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目覚まし時計  作者: nacare
1:落下
33/76

33,

 僕の中には絶望などないと思っていた。感情は豊かでない。そして複雑でもない。何か起こったことに対して、自分の感情に複雑な彩色を施すことは得意じゃない。

 ただ、基地とその人員に起こったことを聞くうちに生じたその感情はそうとしか言い表せない。無力さと空虚さが胸の内に巣食っている。自分がどうして息をして、吐いているのかが理解できなくなる。その不慣れなものがあっても、僕のいつものロジックは変わらない。

 さて、状況を整理しよう。先の作戦、研究所への襲撃は失敗に終わった。デーモン部隊及びエングラム社職員大勢の離反に遭ったからだ。そして、それを謀ったのがエヴァジェリスタ・トリチェリ。作戦を遂行しようとした者たちは拷問にあい、多くの者が殺された。それでも生き残った虜囚たちの末路はそれぞれ違う。おそらく死んだもの、なんとか生き残ったものがいる。前者がトラヒコ、後者がミランと僕。そう予想するのは僕たち以外に帰ってきた者が居ないからだ。

 基地の方はというと、こちらも大きな損害を受けたらしい。離反者は作戦本部内にも居た。地下トンネル内の陣屋で待機していたコワレフスカヤやらアダムらは這々の体で逃げ出して、基地に戻った。その後もデーモンによる大規模な攻撃が行われたが、オフュークスらがトンネルを封鎖してどうにか終わらせたらしい。

 僕たちの旅路がそう簡単には言い表せないことと同じように、この説明をするために落とされた枝葉が沢山あった。病室の中に居てもすぐにそれが分かった。

 減菌のために広げられたビニールハウスが周りの景色を歪めていた。ぐにゃぐにゃした白色のタイル。錆びたフレームのベッドがずらりと並べられて、包帯を巻いた怪我人たちが寝かされていた。僕と同じように即席の集中治療室に入れられた重傷者達だ。

 手足や顔といった部分が幹細胞培養液で満たされたプールに浸かっている。包めるような部分は袋状のカバーをして培養液を入れ、そうでない部分はシールを何枚も貼って対応していた。液が漏れないようにぱつぱつになったカバーは触ると面白い。味付き肉を持ち帰るときの袋のようだ。

 これまでの散発的な損害とは規模が違って、大勢が傷つけられていた。じゃばじゃばと薬と血液を使って死にかけの人間を生かしていく。エングラム社が行っているのは高価な治療法であるけど、それを請求する相手はいない。この基地にいる人間が生きて帰ったらその分の経費を申告するのだろうか。

 死にいく者はごく少数だ。きっと1週間、それぐらい経ったら皆歩けるようになる。救える命が増えるのは本当に有難いことだ。少し前の僕ならそれに少しの薄気味悪さも感じたことだが、今はそれはない。早く動けるようになりたい。傷を完全に癒さなくともいい。僕にはその理由がある。

 トリチェリと戦うのだ。

 純朴な感情として、会って話がしたい。しかし状況はそう甘くはない。地球連邦を裏切って火星反乱軍に従う。地球に住んでるわけでもないただの傭兵が金に目が眩んで背いたとしか思われないだろう。倫理的にも経済的にも捕らえる必要性は無い。

 心情からすると、訳の分からない感情が邪魔していてよく分からない。でも困惑しているのは分かる。僕には彼が裏切る理由が分からない。無ければいけないとは思わないけど、では機を窺うとしてこんな所で1年近く戦い続けるだろうか。きっとトリチェリならこの基地にいる人間全員を殺せるタイミングがいくつもあった。

 わざわざこの作戦を狙う理由が無い。アーウィン・リースがそうだったように、IFFが入り乱れる状況だと同士討ちが発生する。それとも確実に火星軍とコンタクトを取れる方法を取ったから、という理由か?しかしこの基地以外は火星軍が支配している。完全に制圧してから連絡すればいい。

