第七話 帝国の騎士2
最も輝いていた時代だったかもしれないな、と目を細めて語るのは《泣き虫》ディールこと王城近衛騎士団長だった。
グスタフ、ローガン、ディルニスの三人は練兵学生時代から、良くも悪くも目立った三人組だったと言う。
家名も身寄りもない田舎者でありながら剣一本で他を圧倒したグスタフ。
辺境の田舎貴族でありながら誰よりも聡明で先を読む力に長けたローガン。
名門貴族出身でありながら優しすぎるが故に己の才能を埋もれさせるディルニス。
生まれも育ちも違う三人ではあったが、不思議と馬が合ったと言う。
些細なことで衝突したりもしたが、それと同じぐらいに助け合い、互いを高めるために努力を惜しまなかったと言う。
「まぁ……お互いに意識していたと言うのもあったろうな」
「知らん。お前らが勝手にやってただけだろう」
ローガンの苦笑に鼻を鳴らして文句を言うのはグスタフだ。
一拍置いて顔をしかめてグスタフを睨む領主の男に、しかし同意の言葉を投げるのはディルニスだ。
「確かに一方的に意識していたと言う方が、正しいのは正しいな」
肩をすくめながら認めるディルニスを見てグスタフはローガンへ勝ち誇った様な笑みを浮かべた。
親指を上げた姿勢のまま口だけを動かして、ほらな、と述べるグスタフに、ローガンは同じく親指を上げて、そのまま親指をゆっくり床へ向ける動作をする。
「ディール……そうやって君がいつも折れるから、グスタフが調子に乗るんだ」
「何でそうなんだよ! 大体ローガンお前、いつも俺のことばかり悪者扱いしやがって……しかも何だ今の、領民に向けて最悪だなこの領主! 教育にも悪いしよ!」
「落ち着け。ローガンも……グスタフも」
立ち上がろうとするグスタフを、苦笑いを浮かべてディルニスが手で制する。
大人しく口を噤んで座る父の姿にクレスは若干驚きながら、しかし、今度はローガンが鼻を鳴らした。
腕を組んでむっつりとした表情で、ディルニスへと苦言を向ける。
「ダメだディール。そうやって甘やかすから、未だに《鳥頭》は学生時代と変わらない……子供が出来てもそうだろう」
「違うよローガン。グスタフは少し言葉が足りないだけで、中身は昔から真っ直ぐで正しい。育った子供を見れば分かるだろう?」
それはそうだが、と言い淀むローガンに、グスタフは再度勝ち誇った様な笑みを浮かべた。
悔しそうに歯噛みする領主へ、グスタフは胸を張る。笑みを浮かべるその顔は、父と言うよりは級友と遊ぶ少年のそれだ。
「さすが騎士団長様、よく解っていらっしゃる。どうよウチの娘、淑やかで美人だろ? 俺の教育の賜物って奴よ」
「それは違う」
「二人同時に即否定すんな! そこはせめて意見ぶつけ合えよ!」
「ネリが淑やかなのは嫁さんの教育の賜物だ。勘違いするなよ《鳥頭》」
「お嬢さんが美人なのはファンナの血が濃いからだろう。間違えるな《鳥頭》」
「何で俺いきなり罵倒されてるわけ? この国の騎士様は頭おかしいの?」
突然矛先を向けられ、あの時は、とか、大体お前はいつも、とグスタフは顔をしかめた騎士二人に捕まり説教を聞かされ始める。
待て待て、とグスタフが押し留めようとするが、二人はそれを待たずに小言を投げ続ける。
くどくどと同級生二人に正論を真正面から説かれてなす術がないグスタフは、はい、と何度も仕切りに頷いたり項垂れながら話を聞いていた。
グスタフが自由気ままな末っ子、ローガンがお利口さんな次男坊、ディルニスが優しい長男と言う力関係なのだろう。
滑稽な、とクレスが内心で思いながら唖然としてその光景を見やる。
そんな少々情けない姿のグスタフの隣に座るファンナと目が合うと、彼女は少しだけ楽しそうに笑みを見せて肩をすくめた。
