30,
土を掘り返すのは重労働だ。噴霧された農薬と血によって湿った大地はひどく重い。かつて掘り返した赤い砂地よりもずっと土に近いそれを、僕とミランは黙って掘り進めていた。
右腕にスコップを縛り付けて6フィートの穴を掘る。銃撃や筋肉痛によって体があちこち痛んだが、何とか作業は進ませた。まさかこんなに穴を掘る事に慣れるとは思わなかった。そのうちミランの方が先に終わって僕の方の穴を手伝ってくれた。日が昇って照りつけるようになった頃には、その2つの墓は完成した。
慎重にジムの体を運んで底面に横たわらせた。レイチェルも同じようにして隣の墓に寝かせた。死体を運んでいるとき、そこから漂う独特の臭気が鼻をついた。宇宙の静穏な環境では味わえない、死体を微生物が分解する臭いだ。死体はまだ目に見えるほど腐敗しておらず、彼らの顔は比較的生前と変わっていないように思った。それでも重大な何かがそれから失われた。機械を動かす動力のようなものが。
土を被されいく夫妻は昨夜の出来事の時の姿のままだ。棺桶を作るような暇は無かった。よく目を凝らせば、血痕を拭った染みが見えるだろう。6フィート、未だに宇宙のどこかで使われているこの単位を直すと約182cm。それが昔ながらの墓の大きさらしい。加えて彼らの体格に合わせてすっぽりと覆えるように掘られたそれが直ぐに埋められていくのに、僕は徒労を感じた。
黒い土を被せ終わった後に十字の形を作った木片をその上に据えた。不恰好だけど、これで墓は完成した。彼らはカトリック教徒だ。いくつかの世紀と伝播を重ねたうちに正しい教典は失われたが、今でもそのコミュニティの影響力は大きい。僕もそうしたものに接触した事があって、このやり方を覚えていた。葬儀費用の観点から火葬を選ぶことが多いが、やはり可能であれば土葬を望む者が大半だった。彼らもそうだと思う。
それを正しいと思うならば、彼らも満足だろうか。さあ。分かりもしない。死体は喋らないし、形而上学的な力なんて持たない。この儀式に似た行動を行っていたのは僕たちの感傷でしかない。それでも行わざるを得ない。
率直に言うと悲しかった。彼らは僕が殺したのに、そういった感情を覚えるのは矛盾している。特にレイチェルに関しては、僕がどうにか静止出来ていれば悲劇は起きなかっただろう。そしてそんな悠長なことをして居られるような状況では無かった、というのも事実だ。
銃を持った人間の危険性は理解している。彼らがいくつかの事柄に注意さえすれば、多少の指の動きだけで殺傷を行える。飛びかかるよりもずっとそちらの方が速い。少なくとも怪我を負っている僕ではそうだ。
これで言い訳の準備は終わった。あの場面で選ぶべきはミランだと思った。僕がバードショットを受け入れるか、レイチェルを殺すか。僕が死ぬと彼が残る。そうなったら兵士が一人減ってしまう。じゃあ円満に解決できるか。それも無理だ。ジムは概ね僕が殺したようなものだと心情的には思っているし、客観的に説明しても似たような言葉しか吐けない。だから彼女を殺した。
そんな複雑なことを一瞬で考えていたかどうかは分からないけど、僕はそう選択した。生への渇望もあっただろう。ともかく、その後のことは非常にうまくいった。銃弾は正確に脳を傷つけて即死させた。運よくその後の生理的な反応によって発砲することも無かった。
粛々とミランが聖句を唱える。彼は昨夜から服を替えていない。替えられなかった、の方が正しいだろうか。古めかしい文言に耳を澄ますと、概ね死者への尊敬を持ったような言葉を持っていた。血漿の染み込んだ白いシャツを着ていると、彼もまた死者のように見えてしまう。
この葬式に花はない。あまりにみすぼらしい、たった2人の為の葬儀は終わりに向かっていた。
最後に祈り、葬式は終わった。どう祈れば良いのか僕には迷いが生じた。ミランの組まれた手がきりきりと締められているのを見た。早く終わってくれと、そう思った。苦痛だったからだ。
朝から何も食べていなかったので、そのままリビングに戻って朝食を食べようと提案した。彼は曖昧に肯定した。薄情に思えるかも知れないが、生理的な欲求を抑え込んでもさして良い結果は得られない。
