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目覚まし時計  作者: nacare
1:落下
22/75

22,

 痛み。

「人間の与えられる痛みは限界がある。それは私がお前に痛みを与えるなら、傷を与えねばならんという点にある」

「歯を抜こうが爪を剥ごうが、そこには体という現実の器官が必要なのだ。分かるか。分かる訳もないが……無論その悲鳴の通りだ。現実の体はどこも傷ついていない。しかしながら、お前は全身が引き裂かれたような痛みを感じている」

「幻肢痛、つまり自らの四肢がなくなる痛みと、全身性疾患からくる内臓がだす痛み。それを一挙に感じられている訳だ。しかも失神を許さないように、覚醒効果があるホルモンを絶えず分泌している……完璧な苦痛だ」

「なんて素晴らしい発明だろう!これだけの痛みを何度でも、何人であろうとも与えることができるとは!薄汚い地球人共の巣に入っていた甲斐があったということだ。無論この私の発案だ……名前はどうしようか」

 叫ぶ。

「暴れるんじゃない!この腐った雇われの屑が!……まあいい。まあいいともさ。大義なくただ生きるのには金が必要だ。それで殺すのは恥ずべきこととしか思えんが」

「お前の指揮に入ったのは間違いだった。そうでもなければこんなに苛つくことも無かっただろう。リュラ。銀色のデーモンに乗る者……要注意人物に認定されていたな。私も見たのだ。お前が宇宙を駆ける姿を……不覚にも美しいと感じた」

「私はその手を取って、地球同盟軍の人間として戦った。ああ、勿論そのままが良かったともさ。しかしただ殺すだけだ。火星に降り立ったあとは山賊の様にトラックを奪い、ようやく動いてこれだ。恥ずかしく思わないのか!」

 痛み。痛み。痛み。

「ああ……いけないな。いけない。ともかく私が求める正義は無かった。火星から搾り取るだけ搾り取り、反乱を起こしたら殺すだけ。それが悪で無くて何と呼ぼうか!」

「まさしくお前はその通りの人間だった。殺害、支配。それを何の躊躇いもなく遂行する歯車でしかない」

「火星軍には正義があった。私が求めるものだ。アーチボルド閣下は火星に対する制裁と支配に心を痛め、地球同盟軍から抜け出し反旗を翻した!この私と同じ様にな」

「運命としか考えられん。これこそが私の使命だ。私は悪魔どもを裏切り正義を選ぶのだ!」

 もがく。

「ああ。いい加減にしないとな。大尉殿はお前から基地の情報を聞き出せと仰っている。だが……お前は意外と口が堅いからな。傭兵というものは金で動くのでは無かったか?」

「しかし感謝している。私がお前に苦痛を与えられる機会が、こうして沢山あるのだから。ゆっくりと、吐き出させれば良い。時間をかけるほど有利になるのは私たちだ」

「6時間を毎日だ。非常に優良な労働条件だろう。それだけの間、お前に痛みを与える」

「ああ、やはり非人道的ではあるが……苦しむことこそが英雄への道だ。私も苦しむのがいいだろう」

「それにしても汚いな……掃除をあいつらにやらせるか」


 真っ黒い天井が僕を押し潰そうとしている。

 暗闇の中で痛みだけが鮮明で、瞼を閉じると自分がばらばらになって飛んでいきそうになった。いつもはうつ伏せで寝るのに、鼻が折れていて仰向けにしか出来ないせいでもあった。

 吊るされた電球は切れてもう光らない。暗闇の中で自分の体を想像して身震いを起こす。本当にそれがあるかどうかは、ドアが開く時まで分からない。そしてそれがいつ来るのかも。

 途方もない苦痛だった。自分の腕が捻じ曲がったり、内臓が弾け飛ぶ様な痛みを訴える。体が痙攣を起こして反り返り、黄色い胃液を吐き出した。それは気絶する暇もなくひたすら続く。空気が僕の肌を刺してぐちゃぐちゃに掻き回す。

