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目覚まし時計  作者: nacare
2:覚醒
40/76

1,

 太陽が登っても暗い。どんなに高いビルディングでも根本は鼠色になる。それ自身が作った影が覆って、みすぼらしいそれをさらに惨めにさせた。鼻につくすえた匂いを想像する。どんなものだって不必要なものを排泄しなければいけないと僕は知っていた。

 見る事のない、見る必要のない場所というのは何処でもそうだ。スパンコールのような新設計のナノガラスを使おうと、ネオモダニズムの洒落たデザインを使おうと。僕のいる地点に降りて来れば全てが同じになる。綺麗なものだっていつかはここへと降りてくる。落ち葉の下に隠れた虫の死骸を想像してみればいい。僕たちはそれを分解するさらに小さい蟲だ。

 滑るプラスチックのレバーを引く。合金製のアームに巻き付いた人工筋肉がうねる。どこかの知らない筋肉自慢の遺伝子が唸りをあげる。もしかしたら、と思ってすぐにその考えを取り下げた。僕が最後に生の筋肉を売ったのは5年前のことだからだ。

 個性的な叫び声をあげて青く巨大なゴミ箱が持ち上がる。満杯に詰まったゴミ袋が開け口から覗いた。透明なものはきっと上層のものだろう。カップ麺の容器、歯ブラシ、エナジードリンクの空き缶、ひと口だけ齧られたサンドイッチ、カミソリ、カフェイン錠剤のPTPシート、スマートドラッグの吸入器、ストッキング、液体のついた紙コップ、チョコレートの包み紙。身を削っていく日々はどこも同じだな、と思う。僕の上司もあのようなものを排泄しながら生きている。

 僕は違う。それなりに生活に気を使えて生きている。趣味は無いけれど、北欧家具を磨くような暮らしではないのは確かだった。僕という存在から銃器と悪魔が抜け落ちて何かが違ってくるかもと想像したけれど、結局は何も変わらなかった。

 アームがゴミ箱を傾けて、収集車の上部でそれを撒く。がたがたゴミがぶつかる音が車内に響く。数秒も経つとコンパクタに圧縮され、それは後ろのコンテナに詰め込まれた。あと18回か。時計の数字は5:19。あまり見すぎると時間が経たないように感じてしまう。ちょうどそれが話し始めた。

「マスター、回収ルートに変更がありました」

「またか。W-3の右側が交通規制で?」

「いいえ、道路ごと通行止めです。連日の補修も間に合わなかったようですね」

「じゃあクリスタルパレスは最後になる。ルートを見せてくれ」

 自然な女性の声が出て、時計から光束が放される。フロントガラスに投影されたそれを見て顔を顰めた。グリーゼ581d中央セクターと第3セクターをつなぐ道路を通らなければいけない。回収時刻は今日もギリギリか。

 収集車を発進させる。太いタイヤが鈍重な車体を蹴り上げて推進させていく特異な感覚。AIに任せたいけれど、このおんぼろにはそんなスペックはない。最初のうちは何回ぶつけそうになったか覚えていない。それでも続けていれば上手くなれた。

 灰色のコンクリートに黄色い車体が乗る。太陽役の恒星は低い場所から薄目で僕たちを見た。薄明の空には天使が悠々と飛ぶ。見たままの時間、朝だ。火星時間から計算する必要が無くなったのは地上での仕事の利点だと思う。それ以外の利点は特にない。

 収集車と同じような大きさをしたトラックや乗用車が陸橋の向こうまで並んでいる。通勤時間ではないだけマシだろうか。のろのろと動くそれが作った車間に入り込んでハザードを焚いた。ドミノの一駒になったようだ。アクセルを少し踏み込み続ければ、指で押すのと同じになるだろう。そんな想像をしてしまう程度にはうんざりできる。

