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目覚まし時計  作者: nacare
1:落下
26/76

26,

 窓の外で農薬の噴射が始まった。人を死に至らしめる、とまで有害ではないと思う。それでもやはり好んで浴びるようなものでもないのだろう。僕はそれが決まって食事時にのみ行われることに気づいていた。噴射されたそれが白い霧となって小麦畑に立ち上る様は、朝日が登る前の街の姿に似ていた。

 赤い木で作られた窓枠をなぞる。体の感覚はいい。拷問直後からは言わずもがな、デーモンに乗っていた時よりも想像通りに動く。高熱はやはり不衛生な場所からくる感染症だったらしく、抗生剤を山ほど使ったらしい。胡乱だった思考もずっと滑らかだ。

 両手を握り込もうと試す。左手は動き、やはり右手は動かない。左手には強い痛みが差し込む。まだ骨がくっついていないからだ。骨折の完治には3ヶ月程度、もし適切な先端治療を受けたとしても1ヶ月はかかるだろう。僕が略奪を始めるには時間がかかる。

 ベッドの上に両腕が落ちる。足音を聞いて上体を起こす。僕たちの世話をしてくれた人間を疑い、また殺人の計画を立てるのは心苦しいことだ。だけど本心がわからない以上はどんな可能性だってある。

 まだ日は高く部屋の電気はついていない。強い光は若草色の壁にさえぎられて散り散りになった。

 青々しいトウモロコシが並ぶ姿を見ていると、僕に起こったことがまるで幻だったかのように思えてくる。静かに農薬と精製水が混ざった溶液が立ち、緑色の柱が揺れる。最近の僕はコンクリートと血、それと赤錆びた地平しか見ていなかった。ここでは変に心が掻き乱されることはない。

 まあ、ミランの話を聞いた後だと少し気が重たくなるけれど。この光景は突き詰めた資本主義によって作られている。なんとなく彼の口調からして、種子料はかなり多いのだろう。だからその返済で段々と首が回らなくなっていく。僕たちも弾薬料が似たような形式になっていることがあったから共感できる。

 今はそうでない。僕の会社は傭兵を敵に回すよりもそのシステムを変える方が安上がりに済むと思った。でも種とその作物を管理したいコングロマリットはコロニーを作り、人を呼び込むことを優先した。

 良くできたひどい仕組みだと僕は思う。けれど否定する気にもなれない。事実として、こうした犠牲になる人間がいなくてはならない。安く作られた小麦から食品を作り、燃料を作り、肉を作る。それをするのは需要があったからだ。宇宙に旅立った人々へ物資を行き渡らせることが出来たのもそうした仕組みがあったからだと感じる。

 僕たちには何もかもが必要だった。コロニーにある空気と光だけでは生きられない生命たちがそれを必要としていた。だからこそ、それを供給できる人々である企業たちが強力な力を持つようになった。今もなお貴族のように農民を支配していて、僕たちに食料をくれる。それが悪だと知っている人間は山ほど居るだろうけど、本当に打倒しようと考えているのはどれくらい居るのだろう。

 僕も打ち倒そうとは思わない。きっと自由に作物を育てられるようになったら5セルでハンバーガーが食べられなくなる。でも体制が良くなったのだから、と自分を宥めるのだろう。突き詰めれば誰かが犠牲にならないといけない。それが一部か全体になるだけかの話だ。

 だから、ひどい話だと思うけどそこまでだ。金もないしやる気もないし能力もない。僕はただ共感するだけで、それがどれだけ残酷なことだろうか。

 ドアが開いて、金属の蝶番が軋む音を立てる。愚にもつかない想像が消えていく。体に無意識に力が入っていくのを感じる。

「入りますよ。ご飯を持ってきました」

 ノックと一緒か、その代わりとして使うような言葉で彼女は部屋に入ってきた。前腕を使ってドアを押し開けて、食事を上に乗せたプレートをベッドの上に置いた。薄茶色のスープの表面が激しく揺れた。不躾な態度というよりかは、動作のひとつひとつが粗雑だった。

 安っぽい生地のTシャツの下にぶるぶるとした贅肉を収め、その上から亜麻色のエプロンで縛った。コンクリートを練ったような膨らんだ脚は、藍色のジーンズと土汚れしたスニーカーに押さえつけられている。黒い肌に所々白い線が浮き出た髪を蓄えた、そういう女性だった。