折込済みなんだ、とクレスが思うのと、だがまぁ、とディルニスが小言を止めて面白そうに言うのは同時。
「息子のクレスはお前によく似ている。教育の賜物と言うのは頷ける」
紅蓮の双眸がゆっくりとクレスへと向けられる。
思わずクレスは身を固くすると、しかし、視線をしっかりと見返した。
隣からネリがクレスの服を強く握るのが伝わってくる。
紅の瞳は面白そうに細められると、そのまま斜向かいのソファに座るグスタフへと向けられた。
「まぁな。どこ出しても恥ずかしくねぇよ。ただ《泣き虫》と同じで、優しすぎるところはあるが」
「そうなのか。ふふっ……練兵学校時代を思い出すな」
肩をすくめながら告げるグスタフに、懐かしそうにディルニスは笑みを浮かべる。
そしてグスタフに同意する様にローガンが口を開いた。
「何度か自警団や派遣兵との訓練を見ていたが、相手に対して遠慮する節があるからな……人間相手に剣を向けるのは苦手と見える」
「俺は嘘だと思ってるけどな。こいつ、俺には平気で殴りかかってくるぞ」
「おや……いつから自分を人間だと思っていたんだグスタフ? ふふっそんな級友に腕の良い医者を紹介しよう」
「おいディルニス。お前んところの騎士、教育大丈夫か? 何なら俺が教育論を説いてやってもいい——物理的に」
「止めろ二人とも。学習せんのか」
満面の笑みで、しかし額に青筋を浮かべて見つめ合う《無鉄砲》と《鳥頭》へ、ディルニスが苦虫を噛み潰した顔で静止をかけた。
咳払いを一つ、ディルニスはクレスとネリに小さな謝罪をすると、しかし改めて口を開く。
こちらに向けられる騎士団長の視線は柔らかく、そして懐かしいものへと向けられるものだ。
「怯えるお嬢さんを守ろとした時の顔、昔のお前にそっくりだったよ。どれだけ自分が不利な状況でも、毅然と立ち向かう強い意思のある顔だった……お前が、私の父へ向けた顔と全く同じだ」
「それはまた随分と逞しい顔だったろ」
「あぁ。俺の率いる騎士達にも見習って欲しいほどだ」
しみじみと告げるディルニスの言葉を聞いて、グスタフの視線はまずクレスに、その隣でしがみつく様に袖口を握るネリへと動き、最後にソファに置かれた花束へと落ち着く。
彼はさも楽しそうに目を弓形にすると、しかしそれ以上何も言わず、小さく、ふーん、と声を漏らしただけだ。
息子は父親の視線を見て苦虫を噛み潰した様な顔を、娘はただただ恥ずかしそうに目元を赤らめて俯く。
ディルニスは小さく笑いを浮かべて幼い二人の姿を見た後、今度はグスタフとファンナの姿を見る。
思うところでもあったのか、目を細めて腕を組み、騎士団長は頷きと共に口を開く。
「実に将来有望な騎士になりそうだな。なぁ、ローガン」
「そう……だな。良い騎士になると思う」
努めて明るく口を開くディルニスに、しかしローガンはやや弱々しく同意した。
お前もそう思うだろう、とグスタフに同意を求める様に《泣き虫》は視線を向ける。
彼の紅の瞳は、しかし、初めてクレスと会った時と同じ、鋭い刃の様なものだ。
受け止めたグスタフは頷いたあと、しかし、さも残念そうに吐息した。
「騎士の才能はあると思うぜ。何せこの《鉄の猟犬》の息子だからな。だが、それはちょーっと難しい」
「なぜだ?」
「クレスは農夫志望だからな。二日後に晴れて成人したら淑やかで美人な嫁さんもらって、領主様から充てがわれた麦畑と羊、それにこさえた子供の世話をする生活だ。その傍らで俺とファンナは孫ボケだ——最高だろ?」
飄々と言ってのけるグスタフの言葉に、しかしクレスは無性に焦燥感を覚える。
笑顔を見せる父の目は全く笑っておらず、それを見返すディルニスの瞳もそうではない。
ローガンは既に瞳を閉じて、ただ、黙ってことの成り行きを見守っていた。
——『聖印を持つも者』を迎えに来た。
