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「あなたの目の前には一つのボタンがあります」
目の前のラポールは極めて静かに、微笑みながら訊ねた。何万人もの女性たちの顔のデータインテグレーションがたわむ。僕はその後の言葉を知っていたが遮る事はしなかった。
「スイッチは隣の部屋と繋がっていて、部屋には溢れる程の人間が居ます」
「隣の部屋に毒ガスが放出され始めました。ボタンはガスの通り道を変えるボタンです」
「それを押せば部屋の人間は全て助かりますが、あなたは死亡します。押さなければ部屋の人間は死亡しますが、あなたは生き残ります」
「問いはYES/NOでお答えください」
「ボタンを押します」
僕は平然と答えた。僕がこれをカウンセリングの最後に幾度となく問われていることを知って、彼女は尚もやっている。何せ仕事だ。僕もそう念仏のように唱えながら何十人かの人間を殺してきた。
彼女の問いと顔面には幾つかのバリエーションが有り、今日はその問いと白人女性の外見だった。その他には例えば僕が女性だとして、中絶手術を行いますか、だとか、僕がユダヤ人だとして、ヒトラーを幼少期に殺しますか、だとか。だけど問いが変わっても、僕の答えは大して変わらない。
苛立ちを隠さずにひじ掛けを指で叩く。猫を被ろうにも、僕以外の人間はここには居ない。精神状態を視覚化するグラフが少し揺れる。
「・・・・・・結果を表示します。あなたの心理状態は良好。任務続行を承認します」
「そりゃどうも」
その証明書が僕の左腕に埋め込まれた生体端末に送られたのを確認してから、立体ホログラムは掻き消える。あれが僕の上司よりもよっぽど身分が高いのだから世も末だ。
この禅問答を僕達兵士は毎週ごとに受けさせられている。宇宙以前の兵士が負ったPTSDに加えて、PSSDなんて言葉が作られたせいで。
宇宙に居るという孤独感に昔の人間は耐えられなかったのだろうが、僕達は殆ど地球以外で生まれていて、しかも人を殺すのに何の感慨も湧かないような人間だらけだ。
愛機とケーブルで繋がっているせいで、僕の偏った思考は急速に冷やされていく。搭乗者の健康を保つためのホルモン抑制機能は正常に作動してくれているようだ。
僕はステルス塗料が塗られた筐体を手で撫でる。滑らかな表面だ。僕が入っていないそれは、ひどく冷たく感じれた。
煩わしい程に頭に装着された計器類を取り外して、窓を見る。外は黒々として、まだ毒々しい綿あめのような環状星雲は見えていない。時計を確かめる。ケプラー時間16:21、火星時間3:43分。そろそろ食事の時間になる。確か先週までは見えていた。僕はもう見えなくなる時期かと思った。
僕の名前はリュラ。姓は無い。
僕はいわゆる火星孤児だった。改めて確認の為にここへ書いておくと、おおよそ80年程前に一部の人類は環境汚染や人口過密やら貧富の差から地球を飛び去って火星に移住した。それからしばらくした後、経済格差の不満から火星と地球間で紛争が勃発した。
結果は地球側の圧勝。まるで膠着の余地さえ無く殺戮は実行されて、あっけなく紛争は終わった。なぜかと言うと、火星に居た人間たちはそもそも武器など持ってはいない開拓市民たちだったし、殆どの金持ちは地球に留まっていたからだ。とかく兵隊というものは金を食う。
ただ、それでかなりの人間が死んだ。おおよそ1,000万人ぐらい。
そして僕はその戦争で両親を失った孤児の一人という訳だ。物心つく頃には僕はこの小隊に居た。だから僕には名が無かった。いや、正確に言うと有るか無いか分からなかった、だろうか。
せめて、と言って僕の名前を付けたのはこの小隊の隊長であるエヴァンジェリスタ・トリチェリ。名付けの親である彼は地球生まれのコールドスリーパーでありながら、わざわざ辺境の惑星の傭兵をやっている変わり者。