「いつもありがとうございます。一応、動けないこともないんですが……」

「いえいえ、ひどい怪我ですからね。しっかり療養してください。今は寝るのが一番ですよ」

 萎びた声を高くしてレイチェル・シモンズは言った。彼女の言葉は本心かどうか分からない。疑心。ただこの状況を享受するしかできない僕には重要なことだ。

 僕が倒れたあと、ミランは僕を引っ張って運んだ。その後コロニーの中心部分にある居住地域を見つけて協力を取り付けた。どうやって10mもある壁の上から僕を運べたのかは聞かなかった。知らない方がいいこともある。

 どうして火星軍に弓引く僕たちが、火星のコロニーの人々に助けられたのか。それはこのコロニーの持ち主が元地球同盟軍の退役兵だったからだった。火星から蜂起した軍はアーチボルト・ヒュームの一派だ。もちろんそれが最大の派閥ではあるのだが、それ以外に属する軍人も居た。

 長い年月を経て火星に駐在する地球同盟軍の殆どは火星出身の軍人に入れ替わった。ただ、それも同盟軍は分かっていて定期的に他の星へ配置を変えていたらしい。このコロニーの持ち主もそういった類の人間だ。長い間火星で勤め上げ、退職金で種子を買った。そして戦争が起きた。

 彼からすると気に食わない状況だろう。自分が精一杯治安を守ってきた筈の星が、自分の元勤め先に攻撃を始めたのだから。元とは言えミランは地球同盟軍の兵士(彼は現役でそうだと言ったらしい)で、農作業の苦労も知っている。説得の材料はいつの間にか手札にあった。

 そういう訳でふたりの怪しいデーモン乗りたちは平和的に解決された。僕たちはここに居候させてもらっている。最近は基地に落ちたり捕虜になったり、他人の場所に居座ることが多いと僕は思った。

「ごめんなさいね、最近は配給も麦ばっかりになっちゃって」

「十分ですよ」

 僕の目の前にあるのはオートミールとコンソメスープ、キャベツだけのサラダと1個のリンゴ。餓死寸前のカロリーを摂りすぎると逆にショック死するような時期はもう過ぎた。僕の境遇も知っていて、体力をつけるように旦那さんが言ってくれたのだろう。

「やはり、最近はどこもそんなものですか」

「ええ、えぇ。やっぱりこの星だけじゃ苦しいんでしょうね。配給されるのはいいですけど、少ないし。それなら前のほうがよかったわねぇ」

「火星だけで戦争をしようとなると、そうなります」

 火星で農業をしようと思ったらコロニーが必要だ。地質や気候を地球型に変化させたり、たまに来る砂塵嵐と強盗に耐えなければいけないから。安定した生産ができても急速な生産はできない。戦争のような総力戦については全く向いていない。

 たばこを沢山生産出来るTrappist-1はかなり特殊な例だ。作物をコロニーないし屋内だけでしか育てられない限り、火星に勝ち筋はない。

「火星の兵隊さんたちにトウモロコシをあげなけきゃいけないんです。そのくせツクバがいなくなったから、お金を払わなくていいと思ったらまだ支払わなければいけないみたいだし」

「そうなんですか」

「はい。冗談じゃないですよ。軍隊に収めてもお金は貰えないし、それなのに返済金は減らさないって言うんです。どうやって返せばいいのでしょうね」

 彼女の言葉には悲壮感というよりも、まるで同情を誘うような風味があった。もちろん彼女のいう言葉は悲惨だった。僕がそういう状況になったらどうするだろうか?想像もつかない。

 その是非はどうであれ、この感情的な仕草は嘘をつく人間らしくない。本当のことなのだろう。それに火星軍の苦境から皺寄せが生産者に来るのは筋道が通っている。そこまで考えて、ただの雑談に嘘をつくような意味がないことに気がついた。

「それでも、うちはまだ良い方ですよ。ひとつ向こうのジェシーさんちはケーブルが切れちゃったらしくて。それで虫が湧いて大変だったみたいで」

「ひとつ向こう、って周りには何もありませんでしたが」

「ああ、山ひとつ向こうですよ。虫って何処にでも湧くんですね。ここには鳥も入れないから、中でどんどん増えちゃったらしくて。結局全部食われちゃったそうですよ」

「そうなんですか」僕はその話の途中でこのコロニーのことか別のコロニーのことか分からなくなり、曖昧に返した。

「あ、ごめんなさいね、話が長くなっちゃって。じゃあいつもみたいにしてくれれば後で取りに来ますから」

「はい。ありがとうございます」

 そう言って彼女は部屋から出て行った。またスープに波紋ができた。まだ食事の支度があるのだろう。

 僕はスープに口をつけた。塩味と動物性の旨みがある。半分ほど飲み進めて、底の方に段ボールの切れ端のようなベーコンが沈んでいた。塩気はあるけど旨味はない。僕はこの味を知っていた。ツクバの顆粒スープだ。

