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目覚まし時計  作者: nacare
1:落下
14/76

14,

 目元の隈が更に広がっただろうか。ジョン・アダムは疲労困憊といった様子を隠さず、椅子に倒れ込む様にして座った。真一文字に結ばれた口元からどんな重苦しい言葉が出るのか僕は期待した。自分がやることとしても、もう一周回って面白く感じれる。

 彼はプロジェクターをデスクの上に置いて起動した。オレンジ色のグリッドが灰色の壁に映る。球体が潰されるように乱暴にズームされ、それはやがて一つの渓谷の図になった。

「作戦を説明する」

 いつもと同じ陰気な声で彼は話す。目はどこか虚ろで、分かりやすく不健康だ。

「今回の作戦はトラックの襲撃だ。理由は……説明する必要があるか?」

「いいえ。理解しています」

「分かった。なら省く……その口調は?」

「はっ、私は一兵卒ですので」

「気持ち悪いな。第一、臨時司令だとしても元の階級はお前たちと殆ど変わらない」

「そう仰られても。私は兵士なので……」

「……分かった」

 それなりに付き合う機会もあったので、僕は彼がひどく几帳面で神経質なことを知っていた。全てにおいて真面目と言って差し支えないように、ファインマンみたいに手頃な娯楽で気を紛らわす事もしない。この暮らしの中で必死に軍人がやるべき事を全うしようとしている。

 作戦行動や基地の修理、交易だとかの重要な事柄は全て彼が計画していて、僕たちが口を挟めるのは実働前のブリーフィングぐらいだ。ここまで来ると、責任感というよりは他人を信用できない病気か何かに思える。

 まるで偉そうな上司を演じるように、ジョンは机を2,3回指で叩きながら続きを話し始めた。

「標的はドローントラック群。積荷は全て重要な水と食料品だ、残らず持って帰ってきてくれ」

「襲撃地点はこの渓谷だ。4日後にここを通過する」

 渓谷の底を走行するドローンのホログラフが現れる。ブフォ社のガマd。人間みたいに余計な資源を消費しないクリーンなドローントラック。そこそこの耐久性とそこそこの自衛性能を併せ持ち、何より安価なので陸路の輸送に多く使われている。襲撃した経験もあるから、狙うべき箇所も分かる。

 そこは問題ではない。だけど、なぜ鉄道を使わないのだろうか?ケプラー442bのような未発展な星ならともかく、火星のようにハビタットがいくつも点在して整備も進んでいるような星ならそっちの方が安全だ。

 トラックの経路はあるコロニーからコロニーまで、様々な地点を通過しながら繋いでいる。

「このトラックたちは奇妙ではないですか?食糧であれば、列車で運べば良いだけです。わざわざ別ルートを辿ってまでコロニーからコロニーまで行くメリットがありません」

「……企業持ちのトラックだろう」

「そうだとしてもこんなに大量に?ここが数週間持つぐらいありますが……」

 ホログラムの数値は10t×5を表している。いわゆる10トントラックが五台。この基地にいて、解凍されて動いているのがおおよそ100人弱。僕たち兵士やトマトのこともあるから一概には言えないけど、おそらく数週間は持つ。

 そんな量を戦場でもない企業専用のコロニーに。明らかに過剰だ。

 ジョンはじっとこちらを見たまま押し黙ったようだった。気持ちの悪い沈黙があとに広がっていた。彼が言うべきでないと決めているのだろうか。もしそうならそれでいい。そう命令であると決めてしまえば良いのに、罪悪感をもつ。それはきっと間違いなんだ。

「申し訳ないが、命令だ」

 最初からそう言えば良かったのに。僕は彼を見る。

「了解しました。行きはデーモンで良いとして、どうやって持ち帰りますか?」

「ああ、それは……」

「私が説明します」

 オレンジ色の球体の中に緑色のアイコンが現れる。鳥と竪琴のマークは僕のアカウント。ジルだ。

「私がアダム氏の命令によって作成したウイルスをフラッグ機にインストールすれば、トラック群はこの基地へと向かいます。フラッグ機は先頭を走行している機体です。多少ながら防衛武装も備えていますが、デーモンであれば問題はないでしょう」

 先頭のトラックは他と比べて少し車格が大きく、本来運転席が収まる場所にはレドームがある。このドローントラックのみがフラッグ機がトラック群を統括し、組織している。アリの行列みたいなものだ。考えているのは先頭だけで、残りは着いていくだけ。