僕の恩人と言うより、父に近い存在。彼は僕に兵士になる為の訓練を積ませてくれたが、僕を拾った経緯はあまり話してくれなかった。
そういう訳で僕は僕の事をあまり知らない。ルーツを探ろうにも火星は旧アメリカ以上の人種の坩堝なので人種は分からないし、DNA鑑定でも両親がそんな上品なものに登録しているかどうか。辛うじて顔立ちでアジア系だと分かるだけだ。
そして僕には知ろうとする気も無かった。僕はこの前シャワーに入った時に初めてお尻にホクロを見つけたし、採血した後まで血液型を知らなかった。現在も過去もさして変わらない。無いものを探しても無駄だし、僕は僕の事を知らなくても構わない。
今の僕はリュラ。ケプラー442b駐屯中の、A&A社デーモン第9部隊所属の傭兵。それだけでいい。
僕はカウンセリング用の脳波測定器を片付けて、食堂に向かう。旧式特有のあのルドヴィコ療法みたいな見た目はどうにかならないのだろうか。何せ辺境惑星。仕事が無いイコール金が無い。ただいま入植中、の看板でも立てておけばいいのに。
窓の外から一等星、ベガが見える。青く強く輝く星。とても美しい筈なのに、毎日見ているからかとても有難味が無い。ここで人間が誕生していたらあの星の事を神格化するのだろうか。
僕は警部任務のルーティン化された行動として、ただ食堂へ歩いた。そう、歩く。無重力下である筈の宇宙で。
単純に言うと、あるものから重力を恣意的に取り出している。マクスウェル。それが全ての宇宙基地を2001年宇宙の旅の船のように真っ赤な絨毯を敷き詰めなくて良くさせたエネルギー源だ。
人間を宇宙へ駆り立てた原因である、人類史で最も偉大かもしれないブレイクスルー。それが地球で起こって、火星へと人間たちを送り込んだ。
よく考えれば、僕達の飯の食いぶちでもあるそれが両親の仇になるのだろうか。どうでも良いな。
そんな事を考えていたら食堂に着いた。僕達傭兵が何とか生活できるだけの小さな拠点であるから、ちょっと考え事をしていると直ぐ壁に突き当たる。
僕はテーブルの定位置に座った。隣には見慣れた髭ダルマの巨漢が座っていた。
「よお、調子はどうだ」
「悪いに決まってる」
「戦闘ではまるで完璧だってのに、お前はいつもカウンセリングの後不機嫌になるな」
「仕事で不機嫌になる訳にはいかないさ。それにデーモンには感情抑制だってある。抑えられてるんだ」
「楽しくなさそうだ」
そう言ってトラヒコはからから笑う。彼の名前を日本語で表すならば西田寅彦。ただ、僕は漢字が書けないからそう呼んでいる。惑星間中継コロニーの中で生まれた生粋の兵士。楽しいほうが好きと言う、恐ろしく単純なイデオロギーの持ち主。
彼は傭兵にしてはお喋りで、好奇心旺盛なたちだ。僕が知らないようなスラングやミームをたくさん知っていて、そして何故だか僕に構う。彼曰く僕は悲観的すぎる、らしい。
「人生楽しんだ者勝ちだぜ。俺はどちらかと言うとパワードスーツよかモビルスーツの方が好きだったんだがな、傭兵になった今となっては些細な事だ。全男子の夢の職業に付けるとはな。お前も楽しんだ方が後悔しないぜ」
「ふうん」
僕は曖昧に頷いた。後悔の前に死なないと良いんだが。
「だろうな。私も金が大事だ」
「よおミラン。飯は作り終わったか」
「ああ。いつもの芋を蒸したのと、焼いたCワームと切ったトマトだ」
キッチンの奥からエプロンを着た美青年が現れた。手に持った大皿には言葉通りの見た目の料理が並んでいる。C・ワームの焼かれてきつね色になった腹が爆ぜてぱちぱち音を立てた。
うげ、とうめき声を挙げながらトラヒコが顔を歪める。僕も同じ事をする。彼の作る食事は言葉の通り、蒸したり焼いたり切ったりしただけのものだから。
