02.〈現在〉渇望の果てに
「それじゃ、お前たちは教室で待機していてくれ」
担任のソウシ・フクタニはそう告げると、出席簿を小脇に抱えながら、足早に教室を後にした。教室から担任がいなくなるや否や、フィーナ・コハクは、前の席に座るリョウ・アーキリムの背中を、トントンと指先で軽く叩いた。
「ちょっと、リョウ君!」
リョウが後ろを振り返ると、フィーナは血相を変えて、リョウの顔を睨みつけているではないか。何か彼女の癇に障るようなことをしてしまったのだろうか。リョウは記憶を辿りながら、恐る恐る彼女に尋ねた。
「ど……どうしたんだい?」
「リョウ君、あなた、一体どんな大技を使ったのよ!」
リョウは、フィーナの気迫にたじろぎながら応じた。
「藪から棒に、一体何だよ。……もしかして、実技試験のこと?」
フィーナは厳しい面持ちで捲し立てる。
「そう。あなた、満点だったんだよね。文句のつけようがない満点。先生に、そう言わしめるくらいだから、どんな凄い技を披露したのか、気になって仕方が無いのよ!」
「凄いって……コハクさんの方が凄いじゃないか。主席入学なんて、できるもんじゃないよ。俺なんて、筆記試験のせいで不合格になるんじゃないかと不安だったんだから」
それに対して、フィーナが口を開こうとしたその時、
「君たちは、実に優秀な生徒だねぇ~」
笑みを浮かべながら、サラ・キイスがやって来た。フィーナは口を噤み、苦笑すると、そのまま俯いてしまった。
一方、サラは、フィーナの様子など意に介することなく、満面の笑みでリョウに話かけた。
「リョウ君も、フィーナちゃんに負けず劣らず、とても優秀な生徒だったんだね!あの大きな火柱を見た時から、ただ者じゃないと思ったんだ。実技試験で満点だなんて、本当にびっくりしちゃった」
リョウはフィーナの様子を意識しつつ、照れ臭そうに答えた。
「いやぁ、大したことしてないんだけどな」
「リョウ君、実技試験でどんな呼舞を使ったの?わたし、見てみたいなぁ」
「えっ?サラさんも見てみたいの?」
「見たい見たい!でも、リョウ君、マナを使い果たしちゃってるから、やっぱり無理だよね?」
「マナを大量消費するような大掛かりな呼舞じゃないから、いつでもできるよ。けど、今ここでやるのは流石に……。放課後なら大丈夫かな」
「やったぁー!」
サラは大はしゃぎだ。すると、周囲も気になり出したようだ。
「あの……、わたしも見てみたいです」
「僕も、見学させてくれ」
一人、また一人と、見学を望むクラスメイトが立ち上がる。思わぬ事態に、サラとリョウは視線を交わし合った。
「本当に、課題をこなすためだけの、ただの炎の輪だよ。みんなは、それが見たいの?」
リョウの問い掛けに、フィーナは俯いたままの状態で、沈黙を破った。
「ただの炎の輪で満点を取るなんて無理よ。リョウ君のことだから、尋常じゃないくらい巨大な輪だったり、無数の火の粉が乱舞するような、圧倒的な演出があったはずよ」
リョウは困惑した表情を浮かべる。
「朝の火柱のイメージは忘れてくれよ。直径五十センチメートル程度の、ごく普通の輪だよ」
フィーナは顔を上げた。表情は幾分和らいだようだ。
「そ……それだけ?そんなはずない!」
「それだけって、他に何かする必要があるのか?それじゃ、コハクさんはどんな円を描いたんだよ?」
「わたし?わたしは、炎の竜を浮かび上がらせてから、それを回転させて円を描いたわ」
リョウは眉をひそめる。
「竜だって?どうして炎で円を描く課題に、わざわざ竜を作り出す必要があるんだい?問われているのは、円の正確性だよね?」
それを聞いていたクラスメイトは、ざわめき出す。
「それはそうだけど……。それだけじゃ、物足りないでしょ。何らかの創意工夫が必要じゃない?」
フィーナの意見に、クラスメイトの多くが納得した様子だ。それとは対照的に、リョウは腑に落ちない表情を浮かべる。
「そうかなぁ。もしかすると、ただの円を描いたのって、俺だけだったりする?」
「僕もだよ」
フィーナの隣席のラセイン・シードが声を上げた。
「僕やリョウ君が育ったソテラノは、こことは随分と違っているんだ。呼舞に芸術性を求めたりしない。実用性重視だからね。常に問われるのは正確性なんだ。だから、円を描けという課題なら、精密な円を描くことだけに注力する。でも……、本当に綺麗な円が描けるのなら、創意工夫なんて必要ないんじゃないかな」