 20年間見てきた限り、トリチェリは戦争に関しては天才だ。僕はそんな彼が間違いを犯したということは信じ難い。

 これは養父の成した犯罪を直視できない、哀れな養子の言葉だろうか。まあどうだっていい。問題はこれからどうするかしか以外あり得ない。僕がこれを聞いた時にはさまざまな思考が飛び交って決めることすらままならなかったが、今はもう決め切っていた。

 トラヒコのことを調べるようジルに頼んだ。サルファイエローの機体を不可解そうに揺らしながら、彼女は了承した。とは言っても、A&Aのデータベースに権限を行使して生体端末の情報を閲覧するだけだ。デーモンに乗ると端末が計測した生体情報が会社へと送られる。簡易的なKIA(戦死)WIA(戦傷)の確認が取れるのだ。ミランのIDを偽装することぐらいは彼女がやってくれる。

 火星の人工衛星が全て潰されたわけではない。むしろ雲霞のごとくあるそれを壊せるわけがない。きっと会社には届いているだろう、という甘い考えだった。小隊長代理として申請すると、僕よりも権限の高いAIがそれに恭しく返事を返した。”貴方の功績と戦闘行為従事下であることを考慮し、暫定的に飛行小隊長の権限を移譲します”。

 ベッドの中で慇懃な文字を追った。指紋ひとつない、エタノールの匂い漂う液晶。くそったれの思想なきプログラミング風情に頭を下げるのは不愉快だった。いや、厭うべきはそう作ったプログラマーたちと発注主か。

 ページの中にはミラン、トラヒコの生体情報がそれぞれ分けられて入っていた。僕とトリチェリのデータは解雇されたときに削除されている。トラヒコのフォルダを開き、閲覧する。直近3ヶ月のデーモンに乗った時の心拍数、血圧や酸素量などの簡素な情報がずらりと並ぶ。

 最も新しい情報は2週間前、4時間デーモンに搭乗した時のものだった。時間が経つにつれ心拍数が毎秒120、140と上がっていき、血圧が低下していっている。おそらく脈もバラバラになっている。指数は明らかに出血性ショックを指していた。

 最後のデータは心拍数も下がっている。心肺停止状態に近い。本当に急いで、適切な処置をすればどうにか命は助かるかもしれない。だけど戦場でそんなことが出来るか。僕が言えたことではないけど、普通は助からないだろう。記録はそれ以降無かった。タブレットの電源を落として考えを巡らせる。

 楽観的な見方をするのであれば、治療のためにデーモンを剥がしたということもある。事実としてデータはデータであって、彼自身の生存や死亡を担保するものではない。彼の死を真実たらしめる確証はどこにもない。あれはアーウィン・リースの嘘だった、ということも十分にある。

 そしてその逆も勿論。僕の少ない知識量でも分かる程度には明確なショックの兆候が見えていた。デーモンに乗っていたとしてもあまり生きているようには思えない。

 いつもの通り、僕はそれでも何も感じなかった。正確には悲しいし、嘘だと思いたいがそれほど傷にもならない。まあ信じていない気持ちもあったからそれが全てだとは言い切れないけど。

 僕を絶望に駆り立たせ、無為な自己嫌悪に苛立たせるのはトリチェリの裏切りただ1つだった。この事を考えると歯が痛くなる。無意識に噛み締めているせいだ。自分でもよく分からないほど彼の存在は僕にとって大きかった。曖昧な完璧さを求めているのは彼に認めてほしいという心だったのだろうか?

