10,
グリア粒子の緑光が見える。ノア級のアウターシールド、およそ直径22kmの円の外周が見える。
オーロラのようにあらわれた光がミサイルや銃弾を受け止め、小型船の避難を援護している。今更としか言いようが無いけど、何かしないよりはした方が良かったのだろう。
ノアの裏側は包囲がほとんど完成されていた。球の外側には雲霞の如く小型船やデーモンが集まっている。あそこを突破するのは無謀だ。アルクビエレ・ドライブを使おうにも、アウターシールドを常に展開するような状態じゃそれほどの出力を出せない。あれはただ、死を待つだけの鯨だ。
「あれのどこを?」
『ノアのアウターシールドが外れたらさっきと同じような乱戦になる。できるだけ味方をこっちに引入れろ。敵は救援行動以外では相手しなくていい』
「ノアは良いのか?」
『どうせ取られる』
妥当な判断だと思った。ぼんやりと眼下の光景を見据える。推定の余地はなく、この戦いは火星側が勝利する。ノアの殆どは破壊され、わずかに残ったものは今まさに鹵獲されようとしている。
その上で足掻くことは楽観的な考え方だと言おうとしたけど、やめた。どうにもならないなら、無意味だと思った。
嘆きもしなかった。戦局は僕が動かせない部分で既に決まっていたからだ。誰かと誰かの集合体によって、僕が干渉できないことによって、あとはどれだけ手を差し伸べようと隙間から溢れて落ちていくだけになっていた。そうなっていることをどこかで分かっていた筈だった。
逃げるだけなら出来るかもしれない。だけど僕は逃げない、逃げられない。
従順であることが兵士の条件だ。僕はそうでしかない。悩む必要なんてない、悪魔にアイデンティティを捧げろ。生存本能を捨てて、生贄の羊になれ。ナノマシンと感情抑制に浸かった僕の脳みそはそんな感じだ。
飴玉に群がる蟻のように、火星側のデーモンが攻撃を始める。雨霰と降り注ぐ銃弾と火薬たちがグリア粒子を削っていく。緑色の壁に火花が走り、粒子が降り頻る。あまり持ちはしないだろう。
『一撃離脱すれば良かったのに、下手くそだな』そう言うオフュークスの機体には小さい擦り傷が有るだけで、目立った銃創もない。アウターシールドだけで撃ち合いをする理想的な動きをしていた証だ。(彼女の武装で撃ち合いと言えるかどうかは知らない)
「あんな中で生きてただけでもいい方だった」
『ああ。運が良かったな。下手くそだが』
「言ってろ。さ、行くぞ」
その言葉よりも前に彼女は移動を始めた。僕も体の所々に変な感覚を覚えながら移動を始める。
炎をあげながら、たくさんのミサイルが船団に突っ込んでいく。夢でも見ているようだと僕はあてどなく思った。鱗のない魚のような曲線を描く船の下で、それぞれの陣営が粒子や爆炎を撒き散らしながら戦っている。CIWSの銃弾がデーモンの装甲を割り、赤い断面をつくった。ここにはすぐにそういうものが溢れていくのだろう。
僕はSARライフルを構えて射撃を開始した。標的はイージス艦。翼がなくなったおかげで、射撃はやりやすくなっていた。古代魚のような形をしたそれの一部分へ点射を重ねるとアウターシールドが減衰していく。決め手は無いけど、後は彼女がやってくれるようだ。
さっきまで前方に居たはずのオフュークスが艦の進行方向上にいる。激突するように加速を始めて接近すると、アウターシールドに手を突っ込んで無理矢理内部に侵入した。後はただバトンを振りかざすだけだ。赤色になったグリア粒子が現れるよりも速く、艦が二つに割れた。
彗星のような赤い線が過ぎ去っていく。そのまま彼女は違う標的のところへと飛び立っていった。僕にもまだ嫌になるぐらいの仕事が残っている。
船から放たれた複数のドローンが救援信号をキャッチした。雲霞のような数の点が重力レーダーに並ぶ。僕は最も近い場所へ飛んだ。