「なるほど、帰りは10日ほどかかりますか」

「私が作成しました」

「単独ですか?」

「いや。オフュークスと2人でだ」

「私が、ウイルスを、組みました」ジルは音量を上げて発音する。

「分かった分かった。良くやったよ」

「ありがとうございます」

 そして彼女は地図からログアウトした。何事もラポールの声なので、気が狂いそうになる。

 楽な仕事のままだといいけれど、きっとそうはならないだろう。悲観というべき予想を僕は取り下げる気にはなれなかった。


『今日の火星の天気はダエダリア高原からアマゾニス・コロニーにかけては晴れ、首都アルギュレは雨、コロニーはこれを受け入れる模様です。クリュセ・コロニーは曇りのち雨。気流の影響で天気が崩れる可能性もあるのでお気をつけ下さい……』

『変わり映えしねえな』

 粗雑な声がリキベントの中でさざめいた。

 男性の声と女性の声だ。男の方は聞いたことがないが、女の方はよく知っている。火星のアナウンサーだ。赤毛の整った顔立ちの女性で、何より彼女の声がプロパガンダで延々流れてくるので耳にこびりついている。

『聞いてろよ。先月からずっと戦線に動きが無い。今日もだろうな。賭けてもいいぜ』

『月戦線についてのニュースです。火星国軍は4機のデーモンを撃墜。被撃墜は無しとのことです。なお、戦線に動きはなく現在も木星航路は封鎖の見込みが続いています……』

『ほれ見ろ。ったく、つまんねえ』

「良いんじゃないか。少なくとも、こっちに来る余力はないってことだろ」

『そうとも限らん。別に片手間だって良いんだ。アンタらがいない間にデーモンが一個分隊来るだけで終わるさ。例の畑のこともあるし、意外と終わりは早いかもな』

 彼の声は絶望も諦観も含んでいなかった。しかし、闘志を燃やしているようにも思えない。まるで他人事のように、自分を含めた人間たちが死ぬと言った。

 長く戦場に身を置いた人間はこうなると、僕は知っていた。心をすり減らし過ぎたわけではなく、単純に命のやりとりに慣れたのだ。そうなってしまうとおしまいだと言う人間もいるが、そうならなければ生き残れない。

「それはそうだ。だから祈っていてくれればいい」

『ハハ、誰にだよ』

「さあ。適当にだよ。キリストだろうがムハンマドだろうが誰にでも。そうしたら気も紛れるだろ」

『そうしてどうなる』

「どこかで聞いたけど、祈るってことは健康に良いんだ。文字通りにね。祈りという利他的な行為ってのは脳のどこかしらに働いて、安心させるような物質を出す。要は、気持ち良くなる」

『そりゃいい。奴らはマスかいてるのと同じか』

「宗教的な生活も効果がある。毎日違う環境にさらされるよりも、宗教的でもなんでも決められたルーティンに従った方が安定する。だからどうだ?」

『丁重に断らせてもらう。俺は姦淫をまだまだ犯すつもりでいるんでね』

 それはやめておいて欲しいが、僕は同意した。コンドームも無い閉鎖的な環境でしたらどうなるか、想像に難くない。

 祈って救われる人間もいるらしい。僕と彼はそうではない。それだけの話だ。

『カタパルト充填完了、発進の準備を』

 基地のAIがアナウンスする。無駄話をしている時間がようやく終わる。

 シャトル頂部の凹凸に足裏の金属を引っ掛ける。すぐさま自動的に足がカタパルトへ固定され、発進の準備が整う。

 生身だったら微細な不安を覚えているところだけど、あいにく今の僕はデーモンを着ている。出撃前の不安や、生活の中の苦しみ、そういった僅かな情動は化学物質の波が押しつぶしてくれる。

 鋭敏になった神経が、カタパルトが動き出すのがはっきりと感じ取った。僅かな間に加速が終わり、最高速に達する。前へ前へと動いていく体と留まろうとする慣性がせめぎ合いながら、デーモンは凄まじいスピードで太陽の下へと向かう。

