02.〈現在〉入学式の朝
四月。快晴。
ここは、ソダルーム中西部に広がる大都市デュラレ。
その北部、ミスリルリバー区にある中流階層の住宅地の一角に、ナザユ・コハクとその娘フィーナが暮らす、二階建ての小さな家がある。
ナザユは、四年前に夫と離婚後、この街に越してきた。それ以来、娘と二人暮らしだ。生活は決して楽ではない。先の不安だってある。それでもナザユは、今の暮らしを大層気に入っていた。何より、フィーナが立派に育ってくれた!ナザユの母校であり名門のミスリルリバー呼舞高等学園にも、優秀な成績で合格してくれた。そして今日は、待ちに待ったフィーナの入学式だ。
しかし、コハク家は、朝から大騒動だった。
「こら!フィーナ。早くしなさい。いつまでサラちゃんを待たせてるの!」
二階の自室でソックスに足を通そうとしているフィーナの耳に、階下で待つ母ナザユの声が飛び込んでくる。
「ちょっと!急いでるんだから邪魔しないでよ」
「困った子ねぇ。入学初日から遅刻だけは止めてよ。恥ずかしい」
それを聞いたフィーナの友人サラは、少しだけ動揺した様子で、
「だ……大丈夫です、フィーナちゃんのお母さん。まだまだ時間に余裕がありますから」
と、フィーナのフォローに入る。
「サラちゃん、ごめんねぇ」
フィーナの部屋にも、玄関で待つサラとナザユのやりとりが、微かに聞えてくる。
(準備完了っと!)
フィーナは机の上から、ピカピカの鞄を手に取ると、鏡の前に立った。そこに、フィーナ自身の初々しい制服姿が映し出された。今日だけで何度、鏡の前に立ったことだろう。でも、今度こそ、部屋を出る前の最終チェックになるはず。
フィーナは、自身の顔に目を配る。何となく前髪が気に入らない。そこで、前髪を手櫛で軽く整えようと試みるが、大して変わり映えしない。
(……しょうがない。これでいいかな)
こうして最終チェックは完了した。
背後に映る逆向きの時計は、午前八時五分を指していた。
「フィーナちゃんのお母さんも、ミス高の火系呼舞科卒ですよね?」
「そうよ。フィーナやサラちゃんの先輩にあたるわね。五年前が懐かしいわ」
ナザユは二コリと微笑むと、サラの制服に取り付けられた、赤色の校章を見つめた。
赤章――誇り高き、火系呼舞科の証。
(今はもう、すっかり失墜してしまったわね……)
「お待たせぇー」
フィーナが早足で、階段を下りてきた。
「お母さん止めてよ。いくら何でも五年前はないでしょ。聞いているこっちが恥ずかしくなるよ」
ナザユは、娘の制服姿を目にして、思わずグッときてしまった。しかし、顔には出さないよう努めた。何とか、娘には悟られずに済んだようだ。
「フィーナちゃんおはよう」
「サラ、おはよう。髪バッサリ切ったんだ。カワイイ!」
「ありがとう!特に理由は無かったんだけどね。思い切って、短くしちゃった」
「サラのショート初めて見たかも。すごく似会ってる。イメチェン大成功だよ!」
ナザユは二人の会話に割って入る。
「フィーナ、忘れ物ない?いつまでも浮かれてちゃ駄目よ。しっかりしなさい」
「はいはい。それじゃ、行ってきまぁす」
「行ってらっしゃい。担任の先生には、きちんとご挨拶するのよ」
庭で餌を探していた雀たちが、玄関から出てきた二人の姿を見るな否や、澄み渡る大空へと一斉に飛び立っていった。