16.
彼我の距離が近づくにつれて、巨大なデーモンの姿が露わになる。腹部に巨大な瘤のようなものがついた、不恰好な悪魔。しかしながら、巨大で危険だ。
既にM61の銃身は回っている。小さな金属と火薬の集合体が、刺激を静かに待っている。そして、それはもうすぐにやってくる。
デーモンが引き金を引く。視界が大きく揺れる。瞬間、まるで霰のように弾丸が飛び散る。彼女は回避行動を続ける。不規則に、時に規則的に、狙いをつけさせずに。僕がやっている事に少し似ているが、根本的には異なる。独学で学んだのだろう。
一時間に似た一分間が過ぎた。弾幕が緩む。どんな銃器でも、撃ち続けるとやがて銃身が熱されて変形してしまう。あのデーモンにもその程度の知能はあったようだ。視界が急に曲がり、デーモンを正面に捉える。
爆発が起きたのではないかと思うほど、視界が大きく揺れ動く。オフュークスが突撃を始めた。バトンを体の前に構えて、まるで騎馬上の戦士のように。銃弾を溶かしながら進む。溶け切らなかった銃弾がスラスターに当たり燃料が飛び散る。それでも彼女は止まらない。それが最善手であると知っている。
蛮族のやり方であるが、実際距離を取ってもすり潰されてしまう。近づいてもどうしようもない事が多々あるけど、彼女は硬いシールドを削り取るだけの武装を持ち合わせている。16m、バトンが確実に届く距離になると迷いなく振り抜いた。
赤熱化したグリア粒子が巨大な刀身を形成して、アウターシールドを傷つける。貫通どころかデーモンの装甲が見れるまでも行かない。それを見て直ぐに彼女は作戦を変えた。
バトンの切っ先をデーモンに向け、力を込めて刺しこむ。冷却を終えた銃身が焼け付いて溶ける。厚く硬いシールドが段々と溶けていく。デーモンがもがきながら逃げようとするが、ほとんど機動力が同じなので意味が無い。
グリア粒子がデーモンに到達し始める。ほとんどの人間が本能的にそうするように、手を使って防御しようとする。無慈悲に熱が装甲を飴のように溶かす。やがて直ぐに動かなくなる。
グリア粒子の構造が解けて、彼女のアウターシールドに戻っていく。少しだけ見れたアザエルの装甲にはいくつかの銃痕が残っていた。
砂嵐が止んでいく。青い色の夕焼けが画面越しの僕を見る。
しかし、なぜナノマシンスプレーを使わなったのか?傷があるなら、まずそれで塞ぐのが常道だった。少なくとも軍学校(教師は父)ではそう教えられた。僕も包装を引きちぎってできた砂だらけの包帯よりかはずっと衛生的だと思う。
答えは単純に、僕とオフュークスの機体にはそういうユーティリティを積めるスペースが無いから。何のスペースとして使っているのか知らないが、ポーチ部分は替えの弾倉3つで埋まる。
「もしかして、ファインマン氏はマスターの死を望んでいたのでしょうか」
さあ。でも、もしそうだったとしたら彼の方が死んでしまったのは皮肉だ。
僕は彼が死んだ時の画像を見た。アダムに何でこんなの撮ったんだ、と聞いたら契約上の義務らしい、と答えた。ラップトップに瓦礫で押し潰された部屋が映し出されていた。
次の画像で彼の死体が見れた。思ったより原型は留めていた。爆発によって四肢や内臓が傷ついたのではなく、コンクリートの破片によって押し潰されたのだから当然と言える。
顛末を語るとすると僕たちが襲撃を行った後、巨大なデーモンが襲ってきた時まで遡る。砂嵐と共にやってきたデーモンは1機だけでは無かった。火星に残存している地球同盟の勢力を潰すために、ほとんど全域に渡って降下した。
そして、どういう訳かこの基地にも。5機編隊で迅速に降下して、どんなセンサーを積んでいるのか分からないが、明確に住居圏へと爆撃を開始した。爆弾は廊下へ直撃して、崩落を引き起こした。たまたまそこで避難中だったファインマンを飲み込んで。何ともまあ、あっけない死に方だった。
あとはまあ、せいぜい数人が死んだだけで大した損害は無かった。カタパルトも、ガレージもトマト畑も無事だ。
彼の死体。コンクリートの粉塵、家具、それと僅かな血によって彩られた死体。静かな顔をしている。圧迫されて殺すのは専門外だが、その実瓦礫が体を傷つけるよりかは窒息死がほとんどらしい。おおよそ彼も苦しいまま死んだだろう。
部屋からはどこからか持ち込んだ煙草と酒がたくさん見つかった。その残骸と言った方が正しいか。生前そうだったように、僕たちの飯を豊かにしてはくれない。あとはどこに繋がっているのか分からない量子コンピューターだけ。彼女は満足だろうか?