 傾きかけた太陽が青く空を染めている。雲ひとつない青空が赤錆色の大地の上にどこまでも続いている。

 スクラムジェットエンジンが呼吸を始める。酸素を取り込み唸りをあげ、マルファスを引っ張り上げる。速度はおおよそ200km/hから緩やかに加速している。爆発的な加速ではない。ボディをカーキ色に塗るついでに調整してくれていたらしい。

 またカタパルトからデーモンが発進した。アザエルだ。赤色だった彼女の機体は僕の機体と同じ色に染められている。相変わらずであるけど、速度はマルファスよりもずっと上だ。

 簡易信号で”先行する”とだけ送られていきた。ジルが不明瞭なノイズをあげる。同じような気分だ。

 僕が言うことでは無いかもしれないけど、傭兵と言う立場の人間がコミュニケーションをしないのは問題だ。基本的に契約する相手ありきの仕事なのだから、評判や連携というものは常につきまとう。

 一応は地球連邦に雇われた身なのだから、他の傭兵たちともコミュニケーションを取ったらどうか、と彼女にも行ったことがある。答えはもちろん”no”だった。それぐらいで変わるのだったら、今まで無愛想を突き通すことなどしない。

 大人しく後塵を拝すことにしよう。空気抵抗があるおかげで速度は宇宙空間での馬鹿げたものよりも幾らか緩んでいる。スリップストリームに乗りながら、僕は景色をぼんやりと眺める。

 程なくしてトラックの反応がレーダーに映った。目視ではまだ確認できないほどの距離。僕はトリガーガードに指を這わせる。銃弾より、デーモンよりも早いものがやって来る。

 唐突にレーダーの反応が増える。隊列の外周のトラックからドローンが放たれた。

 戦闘用のドローンは偵察用の小さいものではない。スクラムジェットエンジンとM61バルカン、AIM-9X-4を積んでいる戦闘機もどきだ。唯一違うのはパイロットがいないことぐらいで、それ以外なにも変わりはない。

 それだけなのだから楽な仕事だ。

「デイスペンサーを起動。フレアを使う」

『了解しました』

 彼女の後方から上昇してフレアをばら撒く。とにかく大量に、後先は考えなくていい。空に出来の悪い花火ができたあと、ミサイルが発射された。

 ミサイルが放たれた方向へと移動しているため、速度は相対的に上昇している。到達するまであと5秒程度だろうか。オフュークスがバトンを抜く。僕もライフルを構える。

 視界の奥からミサイルが来る。全部で6発、弾頭の角度からして3発はフレアに寄っている。残りの僕たちに向かうミサイルに向かって引き金を引く。

 爆発が遠くで起こった。まだ引き金は引いたままだ。もうすぐマガジンが尽きるだろう頃、オフュークスがバトンを振るった。赤い粒子がミサイルに触れ、爆発がおこる。もうミサイルの影はレーダーから消えた。全くもって出鱈目な武装だ。

 彼女はさらに加速する。僕はドローンへと偏差を見込んで射撃を開始する。ほんの少し構えただけで、気流が体を絶え間なく押しているのが分かる。ソフトウェアが風の強さを計算し、人工筋肉が適切に体を支えてくれるとは言え、煩わしいことに変わりはない。

 ドローンが見えた。真っ白なボディにはコックピットは無く、まるで紙飛行機をふたつ重ねたような貧相な見た目をしている。正式な名称はH-13だけど、その見た目から概ね”ガガンボ”だのと呼ばれている。軽量化のおかげで恐ろしい速度で移動できるものの、マクスウェル機関を積んでいないためにデーモンより格闘機能はない。つまり、ミサイルさえ落としてしまえば脅威ではない。

 またオフュークスがバトンを振った。ドローンのボディが熱で融解し、そのまま捩じ切られるのを昂った神経は捉えていた。2機撃墜。レーダーに映っているのはあと1機。

 ライフルの有効射程にドローンが入ってくる。ミサイルを撃つには遅すぎる、銃で撃ち合わざるを得ない距離感。ミニガンでの射撃を躱しながら、背後を狙う。緊張はない。まるで楽観視しているのはその軌道にパターンがあるからだ。戦争の合間にアップデートさえ来ていなければ、簡単に背後を取れる。

 右に30度旋回、バレルロール、左に40度旋回。加速を続けるドローンについて行く。肩に当てていたストックを下ろし腰だめに。ドローンがクルビットを始める。ピッチアップして僕の背後を取ろうとしている。

