表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
目覚まし時計  作者: nacare
1:落下
29/76

29.

 僕は初めて葬儀屋の気持ちが分かった。遺体の手足がもげていると悲しくはないけれど、嫌な気分になる。僕は死んだ人間に何ら面識は無くても、少なくとも遺族は嫌な顔をするだろうから。だから繋がなくてはならない。

 僕は何度か葬儀に出席したことがある。大して親密とは言えないけれど、さして険悪というわけではない傭兵たちだった。様式はどれも違っていた。簡素な黒い棺の中に入れられて何らかの文言を唱えさせられたり、香を焚べたり、踊ったりだとかした。

 ひとつ共通しているのは死人の顔を見ること。普段よく見ている、血色のないものやら硬直して叫ぶようになっている顔ではない。化粧をさせられて最大限綺麗にしたそれだ。ある時には普段より小綺麗になった顔は作られたものであると知った。

 文字通りに砕かれた骨にプラスチックを入れて固めたり、焼かれて隠せないほどぼろぼろになった肌は切り取ってシリコンライクの生地やレジンに換えたりする。本当に何の原型も無い時は写真からおこしたデータを基にしてハリボテを作ったりする。身体に対しても同じだ。安い葬儀屋は巨大なホッチキスを使って四肢を留め、もう少し高級になるとナノフィラメントと幹細胞培養技術で作った皮膚のカードで継ぎ目なく仕上げる。

 そうまでして死体を生前の状態に戻すのは遺族や参列する人々のためだ。それどころか葬儀でさえも。全ては生者たちの為にある。だからこそ面倒臭いのだろう。

 悲しんだり、悔しがったり、怒ったりすることを無駄だとは思わない。より正確に言うのなら行動としては無駄だと思っていても、それが湧き上がること自体は無駄でも何でもなくただの現象だと。最もそれが僕たちに向けられることが何よりの無駄であると思う。

 ジム・シモンズの瞼を閉じさせて僕は歩き出した。いつものように俵担ぎにすると内臓とかが出てきそうなので横抱きにした。千切れた腕はしょうがなくその上に置いた。後悔と高揚のためか、心拍数が上がっていくのが分かった。無性に何かを手を使って壊したくなった。恐らく、銃器では満たされないと思う。

「……お悔やみを申し上げます。加えてマスター、あなたに謝罪します。申し訳ありません」

「後悔か?それか慰めだったとしても何の役にも立たないよ。手足を繋ぐ方法を考えてくれないか。それとも教えてくれないか、の方が正しい?」

「私も油断していました。発射音から大まかな位置は特定出来ていましたが、驚異ではないと判断した。誤射の可能性があるような場所で、再び攻撃する確率は少ないと……私は選択を間違えました」

「何処がだ。あそこでヘリコプターを片付けなければ直ぐに死んでいた。僕たちも危ない。何も間違っていない……責任という話なら僕にもミランにもジムにも、こいつらにもある」

 僕はつま先で倒れ伏した火星兵を除けながら言った。責任転嫁だと言われるだろうか。

「僕たちはドミノの1駒だ。倒れようと倒れまいと、誰かが倒れたら流れには逆らえない。僕が何処かで正しい判断をしたとしても、僕以外はさして変わらない。間違っていたと言うのなら他の人間もそうだった。それに後悔したとして、さして変わる事もない」

「だから先のことを考えるべきだと……」

「傷つくことは無為であっても、それをやめろとは言ってない。それが正常だから」

 僕たちの会話はそこで終わった。肌の上で蠢く機械たちの音色が聞こえた。先程から発砲やら刃が回転して肉をすり潰す音もない。戦闘が終わり、コロニーの中は静寂を詰め込んだ暗闇で満ちていた。

 暗視状態の蛍光色じみた視界の中に、デーモンの姿が入ってくる。角張ったシルエットは不恰好なロリポップキャンディーのようなものを抱えている。ミランだ。彼は敵に備えて警戒していたが、友軍反応に気づいたらしく直ぐに武器を下ろした。

『リュラ、そっちはもう終わったのか……それは……』

「ジム・シモンズの亡骸だ。先に謝っておく、すまない」

『不安はあったが……そうか、死んだか……』

 彼はジムに手を伸ばした。何か理由があってしたことではなさそうで、所在なく戦慄いた手はしばらくしてから下ろされた。黒っぽくなった皮膚とシャツ、爆発の破片が引き裂いた筋肉。もし嗅覚に優れていたら、人間が焼かれた独特の匂いも感じ取れただろう。酸鼻を極める光景でさえもデーモンが咀嚼していく。彼の中で激しく本能と道理とが戦っているようだった。しかし、再び訪れた静寂の中にいるつもりは無かった。