 僕の仕事はこれを続けること、要はゴミ収集だ。

 生き甲斐は無いけど、やるべき事だとは思う。年収は落ちた。モチベーションも無いのに薄ぼんやりとした使命感と惰性で僕は続けている。仕事なんてのはそういうものだろう。

「前方14kmに渡り車列が続いています。通過時間を計算すると30分です」

「いつも通りか」

 3本の道路を車がずるずると進んでいく。完全にブレーキを踏むようなものではなく、普段よりかは遅い程度で。車たちの間をスクーターとボードが飛ばしてすり抜けていく。朝の憂鬱な気分をさらに飾り立てていく日常の景色をぼんやりと見ていた。

 きっと誰かがアクセルを緩めたか、合流が下手な奴がいたか。単純な原因はそういうものだけど、根本的には交通量が過剰なせいだ。ベッドと資源のあるセクターから中央へと向かう道はどう考えても混む。最近また人口が増えてきているし。だけどまだ致命的な問題にはなっていないからAIは見逃している。人間でもそうするだろうな。

 30分きっかり過ぎて、僕は次の回収地点まで着く。後はさっきと同じでボタンを押せばいい。もし溢れていたりしたら降りなければいけないのは億劫だ。幸いながら今回はそうではない。そうしてまた振動を味わっていると通信が入った。

「6番車、次の場所は回収しなくていい」

「了解。また解約ですか」

「そんなものだよ。ルートはさっき送った。もうすぐ変わるはずだ」

 上司の声が聞こえてくる。HUDにはまだ変わりはない。普通の無線通信なので時間がかかる。きっともう少し価値の高い星にいる持ち主が業者を切り替えたのだろう。最近はこういうのが増えてきた。恐らくは火星からの移民が増えてきたからだ。

 アームが収納されてから新しいルートに切り替わった。後は中央セクターのみ、電車が多くなって交通量は減る。それでも最大限急がなければ間に合わないように計算されている。人に投資しているふりをするくせ、やけに下の人間に期待するばかりだな。

 再びアクセルを踏んで、やや見知った道を走る。生きるということをだらだらと出来てしまった。それが今の僕だった。


 僕が今いる会社はゴミ回収を業務に請け負っている、管理AIに認定された回収業者のひとつだ。いわゆる公共事業だけれど、本当のそれとは少し異なっている。まずエッセンシャルワークを請け負うにはAIに業務データとプロセスを開示しなければいけない。廃棄物に汚染はないか、排出される二酸化炭素は適正か。古すぎる機械を使っていても弾かれるらしい。あのトラックは良いのか。

 そうして基準を満たした会社のみが業務を行える。もちろん品質を維持できなければ即時にライセンスを剥奪される。僕たちの他にも上下水道、電気とガスもそうした過程を経てなければいけない。これも埃のついた宇宙条約に則るためらしい。

 まあ、結局の所AI相手だからいくらでもやりようはある。古典的にやるなら画像データにノイズを含ませて誤認させるだとか、カメラを持ち込ませるにしてもリアルタイムに描画するソフトウェアなんてのはいくらでもある。無論完全に違法だが取り締まれていない。3日経てば誰かがコードを書いてしまうのだから捕まえようがない。

 僕たちをこの頃悩ませるものといったら、それだ。火星から来た移民がそういう行為を行なっている。

 第二次火星戦争によって火星は完全に地球同盟の管理下に置かれた。火星軍は完全に解体されて地球同盟軍が駐屯、政治的介入を続けている。通常AIだけを置いて自由な経済活動を標榜しているのでかなり異例な措置と言える。(もっとも、地球の経済規模を見るとそれが支配ではないとは言い切れない)

 火星戦争の末期の話をしよう。僕が昏睡していた間のことだ。最後の会戦で敗北して制宙権を失った火星軍へと爆撃が行われた。首都アルギュレへと完璧に計算されたスマートボム3418発が降り注いで居住地と軌道エレベーター以外の全てを破壊した。