 それがひとつになる。腕を切られる痛みと腕を折られる痛みと腕に化学薬品をかけられた痛みが同時に襲う。けして同時に体験出来ないものがひとつの渦になって僕を飲み込んだ。

 終わった後、そこには胃液と血液と糞尿で汚されたベッドがあった。病院の様に真っ白いシーツの面影はかけらも無かった。その時に自分の足にあたるか細いものに気が付いた。腕に巻かれた包帯が解けていた。

 僕は無感動な目でそれを見つめていた。恐怖も怒りもなく、ただ。黙っている限り、この拷問が明日も明後日も続くのだろう。恐ろしく感じた。その筈だったけど、震えは襲わなかった。

 拷問はずっと続いている。最初の1日からきっちり6時間ずつ、ベッドの上に寝かされる。僕は叫び苦しむ。その間絶え間無くあいつが喋っている様に聞こえる。段々と嫌な気分さえ薄れていった。慣れてしまってもはやただの言葉としか受け取れなくなった。

 憎しみが少しずつ漂白されて行くことに僕は気づいていた。苦痛というのは恐ろしい。それが続くだけで、ただ耐え抜く事だけを覚える。本当は何かをしなければいけない。鉄扉を開ける方法を考えるとか、アーウィン・リースを殺す方法を見つけるとか。

 ただ、それを考えることが出来ない。痛みは僕の頭の奥に巣くい、強烈に訴えかける。”動くのをやめろ”、”考えるのをやめろ”。尋常ではない苦痛の信号を流し込まれるという異常事態に脳はそういう判断を下した。運動と思考に使うエネルギーの供給を停止し、体の再生に回す。これ以上ない判断だろう。

 事実として僕の怪我はまだ治っていない。腕の刺傷痕と鼻骨の骨折。栄養状態や痛みのせいか治りは遅い。ナノマシン治療抜きであったら完全に治るまでかなりの時間が掛かるだろう。通常であるなら3ヶ月から半年。とても待ってはいられない。

 不完全な頭の中で考えを巡らす。作戦はどうなったのか。まず失敗だろう。研究所を襲撃制圧して、その後に必要な物資をあるだけトラックで基地に持ち帰る。そうすれば喫緊の問題だった食糧不足をどうにかできる。しかしながら裏切りによって部隊は壊滅した。僕は自分の部隊しか見ていない訳ではあるが、まさかEMP爆弾まで起爆させておいて単独犯なんてことはないだろう。

 数日間の間考え続けた結果として、僕はその結果に辿り着いた。通信機器が破損したのは巨大なデーモンの攻撃によってではなく、EMP爆弾のせいだった。それを裏付けるのはジルが喋らなくなったことだ。通信を行うためのアンテナや機器類は電波を受け取るためにデーモンの外側に設置される。しかしAIのようなソフトウェア、デーモンの制御を担う重要なものはかなり内側にある。破壊されたらデーモンはただの重い宇宙服でしかないからだ。

 これが同時に破壊されるという状況は考えにくい。あの時にはもう謀略は始まっていたけど、それは巨大なデーモンの影に隠れてしまった。これがおそらく真相だ。

 虚脱感が襲う。トリチェリ、トラヒコ、ミラン……無事だと良いけれど、完璧に騙されたのであればどうしようもない。後ろから撃たれることを計算に入れる兵士は居ない。疑心はデーモンによって透明になっていく。そしてその逆も然りだ。

 心配事が暗黒の中に浮かび上がり、僕を苛んでいく。後悔する権利はない。そこにあるのはただの悲観だけだと分かっていて、それでもなお心は吊られたままだ。

 腕の新しい包帯を触る。僕が死にかけの動物のようになって手足をばたばた動かすから、その傷はむしろ開いている。加えて人差し指ぐらいしか動かない。残りはいくら動けと命じても黙っているばかりだ。