 トリチェリは自慢できる人間だったと思う。親としては寡黙だったためにあまり分からないけど、少なくとも人間としては1人で息子を育て上げた。十分立派だと思う。それにデーモンに関しては最高のパイロットと言って差し支えない。

 子供ながらに何かを返せるなら、いい人間になるしかないと思った。子供がやれる仕事は大した稼ぎにはならない。それに物をあげようとしても職業上あまり家に帰る機会もないので、候補がない。そうして僕が努力し始めて分かったことはグロテスクな本性だけだった。

 知っていく未来を毛嫌いしつつも、時間だけは過ぎ去っていった。その大流にはどんなものも無力だ。そこそこに大人になって、理想とも折り合いをつけながらも離れ難かった。それがケプラー442bの僕だった。友達と仲良くやっていたので、それで良かった。

 この星に来て、もしくはずっと昔の時点から僕の殻は裂かれていった。そう、午睡から覚めた子供と同じだ。

 それでもただの異常者でいたくはない。兵士としても、それ以外としても一貫性のない行動だと理解している。でも、それが人間らしい道だと思っている。真っ黒い感情の中で見つけた選択肢はそれだけだ。

 手がきらきら光っているのに気づく。手汗がやけに出てクロームメッキのボディを濡らしていた。汗は血から作られるので、それが出るのはいい兆候だ。体もかなり回復してきている。これから大変なことになるので、それに間に合うといいのだが。


 4日ほどベッドにいた後、僕は兵士に戻ることにした。勿論その短い時間の間に傷が癒えるわけがない。 ぐちゃぐちゃに裂かれた神経や筋肉、あるいは皮膚はおおむね培養された細胞によって置換された。それでも負傷の具合からして、3ヶ月程度は安静にしているべきだろう。事実として内臓はまだ全て治っていない。手足と同じように、少し動くと痛みがはしった。

 僕は会議室にいた。この基地にしては珍しく本来の用途で使われていた部屋だ。ただ、地球同盟の軍事たちが首を揃えるべきこの場所はたった4人に対しては大きすぎる。さらに室内は薄暗く、やけに息苦しさを感じさせた。

 上座の椅子に深く身を預けているのはジョン・アダム。これまでに起きた事柄が精神を削り、いつもの臆病さと疲弊を抱えきれずにいた。彼の顔には外傷は見当たらなく、血色なども良いように見える。髪とヒゲも整えていて小綺麗だ。しかし目だけが煌々と輝いていて、それ以外の印象を奪っていた。

 僕はそれを少しの間ミランがしていたのを思い出した。きっと重大な何かが損なわれてしまってそうなるのだ。なぜか安定している時よりも爛々として、綺麗な瞳をして。しかしそれがぎょろぎょろと動くとやけに不気味に感じる。

 それから2席ほど離れてソフィア・コワレフスカヤが座っている。彼とは違って浅めに腰掛け、肘を机に乗せていた。しょうがなく、という態度が全身から感じられる。

 反対側にはオフュークスが座っている。ぼうっとした表情は、治療が進んだ結果としてささやかな穏やかさをつけたように感じた。退屈そうに指先で机を叩いていた。この2人は有事でも変わらないようだった。

 辿々しく歩くジルを入れた筐体をコワレフスカヤが抱えようとした。彼女は腕をすり抜けて椅子の上に着地した。僕はその隣に座った。

「怪我はもう良いのか?」アダムが枯れた声で訊ねる。

「いえ、まったく」

 怪我人だと一目で分かる格好をしている人間に言うことではないと思ったけど、まあどうでもいい。今の僕の格好は包帯の上に患者着を着たものだった。所々はみ出していてありとあらゆるものに引っ掛かるので好きではない。

 まあ、普通ならベッドの上にいた方がずっと良い。腕が弾け飛んで内臓が損傷した人間は安静にして日がな本でも読むのが正しい姿では有るのだが、無理を言って動かしてもらっている。その代償とも考えれば良いだろうか。

「でも今の状況からして休んでもいられないですから」

「はー、何で死にたがるのかよく分からないね。ねぇ?ジル」コワレフスカヤがジルに向かって言う。

「マスターの意志ですので、私はそれを尊重します」

「それはそうだけどさ。それなら精神状態が心配だな」

「ともかく、勇敢な選択に感謝する。君たちには中核を担ってもらうからな。会議を始めよう。これまでの経緯は概ね知り得ていると仮定して簡素にとどめる」

 彼は咳払いをひとつしてから話しだした。会話の主導権を握るためというよりかは自然に出てきたもののように思えてしまった。

「発電機2機と17名の死傷、及び部隊23名の離反。地表基地の襲撃が失敗に終わり、我々は大きな損害を被った。その後はトンネルの破壊が成功し追撃は避けられたが、先日に渓谷地表のハッチが攻撃され損壊。率直に言って、基地は現在危機に陥っている」