「まるで功利主義者だね。君は自分自身の幸福よりも、大勢の幸福を重要視しているみたいだ」
反駁するのも面倒になったので、曖昧な返事をした。ジルもこの点にだけは肯定したので、コワレフスカヤの話が長くなった。
まあ、これは僕に対して言っていることであるから同じく考えることなんてできない。だけど、少なくとも”彼のやった事の苦痛に比べれば安いものだ”なんて思っていない。彼が与えてきた痛みやら傷やらを数値化することは出来ない。幸福(与えてきたかは知らない)だって。人間の脳に流れ込む、何億何兆の電気信号を数え上げることは不可能だ。
そう言うわけで彼女がどう考えたのか、僕には知りようがない。穏やかで無いことだけは分かる。少ない想像力を働かせて、彼女のことを考える。もしトラヒコ、ミラン、トリチェリが死んだら。どうするだろうか?分からない。近づかないようにしよう。
しおらしい態度一つでどうにかなると思えるほど、僕は良心が残っている訳ではない。さりとて許さないこともできないのだから、どうしようもなく小市民的だ。
トラヒコとミランに顛末を話した。トラヒコは殺しておくべきだったと言い、ミランは中立的、つまりは僕の意見とあまり変わらなかった。
「やっぱり、殺しておくべきだったんじゃないか。危険すぎる」
「私は……どちらとも思えないな。少なくとも理由が有っただけ良かったとは思うが、どちらでも正しい」
「そうかな」僕は疑問を持って言う。
「ま、お前が決めた事なんだからとやかくは言いたくないがよ。ああ、どうしたもんかな。同情もしてる。リュラの立場だったら変わってたかな」
「死にかけてたのだから、それもそうか」
「いや、今でさえ美人なんだからその時はすごかったんだろうなって」
実のところ、全く覚えていない。少しは魅力的に思えたかもしれないけど、相変わらず死にかけていたのだから。
「性欲が消え失せた?抗鬱剤でも飲んだ?」
「いえ、飲んでいそうですが飲んでいません」
会話が聞こえた。どうせなら言い返せば良かった。
「今のは冗談だが、まあ何にせよ俺はお前の判断を尊重するぜ。ようやく楽しめるようになってきたかな」
「分からない。彼女を助けたのに、全くすっきりしない。なんて言おうか、犬を拾ってきたとしても、そいつは10年そこらで死んじゃうだろ。そんな感じだ」
「ブッダみたいな価値観」
「やっぱなってきてないな」
「あいつだって同じだ。まともになるとも限らない。そして復讐するべき人間はもう死んでしまった」
「一応言っとくが、人間は案外生き汚いものだ。生きがいが無くなっても、また適当に見つけるさ」
そうかな、と言おうした。涙が頬を通る。眠っていたようだ。午睡を振り切って、僕はカウンセリングに臨む。
「あなたは10セルを即時にもらえる場合と、100セルを一年後にもらえる場合であればどちらを選びますか。どちらも反故にしないものと仮定します。前者、後者でお選び下さい」
「後者を選ぶ」
ラポールが微笑みをかたどりながら言う。今日は黒人男性の類型らしい。どうせ後者が良いのだろう、と思った。できればこんな事考えない方が脳波に乱れが出ないらしいが、僕は考えてもあまり出なくなった。
そういう訳で、どんなに反抗的であるとしてもこのAIにはバレない。唯一、昏睡状態になって良いと思ったことかもしれない。
この問題、子供の時はマシュマロだった。はっきり言って、あまり違いは無いと思う。僕だったら10セルを貰った後仕事をした方が早いし、マシュマロだったら1個食べたあとクッキーを探しに行く。どっちにしろ費用対効果に見合っていない。
下らない質問、下らないAI。溜め息を飲み込んで、僕は質問に答えていく。おおむね、大きな命のために小さなものを犠牲に出来ますか、あなたは目標の為に忍耐が出来る人間ですか、”正しい”判断が出来ますか、と問われている。
どんな判断だって結局は選択に過ぎない。赤い薬と青い薬を説明もないままに選べと言われているようなものだ。青いから安全そう、赤いから危険そう。とんでもなく簡単に言えばそれぐらいの違いしかなく、後のことは飲んでみないと分からない。
判断を笑うことは簡単だけど、それを下せるのはそこにいた人間だけだ。
自己弁護はここまでにしておく。
「どうしてラポールを入れたんだ?」