ミラン・ディヴィシュ。それがこの傭兵部隊の最後の一人で、拝金主義者だ。整えたブロンドの髪、端正な顔立ち、元地球国家間同盟軍の兵士、そして金の亡者。強すぎる個性が美点を打ち消している。
「あのな、何もレストランみてえに調理しろって訳じゃねえんだ。もっとこう、合わせて炒めるとか鍋にして煮込むとかあるだろ」
「知らんな。食材と使う調味料、それと栄養素を考えた結果これが一番効率的だ。食事費用は一部しか補助しないだろう」
「お前はTASでもしてんのか」
「一体何だ?」
トラヒコはまた訳の分からない事を言った。僕はそういう時無視をする。
「ミラン、食事は出来たかな」
「はい、隊長。いつものです」
「……そうか」
「ほれ見ろ。隊長だって残念そうだ」
「勝手に私を味方にしてくれるな」
軽口を叩き合って、僕達は食卓に着く。適当に祈りを捧げて、そして適当に食う。この小隊の中に神を信仰できるだけの度量がある人間はいない。ただ漠然としたものへと、それぞれがそれぞれの精神に祈る。
塩を振ったトマト、蒸した芋、ほのかにエビのような匂いを漂わせる芋虫。そういうものたちをひたすら口に詰め込んで咀嚼する。味があるだけマシだ。そう思う事にする。ミラン以外の人間は全てそういう顔をして静かに食事を続けている。
団欒とは表しがたい食事のさなか、突然に警報音が鳴る。緊急の出来事ではないテノール気味の音。つまり出撃命令という訳だ。あまり珍しい事でも無いので、僕はもう一口ワームを口に詰めた。
「諸君、どうやら出撃しなければならないようだ。それぞれのデーモンの元に集え。ビジネスの時間だ」
「了解」
僕は自分の愛機を見上げる。これが僕を傭兵たらしめている存在。マクスウェル搭載型宇宙探査装甲服……通称、デーモン。マクスウェルだから悪魔。そういう事なのだろう。
重力を発するエネルギー源をあろうことか宇宙服に詰め込み、稼働時間を伸ばそうとした狂気の産物。そしてそれは成功した。成功してしまった。
進化は続いた。活動時間延長の為の呼吸液の搭載、成功。運動能力補助の為の人工筋肉搭載、成功。装甲補助の為の粒子シールドの形成、成功……
そして飛行機が人類の夢から戦争の道具として急速に進化していったのと同じ様に、デーモンは本来の用途を忘れられて兵士の使うものになっていった。人類の夢は何時しか悪夢に変わっていた。だからと言って乗り捨てる気など僕にはさらさら無いけれど。
トラヒコが言う所の、リアルロボット。僕が言うならば、ステルス戦闘機。そんな外見をしたデーモンに僕達は包まれて戦う。
ヴァリアブル社製ハルファス。旧式ながら格闘戦性能の高さだけは新型に勝るとも劣らない機体。逆に言うと、それぐらいしか取り柄が無い型落ち機体。それが僕のデーモンだ。
僕は愛機の武装を点検し始めた。ライフルのコッキングレバーはちゃんと動くか、チェインガンはきちんと作動するか。そういうものは人類が地球に留まっていた頃に、兵士達がやっていた事とあまり変わってはいない。
一応デーモンの起動時にやってくれるものの、僕達は隊長から徹底的に点検をしろと命じられていた。僕達はそれに素直に従っていた。用心はするに越したことは無い。手早く済ませて、ID認証を始めよう。
「起きろ、ジル。仕事を始めるぞ」
僕は機体の細やかな凹凸に手を触れさせて、指紋と脈拍を送る。彼女を起こすのだ。後ろ向きになる事も忘れない。
『ID登録者を確認。セットアップを開始』
瞬間、デーモンの装甲が開いて間からピンク色の人工筋肉が僕を捉える。悪魔の体の中へ、僕はなすがままに捕らえられる。被食者になった感覚だ。カエルがよくやるように、獲物になった僕は舌で口腔へ。
デーモンと脳神経リンクが繋がり、いよいよ僕は戦士になる。感情抑制が働いてきた。脳の中で生まれたあぶくたち、緊張や怒り、空腹感や懺悔。そういったとりとめの無い感覚たちがクオリアの津波で消されていく。