銃弾の中をすり抜けて、僕は攻撃を仕掛ける。狙いは地球連邦と撃ち合っている火星のデーモン。しかし、覗いたACOGのサイトの中に敵機はいなかった。きびきびとした軌道で最初の攻撃目標へと向かい、あっという間に地球連邦のデーモンたちを撃墜してしまった。
装甲のヒビからリキベントと体液が混じり合ったゼリー状のものが噴き出した。どうしようもなかった。僕は近づいてこないうちに逃げ出すことにした。幸いながら脅威は周りに溢れていて、この企みは容易に成功した。
考えてみれば簡単だ。ノア級の火星に近い側なら安全に撤退できるし、連絡もできる。そこまで難しい戦場じゃない。そして火星は慢性的な戦力不足に陥っている。今後の展望を鑑みれば、この鹵獲作戦は成功させなければいけなかった。だから、練度の高い精鋭たちを使っている。選択肢があるならより成功率の高い方に賭ける。今まで僕が散々とやってきたことだ。
そして、これからも僕は同じことをする。火星軍と交戦していた小型艇が爆発するのを僕はただ見ていた。銃を構えることすらなく、ただ見ていた。戦うことをやめたわけじゃない。しかし、僕があの練度の兵士複数人を相手にしたらすぐに堕とされるだろう。
僕はまた別の戦いへ飛び立った。
遠くで赤子の鳴き声が聞こえたような気がした。
死体が流れてきたのは地球同盟のデーモンを数機救出した後の事だった。主戦場になっているノア南西部から少し離れた場所は、退却する機体を追ってきた火星の兵士を比較的楽に倒すことが出来た。
排莢部から漏れ出た薬莢とともに死体が流れてきた。大口径の弾丸で動かなくなるまですり潰された体。対デーモン戦闘においては、ミサイルより弾丸の方が機体に届きやすいとされている。だからそれらはさして珍しいものでは無かった。
問題は量だった。
20機ほどだろうか、同じ殺され方をした死体が同じ方向から流れてきた。一様に弾丸で殺されたデーモン。後ろから一方的にやられた跡じゃない。正面から撃ち合って、あっという間にやられている。じゃなきゃ薬莢なんてこぼれないし、一方向に死体が流れるなんてこともない。
複数人相手にしたなら同じやり方で死ぬことにはならない。おそらく、単騎との遭遇戦になったから陣形や回避行動をするより引き金を引いた方がいいと判断した。
それがやって来る。肌がピリつくような感覚がする。
やがて、そいつは現れた。イポスに似ているデーモンだけど所々違いがある。装甲やアウターシールド発生装置は比較的新しい型に換えられている。無理に装甲か回路を着けたのだろうか、腹部に不自然な膨らみがある。手にはCV-7が握られている。そして、何より腰部には2門のM61が取り付けられている。銃身はすでに回転していた。
僕は近くにあった死体を蹴ってその場から急速に離れる。反作用によって僕の体が動く。それと同時に死体がばらばらになってどこかへ吹き飛んだ。僕はそのまま重力加速を開始した。
回避行動のさなか、引き金を数度引いて銃弾を吐き出す。あれだけの銃火器を使っているなら、その反作用を打ち消すためにマクスウェル機関の大部分の出力を割いているはずだ。なら、あまり動けない。その予想は的中していたようで、アウターシールドへ到達した銃弾がグリア粒子を散らすけど、すぐに粒子が寄り集まって再びアウターシールドが出来た。まるで何事も無かったような顔をして、火星のデーモンがこちらを向いた。グリア粒子がほどけないほど大量の電気を通せば可能なのだろうか。それでも非現実的に思える。
デーモンが動き出す。ゆっくりと、普通のデーモンと同じような加速速度で。ありえない、と言おうとした。言葉が泡になった。ウイングスラスターを失ったマルファスと同じか、それより少し遅い程度の速度。どこからそんな出力を出している?