 実際にはハッチは味方の人間によって壊された。張本人は今僕の向かいに座っている。スピリチュアルな感性だかよく分からない理由だったけど、助けられた僕は文句は言えない。

「この4日間に攻撃は無かったが、それも時間の問題だ。早急にこの基地を放棄しなければならない」

「それで、どうするつもりだ?歩いて他の基地に行くという訳ではあるまい」

「アルクビエレ・ドライブを使う。手段から言うことになったが、作戦の説明に移ろう。今回の目的は火星からの脱出だ」

「脱出……」

 僕は思わず呟いた。火星からの脱出。もしそれが可能であるならとっくのとうに行っていた。ヒドラオテス基地の中でいくつかの計画を立てて、しかし実行には移せなかった。最大の困難はその方法で、重力から逃れるためのロケットやマスドライバー、宇宙エレベーターは作れない。現実的な手段であるアルクビエレ・ドライブも必要となるマクスウェル機関が足りなかったので行えなかった。

 今まさに、という場面で考えるようなことではない。行えるならいつでも行うべきだった。少なくともこの基地においてはそうだ。そう思ったが彼の言葉を待つことにした。視線を正面方向に向けると、オフュークスも多少訝しんでいるように見えた。彼はさして他の人間の様子には気を払わずに口を動かし続けた。

「作戦は3日後、2段階に分けて行われる。アルクビエレ・ドライブ用のマクスウェル直結円環の建設と宇宙船の打ち上げだ。前者は既に進行している」

 虚空にオレンジ色のグリッドが投影されて幾何学形を作っていく。段々と網目が細かくなっていき、渓谷の姿が露わになる。その底に開いた穴のような建造物がヒドラオテス基地だ。全景からズームされていき、基地の下方にある建造物を映すようになった。

 全体のシルエットは航空機に似ている。空力学的に整えられて滑らかなノーズ、ボディ。魚の鰭のような尾翼。しかしながら本来翼があるべき場所には畳まれた翅のようながある。またよく見るとボディの側面には細かな凹凸がある筈だ。それは居住域を作るためのコンテナを連結するための部品をしまっているからだ。

 僕はその船を知っていた。サーモピレー。僕たちが乗っていた古風な宇宙風帆船。そうか、トリチェリたちはあの船に乗ってこの基地にやって来た。とっくのとうに解体されていたと思っていたが、残っていたのか。

「現在の進行度は……」アダムはコワレフスカヤに目をやった。深く被ったフードの中で何かが動いた。こいつらにも言うのか、とでも言いたげに投げやりな声で話し出す。

「おおよそは出来た、と思う。言った通りにマクスウェル機関はまだ組み込ませていないので、それ以外を進めている。まああと3日はかかるだろうね」

「了解した。概略の説明に移る。宇宙船の改造が終わり次第作戦を開始し、マクスウェル機関を搭載する。その間デーモン部隊には基地の防衛を任せる。作業が終了すると人員を収容しながら渓谷上空に浮上。アルクビエレ・ドライブを実行してノア級に帰還する」

 さあ何処から言ったものか、と思った。色々と疑問が残る中、唯一理解できるのはマクスウェル機関の搭載を遅らせる事だけだ。

 アルクビエレ・ドライブの簡単な理論はマクスウェル機関を円状に配列したものを機体の前方と後方に配置、直結して極大の重力波を形成、空間を泡状に湾曲させ機体を包むことによって光を超えた速度で移動できる、というものだと理解している。はっきり言ってよく分からないが、それの途中で重力波が形成される。

 僕の経験から参照するならGJ1214bでの作戦だ。なぜ派手に殺戮を終えたあと、揚星船で帰るという乱暴なプランを立てたのか。わずか5分の間に作戦を留めた理由の一つにそれがある。ワープの代償としてとんでもなく大きな重力反応をレーダーに残すのだ。