よく他の傭兵たちはこれを「母親の腹の中に居る感覚」と評した。僕にはそんな記憶は無いから分からないが、きっとそうなのだろう。そんな根拠の無い安心感と奇妙なまでに研ぎ澄まされた集中力が僕の脳を構成しつくした。
酸素をたっぷり含んだアビス・リキベントがデーモンと僕の隙間を埋めていく。肺腑までしっかり僕を溺れさせたら出撃の準備は完了だ。
「サーモピレー、ハッチを開けろ」
『こちらサーモピレー、命令を受諾。ハッチを開放する。グッドラック』
グッドラック。そう僕はうわ言のように呟く。彼はただの宇宙風帆船を統括するAIだから、この返しには何の意味も無い。もちろん合成音声の彼の言葉にも。部屋の空気が抜かれていく。
宇宙船を構成する軽金属の床が開かれて、宇宙の暗黒があらわになる。明かりの無い部屋の影が無限に広がった世界。僕はスラスターを吹かしてそれの中へ落ちて行った。
何の力も僕には加えられず、極めて快適に宇宙へ放たれた。軽い衝撃程度ならば、デーモンが勝手に処理してくれる。なんて優しい悪魔だろう。
第三セクションから同じ様に降りて来たトリチェリ、トラヒコ、ミランが見える。彼らが着ているのはサブノック、コンスタント社が開発した最も普及しているデーモン。ハルファスと比べて角ばったフォルムは無骨な建設用の機械を思わせる。
『ダイヤモンドを組め。警備網に引っ掛かった奴らは621km先の小惑星群だ』
編隊を組んで僕達は宇宙を飛ぶ。空気抵抗が有る訳でも無し、ただの単純推力によって直線的に進んでいく。旧式のハルファスは編隊を崩さずにいるだけで精一杯だ。先頭に立つトリチェリの軌跡をひたすらなぞり、ようやく僕はダイヤモンドの一つの点になれていた。
程なくして僕達は件の小惑星群に着いた。僕はスラスターを切り、小惑星に身を隠す。後はミランが積んだ重力波観測レーダーに反応が来るのを待つだけだ……と思っていたら相手方のスラスター光が見えた。
『敵さんたち、ド素人か?頭隠して尻隠さずってレベルじゃないぜ』
「かもしれない」
『電波レーダーに引っ掛かったとは言え、対策なんざ幾らでも有るのによ』
『新たな反応は有るかね?』トリチェリが訊ねる。
『いえ。正真正銘、奴らだけです。カーゴ船一隻、デーモン四機。哨戒はしているようですが、内部にマクスウェル反応は有りません』
『素人のくせに、数だけは一丁前か』
『ふむ、ミランは狙撃支援に入れ。ポジションは自由だ。残りは私と襲撃に入る』
「鹵獲しますか?」
『ああ。適度にエネルギーを削ったら紐を使え。無線封鎖、進行方向にて奇襲を仕掛ける』
「了解」
既にその言葉は独り言になってしまった。ジル、僕のデーモンが無線封鎖の言葉を拾って、さっさとそれを行ってしまったのだ。
トリチェリが重力湾曲爆弾……聞こえは物々しいけど、要はチャフみたいなものを落とす。それを合図に僕達は彼我の距離を詰めていく。
本当に音の無くなった世界で、僕達は左腕に備えられた鹵獲用兵器のストランドを小惑星に突き刺して移動する。本来の用途では無いのだけれど、この小隊では静かに素早く近寄る時に使うように訓練されている。トラヒコは良くそれを立体機動装置みたいだ、と形容する。
案外すぐ傍に居たようで、僕は彼らの姿を見ることが出来た。小惑星の影から覗いた彼らの装備は、僕のデーモンより更に旧式……火星紛争に使われていたモデルのイポス。トラヒコの言葉が段々と真実味を帯びてきた。
テロリストにしては重武装。どこかの企業付のPMCにしては練度不足。まるでちぐはぐ過ぎる。
僕の中に生まれた根拠の無い疑心をデーモンが消していく。動悸が治まって、思考がクリアになって来る。12.7×99mm弾を詰めたSAR-70対デーモンライフルを構えて、トリチェリからの信号を待つ。
