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目覚まし時計  作者: nacare
1:落下
21/75

21,

 殴る。殴る。蹴る。殴る。顔面に到達する皮膚一枚に隔てられた暴力。

 アクリルガラスを殴っていた隊員のことを思い出した。分厚いガラスとデーモンの拳をぶつけ合えばガラスが勝るように、顔の骨と中手骨のナックルとをぶつけ合えば顔面の骨が勝る。とは言えそれは頬骨や前頭骨、下顎骨に狙いが逸れた時の話であって、鼻っ柱に命中した一撃は僕の鼻骨を粉々に砕いていた。

 神経を駆け巡る苦痛の信号。湧き出る反抗する感情を折るように、延々とそれは続く。苦痛は生きている証拠とか、自らの信仰を試す為にあるとか誰が言っていたんだっけ。何とかして苦痛を合理化しようとしているようで、何となく敬遠していた。学はないので、批判することも出来ない。ただ感想としては、苦痛は苦痛であってそれ以上のことはない。

 全てを忘れてはいない。分かっていたことだが、僕の隊員たちは1名を残して全員死んでいた。その3人のうち1人が部屋の中に転がっていた腕の持ち主で、残りの2人は後ろから放たれた銃弾によって命を落とした。もし僕も出血性ショックで死亡していたら、僕もその1人のうちに入っていたことだろう。

 その顔を思い出す。顔なら今でも鮮明に思い出せる。1人は日に焼けた赤茶けた肌、短く刈り込んだ黒い髪。僕と同じような比較的平坦な顔立ちの、アジア系の遺伝子を多く持つ者。2人目は黒い肌をして、髪を何だか幾何学的に編み込んでいた。僕が「いい髪型だ」と言うと「クールだろ。流行ってるんだ」と答えた。僕はそれが新しいものか伝統的なものか分からなかった。

 そいつは汗をかいて来たのか、ジャケットを脱いで椅子に掛けた。赤いそれには火星軍をあらわす徽章が付いていた。黒いスラックスと白いシャツが露わになった。

 僕はあまりコミュニケーションを積極的に取ろうとはしなかった。いくつかの理由がある。傭兵は自分が所属している会社以外と共同して動くのは珍しい。同じビルの中の会社どうしであっても伝達ミスがざらにあるのだから、戦場ではもっとある。ミスを防ぐ方法の1つは指揮系統をはっきりさせておくことだ。

 また、そういう状況になっても機密事項やら何やら……要するに社内の情報を抜き取られないようにするための条項があって、積極的な人付き合いは生体端末に記録されて減給対象になる。

 最後に、余計なトラブルを避けるためという意図。いくら火星が人種の坩堝と言えある程度のコミュニティはある。おおむね自分のルーツに関係するけど、それよりももっと複雑で訳が分からない。誰かと仲良くなると、そいつを敵視するグループがやって来て関係を断つように言う。これは穏やかな言い方で、実際はクラブの出口で警棒を持って待ち構えていることが多い。

 3人目は僕の目の前にいる。

 殴打とは違う、鋭い痛みが走る。そいつは僕の腕にナイフを突き刺しながら言う。縄で固定されているので避ける事も出来ない。

「痛みを与えたい訳じゃない。これは精算だ」

「……ケホッ、何の……」

 口に溜まった血が僕の言葉を詰まらせる。そして訪ねようとした言葉は腹にめり込んだ靴先で消される。

 がほ、という不細工な音色が鳴って口から血や何やらが混じった液体が飛び散る。飛沫が白いシャツに付いたのを見ると、そいつは神経質そうに指先で染みを撫でた。

「勿論、お前がやったことのだ」

「多すぎて分からないな」

 どれだろう。戦いで何人かを殺したことはある。それでも僕が火星にしたことはどれも業務に忠実であるが故の行動であるからして、全く糾弾されるきらいはないのだけど。

 笑う。唇が切れて、歯も何本か折れている。きっと赤黒くて歪であるそれが挑発の意味をかぐわせることを願って。

「どれだ。会戦のときに10機ほど落とした。あのでかいデーモンなら2機だ。よく稼がせてくれた」

 白い肌と青い目、後ろで結んだ栗色の長髪が特徴的だった。よく作戦待機室2にタバコをくゆらせに行っていた。ランチャーを扱ったことがあるのは彼だけだったので、僕は彼にそれを扱うように命じた。

