36,
ビフロンスはその場から離脱していった。僕には用事なんて無かったのだろう。初めからこの船が目的だった。残念がる必要は無い、そしてそのような感情もデーモンに食われていく。
サーモピレーの頭を包んでいた鋼材が剥がれて、シリカガラスが露わになる。それの20パーセントのシェアは火星が占めていたことを僕は思い出した。火星の土はほとんどケイ素なので、それと石灰とソーダ灰を混ぜ合わせればガラスが作れる。
それはまだ割れていない。ただ船内の様子が見れた。レンブラントにでも描かせたような人間たちの集団の図があった。普段の仕切りの壁を床にしていて、縦向きになった宇宙船の中は通勤電車のようだった。彼らの方々に向いた口や鼻の穴を見ていると、それらの蛙鳴蝉噪が聞こえて来るようだった。
ほぼ全ての人間はあまりに瞬間的に起きた絶望に脳みそが追いついていないようで、あまり感情という感情は読み取れなかった。胡乱な顔をしているだけだ。それ以外の少数派の人間たちは顔を蒼白にしたり、歯の根を打ち合わせたりしていた。当然だろう、唯一の望みは断たれてしまったのだから。
レーダーを見る。周りに敵はいない。僕の小さな点と宇宙船の大きな点だけがある。いの一番に着いたのは僕たちだけだったのは幸いだった。
瞬間的に考えが巡る。ビフロンスを追いかけるべきか、この船に残るべきか。僕の心は間違いなく追撃をしたいと思っているが、裏打ちされた理論はそれを阻む。弾薬もグリア粒子も無い。何よりもそこまでする意味があるのか?たかが一人じゃないか。
迷いを振り切れないまま、僕は通信を開いた。さっさと終わらせてしまおう。
「本部、傭兵のリュラだ。帰還した。通信を開いてくれ。今船にいるのは敵じゃなくて、僕だ」
とりあえずは落ち着かせるための言葉を使った。なんだ、思ったより上手くできるじゃないか。もしかしたら極限状態で頭が冴えてるのかな、と思う。普段なら考え付きもしないだろう。
『リュラ?……IFFを確認した。あんたの帰還を歓迎する。ハッチの場所は……』
「今の用はそれじゃない。船の状況はどうなってる」
概ね理解はできるけど、改めて聞くことにした。通信の音声は社員の誰かからコワレフスカヤに変わって、船の損耗状況を報告した。マクスウェル機関は40%が破損。そして赤ん坊も死んだ。僕たちを運んでくれる、空間を突き抜けて進むゆりかごにはもう乗れなくなったということか。
幸いにも爆撃が増築した部分にだけ当たったために、船は無事だった。死傷者も居ない。これだけ見ればとても希望的だ。本当はもっと絶望的だ。
『概算で出しても、圧倒的に重力が足らない。アルクビエレ・ドライブを使うのはどうやっても無理だ』
「僕たちが落としたデーモンのマクスウェル機関は……」
『そのうちの幾つかは使えるだろうね。でも、きっと今日の焼き増しさ。修理している間に部隊が来て鏖殺される。やり方は君の方が詳しいだろ』
「まあね。提案しただけさ。じゃあ、そっちから何かないのか」
『いや。私からは降参の提案を出しておく』
『ふざけるな!そんなことしたら奴らに殺される!』
やや聞こえづらい罵声が飛ぶ。それを皮切りにしてマイクの横っ腹へと喧々囂々と意味のない言葉たちがぶつかる。まるで空薬莢を入れたちりとりをひっくり返したようで聞いていられない。頭の中心がぎりぎりと痛むような感覚がする。
これだ。結局の所集団が割れてしまったらどうしようもない。悲嘆と逃避とを頭の中に詰め込んでいる人間たちは何を言っても聞きやしないし、何も出来なくなる。彼と僕のちょっとした軽率さのせいでそうなってしまった。叫び声にはどんな言葉だって雑音になる。
もう起こったことはどうしようもない。マクスウェル機関が損傷したことに気づいた人間が居たのだから、そのうちに気づかれた事だろう。作戦遂行中に疑念を持ち、絶望が伝播するよりかはきっとマシなはずだ。きっと。