 それが絵本の最後のページ。そして残った余白の中に僕たちは居る。後書きや奥付でもない、不必要に落とされたインクの滲みが僕たちの生なのだろう。どんなことがあっても生きなければならない、生きていけてしまうことが痼疾とするならそうだ。

 火星軍はかなり無理をしていた。戦争には人的資源が必要だ。今みたいに戦場がドローンとミサイルで溢れかえっても普遍的に歩兵は必要になる。当然のこと、自分の何倍もの規模を持った星々を相手取るのだから通常のやり方ではいけない。

 コロニーから成人、それと中高生を徴兵して兵士にしていた。それは戦争をする以上ままあることとして、その本拠が破壊されてしまえばどうなるか。曲がりなりにも軍隊は雇用と需要を生み出していた。そして職を失いあぶれた人間たちは火星を離れることを選んだ。

 地球同盟の経済制裁は記憶に新しい。実際には金融秩序の安定化のための関与とした方が適切だとは思うけれど、それでも住む人間にとってはそうでしかない。財産の差し押さえや凍結をして、貿易も制限する。今回もそうして経済活動が行えるようにするまで管理するのが地球同盟の判断だった。

 火星の元地球同盟軍(つまり僕たちが戦った火星軍)を解体して、地球から選りすぐりの司令官を連れてくる。そして天使たちを中心にした新しい統治体制を作った。それが5年前のことだ。

 その結果として、良い条件の働き口を求めた移民が他の星へとやってきている。最初の1、2年はあまり多数ではなく弾かれていたが、最近になるとそれも難しいほど増えてきた。そのやり方もちょっとした犯罪組織に頼んだりとかして、密航をして他の星へと渡るというもの。僕が殺した火星戦争の名目たちほど体裁も整っていない、お粗末なものだ。

 もしかしたら何かの陰謀が渦巻いているのではないかと思う。陳腐な妄想をしてしまうぐらいには彼らは殖えていた。安い仕事を違法なやり方で行なって利益を稼ぎ、そして今も地球同盟への憎悪を激らせている。床下でシロアリが増えていくのを眺めているような気分だ。

 地球同盟がこれまでやってきたことの揺り戻し、と言えば良いのか。軍隊への比重が重かったため、そして不必要に貧乏にさせた結果だ。資本主義は誰かが負けないといけないゲームだから。そして本来救うべきだった国家はもう存在しえない。誰かを徹底的に負けさせた結果が今の世界だ。

 それはそれとして、僕たちが一定の暮らしを享受できているのも資本主義のおかげだ。僕はそんな世界にいる。


 仕事はほぼ午前中に終わる。生活ゴミを回収し終われば後は突発的な仕事が入るまで事務所で待機していればいい。それも産業廃棄物とかだから、車を乗り換えて工場に向かえばいい。ひとつ回収して、特定の施設まで運ぶだけですぐ終わる。

 イレギュラーが少ないということはとてもいい。もちろんたまには起きる。収集車ひとつで足りると言っていたのに、それよりもずっと大量のごみが置かれていた時とか。轢いてやろうかと思った。トタン屋根の工場の、さらに見窄らしい廃棄場と処理場を何回も往復して片付けた。

 それでも傭兵時代よりかはずっとマシだ。僕はあの時代を腐したくはない。単純に仕事として傭兵というものは最悪の部類に入るものだと分かったんだ。命の危険と無限に入ってくる不意の仕事をこなして、年収は今の1.5倍くらいしか変わらない。

 仕事ってのは命の危険だとかが遠くにあって、安定しているものの方がいい。それが正解だと分かっていても、実際に経験するまでは納得しないものだ。僕の今まで全てに言えることだと思った。

 あの時に僕を繋いでいたのは状況と友達しかなかったんだ。もうその全ては無くなった。

 まだ日の高い午後を乗用車がいく。ガードナー。中古で安かったセダン。コーヒーかそれに近しい液体の染みがあるからと買い叩かれていた。僕が内装を見た時にはそういうものは見つからなかった。その代わりにきついオキシドールの匂いがした。