 淡々と、僕はそれを受け入れる。悲しむまでもない結果だ。心のどこかでそう決めつける声が大きくなる。特にそれ以外の考えが浮かんで来ないのだ。

 問いだけが巡って、答えは全く訪れない。最善策は何だろう?僕が死ぬことだろうか。それはそうだ。情報を与える気は無いのだから、このまま死んだほうが苦しみは続かない。生きるならどうか?どうやってアーウィンの手から逃れ、脱出するのだろう。そして何階にあるかも分からないデーモンを奪って、基地への方向もおぼつかないまま帰る。

 生きるべきか死ぬべきか、間違いなく死ぬべきだ。包帯を巻いたのは悪手だった。それを取って編めば縄ができる。天井に吊り下げれば、後はそれに頭を通すだけだ。

 何でか僕はそれをしていない。ただ苦痛を受け入れるでもなく、それから楽になるでもなく、何かをするような意志がない。生存に向かうのは生物であるからして普遍的な衝動だ。それを未練がましく掴んでいるのが僕だった。

 もう呆れる気がしない。僕の中から何かが欠落している。形はないが、確かに存在したものだ。それのクオリアはある。胃の奥と頭の前側に湧き出る熱さ。どこかでそれを取り戻したなら、またその感情に名前を付けなければいけないだろう。

「ああ、言っておかなければいけないことがあるな。お前の隊にいた奴は死んだ。拷問に耐え切れなくなってな。重要な事をまるで覚えていなかったので、全く意味の無かったことではあるが」

 とか言っていたのを思い出した。僕にはそれが誰の事なのか分からなかった。トリチェリかトラヒコ、ミランか名前の知れない今回の作戦の仲間。その誰が死んだのかは定かではない。確かめる手段が無い。もちろん死んで欲しくない人間はいる。もしそうであるなら、僕は悲しめるのだろうか。

 今はそう思えない。悲しみや怒りは、一切顔の横を通り過ぎていく。加速する体について行く視界。その端で切り捨てられる景色。

 彼が嘘を言っている可能性も有る。確かめる術はない。それはアーウィンが僕が情報を漏らすことを期待しての行動なのか、それともただ僕が信じたくないだけなのか?

「写真を撮っていないので見せてやれないな……痛みによって血管が開いたのだったか?まあ、卑小な人間のことだろう。そういう者は薔薇の冠を戴くことも出来ない」

「薔薇の冠か……いい名前だが、祝福は罪深いものには要らないか……」

 ぶつぶつと、彼は何かを呟いていた。アーウィン・リースの様子はおかしなものだった。苦痛を与えて喜んでいるのか、僕と自分とが英雄になれるのを期待しているのか、また出世を気にしている卑近な人物か。そのどれもが同居していて、矛盾しながら一つの人間を成していた。

 変面の様にそれが変わるのを僕は観察した。痛覚が襲うなかでは観察と言うにも烏滸がましい、たまに様子が視界に入ってくるだけだったが、それでも思い出せる。

 笑い、怒り、失望する。口角を上げて目の端をたわませる。眉間に皺を寄せる。口元が歪み、どこか遠くを見る。表情が豊かと言うよりは感情が豊かだ。同時にいくつもの考えが巡るのは珍しい事でもないけど、それを大っぴらに振る舞うのはどうしてだろう。僕には出来ないことだ。

 時間が過ぎていくことに気がついていた。頭を少し起こすと、硬い髭が鎖骨に触れた。最初のうちは残った苦痛に喘ぐ、ただの長い時間も無くなった。慣れてしまった。少ししたら眠れるだろう。そうしてまた苦痛だけがやって来る。


 死体があった。ベッドに横たわるそれに傷跡は無かった。何か重大な病気が作るいかにも、とした病人顔もしていない。僕が受ける苦痛から解放されたのだと思うと、青ざめたその顔が安らかに見えた。

 黒人の男だった。それが僕の親しい人たちでは無いことに安心を覚えた。普段なら自己嫌悪が襲うであろうそれも、何か安らかに受け入れられた。おかしい事だと分かって、脱出せねばならないと頭の中で念じた。それもすぐに霧散していった。

