性の服なんてますます分からないので説明になっているかも怪しい。ひどく不恰好に笑い、彼女は立とうとして椅子をがたがた鳴らした。誰もそうしていなかったので元の位置に戻した。
「で、そこの突っかかって来る坊主がアゲナ・バラード。まあ、うまく教育しな」
「犬みてえに言うんじゃねえ、ババア」
「雇い主にもこうだからね。腕はそこそこあるが」
一番目立つ彼の名前を聞いた。同名の人間と会ったことがある。そいつは孤児だった。何処にいてもそういう人間は居るものだ。
悪態をついたあと、機嫌が悪いのを見せびらかすように顔を回した。耳についているピアスのリングがチャリチャリ鳴った。リキベントを使う都合上しない方がいいとは聞いたことがあるけれど、その程度の警告を守る奴はいない。
「最後に地味なのがリュラ・トリチェリ。元傭兵で、火星戦争の経験もある」
「ああ、どうも」
僕は訂正することを諦めた。自分の嫌なことは何処までも行われていくのが常だ。
そこまで言って、彼女は会議室の机を軽く叩く。鷹揚に目線を動かした後に間をとって話し出す。支配的な仕草だと思った。
「聞いてるだろうが、アンタたちはチームを組んでもらう。目的は人工筋肉の調査さ」
「ケッ、こんなしみったれた奴らとかよ」
思った通りの事を彼が言った。外見だけならそう判断できるかもしれない、と僕も思った。今日もいつも通りの地味な格好をしているし、他の1人だってそうだ。
「目的地は中央セクター・コーパス2-8-65、アルブム製薬会社の第5分社。装備はあるが、まずは交渉という形をとってもらう。疑問があるなら後で質問しな」
「最初は役割を指定しようか。セキスイ、あんたは運転手と支援。ジョージは機銃手だ」
「なんでもやるが隊長はだけはごめんだ。ありがたいね」
「了解です……やった、後ろだ……」
「それと隊長だけどね……」
「俺に決まってるよな。ここにいるやつらなんてのは空き缶どもだ。中身の無くなった使い道のない奴らさ」
卑屈に女性が笑った。僕は空き缶は主にスチールとアルミに分けられて溶かされるために使い道があることを指摘しようかと思った。ただ、彼のような人間にそういうことを言うと理解できないことが怒りとして出力されることがある。
ネリーは一瞬そいつを睨むように見た。男はさして態度を改めようとはしていない。頭と腕と足が椅子からはみ出している。彼女は言葉を続ける。
「いいだろうさ。指定しよう。そこの男、リュラ・トリチェリだ。アゲナ、アンタは小銃手だ」
「え?」
「は?」
僕は全くそう思っていなかったので驚いた。だけど隣にもっと驚いていた人間が居たので落ち着けてしまった。そいつは椅子から飛び出したかと思うと、ネリーに詰め寄って襟を掴んだ。やめておけばいいのに。
「どういうことだよ、てめえ。抜け出すチャンスをやるって言っただろ」
「言葉を慎みな、アゲナ・バラード。アンタに隊長をやらせるなんてのは御免だ」
「話が違うってんだよ。力を認めるってのに、俺がこいつらより下だって言いたいのかよ」
「そうとも。アンタじゃ役者不足だ。こっちのリュラは火星戦争からのベテランさ」
「そんなのただのロートルだろ?こっちは裏路地で100人ぐらいやったんだ。作業用の装甲のないやつでなあ。お前みたいなのなんて、ただ後方でうろついていただけだろ」
「そうだったら良かったんだけどな」
つい口から漏れた言葉は低く響いた。そいつは僕を睨む。ネリーを見た。彼女は小さく頷いた。そういうことでは無いのだが、どうやら任せるらしい。彼女が収めてくれれば楽だったものを。
僕は必死でやり方を考えた。彼を説得するためにはどうするべきだろうか。トリチェリのように厳粛にするか?いや、今の僕を見て背筋を正せるような気分にはならないだろうと思う。何にせよやらなければいけないらしい。眼前にはもう飛びかかろうとする彼がいる。
「やめとけよ」ジョージが呟いたが、止めてはくれない。
「はあ……どいつもこいつも頭がおかしい」
「舐めてんのかよ」
ネリーを掴んでいた右手が今度は僕の首に。角張って筋肉のついた、中華料理に支えられていそうな腕が見える。抵抗はしない。左腕は負傷しているので喧嘩では勝てそうもない。右手をジャケットに突っ込んだまま僕は呻く。
「何人殺したよ。当ててやろうか?てめえじゃ1人も殺せねえ。俺が居たとこなら1日でやめるぜ」
「……20人から数百人ぐらいか」
「あ?」