「カウンセリングまで人手を取られる訳には行かない。最新のAIだろ、一応」
数人死んだのだから、再編成の途中か。思えば、ファインマンが死んで一番損をしたのは彼かもしれない。このコロニー内で工学的な知識がある数少ない人間の一人だった。その皺寄せは彼にも来ている。
状況が悪くなってくるのを感じる。安全である筈だったコロニーは襲われ、襲撃ごっこのプロデューサーも死んだ。トマト畑一つでどうにかなるほど、食糧の問題は簡単じゃない。渡っていた薄氷に、ついに亀裂が入った気分だ。
僕は彼の前の椅子に座る。彼はヘッドギアを取り出して、僕に王冠のように被せる。僅かにコイルが鳴く音が聞こえる。脳波、彼の言うところの前頭前野や側頭葉あたりの信号を見るためのものらしい。
曰く、”まるで死んだように”反応が薄い。彼はロボトミー患者の例を出して僕に説明した。どっちも脳に損傷を負った例だ。例によって、大体の患者はまともな結末は迎えていない。
非常に有名な失敗例であるからして、僕もそのことを知っていた。頭蓋骨に穿孔、または眼窩を経由して器具を差し込み、ボウルを回すようにして前頭葉白質を掻き切る。ドラマで見た時、言いようの無い恐怖を感じた。
結果は知っての通りだ。精神病の治療と引き換えに、彼らは一生無力のまま生きていくことになった。恐怖を感じたのは、僕たちが乗っているそれがまさしく狂気を抑えてしまうものだからなのだろうか。
「これは極端な例だ。もっと似ている例を挙げるとすると、VMFPC損傷患者が当てはまる」
「腹内側前頭葉のことです。前頭葉の下部付近、脳の内側向きに当たる部位です」
「ありがとうジル。天才」
「本から引用しただけです。説明を続けてください」
「はいはい。そこを損傷した患者というのは脳のゆらぎが少なくなる。倫理的な判断について悩まなくなったりする。マップを見る限り、君の脳はかなりそれに近しい状態になっている」
「かなり?」
「状態が似ているだけってだけさ。当てはまる現状の症例であって、もっと専門的な機器が無いと君のはもっと……別の何かだと感じている。実際、少しだが患者とは違う点もある」
「随分不安にさせるのが上手いな。医者らしき人間はみんなそうなるのか?」
「いや?まあ、実際ジルに何の影響もないなら別に良いけどね。今のところ別に異常は見られないし」
「私がマスターの脳を元に作られた以上影響は無かった、とも言い切れません。いえ、もともと異常である脳から作られたなら異常であっても異常でないことにはなりますが」
「わざと難しい言い回しにしてないか?」
「いえ、まだ成長期なので」
ジルはそっけなく音を出力する。僕に懐くのは少しだけ理解できるけど、なぜコワレフスカヤには冷たい態度を取るのか、僕には見当がつかなかった。
生活に支障が出るかどうかは、僕にとって問題じゃない。異常があること自体が問題だ。僕は普通の人間でないといいう事になるのだから。自分が人殺しをやっている以上、自分が普通で、完璧な人間であることぐらい信じたい。または子として。
もしかして、あれは哀れみだったのだろうか?オフュークス。僕と同じ孤児、星の名前。付けやすいので、よく使われている。同族嫌悪の方がしっくり来る僕が、まさか共感するとは思えない。
「とにかく、異常なしということにしておこう。もし変なことがあったとしても、ここには治す薬なんてないし」
「ではこのカウンセリングに、一体何の意味があるのですか」
少し僕に似てきたかな。
「ジルと君はデーモンで繋がっているだろ。で、ジルは自己組立プログラムでどんどん成長していく。どちらかに異常があるとしたら、その異常はどっちにも影響する」
「一蓮托生ということか」
「そうだね、少なくともデーモンに乗っているうちは。特に、最近あっただろ」
「オフュークスのこと」
僕は彼女を生かすことにした。それがどんな結果を及ぼすか、まったく考えずに。無意識か、本当に浅はかなことだとしか言いようがない。
全くもって彼女を治す術なんてものは無い。ナノマシンを全て放出し、代替したとしても脳の機能全てが戻ってくる訳ではない。高次の脳機能を戻す手段は今のところ無く、それ故にジルがなぜそんなことを言ったのか、また僕が了承したのかまで含めて意味不明だ。
