01.〈過去〉国王の決断
今から約六百年前。ソダルーム統一国家の国王ルファーザは、苦慮の末に、人類の未来を揺るがす大きな決断を下した。数か月もの間、人類を苦しめてきたマナ供給装置『ギガスタイヴ』の破壊を、ついに宣言したのである。
この世界には、三体のマナ供給装置が存在する。それが、いつの時代に、何によって造り出されたのかは不明だ。賢者の間では、『観測人』と同じ時期に、偉大なる創造主によって造られたという説が有力視されているが、真相を知る由もない。
ただ一つ言えることは、はるか遠い昔、とても親切な誰かがマナ供給装置を造ってくれたお陰で、この世界の住人たち――人類や魔人族、亜人族が、魔法の恩恵に与れるのである。
どの種族も、大気中に漂う天然のマナを、そのまま体内に取り込むことはできない。マナ供給装置は、天然のマナを蓄積して、三種族それぞれの体質に合うように化学変化を起こした上で、再び放出する役割を担っている。
ところが、この世界に存在する三体のマナ供給装置のうちの一体――人類専用の『ギガスタイヴ』が、突如暴走した。その原因は誰にも分からない。他種族による陰謀なのか?それとも、単純に装置の経年劣化による故障なのかもしれない。とにかく、異変は突然起こった。世界中の人類の多くが、連日連夜、高熱に浮かされて、日常生活さえままならない状況に立たされた。
強い魔法を操れる者ほど、症状は深刻であった。逆に、魔法を扱えない少数派には、症状は現れなかった。
賢者たちは、その症状から、人類の体に取り込まれるマナが変質していることを突き止めた。そして、彼らは王城に赴き、魔封じの道具や装飾品を国民に身につけさせることと、早急に『ギガスタイヴ』の調査を実施するよう、国王ルファーザに進言した。
ルファーザによる国民に向けての声明により、一時的ではあるが、魔封じの道具を求めて騒動が各地で起こった。やがて、騒動も沈静化し、その頃には、変質したマナによる大混乱も、だいぶ落ち着きをみせた。
無論、それは応急処置に過ぎない。人類が危機的状況にあることは、何一つ変わっていなかった。
『ギガスタイヴ』の調査隊は、変質したマナの影響を受けなかった者、つまり、魔法を扱えない少数派の中から、八名選出された。調査隊は、ただちに、『ギガスタイヴ』の心臓部が眠る大陸北部の大洞窟へと向かった。
二週間後、『ギガスタイヴ』調査隊は無事に帰還した。
その日のうちに、王城の第一応接間にて、調査報告会が開かれることになった。その場に、国王ルファーザとその側近二名、貴族数名、賢者二名、そして調査隊からは、隊長である長い髭を蓄えた筋肉質の男ルグスンが出席した。
賢者の一人、アーカイン・ミスイールは、このような場に不慣れなルグスンをサポートするために、彼のすぐ左隣の椅子に腰を下ろした。
「ええと。洞窟の最深部で、『ギガスタイヴ』は稼働していました。しかし、こちらからの呼びかけには応答がありませんでした。それと、装置の周囲には、黒い粘液がひざ下くらいまで堆積していました」
ルグスンは、テーブルの上に無造作に置かれたショルダーバッグに手を伸ばす。
黒い粘液が入った小瓶を取り出すと、サポート役のアーカインに、それを手渡した。
「鼻をつく強烈な臭いがするので、ここでは蓋を開けないで下さい」
ルグスンは、さらに続ける。
「『ギガスタイヴ』の傍らには、『観測人』の姿がありました」
「『観測人』がいただと!」
貴族の一人が立ち上がると、ルグスンの話を遮った。
ルグスンが目を向けると、貴族は怪訝そうな表情を浮かべた。
ルグスンは、思わず目を逸らしてしまった。
「オーガに匹敵する長身、銀色で腰まである頭髪、燃えるように紅い瞳、白く輝くローブを身にまとった姿から、一目で『ナンバースリー』だと確信しました」
ルグスンは、その時の情景を思い浮かべながら語った。
「それで……、『ナンバースリー』は、我々に、『破壊の選択をしても、罪に問われることはない』とだけ告げました」
すかさず、先ほどとは別の貴族の一人が、ルグスンを指差しながら、口を挟んできた。
「なんと!貴様らは、よりによって『観測人』と話したというのか?」
貴族席がざわめき出す。
「も……もちろん、我々から話しかけておりません!」
ルグスンは、慌てて付け加えた。
この世界では、対価さえ支払えば、どんな望みも叶えてくれる『観測人』に干渉することは最大の禁忌とされる。『観測人』に話しかけただけでも、重い罪に問われかねないのだ。
「相手は『観測人』の中でも、例外的に、この世界の住人に過干渉な『ナンバースリー』だ。今回は仕方あるまい」
賢者アーカインが、溜息交じりに答えた。
ルグスンは、貴族たちの冷たい視線に、いささか面喰っていた。こんな会議の場でも、貴族たちは、魔法を使えない者に対して見下した態度をとるのかと、驚きを禁じ得なかった。
とにかく、挙げ足を取られるわけにはいかない。手に汗が滲む。
(それにしても、どうして貴族たちは、『観測人』に過剰反応するんだ?これでは話が進まない……)
貴族の一人が不満げな様子で、ルグスンに疑念をぶつけてきた。
「調査隊は、『観測人』に騙されたんじゃないのかね?奴が本当に、そのような発言をしたのかも疑わしいぞ」
見るに見かねた賢者の一人、恐らく賢者の中で最年長のノーサ・スシイが、ルグスンに助け舟を出してくれた。
「今回の騒動が、『観測人』の仕業であるという噂が、まことしやかに囁かれているらしい。何の根拠もない、実に愚かしい話だ」
ノーサの苦言に、貴族たちは、ばつの悪そうな表情を浮かべる。
ノーサは容赦なく口調を強めて言い放った。
「『観測人』に、たとえ自身の生命、いや、魂を対価として差し出したとしても、人類に対して、一斉にこれほど甚大なダメージを与えることなどできるものか。『観測人』が関与していないことは明白なのだよ」
しばし沈黙が続く……。
部屋全体に気まずい雰囲気が漂う。
(はぁ……。もうこの場から逃げ出したい。これじゃ、洞窟の中の方がよっぽどマシだよ)
そんな時、国王ルファーザがゆっくりと腰を上げて、沈黙を破った。
「貴族の中には、高い魔法力を有する者が多い。今回の事態で、最も多くの犠牲者を出したのは、他ならぬ貴族であった。命を取り留めたものの、高熱が続いた影響で失明した者や、未だ意識が戻らない者もいる。感情的になるのも多少は理解してやって欲しい」
ルファーザは一息つくと、威厳に満ちた口調で続けた。
「今回の『ギガスタイヴ』の調査は、我々人類の歴史において、重要な転換点であったのだろう。『観測人』が調査隊を待ち受けていたことがその証左だ。……三日後だ。三日後に、わしは決断を下すとしよう。調査隊長ルグスンよ。ご苦労であった」
そう述べると、ルファーザはゆっくりとその場を後にした。
それから三日後、国王ルファーザは、国民を前にして決断を下した。ルファーザの宣言によって、人類にとってのマナ供給装置『ギガスタイヴ』の破壊が決定したのである。
2020年2月16日追記 :
会議に参加した賢者の数を、三名から二名に変更しました。賢者の一人は、名前や言動の記述が一切なく、存在感が無さすぎます。そこで、最初から会議の場に存在しないことにしました。