 だから今みたいな状況で組み立てを行うのは、大声で”今から逃げ出します!”と叫んでいるようなものだ。作戦のうちに組み込まなければいけないのはそういう理由があるからだと思う。それの一点は理解できる。逆説的に言えば、それ以外の部分には疑問が有るのだが。

「基本的には以上になる。では、質問を受け付けよう」

 アダムの態度は見た目よりもずっと鷹揚だった。僕にはそれが理解できた。深い絶望に触れた者は、かえって浅はかな希望を見せる。それは諦めに似ている。

 ああいっそのこと全て薙ぎ倒して、何もかも忘れて眠りたい。だけど無意識に髭を剃ってしまう、そういう人間だから。

 オフュークスはさして疑問も無いような顔をしていた。やはり指先で机を軽く叩いているが、その拍が短くなっているような気がする。

「では、私から言わせてもらいます。なぜ今になってから脱出を?可能であれば現時点までで機会は充分にあったかと思います」ジルが僕も思っていたことを言ってくれた。

「私から話そう」アダムがそう答える。

「これまで脱出のアプローチを行わなかった理由は、アルクビエレ・ドライブを行うだけのマクスウェル機関が足りなかったからだ。単純にデーモンや船の機関を足せば要件を満たせるが、防衛に力を割けなくなる。しかしながら、先の離反と戦闘によって問題が解決した」

「……人員が減少したから、ですか」

「半分はそうだ。人数が多ければその分だけ出力が必要になる。そしてデーモンのマクスウェル機関を確保できた。あのデーモンの出力を保証するだけの、だ。これで作戦がようやく可能になった」

「また、それ以外の条件についてもそうだ。先日地球同盟軍は火星に対して大規模な攻撃を始めると通告した。これによって敵兵もかなり減るはずだ」

「ちょっと待て、大規模な攻撃?そんなの聞いていないぞ」

 オフュークスが口を挟んだ。少々乱暴な聞き方だけど、疑問は尤もだ。

「それはそうだ。私が持っている量子コンピュータに送信して来たから、地球同盟軍以外の人間には渡ってこないようになっている。私も詳細を知らないが、攻撃が行われるのは確実だろう」

「確証は有るのか」

「誰かが持っているラジオを聞かせてもらったらいい。報道が連日行われている。それか夜空でも眺めれば、星がいくつか増えているだろう」

「……わかった」

 僕はそれに次いで話し出す。

「では、私からも一つ。なぜ船を上空へ運ぶのですか。基地の中に留めておけば良いと思います」

「それは……」コワレフスカヤはため息を一つ吐いて、

「アルクビエレ・ドライブを行う都合上、ある程度の空間がなければいけない。元々宇宙空間限定で考えられたアイディアだからね。もしこの基地内でやったとしたらどんな悪影響があることやら」

「了解した。では、サーモピレーを選んだのもそういう意味があってのことだと。あれは古い船なので……」

「ん、理解が早くて助かるね。その通り、アルクビエレ・ドライブのシステムが残っていたという事もある」

 サーモピレーにアルクビエレ・ドライブを行えるだけの出力はない。昔はそういう船を動かすための後付けの装置を使っていたからだ。その制御を行うためのシステムやらが残っていたから、今回の作戦に使われたのだろう。

 僕はこの話から言いようのない寂寥を感じた。あんな狭っ苦しいメインの部分に入りきるほど人は死んでいない。僕は中心部にほとんど居住地がないことを知っている。宇宙船の不必要な部分を取っ払っても十数人しか入らないと思う。

 それはきっと、彼が判断を下したのだろう。僕がやったように生きる者を取り上げて、それ以外を切り捨てる行為を。

 会議はそれ以降特筆すべき事もなく終わった。もたもたしていた僕をアダムが手伝った。肩を貸してくれた後は何も無かったように出ていった。オフュークスが適当に話しかけた。