そしてその時は来た。暗号化されて送られて来たのは「go」。何とも隊長らしい、簡潔な言葉。それを皮切りに戦闘は始まった。
宇宙の中は寒気が立つほど静かだ。大気の無い宇宙ではどんな音だって耳に入らない。銃声も、爆発音も、敵の叫び声も。音が無い戦場と言うのは現実感が無い。だから僕達は悪魔のそそのかしを受けて淡々と、何処までも無慈悲に敵を殺して来たのだろうか。
デーモンの電子的なヘッドアップディスプレイと、現実の戦闘が交錯する。大昔に嘯かれたゲームと現実の境目が曖昧になる。そんな感覚。
僕はアサルトライフルを指で切りながら撃ち、彼らのアウター・シールドを削っていく。弾丸が当たったそれから、電離した粒子たちが光を発しながら崩れ落ちていく。
SF小説に良く有るようなバリアをイメージすればそれで良い。装甲保護の為のエネルギーシールドは、体を守る為の防弾チョッキになっていた。
敵にとって戦闘は何の脈絡も無く始まったようで、音の無い奇襲に慌ててサブマシンガンを撃ち返している。だけど弾丸は僕達のそばを掠めていくばかりで、彼らも回避行動の一つとして取れていない。落ち着かれる前にさっさと終わらせるのが良いだろう。
『前に出る。援護は任せるぞ』
『了解。リュラも行くか?』
「ああ」
『分かった。制圧射撃を行う』
ライトマシンガンを持ったトラヒコが大雑把に、なるべく威圧的に弾を撃つ。前方の一人がそれに捕まってデーモンを覆っていたアウター・シールドが消えた。エネルギーを使い過ぎたのだ。僕はその不幸な一人にストランドを突き刺してシステムをシャットダウンする。一人無効化。
一人減った敵たちは近くの掩体へ身を隠していた。僕達の望み通りに動いてくれているようだ。近距離戦闘用のM230機関砲を起動。トリチェリもスマートボムを起動した。
身を出して僕達の位置を確認しようとする敵たちをミランの23×115mm狙撃銃が撃ち抜く。出ればひとたまりも無い、そう警告するように。
トラヒコが軽機関銃の弾薬が尽きるより前にVTFミサイルを撃つ。グレネード弾を使った方が安上がりだけど、宇宙で曲射などは出来ないので仕方ない。その隙に僕達は最大戦速で一気に近づく。
ミサイルが迎撃されて意味の無い爆炎を宇宙に作った。爆心地を中心として、球を描きながら小惑星たちが動いていく。残りの三人が隠れるのを忘れて銃を構えている。射線が通った。
トリチェリと僕が煙の中から現れて螺旋を描きながら一斉に射撃を開始する。バレルロール。戦闘機が行う回避行動であるそれは、デーモンにとって避けながら撃つ時にちょうどいい。チェインガンがシールドを減衰させて、トリチェリのスマートボムが内部にやすやすと入る。前方に限定された爆発がエネルギーを削って、また一人無力化された。
後はもう楽なものだ。彼らも死期を悟ったのだろうか、それとも恐れて動けなくなったのだろうか。棒立ちになった相手にただ弾を撃ち込み、紐を突き刺すだけ。殆どエネルギーを使う事無く、僕達はいつも通りに敵を殺した。
ストランドの原理は極めて単純だ。金属で出来た鞭から電流を送りシステムを落とさせる、それだけのもの。ただ、デーモンはその電流に耐えられるが人間はそれに耐えられない。しかも内部でリキベントと一緒に蒸し焼き状態になるので、大概の人間はそれで死ぬ。
弾丸で死なせるのとどっちが楽だろう、とデーモンたちと彼らの死体をストランドで一まとめにしながら考える。きっと後者なのだろうが僕達だって財政難だ。僕達はきっと皆地獄行きだろう。
『こいつら一体何しに来たんだかね。アン女王の復讐号も持っていないのに、海賊気取りか?』
「さあね」
『デーモン四機か。ボーナスが入ると良いんだが』
『諸君、船を調べるぞ』
「中の船員はどうします」
『抵抗したらやれ』