 悲しく思った。どんな場合であっても、それは事実だった。

 僕は彼が火星の生まれだと言うことを知った。彼のジャケットもそうだし、何より裏切るメリットがあるのはそれしか思い浮かばない。誰か火星軍側の人間が基地にいて、そそのかしたのだろう。僕はそれに倣うようにして言った。本心では無かった。

「抜かせ!」

 そいつは僕の髪を引っ張り上げて上を向かすと、右膝を顔面に叩き込んだ。首にずしんとした衝撃が伝わり、折れた歯が口内に突き刺さった。賢い選択だな、と僕は思う。脛骨は手骨より分厚く、威力も出る。

 そいつは手を離す。放された頭ががくんと揺れる。腫れた瞼の外からそいつの嬉しそうな、何か性的興奮にも似て高揚した顔が見える。慌てたように服についた血を振り払い、取り繕う。

「宙域会戦のエース。銀色のデーモン乗り……がっかりだ。自分の罪も分からないとは」

「分からないって言ってるだろ」

「私はお前の行動を逐一見ていた……作戦準備段階から終了までな。必要のない殺戮は行わない、真摯な男であるかどうか」

 真摯であるからして、僕は殺戮を行ったし赤ん坊を見捨てた。それはラポールの下らない質問と同じことだ。もし誰か1人を殺して大勢を救えるならその行動を行う。それが自分でも、赤ん坊でも。

 僕はそれについて異論は無い。迷おうと迷うまいと、どちらにしても行動しなければならない。ただ迷う理由も無かっただけだ。だからと言って積極的に人を殺そうと思っているわけではなく、助けていい状況になればしない。それだけのことを彼が理解してくれているといいのだが。

「お前はただ殺した。何の容赦もなく引き金を引き、迷いなく赤子を見捨てる。果てには火星を揶揄して言う……何もかもがむごたらしく、残虐な地球同盟軍の仲間でしかなかった」

「それの何処が……」

「失望したと言っている!」

 彼を裏切りに向かわせたのは、僕のちょっとした失敗だったのだろうか。確かに説得するときに僕はそういうことを言った。敵を増やすだけである、と。敵方に言うのは正しいとは思うけど、まあ味方だとしたら怒るだろう。

 腕に刺さったままのナイフをさらに突き刺して、そいつは言う。激しい痛みが伝う。デーモンに感謝しなければいけないな、と僕は思う。痛みが疾ると何も考えられなくなる。これぐらいの負傷であるなら涼しい顔をして、冷静に自分の体の状況を確認していたことだろう。彼はまた焦ったような顔をしている。

「いけないな。今日はただ、細胞を集めるとのことだった。いけないな、いけない……」

 そう言うと、彼はナイフを抜き取って、ジッパー付きのポリ袋に入れた。シンプルな作りのナイフであったために、僕の腕を余計に破壊することはなかった。痛みはひどいものだが。

「ぐっぅぅう……」

「痛みを与えるのではない。痛みを……そうとも。今日はこれまで。早く拷問に移りたいな。リュラ」


 小さな部屋に僕はいる。そこには錆びた鉄骨が剥き出しになったベッドと、アンモニア臭でいっぱいの汚らしい便器しかない。壁紙はとうに剥がれて、余計みすぼらしさを際立たせている。薄暗い部屋の中にはひとつだけ切れかかった電球が天井にあるばかりだ。

 ドアは刑務所にあるような、監視するための小窓がついたものではない。よくあるようなドアノブが付いたそれだ。ただし鍵穴は内側になく、外側のみにある。

 僕は大して移動はしていない。あの裏切りによって倒れた僕は、しかしデーモンの出血処置によって一命を取り留めた。その後火星軍が治療を施したらしく、僕は白いベッドの上で目覚めた。医師に尋ねたところ、僕は4日寝ていたらしい。