 どうでもいいことだと思った。信号待ちでダッシュボードの上に置かれた時計を見た。15:18。ゴミ収集は朝早い代わりに終わるのも早い。彼女が話すそれは時計と言うよりかは通信機のように感じられる。実際持ち歩くにはやや大きく、目覚まし時計に似ている。

 ぼうっとしたまま運転を続けた。まだ白い光が体にかかって暑苦しい。クーラーをつけるのを忘れていた。ぺたぺたしたスイッチを捻った。家までの間で思い起こせたのはそれぐらいしか無かった。

 鍵をドアに差し込んで開けた。少し歩いて時計をデスクに置いた。制服を脱いで洗濯機に入れる。洗剤を入れてすぐに洗濯ボタンを押す。柔軟剤入りのを買っている。よく分からないが良さそうだったから。ノブを捻ってコンロに火をつけた。青い炎がステンレスポットに映って歪んだ。

 蓋がカタカタ鳴るぐらいが丁度いい。熱すぎると飲めやしない。粉末をカップに入れて湯を注ぎ入れる。シアン色のプラスチックの中で黒い液体ができあがる。宇宙のような清らかな色ではない。泡に白色と茶色が混じり合って、どことなく洗剤が混じり合った側溝のなかのように思えた。

 ほんの少し啜るようにして飲んだ。いつもの味だ。アラビカ豆の繊細さはどこへ行ったのか、と思うほどの苦味しかない。エクソダス品種のインスタントコーヒー。ほんの1セルほど出せばもう少しましなのを飲めるのに。そう、これを選んだのは僕なのだから。

 部屋の電気をつけてオフィスチェアに座った。カップがデスクに触れると小さな音を立てた。ラップトップを開くと動画のプレイヤーが開かれていた。オンデマンド方式の通信教育。今は雇われでも、何らかの勉強をして資格を取得すればもっとくらしは良くなるだろうなと思ったからだ。

 特定廃棄物収集運搬免許を取れば待遇が上がるし、仕事の幅も増える。火星の奴らみたいにすればそういうものも飛ばしていけるけれど、そういう気にはなれない。さんざこれまでこす狡く生きてきて、高潔になりたがるのは不思議だ。

 でも、どうせそんなことをする理由なんてない。金曜日にわざわざ苦しむ必要もないと動画を閉じた。ちょっとした良い未来のために今を犠牲にする。合理的な判断というならそうだろう。むしろ昆虫だってそうするかもしれない。ただ生きていくための行動をする。

 メールを見た。目的の時間まではまだ有る。映画の一つぐらいは見てもいいかもしれない。ヘッドホンを着けると指が濡れた。

 そういえば、と思った。髪を乾かすのを忘れていた。以前にケアをしなければ禿げやすくなると知った。専門家による論拠も何も無かったけれど、そうするのは気持ちがいい。それから意味もなく習慣づけている。

 洗面台の前に立つ。歯磨き粉で出来た白い斑点が空中に付いている。目の前に居る人物は本当に僕なのかと思う。朝髭を剃るたびに、夕方に髪を乾かすたびに。凹凸の無かった顔から脂肪が落ちて、頬骨が浮き出ている。まあバドワイザーを断られることは無くなった。

 ドライヤーの風が前髪を浮かす。鼻が思ったよりも長いことに気がついたのも最近だ。もしかしたら火星戦争の時に医者が間違ったのかもしれない。ともかく僕の顔は変わったように思える。モンゴロイド、ネグロイド的な顔立ちにコーカソイド的な特徴が加わってぼやけた印象を与える。

 典型的な火星の人間だ。貧民たちが世代を重ねた結果として人種が混ざりあい、特徴のない顔立ちになる。古典的なリベラリストからすれば理想的なことだろう。実際の所は人種問題がそのまま経済的格差にシフトしただけなのだけど。