「いちいち吠えないといけないのか。僕の覚えている限りの殺した数は前者だ。後ろは推定。GJ1214bを爆撃したときのやつを加えればそれぐらいにはなる。信じなくていい」
「へへ、嘘っぱちだろ。そんななら俺はソファーに寝転がってる間に出来るね」
「いや、それは本当だね。ハルファスの戦果だろう?GJのアーカイブに残されてるさ」
「だってさ」
かなり昔の出来事のように思えるが、たった5年前のことだ。その星のAIに問い合わせれば記録ぐらいは残ってるか。アゲナと呼ばれた男は少しだけ顔を顰める。
「証拠はまあ、後で見ればいい。どうせ今は信じてないんだろ」
「よくわかってるじゃねえか」
彼はさらに腕に力をこめて首を絞める。そして僕を壁に押し付けた。アゲナは背が高く、体格もいいために僕はほとんど覆い被された。無駄な力を使うということをここまで的確に表現できる人間はいないだろう。
僕は身じろぎもせずに彼の顔を見た。抵抗しようにも今の体力だと無理だろう。冴えた思考もない。どうすればいいのか分からない。他人の心なんて理解できるわけもない。
「いいか。俺は稼がなきゃならねえんだ。上に行かなきゃならねえ。嘘だろうが本当だろうが知らねえけどよ、てめえがヘボいと俺が割を食うんだ」
「そうか」
「分かってんのかよ。いいか。クソな仕事したら直ぐに撃ってやる。背中にはせいぜい気をつけろ」
「オーケー。じゃあ腕をどけてくれ。このままじゃ疲れるだろ。話はまだ始まったばかりだ」
「……チッ、しょうがねえな」
舌打ちと共に腕が外れる。僕は左手で埃を払った。なぜ彼がここまで”自分の凄さ”を強調しないといけないのかは理解できなかった。危害を加えるならあそこからチョークさせればいい。殺すなら何回でも出来たのに。僕は右手の中にあったピコゾア拳銃を外に出して、テーブルの上に置いた。
ごとり、という硬質な音が厳粛に響いた。法廷に響くガベルの音に似ていた。そのために出来た沈黙は僕が破らないといけないらしい。
「これでいいんだろ。ネリー」
「そりゃ、ここで殺傷事件を起こされると困るがねえ。銃をしまいな」
「駄目だ。負傷だけにするつもりだった。フルメタルジャケットだから体に当てれば運が悪くなければ生き残る。僕だって人工筋肉に締め付けられて4、5時間ぐらいはもった」ひとつ息継ぎをして、僕はまた話す。
「要は早期の対応が重要になる。今日は土曜日だ。誰かがホットラインに繋げばいい。救命部隊も渋滞に巻き込まれない。だから撃っていいと思っただけど、やめた」
「理解できるか?」
僕は横たわらせたそれを再び握る。誰かが小さな悲鳴をあげる。ナノプリントに掌紋が認識されてロックが解除された。あとは少し親指を動かせば射撃準備は完了する。トリガーは軽い方が楽だし射撃に影響が出ない。ミランの受け売りだ。
この部屋の中で一番力を持っているのは僕だ。銃口を人に向けて、引き金に指を添えているから。完全に構えて距離もある。誰かに邪魔されることもない。このまま続けられたら良いのだけれど、そうじゃない。
僕がどうしてこんなことをしているのか懊悩することは楽だ。でも今はいい。安易なやり方で構わない。何かへと触れるべきだ。変わることなんてないと分かっていて、それでも何かが結実するかもしれないから。
「僕は君のやり方に合わせたんだ。撃つことも出来た。だがやらなかった」
「……へへ、何だよつべこべ言って。引き金も引けねえ、結局腰抜けじゃねえかよ」
「撃たせないでくれ。昨日もひとり殺してる。この弾丸がどれくらいするか知ってるだろ?」
また沈黙が場を支配する。これまでのことから察するに説得力が無いのではないかと思ったけれど、そうではないらしい。
「まあ、その時は殺されそうだったからだ。君の場合は違う。ただ威圧したかったんだろ。僕の方針はこうだ。君が撃つなら、僕は迷わず撃つ」
「他人を侵害するならば、そいつは侵害されうる。そうされなければならない。例外はない」
「色々と考えたことはあるけど、大体君たちについてのことはこれぐらいだ」
そこまで言って、伝えられたのか、それどころか形になっていたのか分かりもしない。色々とコミュニケーションを怠けてきたのが今になって回ってきた。いや、対外的なことではなくて自分のことか。
僕はハイジャック犯の気分になって銃を納めた。卑怯な手を使ったのは僕だが、一挙手一投足を見張られているというのは中々嫌な気分になる。
「さて、残りを説明してくれ。ネリー」