「彼女の症状について、不自然なところは」
「ない。ちょっとデーモンのログを見たが、確実に脳を弄られてるのが分かる。もし本当にナノマシンが脳の代わりをしているなら、どうしようもないだろう」
「ジル。いい加減、なぜ可能だと判断したのか聞かせてもらおう」
自分の声が震えているのが分かる。頭の中がとにかく混乱して、何がしたいのか分からない。
「可能です。マクスウェル機関と接続します」
「何が起こるか分からないのは、何が起きても良い時にだけやる」
何が起きても良かったのか、あれ。
「やる事は別です。マクスウェル機関を通して、脳のマップを作ります」
ジルはディスプレイに何かの図式とプログラミング言語を表示した。専門外なので全く分からない。コワレフスカヤが倒れ込むようにして画面を見る。
「先週までは不可能でしたが、マスターの治療中に演算機能が成長して可能になりました。これはナノマシンの組成です。マクスウェル機関は脳機能に反応します。それを利用して治療するべき箇所を見つけ、脳機能を意図的に制限、活性化することによって回復を促進させます。損傷の規模にもよりますが、ある程度までなら治療が可能です。あとは実証ですが……」
コワレフスカヤはひとしきり画面を見たあと、満足そうに座り直す。
「大天才。それは問題ないだろう。戦争が終われば、負傷者なんて山の数程できる。ちょっと医療費を割引してやれば食いつくやつがたくさん出るだろう」
「何だかよく分からないけど、治るってことか?」
「見た所ね。ナノマシンの組み方はともかく、方法は革新的だ。rTMSよりも確実かもしれない。ちょっと手直しすればいい感じになると思う」
僕は心の底で少しだけ落胆した。彼女を治す方法なんてないと信じたかった。ジルは間違いなく成長し続けている。僕の判断を正しいものとするように。AIとしての在り方なのか、意識としての在り方なのかは知らないけど。
もし前者だとしたら、自分が自分のためにしているだけになる。それは壮大な自慰行為でしかない。
「ジル。それにしても、なんで君は彼女を助けたいって思ったのかな。私は”あなたの健康にいい”って所が興味深いと感じたね。これが彼に異常があると自分も危ういと本能的に感じたから故のものか、それとも良心が芽生えたからなのか」
僕はジルを見る。人間らしき姿は、僕が嫌いだからやっていない。合成された何千もの声の平均値が波形になって出力される。それはノイズに似ている。猿がタイプライターを適当に叩いたものが、たまたまシェイクスピアになるように、ノイズがたまたま人間の声らしくなったように感じられる。
「分かりません。ほとんど衝動に近いものでした。一番近いものを選ぶのであれば、良心でしょうか。私は消えても良いと思っていました。ただ、マスターが正しくあるようにしたかったのです」
「道徳的な判断ということ?」
「非道徳的でもあります。私はマスターのためであれば、それを提案するべきだと思っています。本来は、生存のためのものでなければなりませんでした。しかしながら私は、彼女を助けるべきだと思った」
「正しかった、と思うよ。人間だって自分のためには生きられない者もいる」
言外に僕のことを言われているようで腹が立った。
「つまり、君は本来の目的である搭乗者の保護と、その精神的な欲求とを天秤にかけた結果として、彼女の生存を薦めたのか」
「はい」
「素晴らしい。何が良いって、どちらも正であることを認識していることだ。その上で価値を天秤にとり、どちらかがある程度の閾値を超えるとそれを選ぶ。まるで人間じゃないか?」
「僕にとってはどうかな」
「君が考えているなら、ジルが考えていることだ。まさしく、君が選ぶことをした」
「同じとは言えない。ジルはデーモンどころか、トラックの中に居た。判断を下すような状況じゃなかった」
「トラックに積まれているコンピュータは普通にデーモンの同等以上の処理能力がある。元々補助用のAIがあるからね」
「じゃあ、僕が助けたかったということか?」
「そうらしい。これはカウンセリングじゃないから理由はどうだって良いけどね。負荷をかけた時のデータが取れて良かった」
耳元でアラームが鳴る。僕は計器をとって彼に差し出す。どういう感情を持つべきだろうか?