焦茶色の木のテーブルに2人分の食事を置いた。蜂蜜の入ったオートミールとオレンジジュースだ。食事はおのおのの祈りの後に始まった。味の薄いそれらを口の中に詰め込みながら、今後のことについて考えを巡らせた。
基地へとは問題なく帰れるだろう。ジルが座標を記憶している。帰路は火星軍が乗ってきた装甲兵員輸送車を使う。火星軍のIDが存在している限り、彼らは僕たちを追いかける事は難しくなる。移動という点でも車を使えるから、かなり楽になるはずだ。
また装備も充分な補給が出来た。装甲車の中に大気戦用のフライトユニットが残されているのをジルが見つけた。葬儀の間、彼女に資源の書き出しと分類を任せていたからだ。銃器や燃料、グリア粒子も装甲車の内部に残っている。1人でも2人でも問題はない。
展望は間違い無くある。
問題はミランについて、懸念すべき事項があること。彼と僕の主張は食い違っている。確かに僕たちは自分の意志で傭兵をやっている。だから殺人に責任を負うべきだと思う。しかし自分の意志というものが存在しているなら、それは境遇や先天的に変えられない部分から切り離して考えるべきだ。この視点に立つと僕たちに傭兵になった意志は存在しなくなる。(少なくとも僕はそうだった)それもまあ、才能を活かせずに清貧のまま暮らせと言われればそうとしか言えない。
堂々巡りになるのだろう。だからこそ僕は彼の決断を尊重したいと、そう思った。彼を説得しようとは思わない。本当にこの後のことを考えるなら、何としてでもそうするべきだと理解している。しかしどちらも正しい生存競争なら、それはただの傲慢でしかない。
口腔の中を燕麦で満たす作業が終わる。スプーンを置いて、オレンジジュースで食道へと押し込む。懊悩はある。むしろそれが大部分と言ってさえいい。ただ、やらなければいけない事だ。
僕が食べ終わっても、ミランはまだ食事を続けていた。ストレスは空腹を忘れさせる。しかしながら、どんな時でも食事は必要だ。デーモンに乗れさえすれば多少はマシになるだろうかと考えた。
彼が食事をしている間に雑事を済ませることにした。歯磨きや洗濯、それから装備の選択と積み込みだとかを。右手の不自由さにも慣れてきたから、作業はさほど苦でもなかった。真昼に近くなった11時ごろ、ミランはようやく太陽の下に現れた。
彼はようやく昨夜から服を変えたらしい。合成繊維でできた真白いシャツに袖を通していて、目がちかちかした。それと反対に目元はやつれた様に見え、深い眼窩の印象をさらに強めていた。日に焼けた筈の肌も青白く見えた。それでも尚整った雰囲気があるのはどういうことかと思った。
装甲車の腰掛けに座り込んで、僕は彼を見据えた。どうせ自分を削り取る時間が過ぎていくのだから、楽な体勢ぐらいは作りたい。やや暗がりの中からだと彼の髪はより光り輝いて見えた。
「もう大丈夫なのか。一応、明日でも明後日でもかまわないけど」
実際の所、そう何日も続けて襲撃が来るという事はないだろう。食料や水も、ここが都市から遠いぶん備蓄がかなりある。1日2日程度はどうって事ない筈だ。僕は彼の精神状況を想像しながらそう言った。
「いや……心配には及ばない。大丈夫だ」
大丈夫と言って本当に大丈夫だった人間はこの世の何処に居るのだろう。まあ、とにかく話を進めることにした。
「なら良いけど。現状の整理から始めよう。今居るコロニーは基地から約1000kmの位置にある。ここからクリュセ・コロニーまでは約2000km。基地に戻るなら道路を迂回しなくてはならないから約2週間、コロニーなら約5日程度かかると言っていい」
IDが残っているとは言え生体情報は誤魔化せない。兵士の親指と人差し指の間から生体端末を抜き取っても、既に死亡した情報がデータベースに登録されているだろう。また道路から行くと監視カメラに見つかってしまう。もし犯罪者が軍の車両を使っていると悟られると、IDが却って追跡されやすくしてしまう。僕たちは怪しまれることなく目的地まで辿り着かなくてはならない。
制約はいくらかあるけど、目的を達することは出来る。基地に帰るなら途中まで火星軍のふりをして進み、IDを取り除いて横道へと逸れる。都市に行くとしたら最初から最後まで火星軍のふりをする。そういったことを含めた概算で日数は出した。