「もうここには脅威は無いだろう。レイチェルに彼の死体を返しても問題は無い。それからここを出ればいい」

『そう、だな。そうした方が良いだろう』

 近くにあった装甲車の中に彼の死体を収容した。歩兵を輸送するスペースがあり、荷物や装備を保持するためのベルトもあったのでそうすることは簡単だった。何処からかミランが布を持って来て、”遺体をこれで覆おう”と提案した。僕はそれに同意した。

 その間にスマートランチャーや拳銃を兵士たちから剥ぎ取った。これだけ死体を作って、あまつさえそれから無用しているのにあまり良心が痛まないのはどうしてだろう。無論何の接点すらないただの敵だからだけれど、それは不誠実だとも感じる。

 死というレイヤーを被せるだけで、どうしてここまで感傷的になれる?罪悪感ではない。多分僕だって生きたいからだろう。彼らの死は僕の死を感じさせる。その寒気でさえ消えていった。

 僕が作った武器は捨てた。最初にジムが轢いたデーモンのcv-7は内部機構が潰れて使いものにならなかったけれど、銃器は沢山ある。身を守る程度は出来るだろう。

 真っ暗になったコロニーの道を装甲車は走った。踏み固めただけの道を進むとタイヤが跳ねて車内が揺れた。僕よりもずっと車の扱いに慣れたミランでもそうなのだから、誰がやってもそうなるのだろう。がたがたと揺れるのに逆らうようにベルトを握っていると、この後の面倒ごとから逃避できた。

 十数分しないうちに居住地区に着いた。刺激しないようにデーモンを脱いだ方がいいとミランが言った。僕はただの婦人にそんなことが必要なのか、と思ったがさして否定材料にもなっていないと感じてそれに従った。デーモンを脱ぐと痛みが走ったが、ジルの診断では問題ない範疇らしい。

 作業着を着ていても寒気がした。トウモロコシの理想的な寒冷した気候になっていたり、ナノマシンで濡れていたりするせいだった。M18を彼に差し出すと、それを黙って受け取った。ということは、彼も反撃の可能性を信じているということだろうか。

 死体からベルトを外して運び出す。それに巻かれた布はあまり上等でなく、所々から血が染み出してきていた。まあ、直接見せるよりかはマシだろうけれど。

 青色に塗られたドアをノックすると、やたらと忙しないどたどたとした足音が聞こえた。程なくしてドアが開く。自然とミランが前に出た。そこで気づいて少し後ろに下がった。

「まあまあ、もう大丈夫ですか?その、もの凄い音が鳴っていましたけど」

「ええ。私たちは無事です」

 ミランの背後から軽く顔を出した。レイチェル・シモンズのやや憔悴した顔が見えた。確かに銃声や爆発音はここまで響いてくる。一般人を不安にさせるには十分過ぎるほどだ。

「火星軍が仕掛けてきましたが、何とか追い払えました。多分もう来ることは無いと思います」

「それは良かったです。それで、ジムは何処に?まだ外にいるんですか」

「その、落ち着いて聞いてください。彼は……」

 ミランが首だけをこちらに向けた。その目は判別し難い感情をたたえていた。僕はそれを抱いたまま前に出た。

「亡くなりました。火星軍の部隊と戦って」

「……え……」

 彼女はその死体を見た時、凍りついたように表情を止めた。普段の彼女は表情豊かと言っていい。さまざまな感情が浮いては現れるその様は、僕に危害を加えなければ見ていて愉快なものだった。過剰な動作も含めて凸凹した果実が水に浮き、くるくると回っていく様に似ていた。

 簡単な言葉と見窄らしい死体に彼女がどんな感情を抱いたのか、僕には知るよしも無い。ただ騒々しかった彼が静かになり、こんな姿でいることが耐えられるとは思えないというのは理解できる。

「……2人とも、中に入って。冷えますからね」

「え、ええ」

「主人は私のベッドに寝かせてください」

「分かりました」

 汚いのではないかとも思ったけど、黙ってそれに従った。リビングの横を通って少しするとその部屋にたどり着く。入ったことは無い。中に入ると薄ぼんやりした中で、ベージュのキングサイズベッドが見えた。言葉通りに死体をそこに置いた。千切れた腕がシルエットを不均衡にさせ、不安を掻き立たせた。