 ずっとそのままであるなら良かったのだが、彼らは僕を幹細胞培養機に突っ込んで無理矢理に治療を終わらせた。そして拘束されて医務室から出る時に、その通路に見覚えがあることに気づいた。クリュセ研究所。僕たちが襲撃した場所。

 クリーム色の壁には血や銃痕がまだ残っていて、床にはところどころ瓦礫が積まれていた。EMP爆弾によって損耗した電球を脚立に登って変えようとしていた人がいた。自分たちの起こした破壊の跡を見るのはこれで2回目だった。

 まあ、そういうわけで僕はここに居る。拷問して出る情報なんて無いのに痛みを与えられ、ぶくぶくに腫れた顔をもってベッドに寝転んでいる。

 切り付けられた腕には包帯が巻き付けられている。消毒や神経検査を経て、縫合が行われた。何がどうなのか説明もしてくれなかったので詳しくは分からない。確認するのも怖いので、僕は全く動かそうとしていない。のに神経が切れてないことを願うばかりだ。

 この虜囚生活で一番嫌なことは衛生だった。汚らしい、まるで誰も触ろうとしない路傍の犬の糞のような便器。僕は尻であろうともそれに触れたくなかったので、痛む体を抑えながら空気椅子をするようにして使った。また、シャワーが自由に使えることはない。たまに扉を開けてホースで噴射されるのがそれだ。デモが被致死性の武器で鎮圧されていた古き良き時代を思いながら服を絞った。

 それが一番嫌なことで、それ以外はまだマシだ。拷問は体力を使うのか連日行うということはないし、食事はミランのものよりは良い。不安ごとは多々あるけど、それも今考えるようなことじゃない。今の僕にできることは何もない。そう考えることにした。

「起きろ!」

 金属が軋む音を立てて鉄の扉が開く。シャワーの時間にはまだ早い。逆光の中から数人の赤い軍服を着た男たちがぞろぞろと集まり僕を取り囲むようにベッドのそばに集まる。

「まだ傷口は塞がってないんだ。連れてってくれたら嬉しいね」

「ふざけるな。立て!」

 そいつは唇を噛み締めながら、僕を無理やり立たせる。そして柔らかい腹に拳を突き立てる。不意の衝撃に呻くと、周りの奴らが笑った。さして大きな声量でも無かったけど、その冷ややかな耳に障る声は独房の中に響いた。

「この程度の苦しみ、我々の同胞たちに行ったことに比べればなんてことない。手錠を」

 そのうちの1人が僕の手首に手錠をはめ込んだ。まるで得意げに犯人を捕まえたように、そいつらは僕を連れて下階に降りていく。連れ立って歩いている間、珍しく腹が立っていることに気づく。

 怒りは単純な感情の反応であり、自分が情報を処理できない時に現れる。つまる所理解し難いのだ。僕はあまり憎んだりとかはしない。もちろん大切な人間が害されれば怒るし憎むだろう。でもそれが他人だったとしたら、とてもそうは思えない。勿論人が死んだので、悲しくないわけではないのだけど。

 もっと言えば組織そのものを害したことであるなら、全くそれはどうとも思わない。ただ仕事の上で必要だった事だから行った。それだけのことを、なぜさも自分が害をなされたように感じ取る事ができるのだろう?まさか今までこの研究所に来たことがない人間たちの兄弟が、偶然ながらいたとでも……

「なあ、殺したやつの中に兄弟とか親友が居たのか」

「黙って歩け。質問をするのはこちらの方だ」

「答えてないよ」

「答えて何になる。お前は崇高なる目的を持つ火星軍に手を出した。それだけの事実で十分だ」

 そうかな。言い方からして彼の親しい人間は居なかったのだろう。まあ居たとしてもそれは正しい、正しくないと決められることでもなくて、ただ感じたことに過ぎない。僕が全く分からないことを彼は感じ取れ、そのように思う。それ故に僕が受け入れ難く感じるのも否定されはしない。胸に生じた小さなしこりは、取れもせずに残る。

 会話は苦手だ。言葉を重ねるたびに自分と他人とが分からなくなって、嫌いになる。

 2つほど階段を降りたあと、僕は1つの部屋に連れ込まれた。途中の通路や階段には銃痕どころか靴が運ぶ土埃さえ無かったので、そこがヒドラオテス基地のデーモンが到達していなかった階層だと分かった。