マクスウェル機関から取り出された重力はそのまま移動や反動の打ち消しに使われたり、電力に変えられてアウターシールドの維持や各種システムに使われている。機関によって生み出せる重力そのものは半永久的であっても、当然時間あたりに作れる量には制限がある。
そしてそれは、全てのマクスウェル機関において同じ量だった。地球がマクスウェル機関の技術を独占しているから、詳しいことは分からない。けど、デーモンや艦船において大した性能差が生まれていないということは、マクスウェル機関以外の部分が進化しているということの証拠だった。
ノア級の馬鹿でかい図体もワープの終着点という面と、エネルギーを増やすためにそうせざるをえなかった、という面がある。それに比べて目の前のデーモンは小さすぎるし、出力も異常だ。どうやって、なんてことは少ない知識じゃ浮かんでこなかった。
考えても埒が明かないことを悟って、僕は現実に集中することにした。銃弾は相変わらず僕の影を貫いていく。逃げるしかない。
強引に加速を開始する。逃げ切れるだろうか。いや、このままじゃ無理だ。一手だけでいい。接近するべきだ。
死体の海の中を泳ぐ。足場のひとつにしていたデーモンのレンズの中から虚ろな目が僕を見た。そいつを前へ蹴る。与えられた力に従ってぬけがらがデーモンへと向かっていく。すぐに銃弾で押されて動きを止める。貫通した銃弾が僕の肉を捉えていくが、近づければいい。
死体の後ろ、死角になっていた部分から急速に接近してアウターシールドをマニュアル展開する。緑色の粒子がぶつかり合い、お互いの摩擦によって強烈な閃光が生まれる。目眩しになってくれればいい。M61の銃身へ、二発ずつ銃弾を叩き込む。
20×102mm弾が目の横を掠めて行った。多分体の何処かにも当たっただろう。
閃光が止むまでに距離を稼がなければならない。体の向きを変えると、デーモンの方向なんて見ずに宙域から撤退を始めた。途中でデブリを射線上に置いたけど、銃弾はそもそもやってこなかった。どうやら銃器を補充することを選んだらしい。
周りに重力反応が無いことを確認して、僕は体を見た。腹と胸の辺りで装甲が剥がれ、人工筋肉がもぞもぞしているのが見えた。リキベントが多少溢れているけど、内臓はまだ大丈夫だ。
開けた口に血液まじりのリキベントが入っていった。あんなデーモン二度と相手にしたくない。あれがいっぱい居るとしたら、戦術なんてものは崩壊する。
『再度確認する。聞こえるか。聞こえるなら応答されたし……』
「聞こえてる」
『生きてたのか』
「案外ね」
『良かった』平坦にジョンは言った。これまでとこれからのことで、喜びや驚きが消えたのだと思うことにした。もしくは、僕はどっちでも良かったのかもしれない。
『さっき上官たちを乗せた脱出艇が発った。これで指揮権は完全じゃないにしろ、こっちに渡った。取りあえずは現場の判断として火星へ降りても大丈夫だ』
「止めなかったのか」
『俺はしてない。もちろん、普通の奴らは反発したさ。あいつらをここから出すな、罪を償わせろ、って』
『だけどそうなったら困るんだ。士官レベルの兵士を殺すとナノマシンのログにどうやって殺されたか、どこで殺されたか、誰に殺されたかまで地球同盟軍にアーカイブされる。罪に問われないのなら、そりゃ殺してくれた方がいいさ』
「成功するかな」
『させるさ』
そう言って彼は通信を切った。作戦開始時刻のデータと、それとはまた別のデータが送られてきた。ファインマンからだ。
ひとつは座標データだった。ナノマシンをトラッキングしているようで、どうやら複数の目標らしい。いくつかの点が重力レーダーの中で動き始める。
もうひとつは簡易信号だった。暗号をAIに渡すと、分かりきった命令が返ってきた。
小型船に追いつくのは簡単なことだった。マクスウェル機関は積んでいるが、ただの船と戦闘用のパワードスーツでは速度の比べようがない。後部スラスターに向けて適当にライフルを撃つと、そのうち1基が停止して簡単に減速が始まった。
横につくと、扉に向けて銃弾を放つ。気密扉を固定していた金具が歪むとその隙間に手を差し込んで掴み、捻って強引に扉を開けた。ナノマシンスプレーはなくていい。僕の仕事は鹵獲でも救出でもない。
脱出艇の中には深緑色の軍服を着た人間が8人。連絡とは違っていない。
「ドアを閉めたまえ」そのうちの一人が言った。確かに僕は船に土足で立ち入った無礼な人間かもしれないけど、今になって言うことだろうか。そういうことはもっと前にしておくべきだった。