「資源に関しては十分ある。食料や水は家の中にあるし、燃料や弾薬は火星の奴らがたくさん持って来てくれた。どちらの考えも実行できると言って良い」
「つまり、後は私たちの意志か」
「そうだね」
彼は想像よりも軽く、なんてことないように言った。僕も出来るだけ軽く言った。仲違いするのは辛い。
「一応言っておこう。僕は基地に戻るつもりだ」
「分かってる。それでも言いたい。それは何にもならない死だ。まるで大勢に何の影響も無い、無意味な自殺でしかない」
無意味でない生が有るとすればどんなものだろう、と思考が飛んだ。嫌になってくる前に終わらせなければいけないと思った。
「リュラ、お前は死にたくないから訓練を行ってきた。私たちの仕事は危険だからだ。名誉だとか責任だとかとは違う、ただ仕事だから行ってきた。間違い無くそれは打算的な行動だ。それ以外には無いと、そう思っていた」少しだけミランが息を継ぐ。
「だから分からない。なぜお前がこの戦争に執着するのか?お前は金を稼ぐために来たのだろう。だが雇い主は死んだ。こんな凄惨な場所で戦う理由があるのか?」
「打算と言うべきかどうかは置いておくとして、話がこんがらがってきたな。これは単純な話だミラン。正しい君と僕がいるだけだ。僕は基地に戻って戦う。君は都市に戻りたいのだろう。どちらも正しいのだから、折衝の隙は無い。そういうものだ」口の中に残った後悔を噛み下しながら言葉を続けた。
「理念と理念とを戦わせて、それでどちらかが生き残ると思っているならそれは傲慢だ。答えは変わらない。理解できなくても、破綻していようと僕を操れるのは僕だけだから……」
責任は誰に在るのか。もちろん僕に。それはあえて幻想と言ってしまってもいい。責任は社会に必要なものだから、行動に後付けで造られたものと言われればそれでいい。
そして僕が逃げ帰ったところで、誰が糾弾する権利があるのか。僕自身だけだ。
僕はどこまでも僕の為に戦う。良い人間になりたいから。父を知りたいから。
「だから、話は終わりだ。破局だね」
真昼の下の彼はより輝いて見えた。比喩ではなく、やや白い肌とブロンドがそうさせるのだ。表情もあまり見えなかったけど、それで良かったのだと思った。
「理念ではなくて、お前に死んでほしくないからだと言ってもか」
「僕も同じことを言いたいよ。だからこそ君は君の道を行くべきだ」
「……そうか、じゃあ……」
僕は彼の横を通り過ぎ、別の装甲車に移った。そこから言葉は無しにそれぞれの移動の準備に移っていった。
色々とひどいことも言ったけど、これで良かったのだろうと思う。何もしていないのに疲労が溜まったような気だ。彼は生きていける。いくらか違法行為を犯さなければいけないだろうけど、それも戦場にいるよりもずっと良いだろう。僕だって友人(そう思ってるだけかもしれないけど)に死んで欲しくはない。それを僕に適用しないのは意志を尊重したいからだ。
水や食料、燃料と弾薬を何とか装甲車へと運んだ。途中で昼食を取った後にデーモンへ乗り込み、そのまま運ぶことにした。悪魔に飲み込まれると奇妙な達成感が吹き飛ばされて、紛い物の平静が訪れる。
「マスター、話し合いは終わりましたか」
「ああ。残念だけれど、ミランとはお別れだ」
「そうですか。私も同じ気持ちです。彼は私の言語分野の発達に大きく貢献してくれました。毎日の挨拶程度も出来なかった」
「車が手に入るまではスピーカーどころかパソコンも無いのだからしょうがない」
コロニー内で夫妻に住まわせてもらっているうちは、ジルはほとんど放置されているような状況だった。彼らをヘタに刺激するような懸念は取り除くべきだと考えたからだ。彼女もそれに同意し、昨夜まで眠りこけていた。
「希望ですが、多少お時間を頂く事は可能でしょうか」
「問題はない。だけど引き留めようとかは考えないでくれ。彼と僕が選んだことだ」
「ええ。了解しています。きっと私もあなたを守る為なら手綱を引きちぎりますから。ただの別れの挨拶です」