あの時、騎士ディルニスはそう言い放ったのだ。
クレスはふと、思い出したかの様に右手で左手の甲を触る。今朝ファンナに巻いてもらった包帯がある。
しかし、その包帯の下には、寝起きと同時にできた筈の未だに血が滲み続けている傷がある。
再度ディルニスの言葉が脳裏に雷鳴の様に響く。考え過ぎだ、とクレスは段々と早くなる、遠雷の様に響く心臓の音を体の中で聴きながら、長く小さく吐息した。
ネリもことの不穏さを感じ取っているのだろう。こちらの袖口を握る手に力を込めている。
痛いほどの沈黙が応接室を支配して、しかし、ディルニスはクレスへ視線を向けた。
心臓を穿たれた、とクレスは錯覚した。紅の瞳に浮かんだ色はクレスを文字通り射殺す程。だがそれも一瞬で、彼は努めて明るい声で、しかし瞳に笑みはなく、口を開く。
「クレスは帝国の騎士になることを考えなかったのか?」
柔和な笑みの下に、答えろ、と強い意思が見える。
グスタフが何か言おうと身動ぎしたが、隣に座るファンナが彼の腕にそっと触れて、グスタフは歯噛みしながら腰を落ち着ける。
三度の呼吸の後、ネリがわずかに身を寄せて来て、こちらの腕に震える手が置かれたのを口切に、
「ありません。確かに父は——グスタフは有能な騎士だと話は聞いていますけど、俺がなるのは帝国騎士ではなく辺境の農夫です。父が言った通り、成人後は領主様から麦畑と羊を頂いて、嫁を貰い子供を育てて暮らします——孫ボケもさせて」
言い切ると、隣でネリが小さく安堵の溜め息を漏らした。
弱々しく右腕を握る小さな手に、クレスは己のゆっくりと左手を重ねてやる。
視界の端に巻かれた包帯がチラつき、それから背ける様に、目の前に腰を下ろす騎士団長へ視線を飛ばす。
そうか、とディルニスが残念そうに吐息すると、ローガンも彼に倣う様に吐息した。
無音の時間が生まれる。
それぞれの静かな呼吸の音だけが部屋があり、しかし、張り詰めた様な緊迫感がある。
足を組み直す布擦れの音、作業用の無骨な革靴が不用意に机の脚へぶつかる硬い音がして、グスタフが口を開いた。
「おいディルニス」
騎士団長の視線がグスタフを見返したのを確認してから、父親は続ける。
「お前……今日、何しに来た? 懐かしい友人の顔を見に来ました、思い出話に花を咲かせに来ました……なんて訳じゃないよな? 御多忙であらせられる王城近衛騎士団の団長様が」
挑発的、いっそ不遜とも取れるグスタフの言葉と空気に、しかし、ディルニスは意に介した様子もない。
枯れた古井戸の様な濃い鳶色の瞳と、燃える紅蓮の宝石の様な輝きの瞳が逸らされることなく衝突する。
先に視線を逸らしたのはディルニスで、彼は目を伏せると小さく吐息した。
「おいローガン。何しに帰って来やがった。季節的に考えても、おかしいだろ今回の帰郷はよ」
「それは——」
暴力的で打ちのめす様な強い言葉に、しかし領主は弱々しく言い淀む。青い瞳に憂いが揺れており、グスタフとディルニスの間を交互に彷徨う。
そんな友人の態度にグスタフの苛立ちが膨れ上がるのと、ディルニスが右手を上げるのは同時。
「私から話そう。構わんな、ローガン・シュヴェンクフェルト卿」
「——はい」
弱々しい返事と共に席を立ち、ディルニスの背後にローガンが控える。
軽い舌打ちをグスタフがすると、小さな咳払いをして騎士団長が口を開いた。
「グスタフ、お前の息子を戦地へ赴く騎士として迎えに来た」
「あぁ? 何言ってやがんだテメェ……練兵学校時代のあだ名みたいに、本当に泣かせてやろうか」
「控えろグスタフ!」
淡々としたディルニスの言葉に、威嚇する獰猛な獣の様な声をもってグスタフが唸る。
だがそれを制したのは後ろに控えるローガンだ。
先ほどの様に穏やかな静止ではなく、張り詰めた空気に奔る裂帛の怒号。
