02 婚約破棄(1)
ヘンリー様に呼ばれて王宮へと向かうと、顔見知りの執事が迎えてくれた。
どことなく申し訳なさそうな表情を浮かべながら、来賓用の客間へと案内してくれる。
勝手知ったる王宮で、通されたのは数ある客間の中でも小さめの物だ。
室内を見回せば、置かれている調度品も見栄えはいいけど、それほど高価な物はない。
高位貴族の子女で、しかも王子の婚約者である人物を通すにしては、随分と格が劣る部屋だった。
この部屋に通されたということだけで、ヘンリー様が私を重要視していないことがよくわかる。
やはり、今日呼ばれた理由はアレだろう。
いつかはこうなるだろうと薄々気付いていたことが現実となるようだ。
部屋に置かれているソファーに座り、呼ばれた理由について考えていると、ヘンリー様が供を連れて入ってきた。
王族に対する礼として、ソファーから立ち上がり、カーテシーをする。
カーテシーとは、背筋を伸ばしたまま、片足を斜め後ろに引き、もう片方の足の膝を軽く曲げて腰を落とす、挨拶の一種だ。
ヘンリー様はちらりとこちらに視線を向けると、挨拶もそこそこに、ソファーへと座った。
「かけてくれ」
「はい」
立ち上がったままでいると、それに気付いたヘンリー様にソファーに座るよう勧められる。
言葉に従い、腰を落ち着けると、部屋の中には沈黙が広がった。
呼び出したのはあちらだ。
ヘンリー様が口を開かなければ、話は始まらない。
だって、こちらよりあちらの方が身分が高いのだ。
この国では身分の低い者から身分の高い者へ声をかけるのはマナー違反。
だから、あちらが口を開いてくれないことには、こちらからは何のアクションも起こせない。
そのときが来るまで、そっとヘンリー様たちを観察する。
ヘンリー様と一緒に部屋に入ってきたのは、護衛の騎士と侍女を除いて、五人。
一人目は、ゴードン男爵家の娘である、エレノア・ゴードン。
ヘンリー様と恋仲ではないかと噂になっている男爵令嬢だ。
いつぞや見かけたときと同じように、今もヘンリー様の隣に我が物顔で座っている。
ふわふわとした髪はストロベリーブロンド、瞳の色も桃色だ。
普通にしていても目尻の下がった大きな瞳に、年齢よりも幼い顔立ちは、髪型とも相まって甘い雰囲気を醸し出している。
父親に似て、釣り上がり気味の瞳に、冷たい印象を与える顔立ちの私とは大違いである。
遠目に見かけたことはあったが、こうやって彼女と面と向かって会うのは初めてだと思う。
噂に聞くとおり、パッと見は守ってあげたくなるような感じの女の子だ。
彼女の見た目を好む男性は多く、ヘンリー様だけではなく、何人もの貴族子息が彼女の取り巻きとなっている。
もっとも、子息たちを虜にしているのは見た目だけではない。
一年前まで平民として育っていたせいか、ゴードン男爵令嬢は誰彼構わず砕けた態度で接してくるのだ。
良く言えば親しみやすい、悪く言えば馴れ馴れしい態度で、だ。
貴族の御令嬢としては、いささかどころではなくマナーがなっていない。
特に高位貴族の子息への態度は、あからさまだ。
それでも、それが取り巻きの子息たちには新鮮に感じるらしい。
言うまでもないが、御令嬢方からの評判はすこぶる悪い。
残りの四人は、ヘンリー様の側近たちだ。
二人が座るソファーの後ろに並んでいる。
左から、第一騎士団団長の嫡男、内務大臣の嫡男、男爵家の嫡男、宮廷魔道師の子息だ。
それぞれ違った種類のイケメンで、将来有望だったことから、御令嬢の間でも人気が高かった。
そう、「高かった」。
過去形だ。
最近はゴードン男爵令嬢の取り巻きとして有名で、その人気には陰りが出ている。
そうやって観察していると、ヘンリー様の方も心の準備ができたようだ。
ヘンリー様は徐に口を開いた。
「ソフィー、君との婚約を破棄したい」
しんと部屋の中が静まりかえり、周りから息を呑む音が聞こえた。
息を呑んだのは、控えていた護衛の騎士か、それとも侍女の誰かか。
私でないことは確かだ。
なにせ、予想していたからね。
ここ最近のヘンリー様の行動を見ていれば、そのうち婚約を破棄したいと言われるであろうことは、いとも容易く導き出せた。
今日呼び出されたのも、いよいよ告げられるのだろうと思っていたから、驚くに値しない。
普通の御令嬢であれば、婚約者からの婚約破棄の申し出に狼狽えることもあるだろう。
しかし、私は高位貴族の子女で、王族の婚約者だ。
貴族社会で必要な、表情を取り繕う術は身に付けている。
「承りました」
先程までよりも、一層部屋の中が静かになったような気がするのは、私が即座に頷いたからだろうか?
どうも、それが正解な気がする。
なにしろ、言い出しっぺのヘンリー様自身が驚いた顔で固まっている。
どうして貴方が驚いた表情をするんだろうか?
ここ数ヶ月、交流を深めるために催されていた二人でのお茶会は欠席続きで遂には消滅したし、形式的な手紙の遣り取りも返事が来なくなって、こちらから送るのを止めて以降は途絶えていたじゃないか。
もっと言えば、更に前から、会う度に嫌な顔をされ、まともに会話が続かなかったのに。
今までの自分の行動を振り返れば、私が婚約破棄にあっさり頷くことなんて、わかりきった話だと思うんだけど?
それとも何か?
私が貴方に執着していて、そこまでされてもなお、貴方のことを好いているとでも思っていたのだろうか?
まさか、そんなことはないよね?
心の中でだけとはいえ、何とも辛辣に言い募ってしまったけど、仕方ないと思う。
だって、この男、浮気相手を腕に付けたまま婚約破棄の話をするんだもの。
同席させるだけでもあり得ないっていうのに。
更に、その浮気相手は何故だか不機嫌そうで、私のことを睨んでくる始末だ。
そんな中、こちらは思っていることを顔には一切出さず微笑みを浮かべているんだから、今まで学んできた令嬢教育の成果は遺憾なく発揮されていると言えるだろう。
あーもう、予想していたとはいえ、色々面倒になってきた。
早く帰りたい。
「婚約破棄の件、父へは私から伝えますので、国王陛下へはヘンリー様からお伝えいただけますでしょうか?」
「え? あ、あぁ……」
貴族の婚約は、単なる口約束ではない。
そこには、様々な契約が絡む。
しかも、家単位での契約だ。
だから、ヘンリー様から婚約破棄を伝えられたとしても、それだけで手続きは完了しない。
各家の家長である、国王陛下とお父様の間で話をしてもらう必要がある。
恋に盲目になっていると噂されていたが、それくらいはまだ、ヘンリー様も理解していたようだ。
国王陛下への伝言を頼むと了承してくれた。
未だ衝撃から立ち直れていないような気もしたけど、知ったことか。
よし、用は済んだ。
とっとと帰ろう。
「それでは、父へと伝えなければいけませんので、これにて失礼いたします」
私は立ち上がってカーテシーをすると、後も振り返らずに部屋を後にした。