 キャベツを口いっぱいに頬張る。味付けはされていない。口の中に香る土と草の匂い。キャベツを食べているとまるで自分がカタツムリにでもなったような気分になる。それだって、僕と同じようにこの硬い野菜を噛み砕いているのだろう。スープの残りを口に押し込み、キャベツを飲み下した。

 左手でスプーンを握ってオートミールを掬う。最初にほのかな蜂蜜の甘みが来て、ゆっくりと咀嚼するとオーツ麦の風味と牛乳のコクが現れる。それがボウル半杯程度ある。確かに不味くはなく、むしろ素朴な美味しさがあるのだがこうも大量だと飽きる。

 ただ、数少ない娯楽を簡単に離したくはなかった。僕は無心に努めようとせず食事を続けた。当然ながら飽きる。娯楽と言って良いのか分からない、怠惰な時間が過ぎていった。

 最後に緑色のリンゴを齧った。エクソダス品種特有の味気なさを味わった。とりわけオートミールの後に食べると味が薄いように感じた。プレートを部屋の外に置こうとベッドから出た。僕は枯れ枝のような足を使い、ゆっくりとドアに歩んで行った。


 それから1ヶ月して、僕はようやく動けるようになった。ベッドから立って食卓へと歩けることが出来た。医者ならまだ少しは療養するように言うだろうけど、ここには居ない。僕は農作業を手伝うようになった。コロニーには設備が揃っているとは言え、やはり人の手は必要だ。

 朝早く起きて使用していない農地に肥料を撒き、土場を耕す。トラックの化け物のような車を何度も往復させるとすぐに日が登っていく。育ちきった苗を収穫してそこへ植えていく。ミランが守銭奴になるのも分かるぐらいに大量の機材と薬品、それと労働力が必要だ。

「リュラ!肥料は3番じゃないぞ!」

「すみません」

「口じゃなく手を動かせ!今日中に全て回らないと終わらないぞ!」

 こういう怒号を何度聞いただろうか。数ヘクタールの農地を駆け巡り、容器に入った農薬や栄養剤を補充する。

 実際のところここをたった2人で回すのは不可能じゃないかと訊ねると、2人息子がいたのだと言われた。

これから収穫の時期に入るから、もっと忙しくなるらしい。青いままのトウモロコシは、僕にはコロニーを最初に見た時と何が違うのか分からなかった。

 青い夕暮れの中にコロニーが沈んでいく。日が暮れると仕事は終わる。正確に言うとやれる仕事が無くなる、だろうか。農業の大体の仕事は日中にやることを想定されているし、第一このコロニーの中にはライトが無い。壁の外から来るかもしれない兵隊を消して薄青色の空を見た。

 土汚れた作業服のまま座り込む。色々とあった。考えることさえ出来なくなるような労働の日々だった。とにかく目新しいことをやるのに精一杯で、何か考え込むような暇もなかった。今ようやく思い出したぐらいだ。

 研究所から逃げ出しておおよそ2ヶ月ぐらいだろうか。両腕には包帯が巻かれてはいるけど、まあ十分だろう。ミランも完全に銃創が治ったわけでは無さそうだが、仕事をかなりこなしているので大丈夫だ。僕たちがここにいる意味はもう無い。

 食料を盗むなり脅すなりして手に入れ、基地に戻ることが最優先だろう。食料のある場所はもう分かっている。デーモンは納屋にある。何か特殊な状況のために決行日を待つ必要だってない。むしろ早いほうがいい。

「リュラ、もう中に入ったほうがいいぞ」

「ミラン……そうだな」

「どうかしたか?」

「ん、もうここにいる意味も無いと思ってさ。出ようと思うんだけど、今夜でいいか?」

「……っ、お前何を……!?」

 ミランは素早く周りを見回した。僕は特段焦らなかった。シモンズ夫妻はとっくに居住地区に戻っていたことを知っていたからだ。

「デーモンにはフライトユニットが無いから飛べないけれど、まあなんとかなると思う。トラックを貰えば移動は楽になるし」

 納屋の中にコロニー内部を移動するための軽トラックがあるのを知っていた。電子タグを処理できれば頼もしい味方になるだろう。荷台に食料を乗せられるし、自分ながら妙案だと感じた。