 重力を進行方向と逆に偏向させる。マルファスが突然押さえつけられたように減速する。目の前には減速途中の無防備なドローンの機体上面がある。あとは雑にトリガーを引けばいい。

 爆発が空にできる。僕はオフュークスがいた方向を見るが、そこにはもう何もない。彼女は既にトラックに向かったらしい。僕は肋骨を労わるように緩やかに加速を始めた。


「おはようございます。12時間経過、哨戒担当の交代時間です」

 ジルの声がトラックの狭苦しい車内の中で響く。すぐに時間調整薬を飲み込むと、ベンゾジアゼピンが受容体を突き抜けていく。12時間来なかった眠気が急速にやって来る。

 歯磨き粉と梱包材で作った即席の歯ブラシで歯を磨く。靴先に空になった缶詰が当たった。外はまだ暗がりだった。星の光に混じって戦場の光がわずかに見えた。

 トラックを乗っ取ってから8日経った。シベリア鉄道さながらに昼夜を問わずにトラックは走るが、まるで変わり映えはしない。なにせ谷の底を出来るだけ目立たないように行くだけなのだから。

 哨戒も退屈なものだ。一日中、赤ちゃけた谷を眺めながらトラックの座席に座るだけだ。そして、それを緩和できる仲間もここにはいない。唯一の同僚は一つ後ろのトラックに居るが、まるで会話は望めそうもない。

「オフュークス様、調整薬を服用して哨戒に入ってください」

『ああ、分かった……所で、コーヒーは無いか?』

「コーヒー?さあ。あんたのトラックに無いなら無いよ」

『そうか。悪いが死ぬほど眠いんだ。ジル。すまないが、私が哨戒中に寝ていたら叩き起こしてくれ。今デーモンのアクセスコードをよこす』

 ”すまないが”?そんな言葉、今まで一度も聞いたことがない。僕の骨を折った時も、戦術的な行動を取らずに独断で先行した時も、全く。おかしくなったのだろうか?

「眠気覚ましが必要なのであれば、カフェイン錠剤を探索しますが」

「誰がやると思ってるんだ」

「ロボットアームがなければの話です」

『ありがとう。でも多分無いさ。そういうのは頼んで無いだろうから』

「頼んでない?」

 強烈な眠気が襲ってくる。船を漕ぐ頭を無理矢理に起こして聞こうとする。

 何から何まで分からない。とにかく、彼女の話を聞く他ない。

『ん。でも眠そうだから、今度話そうか』

 僕はトラックの座席に倒れ込んだ。自分の体が固い机にぶつかる音が遠くで起こったように聞こえた。悪夢の前借りでもしたのだろうと思っていた。

 しかしながら、悪夢は終わらない。

『おはよう。今日も襲撃はなかったよ。ずっとこのままだと良いけれど』

「……火星の奴らが相当間抜けじゃないなら、今は敵地の真ん中にいるんだ。襲ってこない訳が無い」

『ううん、気乗りしないな』

 やっぱりおかしい。あっちのトラックの食料全てに使用済みのナノマシンが混じっていたのだろうか?

 いつもの不機嫌で無愛想な彼女ではない。快活で、遊び盛りの学生のように喋る。真逆だ。基地を出てから一週間程度、錯乱するには早すぎると思う。

『じゃあ、話の続きからしよう。暇だったんだ』

「頼んでるって話か」

『ああ。簡単な話だよ。エングラム社がこのトラックごと資材を買ってるってこと。食料品しか頼んで無いんだから、錠剤がある訳ない』

「じゃあ、この襲撃は織り込み済みで……」

『うん。つまり、最初にエングラム社が食料品会社から水と食料を買い取る。次に運送会社からトラック、あとその保険とかも必要か。そういうものを買い取って、ダミー会社に向けて発送してもらう。最後に私たちがそれを貰う』

「きな臭いとは思っていたけど、僕たちの方だったのか」

『そういうこと。先月はグリア粒子とか燃料が足りなくなって、幸運にもわざわざ遠回りする軍用トラックが現れた。先週はちょうど肥料が尽きたタイミングで農業用コロニーに向かうトラックが。ヒドラオテスの周りにはコロニーなんて一つも無いのにね。流石におかしいだろ、と思った。で、デーモンでちょっと金の動きを調べたら案の定さ』