そう言うと、ラセインはゆっくりと立ち上がり、右手の掌を上にして、ほんの小さな火種を発生させた。それを見たリョウは慌てて、
「ラセイン、ここでやるのか?」
と言って難色を示したが、ラセインは何でもないような素振りで、
「大丈夫。すぐ終わるから」
と返した。そして、彼は目を閉じて、深呼吸し、右手に力を込める――すると、火種から一本の眩い光を放つ細い線が現れ、カーブを描きながら伸びていく。
やがて、光線は一周を終えて、直径二十センチメートル程度の小さな円を形成した。
フィーナは思わず息を飲んだ。そのあまりに美しい炎の――いや、光の輪と、それを形成するまでの正確無比な動きに魅了されている自分がそこにいた。
だが、光の輪は、三秒程度で激しく揺らぎ、呆気なく消えてしまった。もう少し長く眺めていたかったクラスメイトから、落胆の声が漏れる。
ラセインは、申し訳なさそうな口振りで、
「ごめんなさい。僕はマナの力が弱くて、こんな小さな呼舞でも、三秒程度しか持続できないんだ」
と謝罪すると、静かに席に着いた。
「い……今の何だったんだ?」
クラスメイトがざわめき出す。
フィーナはショックのあまり言葉を失った。
(わたしの方が成績が上だったなんて、いくら何でも有り得ない!わたしの呼舞は、彼の足元にも及んでいない。実技試験の評価基準で、呼舞の優劣を測ること自体、無意味だったんだわ)
フィーナは、実技試験の成績にこだわるあまり、感情的に振舞ってしまった自分を大いに恥じた。
クラスメイトがざわめく中で、リョウは釈然としない様子だった。
「ラセイン、やるじゃないか!でも、そのマナの力の弱さは何だよ?呼舞を正確にコントロールする能力は、マナの力と比例するものだ。不自然なんてレベルじゃねえぞ」
ラセインは微笑する。
「僕は特殊な体質なんです。そういうリョウ君の家系、アーキリム家だって……」
それを聞いたリョウは、少々気を悪くした様子で、若干声を荒らげた。
「ああ。遺伝性の疾患に苦しんできた家系だよ。それだけに、少し気になったんだ」
「僕のことは心配いらないよ。これは決して病気ではないんだ。寿命に影響するものでもないし……」
二人の間に、張り詰めた空気が漂う。しかし、それを打ち消すかのように、サラが割って入る。
「さっきから、二人で何を話してるんですかぁ?」
サラは、視線をラセインに向ける。
「ラセイン君だよね。わたしはサラ・キイス。サラと呼んでね。フィーナちゃんとは幼馴染なの。よろしくね」
「こちらこそよろしく。サラさんも、リョウ君とは知り合いなんだね」
「リョウ君とは、今朝、知り合ったばかりだよ。登校中にね。色々あったんだ。えへへ」
「色々あったんだ、えへへ……って、サラさん、変な誤解を生みそうな発言は止めて欲しいな」
サラは上機嫌だ。
「放課後が楽しみだなぁ。入学式より楽しみかも」
リョウは、溜め息をついた。
「はぁ~。ラセインの呼舞を見たんだから、俺のはもういいだろ。あれを二倍ちょっと広げただけだよ」
「リョウ君、見たい。絶対見たい!」
リョウは、横目でフィーナを見ながら話す。
「それよりも、俺はコハクさんの呼舞――炎の竜を回転させて描いた円っていうのが、どんなものなのか見てみたいな」
ラセインもそれに同調した。
「僕らソテラノ出身者には無い発想なので、参考にしたいですね」
フィーナは気恥かしそうに答えた。
「わたしが炎の竜で描いた円は、二人に見せるほどのものじゃないわ……」
――そう。わたしの呼舞は、技術的にまだまだ未熟で、遥かに見劣りする。それが、今のわたしの実力。本当に悔しいけど、それは認めざるを得ない。
そこに、サラも加わる。
「フィーナちゃんの竜も、久しぶりに見たいな!放課後は、実技試験トップと三位の技のお披露目会で決まりだね」
フィーナは不敵な笑みを浮かべる。
「それならサラも、実技試験でどんな炎の円を描いたのか披露しなさいよ。前座としてね。何なら、トリを務めてもいいのよ」
フィーナの思わぬ反撃に、サラは激しく動揺する。
「えっ?わたし?わたしのは駄目だよ。人に見せられるようなものじゃないよ」
フィーナは、サラの口調を真似て返した。
「見たい。絶対見たい!」
「何言ってるの、フィーナちゃん。さては、わたしに恥をかかせる気ね!」
「ソテラノ出身の二人だって見てみたいはずよ。ソテラノには無い、お笑い重視のサラの呼舞を」
「フィーナちゃん、悪魔だ……」