「君は敬語を使わない方が良いな。気持ちが悪い」

「”君”って、それこそあんたもそうだ」

「まあ、そこは治療が進んだ結果だと思ってくれ。不謹慎なようだけど、今は一番気分がいい」

 デーモンのために改造された人間が、デーモンによって治療されるのか。正確にはマクスウェル機関だけど。

 彼女の表情を見る。目を合わせるとやや怪訝そうな顔をする。繋がった頬骨や鼻梁のラインはどちらかというと整っているように見えるが、よく分からない。造形よりも僕との間にある罪悪にこそ目が向いていくからだろうか。

 僕は結局人を殺すしかできない人間で、彼女を助けた意味なんて無かったのだ。人間性を求めた意味なんて無かった。僕は僕の命のために、それと等価のものをたくさん壊してきた。その選択しか出来なかった。何を知る権利もない愚物だった。

 そしてそれを言うべき相手ももういないのだ。

「それは僕もそうだよ。何かを失ったのに、ずっと気分がいい。失敗したのに、むしろもう考えなくていいと思っているからだ」

「君にとってはね。少なくとも私は何かを手に入れた」


 それからの準備は急激に進んでいった。慌ただしく社員たちが動き回り宇宙船を改造していく。羽をもいで、胴体から内臓を抜いて。それから僕たちが使っていたものが取り出されて行くのを僕は黙って見ていた。コンソールだとかの素っ気ない部分ばかりだったが、それでも気分は多少げんなりする。私物は大体後付けのコンテナに入っていたから、今は何処にあるのか分からない。

「あ、あれメインにあったんだ。スノードーム」

「隊長に渡したやつか?」

「うん。オルゴールが3日で壊れたやつ」

 ミランも戦うことを選んだ。彼の負傷度合いもそれなりにあったので、正直彼が戦ってくれるとは思わなかった。聞くと脱出の目処が立ったことを聞いて、希望を持ったらしい。不吉かもしれないが、もし帰ったら彼の描いたままの未来が待っているはずだ。

 少数のデーモンたちがガレージに並び、いくつかの点検をしている。見た限りでは7機が同じ区間に入っていた。オフュークスの機体もあった。

 僕のデーモンも調整を行なってくれた。無理を言って機体の運動性能を引き上げてもらった。僕が最初にマルファスに乗った時よりも少しだけ低いぐらい。増設したウェポンラックやホルスターを鑑みれば充分な性能だろうと思う。

 死にたいのか、と作業をしてくれた社員が言った。僕がそいつを見ると、しまったという顔をしていた。そんな気はない、と言った。嘘だ。

 後の部分はハルファスと同じだ、と言ってから居づらくなったので下階に降りた。そこもガレージの一部で、同じようにデーモンたちが敷き詰められていた。あまり冴えた考えでも無かったけど、しょうがない。どうやら巨大なデーモンを解体していたようだった。全部で4機、僕が落としたのが1機何処かにある。

 よく見てもやはり異様だ。赤黒く、どこかで見たことがあるような色をしていて。人間をそのまま拡張したような巨体の中央にはいぼのような、妊娠後期の腹のような出っ張りがある。兵器を搭載するためのマウントがそこかしこにあり、犯罪者に着せた拘束衣に見える。

 フライトユニットは規格通りだが、それを上下二連に繋げている。極めて単純な方法であるが、そのGに耐えられる人間がいるのか?

 まるで特殊な症例の患者を扱うように慎重に工具を使い、それを分解していくのだ。暇というのは傲慢だと思うけど、それに面白みを感じたのは事実だった。変に高揚した気分にはやけに合致した。

 パーツ的には古いデーモン、イポスに似通っている所がある。コンスタント社が作ったという点ではサブノックと同じだが、何しろ昔のことでそこのあたりはよく分からない。開発チームごと火星軍に引き抜かれでもしたのだろうか。

