05 婚約破棄(4)
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あの日、王宮を後にする前に、お父様へ魔法で報せを飛ばした。
すると、報せを受け取ったお父様は王宮から屋敷まで転移魔法を使って移動してきた。
この転移魔法、使える人が少ない上に、緊急時以外は王宮との移動に使うのは禁止されている。
そして、馬車で移動した私とほぼ同時に家に着いたことから、王宮での仕事を放り出して帰宅したことは明らかだった。
きっと、王宮でも騒ぎになっていただろう。
我が家の人間も皆、お父様が転移魔法を使えることは知っているけど、あのときは丁度迎えに出ていたお母様ですら驚きを隠せないでいた。
帰宅したお父様が開口一番に言った一言は「領地に帰るぞ」だ。
そのまま、私とお母様を連れて領地に転移しそうなお父様を即座に止めた自分は偉いと思う。
取り敢えず、状況が飲み込めていないお母様に話をさせて欲しいと頼み込むと、何とか了承を貰えた。
これで少しはお父様が落ち着く時間が稼げたと胸を撫で下ろし、すぐさま揃って居間へと移動した。
侍女が出してくれた紅茶を飲んで一息ついた後に、お母様にもヘンリー殿下から婚約破棄の申し出があったことを伝えた。
結果、宥めなければいけない人が二人に増えた。
お父様に飛ばした伝言と同様に簡潔に述べたところ、お母様は「まぁ!」と声を上げると共に、眉を下げ、両手で口元を覆った。
その様子は娘の身に降りかかった悲劇に驚き、悲しんでいるといった風だった。
しかし、お母様はそのまま泣き崩れるような人ではない。
ほんのりと痛む胃を押さえながら待つこと数秒。
衝撃から立ち直ったお母様は、半ば予想が付いていた通り、すぐにお父様へと向かって「領地に帰りますわよ!」と毅然と言った。
隣に座っているお父様に声をかけ、立ち上がったお母様を間髪入れずに止めた私はやっぱり偉いと思う。
止めた際に、思った以上に大きな声を出してしまったこともあり、お母様は渋々とだけど再び席に着いてくれた。
また、お母様の隣で転移魔法を展開しようとしていたお父様も止まってくれた。
「お母様、神殿の方はいかがされるおつもりですか? お父様もです。王宮でのお仕事があるのでは?」
仕事はどうするのかと問いかけると、両親は揃って憮然とした表情を浮かべた。
そんな二人に、やれやれと思いながら、心の中で溜め息をついた。
普段はそうでもないのに、娘である私に被害が及ぶと途端に直情型になる両親だけど、この国では上から数えた方が早いほど高い地位に就いている。
まず、王宮から文字通り空間を飛んできたお父様だが、これでも王宮で役付きとして働いている。
アシュリー侯爵家の歴代当主と違わず、宮廷魔道師団の師団長を務めているのだ。
もちろん、師団長となった理由は家柄だけではない。
お父様は当代随一の攻撃魔法の使い手でもある。
しかも、攻撃魔法の能力が底上げされる【大魔道師】の【称号】持ちだ。
そのお父様が、何の引き継ぎもせずに領地に帰ったら、どうなるか。
関連各所が混乱に陥るのは間違いない。
次に、お母様だ。
お母様は結婚前から王都にある神殿で働いていて、神殿で怪我や病気をした人の治療に当たっている。
貴族家当主の令夫人が何故働いているかというと、これまたお父様と同様、お母様も【称号】持ちだからだ。
お母様の【称号】は回復魔法や支援魔法の能力が底上げされる【大神官】。
回復魔法においては、お母様の右に出るものはいないとされている。
しかも、国一番と言われる美貌を持つこともあり、信者の間では「聖女」と呼ばれ、崇められている。
だからか、お母様が担当している怪我人や病人は、地位の高い人やお金持ちな人が多い。
莫大な献金が必要であっても、「聖女」に治療をしてもらうというのが一種のステータスらしく、お母様に治療をお願いする人は後を絶たない。
お母様曰く、本当は結婚したら神殿に暇乞いする予定だったそうだ。
けれども、回復魔法の腕前と知名度から、結婚後も続けて欲しいと、偉い人から請われたのだとか。
お母様が辞めてしまうと、その分献金が減るということで、お偉いさんも必死だったようだ。
あまりにもしつこかったため、お母様は渋々と続けることに同意したらしい。
そのため、神殿の偉い人はお母様に頭が上がらなかったりする。
そんなお母様だから、お父様同様引き継ぎなしに領地へと戻ってしまうと、お父様以上に大騒ぎになることは想像に難くない。
お母様の治療を待っている人のリストは、とても長いという噂だしね。
長々と説明してしまったけど、お父様は魔道師、お母様は神官と、揃ってインテリ職に就いている。
決して、頭は悪くない。
今回の件でも、直情的に行動しようとしていたけど、その裏にはそれなりの計算があるんだと思う。
二人揃って領地に引きこもると、様々な方面から苦情が殺到して、王家が困ることをわかっていての発言なのだ。
私のために怒って、一緒に領地に帰ろうとしてくれるのは、とても嬉しい。
でも、周りへかけてしまう迷惑を考えると、手放しで喜べるものではない。
だから、帰るにしても準備が必要だと言い、何とか二人を宥めた。
「領地に帰るにしても、今暫く時間が必要でしょう?」
「あぁ、破棄のために手続きをしないといけないな」
私の言葉に、お父様は苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。
そう、このときはまだ破棄したいとヘンリー殿下から言われただけで、婚約は破棄されていなかった。
領地に帰るにしろ、何にしろ、まずは手続きを済ませなければいけなかったのだ。
ただ、残念ながら、すぐには手続きを進められなかった。
肝心の国王陛下と王妃殿下が王都にいないからだ。
現在、お二人は隣国の式典に参加するだか何だかで、王宮を留守にしている。
ヘンリー殿下があの日行動したのも、お二人が留守だったからだろう。
お二人がいたら、間違いなく諌められただろうから。
鬼の居ぬ間に何とやらだ。
「ソフィアは、このまま手続きを進めても構わないのね?」
「はい」
お母様の言葉に頷くと、お母様は艶然と微笑み、お父様へと視線を投げた。
視線を合わせたお父様も、笑みを浮かべた。
「そう。なら、必ず破棄していただけるよう陛下とお話ししなければいけませんわね」
「まったくだ。婚約は向こうから強引に結んだくせに、今更破棄したいとは。王家とはいえ、随分と勝手なことを言ってくれる」
「えぇ、えぇ。どうせ、件の男爵令嬢と新たに婚約を結びたいとか、そういう話なのでしょう? そちらについても、充分にお話をさせていただきましょうね」
ヘンリー殿下と男爵令嬢とのことについて、私から両親に話をしたことはなかったけど、二人とも知っていたようだ。
手続きを進める算段を話し合う両親は、微笑みながらも、それぞれ獲物を狙うかのような目をしていた。
言葉には出さなかったけど、きっと慰謝料は相当ふんだくる心づもりだろう。
あるいは、こちらの利となる、何かしらの要望を呑ませるつもりか。
この後、両親に詰め寄られるだろう陛下に、僅かばかり同情したのだった。
そこまで話すと、両親はやらなければいけないことがあるからと席を立った。
陛下が戻ってくるまでの間に、二人して外堀を埋めるつもりなのかもしれない。
部屋を後にする両親の背中を見ながら、そう考えたのだけど、間違いではなかったようだ。