サンタクロースみたいにデーモンと死体たちを引きながらカーゴ船に僕達は近付いた。操縦桿を握る人間は居ない。応答に答えなかったのは、AIが動かしていたからだろう。トリチェリが船を指差す。先に入れという事だろう。
獲物たちをトラヒコに押し付けて、侵入扉に僕はナノマシンスプレーを吹き付けた。クラゲの膜に似たナノマシンが展開された。扉を開ける時に空気が漏れるのを防いでくれる。万が一に備え、小回りの利くハンドガンに持ち替えて船の内部に侵入する。
扉を蹴破って僕は内部に侵入した。2m半程有るデーモンでは狭苦しいけど撃たれるよりはマシだ。見た所、敵は居ない。それに音が有る室内にも関わらずとても静かだ。突然と僕は悪寒を感じた。足元を這いずり回る、気持ちの悪い寒気。
普通敵が船内に入って来たなら人はパニック状態になる。たまに奮起して立ち向かう人間も居るけど、それもデーモンの前では無力だ。副兵装のハンドガンだって10mmの口径が有る。軽い防弾チョッキなら直ぐに貫通できるし、何なら素手でも良い。
あっけなく小型のカーゴ船のクリアリングは終わった。敵は一人として居ない。それどころか起きている人間は居ない。
「クリア。敵は居ません」
『バカの家はどうだった』
「……コールドスリープ中の人間しか居ないみたいだ。武器も無い。隊長、処理しますか」
『いや、社に連れて帰る。ちょうど警備期間も終わるからな。どうもきな臭い』
『弾薬代は経費ですか?』
『ああ。給料と一緒に振り込んでおく』
『了解』
『リュラ、デーモンたちをその船の中に入れられるか?重いんだ』
「分かった」
カーゴ船の後部ハッチを開く。開いた隙間から空気がびゅうびゅう吹いていく。ここには空気呼吸している人間は居ない。まるで魚河岸みたいに、四機のデーモンを荒々しくトラヒコが床に置いた。彼が美少女やロボットのフィギュアを触る時とは全く違う手つきだ。
その内の一人が手足を蠢かせて起き上がろうとする。珍しい。システムが落ちたデーモンでは痛覚マスキングも無いので、苦痛に喘ぎながら。
僕は回線をオープンにして彼の言葉を聞くことにした。この奇妙な船の事を聞けるかもしれない。トリチェリに通信して確認をする。答えは思った通りに「聞け」だった。未だに立ち上がれない彼を見下ろしながら、僕はアサルトライフルの銃口を一応突き付けておく。
『お前ら、一体...俺達は逃がしてくれるんじゃなかったのか?』
「傭兵だよ。その質問は抽象的過ぎて分からないけど、取り敢えずどこから来たんだ」
『違う、違う。恐ろしい……もう直ぐに全てが終わる。全てが燃え尽きる。第六の喇叭が吹かれる』
『墓標たちが暴かれる。ああ、彼らの築き上げたもの達が壊される』
『リュラ、こいつ錯乱してるぞ。話すだけ無駄だ』
『誰も責められない。誰が始めた訳でも無い。教えてくれ。俺達は一人で生きられるのか』
無音で銃弾が彼のデーモンを貫通した。装甲が付いていても、カメラの部分を狙えばさほど難しくは無い。リキベントと彼の血が混じった液体が穿たれた孔から少しづつ漏れていった。感情抑制を跳ね除ける程の狂気、形而上的な力を持っていたそれはもう消えてしまった。
「隊長、一人起きましたが錯乱状態だったため危険と判断し殺しました。一応ログは送ります」
『分かった。船を航行してサーモピレーに入れろ。トラヒコは外に出て我々と警戒だ』
「了解」
ふと一人の少女が寝ている事に気付く。カタコンベのように、コールドスリープ用の凍結ポッドが連なった中の一人。まだあどけなさを残した少女。凍った表情は、何か僕達とは違う生物のようだった。
彼女らは僕達のやった行為を知らない。もし目覚めたら、僕達の事を罵るのだろうか。それとも憎むのだろうか。どっちでも良い。僕は僕の仕事をやるだけだ。
恐ろしく静かに小型船を動かして、僕達はケプラー442bへと帰還する。
彼女達が目覚めるにはもう少し時間が掛かるだろう。