頭の中はいつも通りに動いてくれている。まるで戦争が起きる前の僕のようで、完全に完璧で冷酷で合理的な戦士になったかのようだ。闘争が僕をそんな人間にしたとは考えたくない。負傷やら喧嘩やらで脳内物質がぼこぼこと湧き出ているのだろう、と思っておく。
ゆっくりと呼吸をする。リキベントの中には失われた血液と酸素が混ざっている。彼らを落ち着かせるためには結局言葉を使うしかない、と思う。僕たちが行なってきた罪禍と同じ方法で、彼らを飾り立てた嘘で連れていかなくてはいけない。
正直な所、彼らを本当にそうするべきなのかまだ迷っている。アダムには有るかもしれないけれど、僕には彼らをまだ抵抗させる権限はない。火星軍だって、きっと……拷問を受けた人間が言うと説得力がないけど、丁重に扱ってくれる筈だ。多分。
それに、もうすぐ戦争は終わる。僕は空を見た。晴天の中で流れ星が見える。青い空に白い光の尾が何本も走る。そして流星群のように大気の中で断熱圧縮によって燃え尽きて短い旅を終える。もちろんそれは星ではなく、地上に降り注ぐ金属片や人間たちだ。
火星と地球の間、そしてそれ以外でも大規模な戦闘が始まっている。どうやってかは分からないが、開戦時に地球同盟軍を追い払った重力砲を無力化した。そうでないと戦闘にもならないだろう。どうやら彼らの狂言なんて気にする必要は無かったらしい。
さて、盤上の駒のひとつにしてはよく状況が分かったほうだろう。このまま降参か、それとも戦い続けるのか。末期とも言うべき火星軍は僕たちに何をして来るか分からないし、でもここから出て行く手段も無い。そして火星軍は直ぐに来るだろうから決断を急がなければいけない。
「アダムに変わってくれるか。指示を仰ぐ」
『もう君が決めたほうが早いんじゃないの?時間がないだろう。ほら……』
彼の声がわずかに震えているように聞こえた。いつだかそうしている時もあったような気がして、彼の緊張している時の癖なのだろうと思った。
『クソ、中尉と繋がらない。EMPか何かか?』
『きっと締め切ってるんだ。俺たちを見捨てたんだ』
『そんなわけない。無線が不調なだけだ』
『おい、もういい、ここから出せ。俺はあっちに行く。降伏する』
『ふざけるな!そうしたら奴らが撃って来るに決まってる!絶対に止めろ』
『ならベルトか何か、持ってないか』
なんとも紋切り型の群像の悲劇だろう。まるで人でなしみたいに笑いが漏れる。もしくは悍ましいものを見たように。もう良いだろ、雑音を止めるべきだ。
「らしくなく焦ってるみたいだな、みんな。危機的な状況なんてこれまでいくらでも有っただろ。同じように落ち着いて対処すればいい。無闇に意見を述べるのはやめて、指示を待ってくれ。そうでないとアダムと話も出来ない」
出来る限り重ねたオブラートに包んで、僕は言った。僕の指示に従う人間がそういるとは思わなかったが、少しだけ静かになった。自分自身がどんなに嫌であっても生きなければいけないのが人間に降りかかる重責のひとつだと僕は思った。
彼との決着をつけなければいけない。自分の判断以外は切り除いて、出来るだけ簡潔に話すことにした。
『リュラか……』
「アダム、もう敬語は抜きで行くぞ。これからの作戦を聞く。いや、方針でも何でもいいから聞かせてくれ」
『……それは……そんなもの、無い。絶望的だ。今は火星に降りた時よりも取れる手段がない。いや。私はそこから間違っていたのか』
涸れた声で彼は言う。がりがりと体を掻きむしる音が聞こえる。顔は見えないけど、想像の姿はきっとひどく消耗しきっているに違いない。あの時とは真反対の憂鬱加減だ。確かに状況は悪いと言う他ないけど、その絶望は僕には届かないんだ。彼を慮るべき言葉が出てこない。
「ええと、あんたが決めないとどうしようもないんだ。どんなに理不尽に任官されようと、そしてどんな結末になろうとその義務がある。あまり上手く言えないが……ジル、何とか言ってくれ」