「分かったけど、どこからそんな金が出ていたんだ?僕だったら、戦争に行って運良く生き延びたチームがいるとしても、不運な事故で済ましてしまう」

『さあ。金を出した人間はその動きそのものよりもずっと巧妙に隠されていたから、それは分からない。でも、エングラム規模とは不釣り合いなほど金を持っているのは確かだ』

 僕は道中のことを思い起こす。巨大なナノテクノロジー・ガラスを使った豪華な舟、恐らく良い大学を出たであろう若い研究員たち、負傷した傭兵と僕を助ける余裕のある過剰なまでの医療設備と資源。

 エングラム社はさして名のある企業でもない。せいぜいがGJ1214bの一つのコロニーの中でシェアを独占している程度だろう。名だたる巨大企業は5や6のコロニーを独占して、その中で経済を回していける。それにしては、随分と度を越している。

 一つだけ心当たりがあるとすれば、ファインマンだろう。彼は非常に怪しい肩書きで、この社の中にいる。そいつに雇われている身がいうことでは無いが、一番怪しいのは彼だ。

「その、オフュークス様、お聞きしてもよろしいでしょうか」

『うん?』

「52時間34分以前から、現在まで。貴女の様子が……その、変わった所があるかと」

『ああ。そのうち話さなければいけないと思っていた』

 彼女の声のトーンが少しだけ低くなったことに、僕は気づいていた。

『私は……その、おかしくなっているということだろう?分かっている。でも、こっちが普通なんだ』

「信じられない。今でも、あんたがからかってるんじゃないかと思ってる」

『信じなくてもいい。普段の私、君が言うところの”自分で走ってくる地雷”の時は自分が偉くなったような気がして、何でも出来る様に思えてくる。何日も眠らずに動くことができて、夢の中にいるようだった。悪夢の中に』

「どうしてそんな事に?」

 僕は問いかける。彼女が嘘を言っていても構わなかった。ひどいほどの興味本位だった。もしくはどこかで彼女が酷い人間である事に対する理由を求めていたのかもしれない。自分が受けた苦難に意味や理由が無かったのだと告げられるのはとてもつらい。

『まあ、それなりにありきたりな話だよ。私は孤児だった。火星戦争で両親を失って、働き口を探さなければならなかった。当然、金も学も力もない子供に出来る仕事なんて限られてる。タダ同然で契約を結んで、コロニーの建設のためにTrappist-1dへ飛ばされた』

『コロニーは酷いものだった。地獄という言葉では言い表せないほどに……数十年前のパワードスーツを使って、時には生身でコロニーの足場を築いていく。いつ死んでも不思議じゃないほど危険な仕事だった。第一コロニーには原因不明の病気が蔓延していて、労働すらできないような環境だった』

『当然、みんなバタバタ倒れていった。私みたいな孤児、借金のかたに売られた大人、病状解明のために来た医師。みんなが明日の命も分からない様な状況だった』

「今のところ、とてもありふれた話だけど」

『ここからがそれなりになるんだ。私は生き残った。幸運だろう?だけど、その次の週に私たちはエングラム社にいた。ファインマンが生き残った人員を買い取ったんだ』

 ファインマン。怪しさとタバコと酒でできた人間。怪しさで言えば街中で奇声を上げるおじさんと同じぐらいだったけど、この話を聞いてさらに上になった。

『それから、彼の実験に参加させられた。いつの間にか契約書にサインさせられていたので、拒否はできなかった』

「どんな実験ですか?」ジルが訊ねる。

『マクスウェル機関の実験だった。アナボリックステロイドとか、テストステロン系のホルモン、脳髄系のナノマシン投与をした上でのマクスウェル機関への接続とか。病気持ちの奴は治療させずに接続させられたりしてた』

「ありきたりな超兵計画じゃないか。ナチス(悪役のフリー素材)がやってるやつ」

『ところが、マクスウェル機関を噛ませるとそうでなくなる。彼らはマクスウェル機関が脳機能を鈍化させるという特徴を知っていた。いわゆる感情抑制だ』

「どういうことだ?それはデーモンの機能で、マクスウェル機関の効果じゃない。第一、たった一つの機関にそんなこと……」

『マクスウェル機関はブラックボックスだ。たった10cm四方の機関が重力を操れる。そんな狂ったような機関だったら、むしろそれ以外の機能があると考える方が自然ではないのか』