 ナイトテーブルには息子たちの写真が立てられていた。それを見ると、彼が何のために死んだのかを考えてしまう。今でもただ火星軍が気に入らなかったから戦ったようには思えない。傲慢だと捉えられるかもしれないけれど、やはり僕たちのために戦ったように思う。

 ノーバートは今際の際に火星のために息子たちが死んだ、と言った。何の判断材料もないけれど、あそこで嘘をつく必要はない。それが真実だと感じる。推測に推測を重ねるなら、僕たちに感情移入したとかだろうか?

 息子たちは無理な革命のために死んだ。だから火星軍を呪い憎んだ。そこに火星軍と戦う僕たちが現れた。心を通わせて、そして火星軍の監査がやってくる。あまり同情はできないけれど理解は出来る。どちらもそうだ、というのが正しいのか。

 個人的なことを言うと、最期に僕を見たあの目は嫌いだ。だから彼のことも嫌いになった。

 その部屋から出た。ドアを閉めると不吉な静寂だけが家の中にあった。段々と僕がいた家に近しくなっていくのを感じていた。誰かが居たはずの生ぬるい静けさは消えない。さして彼が関係していない廊下のサイドチェストや、トイレの前のアウターシェードが口をつぐんで見ている。

 リビングに戻った。2人は定位置に座っている。僕も席に着いた。ミランと僕が戦闘についてぼかして説明した後は誰も口を開こうとしなかった。しばらくしてからようやくレイチェルが話し出した。

「……主人は火星軍を嫌っていましたから、これまで小競り合いのようなことは沢山ありました。最近は状況も状況ですから、そうなったのも不思議ではありません。ただ……こんなことになるなんて……」

「謝罪とお悔やみを申し上げます。私たちもそれを止められなかった」

 ミランは沈痛な面持ちで言った。声色からしてもそれが本心であるように思った。僕は道理からすると謝罪をするような謂れもないとは思ったが、それに続いて似た様なことを言った。

「……いえ、きっと頑張ってくれたのでしょうね。2人とも、もう寝なさい。私も寝ます。その間にちゃんと考えるわ」

 彼女が理性的であるということに僕は安堵した。くだらない、本当にむき出しの感情ほど嫌な気分にさせるものはない。僕がAIを忌み嫌うことと同じような生得的な事なので、何の理論さえもない。ただ感じたばかりのことがこうこうと流れいくのが気持ち悪いと、それだけだ。

 ほとんど無表情になった彼女をミランは心配していた。僕もそうでないと言うのは嘘になる。自分の部屋に戻っていくレイチェル・シモンズの表情は固まっていて、鳶色の眼だけが光を反射してきらめいていた。ただ、僕はそれだけだということに安堵して、それ以上考えることはしなかった。

 僕たちはいつものように身支度をして寝た。普段と変わりなく夕飯を食べ、シャワーを浴びて、歯を磨いた。腐臭が漂ってくるものとも思えたけれど、1日程度だとそういう訳でもないのだろうか。蛆が湧くような環境で人を殺したことがないからか、中々想像もつかない。

 息子たちの影が染み込んだ部屋のベッドに座る。これからどうしようか。装甲車を使って基地に戻る、多分それは出来るだろう。ここから基地の座標まで行くためにガソリンがどれだけかかるかは分からないが、いくつかの車から取り出せば十分なはずだ。

 同様にこのまま戦争から逃げ出すということも出来てしまう。火星軍兵士の生体端末を抉り取って、僕たちのものにする。火星のコロニーまで入り、後は闇医者に金を積めばいい。僕たちの生存を意味する端末と火星軍の端末を入れ替えれば、晴れて僕たちは戦争とは無関係だ。

 まあ、彼はそんなこと考えられないぐらいに消沈していた。あの様子だとそんな計算もする必要はない。喜んで戦場へと帰ろう。

 断っておくと、僕は戦いたいという訳ではない。しかし傭兵という職業を選んだ責務はある。僕は僕の殺戮の責任を負わなければいけない。それが僕の正直な気持ちだ。そこにはもう他人の介入する余地はなく、ただ従って行動するべきだと思う。トリチェリと話した時から分かった事だが、自分自身に背いても良いことはない。もしくはデーモンにでも頭を壊されたのか。