 ただのリュラ。もうそれだけでは居られなくなったんだ。僕は火星で生まれた人間で、元傭兵で、今はゴミ収集業者。そうでしかない。アイデンティティを求めずに僕を肯定してくれる人々は居なくなった。

 引き金を下ろして銃弾が放たれる感覚、痛みがただ肌に触られたようになる感覚。無線から聞こえてくる声を聞いて、レーダーの交点を頼りにして敵を見つける。暗黒の中に小さな爆発がおこる。

 僕は想像する。ドライヤーが拳銃になって、その先から弾丸が放たれることを。そしてうまく描けずにいる。

 そういうものすべてが遠くなった。役所でちょっとした手続きをしたみたいに簡単にできた。コロニーを変えるとき車の免許証も同じようにした。デザインが少し違うそれには、苗字欄にトリチェリと書かれていた。そんなものだ。

 緩やかに取り戻せない何かが僕から落ちていった。そういう5年間だった。それを成長だとか老化だとか言うのだろう。

「……制汗剤って買ったか?ジル」

 声は帰ってこない。そういえば、と思い出した。金曜日に充電はぎりぎりになる。ちょうどいいと思っていたけれど面倒な気持ちの方が最近は勝ってきた。よりによって一番疲れた日にそうなるので、よく忘れてしまう。

 

「マスター、ありがとうございます。少し静寂を好むような気分でしたか?」

「いや。普通に忘れてた。端子の上下を一生間違え続けていればよかったな」

「ワイヤレス充電器を購入するのをお勧めします。私の声を聞かないのはストレスになりますから」

 ジルは自慢するように口調を変えてその音を発した。ラポールではない、自然な女性の声が夜に響く。彼女が人間の声を切り貼りして”心地いいよう”調整した。要は彼女の好みだろう。ちゃんと声優に依頼したから材料は合法的だ。

 それになんの意味があるのかは分からないけど僕は彼女の意向を尊重することにした。まあ、自分に使うような気も無いのだから問題はない。

 第4セクターは夕方でも暗い。ほぼ住居しかないけど、中央セクターの陰になっているから。街灯もほぼ交換されていない。古臭い合皮のジャケットの中で冷たい金属が揺れた。もしここに引っ越そうと思うなら、拳銃を買った方がいい。亜鉛で出来たサタデーナイトスペシャルで構わない。

「補償金が貰えればいいんだが、どうかな」

「期待は推奨しかねますね。肯定的に考えても概括的な合意を形成するだけでしょうし、地球連邦にはアダム・ジョン氏の遺志以外にあなたの戦闘行動を認める者は居ません」

 そうだろうな。アダムが死んだのはつい最近のことだった。死因は自殺。ASDがPTSDに変わったにしちゃ保った方だと思う。軍人らしく銃口を咥え込んで引き金を下ろした。こめかみに押し当てると滑ることがあるので、そちらの方がいい。

 彼は病みながらもあの船で脱出できた人間たちへと報うために働いた。散らばってしまった痕跡と箝口された証拠を掻き集めて、地球同盟軍に掛け合い続けた。結局自ら課した苦役は実らず彼はそれに押しつぶされたのだが。

 僕はアダムの人となりをあまり知ることは出来なかったけど、その死に方には敬意を表したい。自ら死ぬことが崇高だとは思わないけど、自分のやりたいことを突き通したのだから。彼は自分自身から逃げられなかった。彼は几帳面で神経質なまま、死んだ。

 僕は彼の顔、声、仕草を思い出そうとする。印象だけは残っている。

「次の担当……と言うよりは損な役回りを受け入れたやつの方が正しいか。どうせ”この話は無かったことに”と言われる」

「そうですね。あなたの悲観的思考は治すべきと思っていますが、これについては否定のしようがありません。人の善意を期待して行動するのはあまりいいことではないですから」