「私が誰から生まれたとお思いですか」
『分かっている、分かっているが……もう何をしろって言うんだ。資源も手段もない。この状態じゃ何をしても同じだ』
「じゃあみんな死ぬぞ。ここまでした人間と同じように無価値に、あんたが自ら目を塞いだことによって」
『どっちにしろ同じ結末を辿るなら、その判断に意味があるのか』
「ある。間違いなく。このくだらない流れに身を置くより、自らの意志に従って抗う方がいい。自分自身に従うのはそれ以外の全てを超越する行為だから」
僕はそういうことを言ったように思う。今さっきの事なのに、はっきりと思い出せない。僕の口から出たこの言葉はアダムを奮い立たせるための麗句であったはずだった。なのにそれは僕の願望を纏っていた。
そんなわけは無い。自分の願いを優先したとしても、そして達成できたとしても、ただ周りに押し流されるだけだ。自分の願い、夢や意志なんてのは世界にとって切り捨てられるべきものでしかない。なぜなら、たった一人のものだから。ではそんな言葉をかけた訳はというと、きっと僕がそうなってほしいと思ったからだろう。
決着を付ければ何かが変わると信じていたい。本当はこの世界に何の影響を及ぼさないことを知っていて、それでも。
「じゃあ聞いてるだけでいい。コワレフスカヤ、何か言ってくれ。飛べるだけの重力はあるのか」
『無いって。いや、本当にただ飛ぶだけなら出来なくも……ないか。うん』
「どれくらいの速度でしょうか。少なくとも28400km/hを出さなければいけません」
『んー、デーモンよりは遅い。せいぜい飛行機ぐらいかな』
「それじゃ的になるだけか。どうにかして出力を上げられないか。ここに居る人間たちの力を使えばそれぐらい出来ると思うけど」
『どうだろう。久しぶりに専門分野に近付いたから言わせてもらうと、人間の脳みそは人によって稼働している部位が全く異なる。例えば人が大勢いる中に君みたいのがいると、それによってマクスウェル機関の反応が変わってしまう可能性がある。車のガソリンに混ざりものが入っていたらどうなるか分からないだろ?要するに無理だ』
「私を干渉させて思考を同一の方向に向けられませんか?」
ジルが訊ねる。僕が昏倒していた時やオフュークスの治療のようにマクスウェル機関、それとAIを使って脳みその中の電流を一定の方向へと導く。そうすれば彼の言ったことはクリアできる。かなり冴えている考えに思えたが、返答はすげない。
『残念だけどそれも難しいよ、ジル。ここには君に使ったような機器もない。よしんば基地にあるかも知れないが、それを取るような時間も無い』
「エレベーターにも宇宙にも行けない、か」
『……そもそも、あんな所に行ったってどうにもならない。アルギュレにはきっと戦力が配置されている』
少しだけ喋って、その後はただ呼吸の音が聞こえた。浅い呼吸を何度も繰り返していた。心配が勝ってきたが、後少しで彼の頭も動き出すだろうと思う。
彼の状況をもどかしく思うが、そうするべきだと思う。そうせざるを得ないのとあまり変わりはない。未だ彼らの声を聞くと迷いが出る。どうせビフロンスを追いかけるのなら通信なんて開かなければよかった。焦る気持ちを抑えつつ、会話を続けた。
「船の状況はどうなってる。あとどれくらい中に居れるんだ」
『1日。それ以上は無理だと思う。必要な設備ブロックは全部基地に使用してるんだ。あと食料だの寝具だのも当然積んでいない』
「あまり長くは動けないか。デーモンは周りに居ないから、ここの防備に来させるには少し時間がかかる」
『考えれば考えるほど、問題が浮かんでくる状況か……』
『……コワレフスカヤ、飛ぶ以外の重力の使い道はあるか』
『あー……そうだ。飛ぶというか落ちる?外れる?思い出した。とにかく、ここから出られるかも』
