13,
赤錆色と青色だけが延々と続いている。
パズルのピースよりも乱雑に区切られた岩石の中に僕たちはいる。かつてここは巨大な川だったらしく、積もった石がごろごろ転がっていた。
ハイジャックされた衛星から僕たちを見たなら、何もない渓谷の底に突然現れたように見えるだろう。もっとも、火星軍も地球同盟も戦争をしているのだから、そんな暇はないだろうけど。
監督が笛を鳴らす。作業開始の合図だ。僕はシャベルを握り、その刃を大地に突き立て始める。
晴れているけど、光はそれほど強くない。矛盾しているように思えるけど、太陽役の恒星から遠い惑星だとさほど珍しいことじゃない。紫外線もそれほどの量はないから、サングラスをつける必要はないだろう。それでも僕の体はひどく熱を帯びはじめる。
汗が額から溢れていく。それを拭わないまま、僕はシャベルの柄を強く握る。先端を地面に突き刺して、そのまま柄を下げるものの、浅く刃が入っていたようで少ししか掘り起こせなかった。うまくいかない。また刃を突き刺し、僕は地面を掘り起こす作業を続ける。
顔を上げると、地面に穴が等間隔で並んでいる。そこまで深くはない。せいぜい膝丈くらいだろうか。あまり深いと、後で均すときに面倒だという。僕の両隣にある穴の列は100mほど続き、その終わりには同じようにシャベルを持った人間がいる。
腰と脚が痛む。使い忘れた筋肉たちが悲鳴をあげている。3時間ほどが過ぎたけど、まだノルマには程遠い。遠くにいる人間も必死でシャベルやらツルハシを振るっている。いったいいつまで続くのか、と思いながら僕はまたシャベルを握る。
確か、トマトを栽培するとか火星植民者の代表が言った。それについて異論はない。3食C・ワームが出てくるほど基地の食糧事情は逼迫しているのだから。僕は適当に頷いた。
しかしながら、水がない。この土地は年月が経つうちに地下水源が移動してしまったし、現状は略奪と循環システムでできた準水を使っている。基地で使う分だけでギリギリなので、よくある水耕プラントなんて作れないとコワレフスカヤが言った。僕は適当に頷いた。
それをどうするのだろうか、と喧々諤々めいた会議のなかで肘をついていた。どうやら昔ながらの畑を作って解決するらしい。まあ、畑というのだから土を使っている。恐らく水耕栽培よりかは水を使わないのだろう。僕は適当に頷いた。違を唱えようにも、僕にはそう判断出来るだけの学はない。
それが数日前の会議でのあらましだ。そうして間抜けにも、脳みそが体と繋がった翌日に肉体労働をしている。
哨戒の為にデーモンを使っている都合上、素の肉体に頼らなければならない。よりにもよって筋肉達磨はその哨戒中なのだ。これほど運命を憎んだことはない。
いくつか土、より正確に言えば塵とシリカの積層したものがうず高く積まれた頃、ミランがトラクターに乗ってやってきた。恐ろしく静かに動く車は後方に土が入った荷台を曳いている。
「回収の時間だ。さっさと積め」ハンドルに寄りかかったまま彼は言う。鍔の奥の額には汗が滲んでいる。
「不公平じゃないか?なんで病み上がりが肉体作業なんてやってるんだ」
「公平にくじ引きで、と言ったのだろう。ならその通りだよ。寝ていれば良かったんだ。『英雄』がやる事じゃない」
そう言われるとその通りなのだけれど。
「茶化すのはよせよ」
「いやはや、商売上がったりだよ。人から貰うのが一番安上がりに済むというのに、リュラにばかり貢ぎ物がいく」
貢ぎ物。上手い形容の仕方だと思った。
「クソみたいな命令をこなすために無茶をして、運だけで生き残ったようなものなのに、嫌な気分だ」
「望まずに手に入れたものは概ねそういうものだよ。受け入れることだ」
彼はそう言ってシャベルをトラクターから取り出し、一心不乱に土を積み始めた。確かに彼の顔面は望まずに得たものだろう。筋肉達磨みたいなのに妬まれるのを考えたら不幸かもしれない。それでもその顔を使った利益の方がずっと大きいのだから、そうと言う権利は無いと僕は僻んだ。
まあ、受け入れるしかないのは本当だ。それが良いことにしても悪いことにしても、ほとんどの事はどうにもならない。
僕が掘り起こした土の量は平均よりも少ないだろうけど、それでも多い。土というものはナノマシンの残りカスのような見た目をしていながら、案外重い。
ミランは手慣れた様子で土を運び、荷台に載せた。僕みたいな及び腰じゃない。やはり僕が回収に回ればwin-winじゃないか?僕は疲れない、ミランは得意な作業ができる。はあ、またシャベルを地面に突き立てる。
「アルバイトでもやってたのか?」
「いや。家業だった」
「家業?農業プラント出身だったっけ。それも自分でやるなんて、相当古いやつだろ」
「ああ。まさか兵士になった後に役立つとは思ってなかったが。塞翁が馬というやつか?」
「まあ……似たようなものだよ」