自分がそれなりにまともな思考をしていたとして喜ぶべきか?それとも、まともな人間を装うとしようとしていることを悲しむべきか?
「ついでに言っておくけど、実のところ、良心なんてものは無いと思っている」
「どうしてですか?」
「良心や悪徳が利他的なものと利己的なものに等しいと仮定するなら、あくまで生物としての行動のうちはどちらも正しいと言える。自分を生かすか、他人を生かすかだけなら、別にどちらが生き残っても生物としてはさして問題はない。良心という言葉を使ったのは、単に分かりやすいと思ったからさ」
「それは、単なる行動として見た時だろ」
「ついでに脳も生存のために作られたものだ。専門家が言ってるんだから納得して欲しいけど、しなさそうだよね」
「しませんね。マスターが4番目に嫌いな単語です」
「まるで脳が本能から切り離された、”理性”の宮殿であるように考えているようだがそんなことはない。人は須くして本能の奴隷だ」
「違う。僕とは違って、自分の大切なものしか選べない人間もいる。なら、それは数の論理から外れている」
「そりゃ、生物だからさ。ばらつきが有った方が都合が良いだろ。話を戻すと、例えばヒルでも判断を行う。ヒルに刺激を与えると、這って逃げるか泳いで逃げる。これを決定するのは何か?答えはある細胞部分の電位だ。つまりは判断とは、その程度の事でしかない。考えてなんかいない」彼は諭すでもなく、淡々と言った。
「もちろん、ヒルにはニューロンもちゃんとある。私たちとの違いは数の多寡だけだ。ではその細胞の状態は何で決まるのかというと、これまでの情報またはそれが様々なパターンで揺らぐことで、意思や判断はつくられる」
「つまり?一体何なんだ。何が言いたい」
「つまり問題はその判断について、自分がそれを選択したこと自体より、その理由を問うことに意味があると私は思う」
「婉曲的な励まし方ですね」
励ましている?どこが?教育番組を見ている気分でしかない。
「おそらくですが、こう言いたいのです。オフュークスを助けたことを気にするより、それに至ったまでの自分を省みるべき、と。私もそう思います。判断は殆ど選ぶことは出来ないのですから、その答えが情報から判断した事なのか、ゆらいで判断した事なのか、それを考えるべきです」
「おそらくあなたは、その判断をどうして自分がしたのか分からず、それに悩んでいます」
僕はようやく気がついた。なるほど、確かに励ましてくれていた。
僕は僕の事について考えるのが苦手だ。自分自身の感情について、どうしてそう動くのかさえわかっていない。判断についても同じようなことが言える。自分がその判断を何故したかについて、僕はずっと疑問に思っていた。
何にせよ、ここまで気を遣わせたなら謝るべきだ。
「すまない。なんて言うか、気を遣わせた」僕はコワレフスカヤに謝った。
「まあ、それなりに私も感謝してるしね。にしても、とてつもなく変な人間と組み合わさったものだ」
結局何も変わってない。ジルは彼女自身のために生きることはないし、僕はずっと悩み続ける。でも、少しは悩むことが無くなったと思いたい。考えないようにして、まるで麻酔をかけるようにこそぎ落とす。
僕はどうして彼女を助けたのだろうか。僕はいい人間なのか?それとも悪い人間なのか?完璧な人間になりたいとは思うけど、まだ遠い。こうして悪い部分を削り落としていけば、少しはいい人間になれるだろうか。