迷いなく僕は光明に縋りついた。
「どういう方法だ。詳しく話してくれ」
『いや、考えてみれば単純だ。参考書に書いてあった。重力を推進力に使うんじゃなくて、重力そのものを消すことに使えばいい。そうすれば今私たちを留めている重力から解放されて、一気に飛んでいける』
「いいじゃないか。今すぐやろう」
『まあ待てよ。そんな簡単なことなら、なぜ誰もやっていないんだと思う?答えは簡単で、コントロールが効かないからだ。君の方が詳しいだろ、宇宙でスラスターの燃料が無くなったら』
「どこへ行くか分からない……」
ジルがらしくなく呟く。僕はいつか、蹴り出したデブリがどこに行くか考えたことがある。重力のない宇宙空間では力を与えられると、そのままずっと進んでいく。大気、重力、それに付随するよく分からない効果の数々がないお陰だ。そして僕達にはかえってそれが想像しづらい。デーモンは自由に動いてくれるし、またそういう雑多な考えを洗い流す。
答えは結局分からなかったけど、2人と一緒に映画を見た時に何となく理解した。現実では飛び散ったデブリはまた星に吸い込まれて、衛星軌道のごみに戻る。もしも星が無かったらどこまでも進んでいく。いつか別の何かが干渉するまで、ずっと。
言葉にすると簡単だけど、もし人間なら気が狂ってしまうほどの恐怖を感じるだろう。何かを手放したり、手足をばたばたさせる力でしか動けなくなる。狂気さえも風化した年月をかけたころに、新鮮な死体が星の浮き輪になる。宇宙を舞台にした映画は沢山あるので、どれかは忘れたけどその時は恐怖を覚えた。
『今の状況で言うのなら、大気流によって吹き飛ばされるかもしれない。それどころか砂粒ひとつでいい。そして地表に叩きつけられたら……自分で言っておいてだが、現実的じゃないな。はあ……』
「それでもやるべきじゃないのか。このままの状態よりかはいい」
『全員死ぬことになっても?』
「……そう言いたいけど、何にもならないからやめておこう。あとはアダム、あんたが決めてくれ」
ああ、自分で決めなくていいというのは本当に楽だ。これまで僕はずっとそうだったけど、最近は判断を自分で行っていた。どちらを選んでもあまり変わりは無く、ただ投げられたサイコロと同じだと言い訳をして。その中にある失敗から目を塞いだ。
今だって多分、間違いを犯している。トリチェリはきっともうここには来ない。ただ破壊するだけであるから巨大なデーモンだけで十分だ。もしかしたら僕が宇宙に行く策を支持していたのはそのせいだろうか?派手なことをすれば、彼も来るだろうから。
『私か。それは、そうだ』
彼は使えるだけの静寂を吐息に詰め込んで、ようやく口を開いた。
『宇宙へ行こう。私たちが生き残る道はそれしかない』
ほら、やっと決めてくれた。通信からはコワレフスカヤの溜め息が聞こえた。あとは僕が適当に話を詰めていけばいい。
「防衛はどうする。それに船を環境から守らなければいけない」
火星軍は間違いなく襲って来るだろう。ここにいる僕だけではどうにもならないけど、周りにいるデーモンを呼び出すわけにもいかない。戦闘中のデーモンまで防衛対象に引っ張って来ることになってしまう。
仮にこちら側のデーモンが戦闘に勝利していたとしても、ここまで早急に戻ってくることが出来るのか。きっと無理だ……と思っていたが、すぐにそれが可能な人物に心当たりがあるのを思い出した。
『先に2番目の質問から答えよう。大気による影響は免れることが出来ない。そうだな?』
『うん。先に言った通りだけど、無重力状態に近くなるだろう。ふきすさぶ風の中に紙一枚を置いたらどうなると思う?ま、それに近いと言っていい』
コワレフスカヤ、彼もやや自嘲をしながら話し出す。ただ舌は回っている。考えは対立していたので、機嫌が悪くならなくて良かった。