「……そういう話はもっと内密にするべきだ」

「今以上に内密な時間なんて無いよ」仕事が終わり、ジムとレイチェルは家に帰る。ウイスキーの瓶が傾けられて料理が作られ始める、そんな時間。家の中ならどんな囁き声でも聞かれる可能性が有る。

「ここはいい場所だ。認めるよ。それにミランが共感してくれなければ僕は死んでいた。改めてありがとう」

「……」

 ミランはこれから僕が言うことを知っているかのように黙った。2人とも分かっていることを口に出すのはとてもつまらないゲームだ。

「でも僕たちは基地に戻らなくてはいけない。だからここから出るべきだ。あの2人を裏切って」

「そうだな。私も情に絆されたと白状するべきだ」

「いや、それは分かっていたけど」

 ミランはこの農場暮らしで仕事のやり方を思い出したのか、本当によく働いた。僕が機械の使い方でまごまごしているうちにずっと遠くのほうに進んでいたことがあった。たまに夫妻と話し合って農場の気温や湿度、ph値について意見していたほどだった。

 こうして農業に従事すると、彼のやりたかった事もなんとなく分かる。ここにいると小さく削り取られていくような感覚がする。少しづつだけど達成感があって、ずるずると続けてしまう。だけれど状況が好転することはない。体制の中にいるうちはただ支配されているだけだ。支配されているうちにも喜びを探してしまうことは、その内に居なければわからないのだと知った。

 だから外に出て金を集める必要があった。状況を良くする何かが欲しかった。自分の親から何かを学んだのだから、とても孝行なことだと思う。

 ここは彼の郷愁を誘う場所なのだろう。何もかもが古く、また新鮮なものとして受け入れられた。実際のところ恩もあるし、ここから出たくないと言うのも理解できる。

「それなら、私が言う事も分かるだろう。私たちにはシモンズ夫妻に恩がある。彼らを裏切るべきじゃない……自分達の使命を知っていてなお、そう思う」

「そうか。じゃあどうするつもりだ」

「平和的に働いて、その代わりに食料をもらうさ。そうしていつか出ていく」

「いつかとは?」

「さあ。いつかさ。もう何ヶ月かはかかるだろう」

「遅すぎる。そんなに経ったら基地は……」

「持たないな。しかし、それが何だ」

「?」

 僕にはそれ以外の考えは無かったので、ミランの言葉に疑問符を浮かべた。彼は何て事ないように言葉を続けた。

「第1、私たち2人が帰った所で何になる。大勢はもう決した……私たちがどうするべくもなく、この戦いに負けた。それで良いじゃないか。ここで農場の手伝いでもして暮らすほうがよっぽど幸せじゃないのか」

「それは……そうだ」

 すぐに答えは出た。全く意見のしようなどなく、それはそれで正しいことだと思う。僕たちが帰る意味などはない。個人の利益に立ち戻って考えればすぐに理解できる。ではなぜ戦場に戻るのか、と問われれば責任を果たすということだけになる。

「だけれど、僕たちには戦う責任がある。それは雇用契約としての役割じゃなく、これまで殺してきたからだ」

「ただ生きるために戦ってきたことが責任になると?」

「ああ。生き残ろうとしてきたのも確かで、でも勝つために行動してきたのも確かだ。僕たちに作戦の責任はないけど、殺戮に参加した責任はある。それを取らなければいけない」

「さらに殺すことになってもか」

 もちろん、と僕は言った。全てが本心であるが、わざと強い言葉を使ったのは彼を説得するためだ。ミランは考え込むように藍色の空を見た。空の殆どは夜に追い付かれていた。居住地区から大声が響く。

「飯の時間だ!さっさと席に戻れ!」

「じゃ、戻るか。一番は仲違いしないことだ。無為に争うつもりはない」

「……ああ」

 彼は少し声色を落としながら言った。僕たちには殺人を選んだ責任がある。それは本当のことだ。賽は最後まで投げければならない。

 もう食事の時間だ。明日も作業があるのだろう。彼も知っているので居住地区に戻っていった。これからどうなるのだろう?光の方向へととぼとぼと歩いた。その時、全てが闇に包まれた農地の中に白色の光が降り注いだ。


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