 あいにく僕はどこまでも正常だ。一回だけマクスウェル機関と接続したことがあっても、有意な結果は齎されなかった。僕は僕以外の何者でもなくその思考を妨げるものは何一つない。本当はそうでないと思いたいけれど、ようやく僕はその残酷さを受け止めることができた。

 僕はトリチェリとのことについて決着を付けたいから、この戦いから逃げたくないのだろうか。それも真実だろう。

 ベッドの上に横たわろうと体をよじったときに痛みが走った。どこが壊れているのかさえも分からない激しい痛みだった。それでも何とか布団の中に滑り込めば、すぐに眠気が訪れた。

 血流が早まり、眠りへと旅立つ準備が進んでいく。眠るのは好きだ。何も考えなくていい。


 柔らかな影の中にいるのが分かった。目が覚めたのか?まだ寝ぼけている頭を無理やりに動かして記憶を辿る。覚えている限り、寝たのは確かだ。僅かに頭を起こして部屋の中を見渡すと暗闇の中にひと差しの光が見えた。ドアが半開きになっている。

 間抜けな自分と怠惰な自分とを戦わせて、少し迷った後のろのろとベッドから出た。掛け布団を剥がすとこの部屋の異常に気がついた。寒い。ドアの間から強烈な寒気が押し寄せてきている。僕がただ間抜けなだけならそうはならない。空調が切れているのか?

 いや、この家はセントラルヒーティングを使用している。またコロニーはトウモロコシの生育に特化していて、正直に言って寒い。なので年がら年中暖房はつけたままらしい。少なくとも僕がいた2ヶ月程度の中で切った日は一度もない。だから切ったという可能性は低い。

 まさか3度目の襲撃か?耳を澄ませて様子を伺う。もはや眠気は完全に消え去っていた。ブーンという電子機器のコイル音の中に、よく聞くと風の通る音が聴こえる。ゆっくりとナイトテーブルから拳銃を手に取る。半分ほどスライドを動かして薬室に弾丸が入っていることを確認する。

 特殊部隊みたいに静かに制圧しに来た。ただの治安維持組織が?いや、考えている暇は無い。問題はそれの可能性があるという事実だけだ。ドアを半分開いて廊下を確認。完全に部屋から出て反対側も確認する。クリア。

 廊下には風が流れている。冷たい風だ。窓か玄関か、何処かが開かれたままになっている。もしくは爆薬を使って壁を壊しただろうか。いや、流石にそんな音がしたら気付く。デーモンに乗っていないからか様々な憶測が消えて、また浮かんでくる。乗っているならそれに動じることもないけれど、今はただ不安ばかりが押し寄せている。

 閃光のように脳裏を掠めていく思考の中で思い出されるのは、ついさっき殺したばかりの兵士たちのことだ。暗闇の中で死んでいった者たち。文字通り畑の土に還っていった者たち。視界もおぼつかない中でデーモンに攻撃されるのは悪夢だっただろう。まさしく、獣か何かに襲われている気分だったはずだ。

 そして僕はようやくその顔を、その恐怖を思い出す。恐怖に歪んでいてむしろ笑っているように見えた。血と涙に濡れた肌が刃に絡め取られていき、ある瞬間を越えると張り裂けて筋肉と骨があらわになる。その瞬間は血は出ない。血液が流れ出てくるのは少し経ってからだ。

 銃弾で倒れても人間は意識を保っている。頭でもなければ銃弾が傷付けるのは血管や筋組織、骨や内臓だ。大概の場合、致命的な損傷について感情を巡らせる時間がある。最後までサブマシンガンや拳銃の引き金を下ろそうとする人間もいれば、何もかもを諦めてただ血の海に沈む事にした人間もいた。

 暗闇に包まれた廊下を進んでいるときにその光景がようやく思い起こされた。僕は僕の残虐さに気づいた。デーモンに乗り込んでいたとしても、たとえそれが本当は感じなかったとしても、覚えておくことが唯一の後悔の示し方ではないのか。

 長い思考の旅と短い現実の移動が終わった。僕は風上へと歩いていた。これが襲撃なのか、それともただの勘違いなのかを見極めるためだ。最も簡単な対処は逃走だけど、薄々とそんなことをしなくても良いことに気付き始めていた。