どこかで聞いたことがあるのだろう。僕は彼の境遇について不自然には思わなかった。自分の無関心さが露呈した気分だけど、それはそれだ。
それにしても農業プラントか。普通の労働者としても泥臭い、割と危険をともなう類の職種だ。彼からはそんな匂いはしない。荒くれの肉体労働者というより、どことなく育ちの良さを感じるような仕草をする。顔面のせいもあるが、随分な役者だと思う。
「頭はもう大丈夫なのか?」
「悪口?」
「いや、そうじゃない。昏睡していたんだろ。もう動いて大丈夫なのか」
「まあね。脳みそなんて体の一部だ。手足が生えるのと一緒だよ」
嘘をついた。多分見破られるだろうけど、どっちにしろかまわない。
ミランは少しの間僕をじっと見たが、また作業に戻った。金の問題だと思ってくれればいいけど、僕は彼がそこまで守銭奴だとは思えない。
「17:00までに5トンだったっけ?絶対に間に合わない。トレーラーを改造してクレーンでも付けたほうがいいんじゃないのか」
「資源もデーモンと基地の維持に取られてるから、出来ないだろうな。第一ここは自由都市から遠すぎる。金は有るが使えない。万一買えたとしても運べもしない。略奪でも同じだ……」
彼は少しだけバツの悪そうな顔をしたあと、またシャベルを振るって土を荷台に載せていった。僕の苦労が何だったのかと思うほど、盛られた土はすんなり削れて消えていった。それが完全に無くなると、彼はどこかへ土を積みに行った。
さて、僕もまた労働に耐えなければならない。物資不足というのは恐ろしい。物資が足りないが為に人海戦術に頼り、また物資が必要になる。うんざりするイタチごっこだ。解凍された火星人たちはそのことを知ってか知らずか、労働に勤しんでいる。
開戦理由として送られた人間の心境なんてのは分からないけど、裏切られたような気分ではないのだろうか。少しだけ彼らの境遇を聞いたけれど、良くある不幸なものだ。下層部の市民と聞いて想像できるような、植民星どうしの経済戦争に巻き込まれたり、貧困や病に喘いだりしているのが大多数だった。
幸福は紋切り型のようにどれも似たようなものものらしいけど、不幸もおおむねその通りだと僕は思う。もしくは、僕たちによってそうさせられたのか。
僕たちがもし彼らの船を墜とさずにいたら、戦争なんて起こらなかったのだろうかと夢想する。もちろん、そんなことはあり得ない。彼らは火星軍の数ある詭弁の一つに過ぎず、僕たちが攻撃しなかったとしても戦争は起きたのだろう。
そうだとしても、考えられずにはいられない。現在まで続く不幸の連続はそれによって引き起こされたのだから。
どうにかして土を掘り終わったあと、僕と作業員たちは地下の一室に集まっていた。曲がりなりにも戦争中なのだから、敵の基地がここにある、と知らせるようなことはしない。
火星戦争時代の産物なのだから、アーチボルドたちが地球にある図書館にでも行けばすぐ知れるだろう。しかし、そんな事は今までもこれからもあり得ない。
僕は打ちっぱなしの床に座って、汚れた顔を上げた。目の前にはさっき僕たちが掘り返した土でできた約20mほどの丘がある。尊い肉体労働の結果だ。
やがて、火星人と傭兵の手によって土に半透明のシートが被せられた。すぐにシートは土に解けて消えていった。
バイオマス・シート。基地の中にいくつか残されていた、エクソダス時代の忘れ物。火星の土を分解してよく有るような「土」に変えてくれる。どれほどの時間が掛かるかは知らないけど、少なくとも休憩には事足りるだろう。
座り方を変えて、僕は小人が靴を縫うような作業を眺めた。人生の大半をコロニーと宇宙で過ごした身としては、こんな原始的な農業は未知そのものだ。天候を考慮しなくていい農業は殆ど自動化され、宇宙船の栽培システムなら苗を所定の位置にうずめただけでトマトが手に入る。
これからはトマトが手に入るかも定かじゃなくなる。雨が降ればいいのだが、そう上手くは行かないだろう。
丘のふもとではひょこひょこと蛍光色の機械が歩き回っている。ジルだ。
頭頂部にあるカメラを左右に振りながら、何が面白いのか作業をしている人間の間を擦り抜けてまわった。餌を催促する猫のようだな、と思った。
サルファー・イエローに塗装されたボディはもともとのクロムとツートーンになり、殺風景な部屋の中ではやけに目立った。一通り見回ったあと彼女は人工筋肉で出来た前足で僕のつま先に触り、踏んづけた。
「重いだろ」
「私の仮設ボディの重量は8133.3g、標準的なアメリカン・コッカー・スパニエルと同程度です。重くはありません」
「何だって?」
「アメリカン・コッカー・スパニエル。犬種です。全く重くはありません」
「かもしれない。何でさっきから作業を見て回ってるんだ?コワレフスカヤから作業の概要は受け取ってる筈だ」