「その通りだ」

 期待する、つまり善を望むと悪が際立って見える。それだけのことだ。

 指定されたのはカラオケボックス。個室でプライバシーもあって、音楽を流していれば会話に気づかれることもない。ちょっとした密談には丁度いい。ヤクザ映画らしくもある。

 少し歩くと黄色い明かりが目についた。メトロの入り口だ。仕事を終えてやや生気を取り戻した人間たちがぞろぞろと歩いている。人の流れを見るのは久々だった。うんざりする気持ちを押さえ込みながら、僕は人気の少ないホームへと向かう。

 カシュ、という小さな音を立てて列車が走り去る。統率された兵隊のように人々が降りてくる。それから1分ほど経つと次の列車がやってきて、さっきと同じ光景が繰り返される。最大まで効率化されたものは美しい。

 5分ほど経ったあとに電車が来た。到着時刻を横目で見た。座ってから時計を取り出すと17:14の表示がある。間違いなく間に合うだろう。早かったかもしれない。でもそれでいい。時間を作ってもやりたいことも無い。

 僕は気に入った映画しか観れなくなった。300年ほど昔のクラシック映画をいくつかリピートするのが金曜日のタスクだ。趣味という趣味はそれぐらいだ。

 夕焼けの色が肌に重なった。電車はセクターとセクターの間に出た。車があくせく通る三車線道路を見下ろしながら、懸架式の車両は滑らかに進む。エンジェルが琥珀色の混じった空を飛んでいた。

 もちろん愛称だ。正式名称はM.D.U.(Unmanned)C.(Combat)S.(Space)V.(Vehicle)。恐ろしく長ったらしい上に略しづらいので地球同盟は”エンジェル”という愛称を使った。まあ、やけに推してくるのでなんとなく伝わる程度には使える言葉だ。

 センスのないネーミングはデーモンとの区別をつけるためだろう、と僕は思う。人が野蛮に争うようなイメージを払拭したいんだ。安心安全でクリーンな兵器。そんなものは存在しない。

 僕はエンジェルに焦点を合わせる。錐体状のボディの中にはマイクログリアミサイルがぎっしりと詰め込まれている。空気抵抗に合わせて形を変える人工筋肉によって支えられる、真っ白い装甲の正面と側面に12.7×99mmストラメノパイル機関砲を2門ずつ。前身翼とカナードはトラヒコが見れば喜びそうなスタイルだ。

 AIと遠隔制御によって半自動的に運用されている。主な仕事は治安維持で、ああいう宇宙と空を飛ぶモデルが多い。もちろん地上型も沢山存在している。それには特に何かしら感慨も湧かない。あれに仕事を取られたんだ、と言っておくと僕の経歴の説明が楽になるぐらい。

 エンジェルが電車に並走する。間近で見ると装甲が痙攣するように震え、戦慄いているのが見える。ここまで豪華に使っているとひとつの生物のように感じる。実際人間の筋肉を使っているので、その例えは半分合っている。

「随分近いな」

「パイロットのお茶目でしょうか。カメラ機能をおすすめします……いえ、今すぐに対ショック姿勢」

 声が途切れる。そして白い装甲がガラスへと触れていくのが見えた。

 爆発が起きたのだろう。耳の半分が聞こえない。視界には灰色のコンクリート、車内ではない。頭を上げる。どうやらその程度のことは出来るらしい。抉られた壁と床、撒かれた瓦礫の端に装飾の少ないタイル。電車は次のホームに近づいていた。

 そして、僕はたまたま前方に居たから助かった。目の前に広がった肉体の破片を見た。さほど多くはない。せいぜい2人分か。あまり乗っていなかったので被害は多くはないだろう。その証拠に僕と同じように投げ出された人々がいるのが見えた。

 僕は自分自身の体を確認した。ジャケットには埃がついて、パンツはところどころ引き裂かれている。ガラス片か瓦礫が当たったのだろう。でもそれだけだ。時計が壊れていないことを祈りながら、僕はそれを拾いに行く。

 あれだけ死にたいと思ったのに、また生きようとするのか。


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