伏せていた銃口を素早く上げ、引き金を引いた。問題なく銃弾は銃身から放たれ、彼の頭を通過していった。乾いた音が船の中で反響した。銃声というのは間近で聞くと本当にうるさい。宇宙で良かった、と思えるのはそれぐらいかもしれない。
綺麗に死んだものだと僕は思った。デーモン用に調整された12.7mmの弾丸は貫通力に重きを置いているため、ホローポイント弾みたいに肉をぐちゃぐちゃに引き裂くこともなく、ただ一直線に貫通するだけにとどまった。ただ、脳みそにはそれで十分すぎるのだが。
仰向けになった顔には銃口から出たガスによってそばかすのような火傷痕ができていた。頭の後ろから赤いものが出た。防御反応として頭上まで持って来られた手が落ちた。宗教画みたいに横並びだった奴らの一人が死んだ。一番目に口を開いた士官だ。あと7人。
「死人が言うことか」
「は」
息にも似た音が漏れた。兵士のくせに、死体を見たことがないのだろうか。いや、自分が殺されると分かっているから恐れているのだろう。ぼんやりとした頭の中ではどうも考えにくい。
僕は別の人間に銃口を向け、また引き金を引いた。分かりきった行動だったためにそいつは頭を下げて身を縮めようとしけど、間に合わなかった。銃弾の軌道にひねりが加えられたため、結果として少し派手な死体ができあがった。
伏せた士官の一人にも銃弾を浴びせた。そのままうつ伏せになって動かなくなった。頭が動いていなかったので簡単だった。残りは5人。
「あ、あいつの仇討ちか。ならそいつがやった。そいつの銃が暴発したんだ」震えながら伏せた奴が言った。
「おれは死んだ技術屋と揉み合いなんてしてない。そうだろ。な?」
周りに問いかけることで自分の正当性を証明しようとしているのか、自分に言い聞かせようとしているのか。どちらにせよ答える人間はいなかった。静けさを取り戻した船内にそいつの声だけが響いていく。
「もう十分殺しただろ。残念だったと思ってるんだよ。だから」
「いや」
僕は静かにそいつの頭に照準を合わせて、引き金を引いた。全くもって違う。
「残念ながら、違うんだよ。僕がそんな殊勝な人間に見えるか。命令されたからやってるんだ」
僕は死んだクルーにそこまで愛着はなかった。ただ一回話しただけだから、死んでもあまりどうとも思えなかった。
今こうやって士官を殺しているのはファインマンから命令されたからだ。彼にどういう考えがあってこれをしているのかは分からない。それでいい。知らなくていい。命令を遵守しなかったとして、僕に何があるというわけじゃ無いのだ。一線を超えてしまうというなら、とっくのとうに踏み出してその先を走っているところだ。
時間を気にしながら、僕は残りの士官の頭を撃ち抜いて回った。銃を使っていたのは慈悲ではなかった。じきに降下が始まる。わざわざ腕を使って絞め殺す暇は無かった。
「そうか」そいつは他の士官が殺されていくなか、どかりと操縦席に座った。一種晴れやかな、死ぬと分かった人間がする表情をしていた。
「皮肉な話だ。マクスウェルの鎮魂歌から解き離れたというのに、君も結局は囚われている」
僕はそいつの頭に銃弾を入れた。
僕は死体だけになった脱出艇を後にした。叶うならマクスウェル機関を拝借したかったけど、この状況で手が塞がるのは避けたかった。
ナノマシンのログにはどうやって殺したか、どこで殺したかまでが量子テレポートによって星の海を渡っていくだろう。ただ、誰が殺したかは知られない。
「誰が殺したか」を感知するためには生体端末が必要だ、とファインマンはデータの中に書いていた。というのも兵士、正規兵や傭兵を問わない戦闘行動に従事する者はみんなそれを体のどこかに付けることを義務付けられている。
戦争の中での識別をやりやすくするとか、今回みたいな戦争中の功罪を明確にする、という意味合いがある。だけど僕にはそれがない。元々あったものは左腕ごと無くなった。そして、今も無い。
多分、ファインマンが何らかの細工をしたのだろう。僕にこういう仕事をさせるために。僕は今、データに残らない亡霊になっている。
グリップから離した手が軽く痙攣した。ひどく疲れた。いくら何でも殺し過ぎだと思った。比較的静かな人類だったとしても、殺すたびにデーモンが神経を尖らせているので、脳に負荷がかかるのは当然と言えば当然だ。理論的には分かっていても、僕はそれに人間的なものを夢想した。僕にも普通の感性があるような想像を。
休むのを止めて、動き始めたところでレーダーが奇妙な反応を弾き出した。友軍反応だろうか。青い点が変に点滅している。ディスプレイに「captain」という文字が表示された。