『デーモンをスラスター代わりにすればいい。最初に重力をほぼ無くし、デーモンのジェットエンジンを使って爆発的な加速を得る。対流圏と成層圏を超えて、カーマンラインを越えた後に人員を収容する』
『まあ、それなら可能かもしれない……ねえ!カーボンケーブルはあったっけ?!』
『取り外したものが1本下にあります!』
『よし。デーモン数機ぐらいならそれでどうにかなる』
「だけど、結局疑問は解決していないぞ。この船を防衛でき、かつ発進させられるデーモンが必要になるってことじゃないか」
『なら、彼女がいる。それで問題はない』
重力レーダーに緑色の点が増える。それは真っ直ぐにこちらへと向かってくる。僕がその機体にライフルを構える必要はない。僕は彼女のことを知っている。鮮血のような残光を瞬かせて、デーモンが降りてくる。
『オフュークス、帰投した……何だこの空気は』
「とてもちょうど良いタイミングだったからさ」
『フ、もう少し遅れてきた方が良かったか』
『とんでもない。レーダーを見てなければあんなことは言わない。さて、私とリュラとオフュークス。ひとり足りない分はコワレフスカヤが居る。あの日の再現にはちょうど良い』
所々つっかえながらも見栄を張り、彼はそれを言い終わった。ありがたいことに、彼もどうにか立ち直ってくれて良かった。これは僕たちだけの通信なので、そのことを他の人間にも言うように促した。彼は諦めたように、そして決意が終わったように肯定した。
『聞いてくれ。たった今作戦は決まった。この船は浮上し、火星衛星軌道に載る。もうしばらくの辛抱だ。頼むぞ』
船のハッチが開いて何人かが真下の基地の中に降りていく。兵士たちはまだ来ていない。僕達は追い越してきただけだからそのうち来るだろう。砂嵐も消えたから車だと何分、十何分かどうか。それくらいで、ヒドラオテス基地にいる彼らは死んでしまう。
それについて悲しくは思わなかった。ミランはデーモンに乗っているので、基地の中にはいない。後の知り合いもみんな切り捨てられる側には回らなかった。そんな幸福な僕はただ、ビンの中にこびりついたジャムを洗うような気持ちでそれを眺めていた。
ハッチから弾倉を受け取って、ラックに挿した。SARとオバゾアに込められた弾倉も変えておく。2つのケーブルが一体化した装置も受け取ってグリア粒子とヒドラジンを詰め込むと補給は完了だ。
『私の役割は防衛か。つまらない仕事だ』
「おっと、前みたいな状態には戻らなくていいのに」
『冗談だよ。それで、父親との決着は付いたのか?』
「何で知ってるんだよ……」
『ミランに聞いた。おかしな顔をしているから気をつけろってさ。裏切られたこともあって、君といつか話したことだろうとはすぐに分かったよ』
思わず溜息がリキベントの中に沸き出た。まさか繋がりがあったのか、と思う。ミランはそれとなく得をするのが好きで、特定の異性とは深く関わらないようにしている。本人曰く、『ちょっとした手土産と愛想で100セルほどのサービスを受けられる』らしい。
まあ、傭兵という特性上付き合いが自然消滅するのが多いのでこれを軽薄とは思わない。むかつきも今となっては遠く懐かしい。そんな彼だから、どんな異性でも顔見知りぐらいの関係であると類推するべきだった。
ねめつける太陽の下で赤いデーモンがこちらを見る。表情なんて分かりはしないけど、その仕草から何となく彼女が正常に戻りつつあることが理解できた。いつかのトラックの中の彼女を覚えていたからだろうか。口調からも何となく溌剌としているようだ。
ざらざらとした気持ちのまま、僕は口を開く。
「いや。偶然にも会う事はできたけど、もうどこかへ行ってしまった。多分もう会えないよ」
『そうか……しかし、攻撃側に居るのならもう一度来るのではないか』
「それも違うな。彼だったら替えのスマートランチャーを貰って遠くから爆撃するだろう。風の影響も無い曳火爆撃だったら確実にこの船を破壊できる」
