08.〈現在〉少女の渇望
フィーナ・コハクとサラ・キイスは、ほぼ同時に校門を走り抜け、学園の構内に駆け込んだ。フィーナは息を切らしているが、サラはまだまだ余裕がありそうだ。フィーナが後ろを向くと、ちょうど二年生のノルムが校門を越えたところだった。
上空の火柱はすでに消失していた。やや遅れて、リョウ・アーキリムも構内に到着した。あれだけ大きな火柱を作り出したのだ。多くのマナを消費したのだろう。リョウは息も絶え絶えに、その場に仰向けで倒れ込んだ。
サラとフィーナが慌てて駆け寄る。
「リョウ君、大丈夫?」
「いやぁ~、流石に疲れたよ。でも、上手くいっただろ?」
「お陰で助かったわ」
ノルムは肩で息をしながら、リョウに感謝を述べた。
リョウは上半身を起こす。
「あそこにノルムさんがいたからこそ、実行に移せたんです。こちらこそ感謝します」
「見事な火柱だったわね。火系の三年生でも、あれだけの火力を一気に放出できる人はいないんじゃないかな」
フィーナは皮肉交じりに口を挟んだ。
「マナが尽きかけて卒倒するようでは、『呼舞大会』では使えそうにないけどね」
「いくら何でも、『呼舞大会』で火柱を放り投げるような大それたことしないよ。手厳しいなぁ」
フィーナは、ノルムの方を向き直して一息つくと、
「ノルム先輩、わたしは、フィーナ・コハクと言います。それと、こちらがサラ・キイスです」
ようやく自分とサラの名前を、ノルムに告げることができた。
「フィーナさんに、サラさんね。二人とも、よろしく。サラさん、意外と俊足で驚いたわ」
「えへへっ。子供の頃から、駆けっこは得意だったんです」
「子供の頃って、サラはまだ子供でしょ」
「えっと。フィーナちゃん、何言ってるの?わたし、もう子供じゃないってば」
校門前には、再び人だかりが出来つつあった。その中には、リョウを指差して罵詈雑言を浴びせている者もいた。しかし、その声は何かによって遮断されて、リョウはもちろん、構内にいる誰の耳にも届くことはなかった。
校門の静かな人だかりを、不思議そうな眼差しで見つめるフィーナとサラに、ノルムは言った。
「風系と土系呼舞を使って、学園の敷地内に結界が張られているの」
ノルムは続ける。
「校章や教員証を持たない者は、ご覧の通り、侵入できないわ。外部の音も遮断されるの」
見えない壁を叩き続ける大人の姿は、まるで、パントマイムを演じているかのようだ。
サラは、まだすっきりしない様子で、ノルムに聞いた。
「ノルム先輩、人類が扱える呼舞は、火系と氷系の二系統だけじゃないんですか?」
「その通りよ。ただし、他種族との混血は例外ね。うちの学園には、風系と土系の呼舞を扱えるハーフエルフの講師がいるのよ」
ノルムは、校門とは反対側――校舎の方を向く。
「あれが騒動の原因ね」
フィーナとサラは、ノルムの視線の先を追った。昇降口より手前、勇者ノーサ・スシイ像の傍らに、白く輝くローブを身にまとった男性が佇んでいる。身長は二メートルを優に超えるだろう。そして、そこからそう遠くない場所で、三名の講師が周囲に目を光らせていた。
「君たち、絶対に話しかけちゃ駄目だからね。退学じゃ済まないわよ」
フィーナは、男の正体に気付いた。
「ノルム先輩、あれって、もしかして『観測人』ですよね?」
リョウが慌てて飛び起きた。
「…………間違いねぇ。『観測人』が現れたのか!それで、一目見ようと人混みができたのか」
ノルムは腕を組みながら言った。
「それでも、あの人混みは異常よ。恐らく八割は、『観測人』を崇拝する『再収縮計画』の信者じゃないかな」
「ノルム先輩、再就職計画って?」
「『再収縮』よ。サラさんは知らないかなぁ。外出している時に、『創造主に、再びサイコロを振ってもらおう』みたいな感じの貼り紙を見たことない?」
「あります!それを貼っているのが、その『再収縮計画』の信者なんですか?」
「支部が近くにあるみたいだし、きっとそうだと思う。もし、『観測人』が結界の張られていない場所に現れていたら、大変なことになっていたかもしれないね」
フィーナは、『観測人』を眺めながら呟いた。
「あの『観測人』、スキンヘッドだし、人間好きと言われる『ナンバースリー』とは特徴が違うね。誰なんだろう?」
ノルムは、昇降口の方へ二、三歩進むと、後ろを振り返り、新入生の三人に忠告した。
「君たちが、ここで『観測人』を眺めていたい気持ちは分かるけど、そろそろ教室に入ったほうがいいと思うよ」
『観測人』に気を取られていた三人は我に返る。
「ここで油を売っている場合じゃなかった。急がなきゃ!」
ノルムに続いて、フィーナとサラが駆け足で昇降口を目指す。リョウも、彼女たちに遅れまいと必死に足を動かそうとする。が、疲労困憊で思うように動いてくれない。
「そうだ!サラ、リョウ君をおぶってやりなよ」
「えっ?わたしは、その……、いいけど……。リョウ君、どうする?」
「俺が嫌だよ。恥ずかし過ぎるだろ!」
フィーナは、駆け足で『観測人』の横を通り過ぎるその刹那、燃えるように赤い瞳を見つめ、心に強く念じた。
(お願い。わたしは、あの日見た、あの青い炎の竜を生み出す術が知りたい。操る力が欲しい!そのために今日まで修練を重ね、この学園の門を潜りました。どんな代償でも支払うつもりです。どうか…………)
昇降口に着いても、フィーナの身に、これと言った変化は起こらなかった。もちろん、変化を期待していたわけじゃない。落胆もしていない。だけど…………
「フィーナちゃん、どうかしたの?」
「……ううん。サラ、何でもないよ」
フィーナは首を横に振り、俯くと、自嘲の笑みを浮かべた。