 その部屋は1枚のガラスによって分けられ、こちら側にはいくつかのロッカーと背の低いテーブルがあった。ガラス扉の向こうには僕が襲撃した研究室のような部屋がある。それを見て病的なまでに掃除が行き届いている、と僕は気がついた。

 白い壁紙が続き、床には汚れひとつない。背の高い機械類の上にも埃の一つさえなく、真っ白いままだ。天井にはLEDの青白い光が爛々と光っている。清潔感を通り越して違和感を感じて、僕は目がちかちかした。せかせかと歩く研究員たちはヘアキャップとマスクを身につけていた。

「さっさと着替えろ。お前の格好は汚い」

 火星軍の兵士が言った。手錠を一時的に外して、緑色の患者服のようなものを投げ渡した。僕はこの後に訪れる何かに対する不安を感じながら、大人しくそれに従った。

 ボロボロになった服から患者服に着替え終わると、ヘアキャップとマスクを渡されて装着するように言われた。火星軍の兵士たちも同じようにそれを付けていた。あの部屋の中に入るのだ。ガラスの向こうとこちらを繋いでいる扉を開けると、そこは小さい通路のようになっていた。そこを歩くと、四方からアルコールが噴霧された。それが傷口に染み混んで痛かった。

 少し歩くと、カーテンに覆われた部屋がいくつか並んでいた。それこそ病院のようで、ここには違和感しかなかった。「入れ」と兵士たちの誰かが言った。それに従うと、ベッドと2つの椅子が見えた。本当に病院のベッドそのものだった。そして椅子には僕たちを裏切った兵士が座っていた。

 そいつは不可思議な笑みを浮かべながら、培養液に浸された何かを持っていた。それは本当に何かとしか言い表せない。少し濁った液を通してみるそれは内臓に見える。脳でもなく、肺でもなく肝臓でもなく膵臓でもなく脾臓でもない。人の内臓は一通り見てきた筈なのに、それが何か分からない。人?

「ご苦労。反抗的な捕虜だったろう」

「はい。それはもう」

「それじゃ、そこのベッドに拘束してくれ」

 そう彼が言うと、僕は倒されて強制的にベッドに寝かされた。ベッドの裏側には拘束用のベルトがあったらしく、僕の四肢はそれで完全に動かなくなった。本当に凶悪犯を扱うみたいだと思った。

「これから6時間後には終わる予定だ。今からだと16:52か。それになったらまたここへ来るように」

「はっ!了解しました」

 兵士たちが去っていくと、そいつは喜色を声に含ませて言った。

「拷問の要諦は何だと思う?」

「知ってる事を話させることだろ」

「そうだなぁ。痛みを与えることだ。そうして初めて、人は真実を話す」

 話が通じないな、こいつ。

「そこに傷は必要ではない……一度傷つけた場所はもう傷つけられないし、治療のための抗生剤や包帯も馬鹿にならない。つまりだ。痛みだけを与えられたら良いわけだ」

 そいつは手に持った何かをコードに繋ぎ、僕の首筋へと刺した。注射針のようなか細い痛みが差した。

「これは何だか分かるかね。分かるまい。これはお前の臓器だ」

「……内臓を出した覚えはない」

「そうだな。これは自然のものではない。痛みを与えるため……そのためだけに作り出された臓器だ」

 そいつは堪えきれず笑い出す。高らかな笑い声が小さな空間の中を通っていく。

「大脳皮質と視床だったか?こいつは絶えず痛みの信号を送り続ける。奥歯を削って電極を取り付けるような、苛性ソーダを濡らしたような痛みを。ああ、お前の細胞を使ったから拒否反応も起こるはずもない。私が必要以上に傷付ける心配も無いという訳だな」

 じゃあ、と言って彼はスイッチを握る。いかにも、という親指で握るだけの赤いスイッチ。ベルトがピンと張り、ベッドががたがた揺れる。

「では見守ってやろう。このアーウィン・リースが」

 彼は躊躇いなくそれを押した。


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