荷物を詰め込んだ装甲車の中でデーモンを脱ぎ、いくつかのコードを繋いだ。音声を出力するだけだから処理能力もあまり関係ないだろう。
信号がトラックの間を渡っていき、遠くで合成音声の音が聞こえる。もう慣れた筈なのにそのか細い音を聞くと悪寒がする。会話は僕が他の荷物を積み込んでいる間に終わり、聞くよしもなかった。聞かなくてよかった。
赤い昼間が終わる。青い夕暮れが段々と降りてくる。広い広い虫かごから出るべき時が来た。
どうにかしてクラッチを繋ぎ、装甲車を動かすことが出来た。8つのタイヤが地面を蹴り出していく。トウモロコシ畑に挟まれた道を進む。背の高いトウモロコシの傍に兵士たちの死体が転がっているのが見えた。もう何日かここに居るとしたら、処理する時間もあったのだが。
延々と続く様に見える景色が途切れて、コロニーの外壁が見える。僕たちが無理やり侵入するしか無かったのとは逆に、内から外に出るのは簡単だ。ゲートの近くに車を一旦停めてから兵士たちから奪ったカードキーを読み取り機にかざすと、簡単にゲートが開いた。
嫌味があるくらい澄んだ空が照らした。サングラスか何かを探してくればよかったと僕は思った。コロニーの大地とは違う、赤錆びた色の大地を懐かしんだ。同様のものを背後のそれに求めたけれど、何も見つからなかった。後悔は沢山あった。
今更それを言い出しても仕方のないことだけど、やり直したい気分だ。そうして何かが変わるとも思えないとしても。僕に何か出来る事があっただろうか?裏切りを察知出来たら良かったのか、ジムが撃たれなかったら良かったのか。やり直したとしても正解に辿り着けない気がする。だから悔やんでいる。
悲嘆ではないことも含めて無意味だ。
自分がやって来たことが罪だとは思わない。それは自分自身の生存が目的だから。戦争犯罪だとかの話は戦後に任せるとする。言うなれば、自分自身の行動に関して何ら罪悪感を持たないこと、それ自体が罪だと思う。要するに倫理の問題だ。人を殺して罪悪感を持たないこと自体が罪だ。
彼らのようになりたいと思う。ジムに、レイチェルに、ミランに。人の死を悲しむ人間になりたい。トリチェリが求める人間に。だから僕は戦わないといけない。もはや僕は僕自身ではいられない。
それが僕の手を雪ぐのか、さらに赤黒く染める事になるのかは分からない。ただ、解決できるとすればその方法しか無い。
「……マスター、後方から車両が見つかりました」
「敵か?」
「いいえ、違います。貴方の友人です」
ぼうとしながら荒野を走っていると、突然ジルが報告してきた。それを聞いたあと、不意に心臓が跳ねるのが分かった。緊張ににも似たような不明瞭な感情だった。
モニターから赤錆色の装甲車が砂煙をあげながら荒地を飛ばして来るのが見えた。ずいぶん無理矢理速度を上げているらしく、車体が危なっかしく跳ねるのが分かる。僕はアクセルを緩めて、スピーカーをオンにする。マイクをどうやって掴もうか考えている間に大きな声が聞こえてきた。ミランの声だ。
『リュラ!やっぱり基地に戻るのか?!』ジルがマイクの感度を上げたと囁いた。
「ああ。その通りだ。ミラン、君は道をかなり間違えてるぞ」
『合ってるさ!やっぱり私も戻る事にした。傭兵ほど儲かる仕事は無いのでね!』
ミランはそう嘯いた。僕は申し訳なく思った。そして笑った。自分の声が少しだけ震えていくのが分かった。
「そうか。ありがとう。味方として、君ほど頼もしい人間は居ない」
「マスター、それは少し過言かと」ジルがスピーカーから音声を出す。音の響き具合からして、どうやら外にも出力しているらしい。
『そうだな、リュラ。せいぜい2番目にしておこう』
「あー。分かった。1番目と2番目が味方に居てくれて嬉しい」
「どういたしまして、マスター」
『じゃあ、行こうか。スリップストリームを使えば燃料も節約できる』
ミランの乗った車が減速し、すぐ後ろに着く。運転が得意ではない人間の後ろにつくのはやめておいた方がいいのでは無いかと本能的に思ったけれど、言うのはやめておいた。
希望はないけれど、それでも進むしかない。トラヒコを救わなければいけない。その前に基地が襲撃されているだろうか。だけど今だけはそういうことを考えないようにした。