 扉を半開きにして左側を見る。さらに扉を開いて右側。暴れるドアを押さえつける。目立つ脅威がないことを確認すると、僕は拳銃を下ろした。ここはシモンズ夫妻の部屋だ。ベッドにはまだ死体が寝かされていて、部屋は暗い。しかし窓から僅かな月明かりが降り注いでいて、廊下の暗闇に慣れた僕には問題なく見えた。そしてそれが寒気が絶え間なく襲ってくる理由だ。

 ほとんど天井まである、採光を意識した大きい窓。それが開いている。破壊の後は一切ない。気圧か何かの関係で絶えず強い風が吹き付けて、家のエネルギーを均一にしようと働いている。吹き付けてくる風は土と草の匂いがした。冷たくて爽やかなその風の中には幾らかの血と油の粒子が漂っているのだろう。

 恐らくではあるが、レイチェルが死体を冷やすためにしたことだろうと思う。食肉が常温のもとではすぐに悪くなるように、死体もすぐに腐ると思った。だから窓を開け放しにして冷やしておくことにした。自分の夫を野晒しにしたり、冷蔵庫に入れておくことよりもずっと敬意を払っているやり方だ。

 レイチェルの姿はこの部屋の何処にもない。彼女はきっと別の部屋で寝ているだろう。こんな夜中に警戒をしながら廊下を渡ってきたことは、ただの取り越し苦労だった。アドレナリンで麻痺していた感覚が戻ってくる。寝巻きで居るには部屋はひどく寒い。死体は多少腐敗が進行することがあっても、元の姿を保ったままだろう。

 ベッドの死体に目を向けると、顔に布がかけられていることに気がつく。恐らく死後硬直によって多少表情は変わっている筈だ。顔を見たくない、というのは当然のことだと思う。僕も誰か大切な人間が死んだら同じことをするだろうか?まあ、それはそのときになって考えよう。

 寒くとも布団に潜れば多少は大丈夫だと思う。そうでなくとも、今日一晩耐え切ればそれでいい。そう思って主寝室から出ようとした。開いたドアから影が伸びているのが見えた。

 廊下には小さいながらも常夜灯がある。でないと暗すぎて何も分からないからだ。僕が居た部屋に漏れてきたのもその光だった。小さな光は人1人分を照らすには十分で、そのシルエットだけでも誰なのか分かった。レイチェル・シモンズ。僕は握ったままだったM18をポケットに入れた。

「こんばんは。すみません、急に寒かったものですから何が起きたのかと」

「……そうですか、私も何か言っておくべきでしたね」

「そういう訳にもいかなかったでしょう。僕はもう寝ます。貴女ももう寝たほうが……」

 当たり障りのない言葉を使った。感情に傷つくのはいやだったので、彼女を刺激しないように。もちろん哀悼と謝罪の念も込めて。彼女の様子はその懸念とは裏腹に落ち着いて見えた。僕がそれを異常だと思えなかったのは、共感出来なかったからという他ない。

 足元の影が動く。その動作がはっきりと分かった訳ではなかったけど、ろくでもないことだと本能的に気づいた。咄嗟に伏せると頭上で轟音が鳴った。

「……あなたたちが来たから……」

 鈍くなった聴覚の中でそう彼女が言った。言わないでくれと思った。身を起こす間にポンプアクション式のショットガンを彼女が持っていることを確認した。拳銃を取り出して引き金を下ろすよりも早く、次弾の装填が終わる。必死で床を転がって部屋側へと逃げる。

「……あなたたちが来たから!ジムは死んだ!死ね、死になさい……」

 再び轟音が響く。右腕に衝撃が疾る。しかし僕も拳銃を構えることが出来ていた。何も考えず引き金を連続で引く。2、3回ほど9mm弾が命中して彼女は怯む。5回目の引き金を下ろすよりも早く、彼女は廊下へと退いていった。弾丸はドアに命中した。

 素早く廊下の射線上から退いて体の状態を確認する。右腕に散弾が当たって出血している。幸いながら掠っているだけのようで、痛みはあるがまだ動く。右手は元々動かないのだから、支障はない。カーテンを引きちぎって即席の止血帯を作った。

 僕の頭の中は極めて単純な思考だけがあった。彼女を殺すことだ。銃を持った人間を殺さずに無力化することは難しい。普通の人間でさえテーザー銃や催涙ガス、放水だとかの非致死性の手段を用いなければ殆ど不可能と言っていい。ましてや銃を持って投降の意思さえ無いのだったら。そうなれば殺すしかない。その判断が合理的な事であることを僕は祈った。