 苦痛の中にいるときに、拘束用のベルトが外れたことがあった。それは右腕のベルトで、しかもアーウィンはそれに気付いていなかった。利き腕が自由になり、不意打ちのチャンスが訪れる。千載一遇の好機だった。そこから腕を伸ばせば彼の首を絞めることが出来る。

 ただ、それを僕はしなかった。出来なかったのか、今になっても分からない。ともかく僕はそれをせず、次の日にはベルトは新しいものに変えられていた。柔らかい絶望が近付いてくるのを僕は感じていた。

 苦痛ではなく、僕が壊れていくこと。本当にそうなったら、僕はもう苦しまないだろう。痛みは感じるだろうが、そこに無意味な感情を持ち出さない。ただ諦観して流されいくものになる。それが本当の絶望と言うものだ。

 今のところこうして無駄なことを考えて居られるだけ希望がある。ただ、それだけではあるけど。

 そういうことを考えるうちに、銃声が鳴った。僕は兵士がとどめを差したのだろうと思った。いつからか両隣のベッドにも同じ拷問を受けている仲間が居たからだ。ただ、この考えはアーウィンがホルスターから拳銃を抜いたことで払拭された。

 9×19mmパラベラム弾の軽やかな音が鳴る。怒声と叫び声が飛び交い異様な空気が覆う。彼は拳銃を構えながらカーテンの外に飛び出した。銃声がさらにテンポを速めて聞こえた。銃弾のいくつかが近くを通り過ぎ、カーテンに銃痕ができた。

 何となく楽しげに思った。新しい刺激に飢えていたせいか、僕はそれを眺めて考える。合一する痛み。もし名付けるなら何だろう。エマルジョン?

 思い出した。また嫌なことの一つではあるけど、ラポール以前の兵士心理評価AI。今よりももっとお粗末な、質問にまた質問を重ねるだけの時間。アーウィンの話し方はそれに似ている。脈絡が無い訳ではないのだけど、大勢いる人間らしくはない。

 それはラポールよりも倫理的な崖際に立つ質問や、全く取り留めのない質問を連続して発音する。8歳と5歳の子供のうち、片方を引き渡せばもう片方は生き残れる。選ばないと両方が引き渡される。次の質問は紅茶にミルクを先に入れるか、後に入れるか。概ねこのような形だ。

 その質問に答える必要はない。ただ聞いているだけで、計器が勝手に脳波や脈拍を計測してしまう。そこにクライエントが介入する余地はない。椅子に座ってさえいれば軽いカウンセリングが受けられるという謳い文句だったが、多くの人間が必要としていたのはくだらない会話の時間だった。結果要らない気遣いであると分かってAIが導入される。

 座っているだけで行われるカウンセリング。寝かされて訪れる苦痛。無造作な質問とぐちゃぐちゃになった神経。ワークスルー(兵士心理洞察機構)。僕が名付けるならそうしよう。

 ただ、やっとそれも終わるだろう。やがて銃声が途絶えた。何か柔らかいものが床に倒れる音がした。そして地面に包帯を擦り付ける音と共にカーテンが開いた。

 優雅な金髪が乱れている。いつもは清潔感を出すために、払売りになったワックスを使って固めていた。鼻を近づけると公衆便所の芳香剤のようなシトラスの香りがするので、寝る時はちゃんとしたものを付けて行くのだと言っていた。髪が乱れていても、何かしらの整った形が出来るのが嫉妬を生む原因だ。

 憂鬱げな空気を醸す双眼が興奮のために見開かれている。片方の足には包帯と皮のベルトがついたままになっている。僕と同じように壊れたのだろう。僕の首筋に刺された針を容赦なく引きちぎる。痛みが消え、体が脱力する。

「出るぞ、リュラ」

 折れた歯が覗く口で精一杯の笑顔を作って、ミラン・ディヴィシュはそう言った。その中にある希望を見て僕は劣等感を感じた。


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