「はい。その通りですが、どう形容すべきでしょうか。あまり自分自身を制御できていません。私があなたと繋がるまでは、必要のない事は行わずにいられましたが、現在ではそれが出来ません。まるで子供のように忙しなく関係のないことを行なってしまいます」
「人間と接続した結果だよ」
変声機に乗った声が聞こえたと同時、白い手指がジルのボディを抱き上げた。
彼女は有蹄類に似た脚でもがいたが、やがて抵抗の意味がないことを悟ると大人しくなった。しばらくそうしててくれると有り難い。
「いやはや、順調に成長してくれて嬉しいね。今はそれでいいよ。情報をたっぷり蓄えたまえ」
「どういう状況なんだ。少なくとも、ラポールや船のAIはこうならないだろ」
僕にとっては迷惑なのだけれど、と思いながらソフィア・コワレフスカヤに言う。彼は傭兵でも軍人でも無いがA&Aに雇われていたらしく、相当酷い目に会いながらも基地までたどり着いた。どうやら僕のIDをコピーすることで、傭兵が推薦しているように売り込んだらしいが、考えない様にしよう。
フードを目深に被っているのは変わらない。あの時は座っていたせいで気づかなかったが、小柄だ。声色は変声機で変えているため分からない。ここでプライバシーを守る必要なんてあるのか。
問題はあまりに工学的な知識を持つ人間が少ないおかげで、デーモンや環境維持装置の修理、果てはこうして農業の責任者にまで上り詰めたことだ。彼がここで権力を持たなければ、ジルは産まれ得なかった。そして僕は死んでいただろうが、そっちの方が幾分か良かっただろう。
彼は少しだけ不機嫌になりながら答えた。
「そりゃ、君と繋がったからさ。人間の脳というものは想像よりもずっと適当でね。意識は外界の情報を都合よく歪めたりする。どうしてそうなるかはどこかの研究者に任せるとして、それを消化するまでそうなるだろう。要するに子供が大人になるように、情報を正しく受け取れるまでそのままということだ」
「ついでに言うと、現実の情報じゃないとダメだね。君たちが見てた映画やドラマじゃ情報が足りない」
まあ、それは何となく理解できる。映画やドラマは一般的な常識を教えるには役に立ったけど、現実の細かなニュアンスを教えるのには役立たなかった。端的に言うと、彼女からAI特有の堅苦しさやズレた言動を取り除く事はできなかった。
唯一発見できた人間らしさというと、メディアでのAIの扱いに悲しんでいたことぐらいだった。大体が暴走して人類の敵になるか、忠実な僕として描かれる。残りは自我が芽生えてハッピーになるぐらいだろう。
とんでもない。人間になんてならなくていい。更にうるさくなるし、悲しくなるだけなのだから。
さっさと巣立ちしてくれるといいのだけれど、とジルを見る。彼女は既にカメラをこちらに向けていた。
「そうですか。ご迷惑をお掛けします、マスター」
ジルは振り子のようにボディを揺らし、彼の腕の中から脱出した。そしてまた作業を眺めに行った。
コワレフスカヤは名残惜しそうにジルが歩くのを見ていたが、やがて僕の方に向き直った。
「で?」
「?」
「何か悩みごとがあるんだろ?相談したらいい。一応、これでも君の主治医だ」
「そうだったのか。随分肩書きが多いな」
「好奇心で君を可愛い我が子と繋いだせいでね。さ、話してみたまえ。そうすれば作業が終わるあいだ、トマトの先行きなんて考えずに済む」
やっぱり適当じゃないか。
まあ、僕のバイタルだとか様子を四六時中報告されるのだから、訊かない訳にはいかなかったのだろう。彼も大変だとは思うが、言ってどうなるのだろうか?
僕は自分が何かに変わっていくことについて、悩んでるフリをしていた。
コワレフスカヤは僕の大脳、特に腹内側前頭葉とかいう部分に反応が見られたと言っていた。それについてまだ良いとも悪いとも言えないが、何かの影響があることは確かだろう、とも。
彼はフードを被ったままだったので表情は分からなかったが、それでも声色はどことなく寂しげだった。
脳みそが変質していくのを受け入れるしかない。人殺しの職業をする人でなしが倫理観を完全に失ったらどうなるか、なんて安直にはいかないだろう。それでも僕が変わっていくというのには変わりはない。
そして、僕はそれを案外たやすく受け止めることが出来た。
ただ僕が制御出来なくなってしまうならいなくなった方が良いだろう、ぐらいのことは考えていた。役に立たないとは思われたくないし、いっそのこと無くなった方がいい事もある。
諦めと言えばそれまでの事だ。考えてもどうしようもないことを考えていた。
「言わない。言ってどうにかなるのなら言うけど、どうにもならない」
「良い関係を築く気は無いのかな」
「全く」
「そうか……まあ、それで良いなら良いさ。悪影響が出るかもしれないから、ジルにはあまり近づくなよ」
「あっちから来るんだ」