 ドアを開けて廊下を見ると、血の跡が続いていた。何処へ向かったのだろう?追いかけながら考える。方向からして玄関ではない。すると銃があった地下か、もしくは……追いかけるにつれて、その想像が現実に近づいてくる。

 血痕が続く先は息子たちの部屋だった。僕とミランが居る部屋だ。ようやく彼女の目的について考えた。僕とミランを殺すことだ。

 銃口で僕はその部屋のドアを押す。柔らかな順光と僕の影がミランとレイチェル・シモンズを包んでいく。彼女はミランを意思の力で捕まえて、後ろから散弾銃を突きつけている。彼は状況もおぼつかないままで、しかしこの場の切迫に影響されている。

「レイチェルさん、あなたはどうして……」ミランが困惑したまま尋ねる。

「そんなの、分かるでしょう。分からないとは言わせないわ。ミラン、リュラ。あなたたちのせいでジムは死んだのよ。今からその報いをあげる」

「ミランを離してください。彼は関係無い」

「嘘よ」

 彼女が銃口をさらに押しつけたらしく、ミランは身悶えする。僕は銃口を下ろして、細心の注意を払って言葉を続ける。

「彼が死んだ時のことを言ってませんでしたね。彼は火星軍の将校と対峙していた」

「嘘を言わないで」

「貴女を傷つけたくなかったから、詳細は言わなかったんです。彼らはそのまま撃ち合いになった。結果は相打ちでした」

「……」

「僕はその場に居ましたが、その戦闘に介入しようとは思わなかった。彼が死ぬとは思わなかったからです。申し訳ありません」

 僕は嘘を言った。本当は介入する隙間さえ無かった。でも、それは言い訳をしているようにしか聞こえないだろう。わざと殊勝に振る舞えば、彼女を揺さぶれる。

 身じろぎすらせずに彼女との距離を測った。飛びかかるのは得策ではない。ミランごと撃ち、そのあとに再装填して僕を撃つだけの時間が生まれる。

「あなたが……ジムを殺した……」

「そう言っていいです」

 わざと刺激するような言葉を使ったのは、状況を変えるためだ。今の状況だとミランは確実に殺される。彼を殺されるのを避け、また彼女を殺すためにミスを待つことにした。僕は思ってもいないような言葉を再び紡ぎ始めた。

「僕は彼を信頼していた。地球連邦軍に勤め上げた軍人だったし、事実として彼は何人も倒していた。だからその時も同じように倒してくれると信じた……それは間違いでした。彼はそして亡くなった。僕の油断のせいで」

「何でそんな馬鹿をしたの」

 彼女は極めて平坦に言った。その裏側には激しい怒りや悲しみの濁流が流れているのを僕は感じ取った。彼女は僅かに天井を仰ぎ、僕から目線を外した。つまらないゲームを終わらせる機会が訪れた。

 拳銃を構えて素早く引き金を下ろす。狙いはレイチェルの頭部。負傷している腕でそれを狙えるのか、という疑問は存在している。だけどもう過程の話は出来ない。迷いなく放たれた銃弾は彼女の脳をぐちゃぐちゃに掻き乱して、すぐに生命活動を終わらせた。

 すぐにミランを引っ張って彼女から離した。死後でも脊髄の反応で引き金を下ろすということはあり得る。彼は絶望感に包まれたように顔を青ざめて、唇をわななかせていた。散弾銃を彼女の手から外して、すぐにセーフティをかけた。グリップにはまだ温度が残っていた。

 何とか事態は収束できた。これでもう安心できる。ミランはまだ動揺したまま、口を開いた。

「……殺す必要があったのか。彼女は、ただの……」

「ただの銃を持った人間だ。そしてそれを無力化する術はこれだけだった」

「そんな……みんな死んだなんて。何でこんな事に……」

 彼は泣いていた。涙が目の淵から溢れてフローリングに落ちた。その鳴き声と嗚咽、それと家の中に容赦なく入り込む寒気。嫌になって逃げ出したくなったけれど、頑張って耐える事ができた。

 しばらく待って、彼が泣き止む事がないのではないかと考えた。仕方なく彼を僕の部屋のベッドに置き、僕は死体を片付ける事にした。でっぷりと膨らんだそれはまるでトドの死体のようで、引きずって運ぶしか方法が無かった。冷たい夫妻の部屋に置いておけば、きっと朝までは保つだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