そしてローガンの声に答えるように応接室のドアが勢いよく開き、騎士が二人飛び込んでくる。
音に振り向いたクレスは二人の手が腰に下げられた剣の柄に添えらているのを認め、身を固くした。
それはネリも同じ様で彼女は小さな悲鳴と共に身を震わせる。
「何事で——」
「下がれ二人とも! 無用だ!」
間髪入れずに雷鳴が轟く。
ローガンの比ではない、身を潰す様な威圧感と強さをもったディルニスの怒号が応接室を激震させた。
しかし、と困惑の言葉と共に食い下がる騎士二人に、騎士団長は静かに告げる。
「下がれ」
「——っは」
遠雷の様な声に騎士二人は礼の姿勢を取ると退室する。
クレスは震えるネリの肩を再び抱き寄せると、彼女だけに聞こえる声で大丈夫だと繰り返す。
しかし頭の中にはディルニスの言葉が鳴り止まない稲妻の様に繰り返される。
——戦地へ赴く騎士として迎えに来た。
遠慮も何もなく暴れ回る心臓が早鐘を打つ。
知れず手足が震え歯が音を立てそうになるが、クレスは奥歯を噛み締めることで耐える。
農夫になると宣言したその直後、まるで嘲笑い打ち砕く様に、帝国の黒い騎士から告げられた言葉。
練兵時代の三馬鹿だと誇らしげに、そして親しげに笑みを向け合っていた空気はそこに存在しない。
騎士団長として、騎士であり領主として、父としての三者三様の男がおり、身を焦がす様な空気だけが存在していた。
「悪い冗談です騎士団長殿。私の息子はここシュヴェンクフェルト領で、農夫の道を歩むと確かに騎士様におっしゃった筈です」
「そうだなグスタフ。だがお前の息子を騎士として迎えに来た。農家の一人息子……大切な跡取り息子であったことは酷だと思うがな」
微塵も思っていない顔で告げるディルニスをグスタフは睨めつける。
濃い鳶色は怒りに燃え、溢れ出そうと暴れる憤怒を堪える様に体が震えている。
「理由を説明しろディルニス。お前が……お前がこんな真似をする筈がない。納得する理由を説明しろ」
「抑えてくれグスタフ、じきに説明する。頼むから……頼むからこれ以上、ディルニスに辛い思いをさせるな」
懇願する様にローガンが告げる。
グスタフは何かを言おうと口を開けるが、表情を消した《泣き虫》を一瞥して、口を噤む。
組んだ足を殴打する鈍い音が部屋に響く。
音に竦んだネリが小さく悲鳴をあげ、クレスは肩を抱き寄せて、左手でネリの手を握ってやる。
「ねぇ……ディルニス。司祭様がいらっしゃるのよね? 教会も関係しているの?」
ゆっくりとグスタフの腕を撫でるファンナが、静かに、どこか物悲しそうに口を開く。
憂いを帯びたファンナの視線と、鋭い刃の様なグスタフの視線を受け止めて、ディルニスはゆっくりと頷くと小さく吐息した。
「そう……貴方がこんなにも強引なんですから、とても大事なことみたいね」
「ファンナ……それ以上は」
目を伏せて悲痛な面持ちで、横一文字の顔の傷痕と同じ様にディルニスは己の口をひき結んだ。
ローガンの言葉に、名を呼ばれた彼女は小さく肩をすくめた。
「愛しい息子を、戦地に送るために騎士にします、と言われたんですもの……少しくらいの皮肉は許して、ローガン」
ファンナの声は微かに震えている。
自身を落ち着かせる様に何度か深呼吸して、彼女は隣のグスタフを、斜向かいに腰掛けるディルニスを、その後ろに控えるローガンを順繰りに見やった。
そして頑なに様子を見守るクレスと、泣き出しそうな顔で震えるネリに微笑みかける。
最後にもう一度、騎士団長へと顔を向けると、淡い笑みを浮かべて口を開く。
「話してディルニス……友達思いの心優しい《泣き虫》ディール。私の《鳥頭》が早まって馬鹿な真似をしない様に、頼もしい《無鉄砲》が後先考えずに飛び出す前に、お願い」