 そして装甲が剥離され、さらに人工筋肉も取り除こうとしたときになって、デーモンの内側から何かが漏れ出した。リキベントだと一瞬思ったが違う。そもそも人体を入れる部分にしか無いそれが今になって漏れ出てくる訳が無い。とっくのとうに主人は死んで、取り除かれているのだ。

 ではそれは何だったのか。慌てて社員が開口部を封じ込めようとして、さらに溢れ出てきた。苦笑いした。幸いながらあまり量はない。せいぜいバケツ半杯程度だろうか。腹部からどくどくとこぼれるそれはひどく生物的だった。

 すぐに液体の放出は終わって、解体に戻っていった。内部の板が外されていき、デーモンは人間の形を失っていく。そして赤子がまろび出た。

 最も幼き人間の姿。くしゃくしゃのそれは犬猫と同じで、何処か根源的なものを想起させてくる。小枝のような手足、ビニール袋を膨らませたような胴体、虚空を向いた頭。多分生まれたばかりの時は真っ赤なのだろうが、今見ているのは土気色だ。

 巨大なデーモン、極端な高性能、研究所で飼育されていた赤子、そして人間の感情に反応するマクスウェル機関。なぜ考えが付かなかったのだろうと思うほどにぴったり嵌まる。そりゃそうだ、でもそんなことするか?

 何かを感じるべきなのだろう。寒気や怖気を。ただ今の僕は感じるべき神経は減退しきっていて、倫理的にでも生命を冒涜した側なので何も言う権利は無い。

「うわっ、なに……」

「は、えっと」

「触らない方がいい。腐ってるかも」

 僕は社員にそう言って、とりあえず離れてもらった。最近実感したことだが死体はとても腐りやすい。特に大気のある場所では冷たくしなければすぐ腐敗が進行するだろう。液体にも触れないように言ってから、何かポリ袋のようなものを借りにその場から離れた。

 幸いに医療スタッフだらけで、医療用の機材も充分にあった。感染性廃棄物用の箱と除菌剤やらが直ぐに運ばれてきて、僕はやることが無くなった。ただ言っておかなければならないことがあった。これも幸運なことに他の巨大なデーモンには手は付けられていなかった。

 巨大なデーモンのマクスウェル機関をアルクビエレ・ドライブに使うのだ。そうすればもっと沢山の人間を乗せられる。切り捨てられる人間が減る。正しい事だとは思わないが、良い事ではあると思う。思いたい。結局は死ぬ人間を切り替えているだけに過ぎない。

 しかし、もうそんなことを考えていられるような状況なのか。心の内は言ってしまえとがなり立てる。それでも倫理は叫んでいる。いや、もう決まっているのだろう。結局は本能と理性と論理、僕を組み立てているほぼ全てがその境界を飛び越えている。

「コワレフスカヤ、作業を止めて設計を少し変えてくれ」

「殺す気かい?殺すぞ」

 僕はコワレフスカヤにそのことを言った。今から設計を変えればワープ直経が増えて詰め込めるものが増えると。前者の部分だけだったので殺されかけた。機嫌がやや悪かったのは稼働がとても多かったからだろうか。僕から巨大なデーモンのことについて話したら、彼はなんて事ないように受け入れた。

「培養液だったら用意できる、間違いなくそれを行うべきだと思うね。コンテナひとつ分でも入れられたら連れて行ける人間が増える」

 それはそうだ。そうするべきだ、と僕もそれに同意した。あっけなく何もかもは終わった。いくらか時間が過ぎたので、味のしないワームを摂った。そう言って欲しかった、そう思うと腑に落ちる。脂汗も疲労もしていない。体がいくらか痛むのは外傷のせいだ。

『月戦線は大規模な侵攻の兆しを見せています。地球-月間には4艦のノア級戦艦が集合し、現在もアルクビエレ・ドライブの兆候を見せています。今こそ火星コロニー住民の連帯を示し、この不当な攻撃に抗うべきです……』

 ラジオの音声が遠くから聞こえる。本当に大きな戦闘が近づいて来ているようだ。きっと多くの人間が死ぬ。ただ、今の僕を受け入れるのはそれだけなのだろう。


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