 一部は正しい。シンギュラリティを遥かに超えた、人類の歴史を1000年単位で進めた発明。それがマクスウェル機関だ。かと言って、単なる一つの機械がそんなオカルト的な力を持っているのは信じたくない。

『まあいい。信じるにしてもしないにしても、私がされたことは事実だ。話を戻すと、最初からどうかは知らないが彼らはマクスウェル機関の特徴を知っていて、それについて何らかの実験をしていた』

「何らか?」

『そこはよく分からなかった。脈絡が無さすぎて、何らかとしか言えない。重力を強めることにも喜んでいたし、弱めることにも喜んでいたから。そういう実験の中で、攻撃性や暴力性が抑制を突き抜け、生み出す重力を強くしていることが分かった』

「確か、感情抑制はオキシトシンとかを出すんじゃなかったのか。オキシトシンはエストロゲン、つまりテストステロンとは逆の女性ホルモンから作られるんだぞ」

『多分、そこが間違っているんじゃないか。君はデーモンがホルモンを調節している前提で話しているけど、私はマクスウェル機関が脳の機能を鈍らせているという前提で話している。この場合、ホルモン同士が対抗した結果というより、何らかの条件を脳に課したせいで、その特性に変化が生じた。この方が自然だ』

「……」

『その前提だとおかしくなる部分がどこかにあるんじゃないか……いけない、また本筋からズレた。つい楽しくなっちゃうな』

 彼女は本当に楽しそうだ。まるで老人に話を聞いた時のように留めどない。普段の様子だと考えが回る前に体が動くのだから当然だろう。

 僕は昏睡していた時のことを思い出す。あんな光景を見られたのはジルのお陰ではなく、マクスウェル機関のせいだったのか?とにかく、今は確かめようが無い。

『彼らは私たちの実験の結果から、重力を強める方向に絞って研究を進めていった。つまり、より強い重力を求めてより強い暴力性を付加するようになった』

「そして、あなたが生まれたという訳ですか」ジルが言う。

『そういうことだ。私を含む数人の実験に耐えた者たちは最終的に手術を施された。視床下部やら帯状回やらを切って、ナノマシンの塊を埋め込む手術さ。ナノマシンは絶えず視床下部と帯状回を刺激して情動を生み出す。不安を煽って暴力的な行動へ移す。そうやって私は完成した』

 液体を嚥下する音が聞こえた。重いものを飲み下すような音だった。

「じゃあ、今は」

『ナノマシンが一時的に枯渇しかかっているのさ。普通に経口摂取だからね。でも、完全に無くなった訳じゃない。デーモンに乗ったら僅かなナノマシンが作用して、元の私に戻るだろう』

「悲しいな。でも、それを言ってどうするつもりだったんだ。本当だったら、どうしようもない。ナノマシンの群体(コロニー)はともかく、脳を切られているんだったら培養治療法でも治せない」

 それを言ってから、僕がどこかイラついている事に気がついた。僕も彼女も、絶対にどうしようもないものを背負っている。それだけは分かっていたけど、それ以外のことは分からなかった。

 何にイラついているのかすらも分からない。まさか、彼女が受け入れようとしている事に対して?

『別に、同情を惹こうなんて思っていないさ』

『私がしてきたことが償えるとは思っていない。そして、これから償っていけるとも思えない。私の脳は不可逆的に変化してしまったのだから。ただ、誰かに言わないと気が済まなかったんだ。私を誰かに覚えてもらうために……』

 彼女は賢い人物だったのだろう。彼女は僕がファインマンと契約したことを推察して、打ち明けても他にバラさないと確信して、監視の目が無い状況で打ち明けた。もし言いふらしたらファインマンから何をされるか分かったものじゃない。

「……その、オフュークス様。もしかしたらですが」ジルが言った。声がどこか震えているように聞こえたような気がした。

『何が?』

 ジルが何かを言おうとした。発音は衝突音にかき消され、不明瞭な音になった。

 何かがトラックを激しく叩いている。まさか敵機が?すぐにデーモンを装着する。人工筋肉が僕を飲み込み、不安定だった気持ちが纏められていく。

『何が起きている?』

「砂塵嵐です。なぜこんなに突然……」ジルの声が動揺しているように聞こえた。

「敵機体を確認。会戦で確認した大型デーモンです」 


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