自分の言葉はやけに冷たく、そして現実味を帯びている。思考さえ間に挟まらないってことはきっと本音だ。ああきっと、心のどこかではひどく傲慢に状況を客観視していた。それがどうした、とさえ言えなくなりそうだ。
本性は、本能はどこまで僕自身をこそ裏切るのか?どこまでも生き汚くて、誰だって殺していくのが僕か。自分が生き残るためだったらどんなに大切なものだってどうでもいいのか。脳ひとつの場所、服内側前頭前野がけずられているだけでこうなるのか。
はあ。失望ならいつでもどこでもしてきた。それでも大切な人生の結節点なのにこうなるのか。自分の欲求よりも本能が強い、本当にどうしようもなく不完全な人間だ。
さて内省は程々にして目の前のことに集中しよう。デーモンのおかげかどうか、切り替えはずっと早い。ままならなさだけが続くのが生きるってことだ。
「まあライフルがあれば7割がたは落とせる。それも君が周りのデーモンを救助したら、の話だ。だから、さっさと行ってきたらどうだ」
『……いや、君が行け。私はここの防衛に回る』
その言葉に反論するよりも速く、大きな影が空中を舞う。咄嗟にそれを受け止める。先端から7割程度は無愛想な黒い金属部が覆っている。端には握り心地の悪そうな円柱状のグリップがある。僕がさんざ見てきた刀身がこんな見窄らしいものから生み出されているとは知らなかった。アザエルの武装であるバトン。それを彼女は投げてきた。
「っと、一体何だよ。武器を投げるな」
『ケーブルがそっちに行くぞ』
少し遅れて振り子のように加速したケーブルが向かってくる。しょうがなく太いケーブルを受け取る。グリア粒子を供給するためのものらしくやけに重い。
『それを貸す。私たちの機体はどちらもファインマンが作った。システムには互換性がある筈だ』
「そんな訳ない……よな?ジル」
「いいえ、マルファスの根幹部には対グリア粒子兵器”バトン”を動作させるシステムが存在しています」
「何でだよ、そんなの言ったこと無かっただろ」
「機会があるとは思いもしなかったので。申し上げませんでした」
『だとさ。武器をもらうぞ』
呆気に取られている間にラックに入れてあったライフルを奪い取られる。彼女は慣れた手つきで構えて、ストックを調節する。何度か行ってポジションを確認したら、薬室を見て銃弾が入っていることを確認した。
「一体どうして、こんなことなんか……」
『決着を付けろ。それを自分でできなかったとしても。それでもきっと、決着は私たちに次の道標をくれるんだ』
ファインマンはオフュークスの手によってではなく死んだ。不幸にも基地の一部が崩落したからだ。彼女は怨敵を討ち果たすことなく今も生きている。だけど結果として彼女は以前の人格を取り戻しつつある。塞翁が馬と言うべきか、僕には彼女の気持ちは分からない。
ただ、オフュークスの言葉は僕が思っていたことだ。そしてその中で最もそうであってほしいと期待していたものだった。父との断絶、そして自らへの失望よりも。
『今思うと君にあんなことを言ったのは、あいつを殺せなかった鬱憤だったのかな。すまない』
「謝罪はいい、あんたが言わなければきっと……今よりもずっと変な頭になってた。そうだな、進むことしかできない。どんなに楽しめなくても」
『なら、よかった。さあ行ってくれ。後はこちらでどうにかする』
デーモンや衛星軌道にいる防衛兵器はどうするんだ。そういう言葉は飲み込む。彼女にとってはその程度どうってことない。
この決着は何も生まない。自分で何かを終わらせられるとは思わない。とっくのとうに分かっていたことだ。それでも行かなくちゃ。
「オフュークス、ありがとう。行ってくる」
『ああ。リュラ、がんばれ』
翼を翻して、僕は晴天から暗澹な砂塵へと向かっていく。どんなにぐちゃぐちゃに混ぜ込まれた、自分が操作できない混沌が現実だったとしても、それでも進もう。




