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鉄血勇者の忘却録  作者: 鹿嶋臣治
第一章 森閑の賢者と汚穢の主
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第十七話 三年目の春の朝2

「早朝から井戸底を覗き込むとは、変なことをする男だな君は」


 不意に声かけられてクレスは井戸の縁から手を離す。

 訝しげな顔で振り返れば、光の加減では黒にも見える濃い菫色の髪と瞳を持った女が、細い眉を潜めて立っている。

 だが切れ長の目は興味深げに細められており、涼しげな顔立ちには淡い笑みが浮かべられていた。

 薄手のシャツと膝丈までの半ズボンに皮サンダルと言う姿で、恐らく、寝起きだろうと思われる。

 

「レベッカか」

「おはよう。『飾り紐の騎士』は安息日も朝が早いな」

「止めてくれよ……君に言われると、揶揄われてるみたいで好きじゃないんだ」

「そうか、気を付けよう。私はなかなか良いと思うのだがな……」


 唇を尖らせ艶やかな菫色の髪を揺らしながらこちらに歩いてくる。

 女の名前はレベッカ・デルブリュック。

 クレスとは入学当時からの付き合いがあり、帝国でも有数な名門騎士家の出身。

 初年度は随分と剣技の成績がどうとか、学術兵術の成績がどうとかで絡まれたが、今では良き友人として交友があり世話を焼かれているのが現状だ。

 

「と言うか、家に帰らなかったの? 折角の安息日だからゆっくりすればよかったのに」

「考えたのだが……父も兄達も帰らないからな」


 隣に並び興味深げに井戸底を覗き込む彼女に声をかけるが、つまらなさそうに鼻を鳴らすだけだ。

 彼女の父は帝国近衛騎士団『比翼の大鷲』に所属しており、分隊を一つ任させているという。年の離れた二人の兄も帝国騎士として日々、剣技を磨き汗を流して帝国の防衛に努めているとの事。

 日々を追うごとに、年を追うごとに魔物の被害が増加している現状なので、騎士達の負担が随分と増えている様子だ。


「レベッカも随分と早いみたいだけど、どうしたのさ?」

「ん? いやな、宿舎の窓から君が見えたからな……休みの日まで何をしているのかと」

「あぁ、そう言う事。起きるの早いんだ」

「そう言う君も、随分と早いと思うが?」


 こちらを見やるレベッカに、クレスは肩をすくめた。


「故郷で農作業やるのに起きてた時間だし……習慣だよ。お陰で剣を振る時間に充てられてるから助かってる」

「今日もやるのか?」

「もちろん……あ、もしかして相手してくれる?」

「やぶさかではないな。安息日だ、軽くなら相手をしよう」

「助かる。的相手でも良いんだけど、実際に人から切っ先向けられてた方がしっくりくるからさ」





◆□◆□◆□





 軽い柔軟体操のあと素振りを行い、軽く汗ばむ程度に剣術の講義で教わった型の確認をする。

 木剣を打ち合わせる程度で済ませる筈だったが、レベッカの負けず嫌いと真面目な所に火がつき気付けば実戦に近い形で木剣をぶつけ合うことになっていた。

 八度。相対するレベッカの木剣を叩き落とした所で、クレスは片手をあげて静止をかけ額の汗を拭った。彼女はそれを見ると身をおり、膝に手をついて肩で息をする。

 荒い呼吸と共に汗を拭うレベッカを尻目にクレスは息を整えながら空を見る。

 随分と夢中になって木剣を打ち合わせていたようで、日はとっくに登っており人々の騒めきが生まれていた。


「お腹空かない? 朝食、目一杯食べたいんだけど」

「私も……同感だ。少し、熱くなりすぎたな」

 

 レベッカは汗に濡れる上着の首元を指先で引っ張りながら火照った体へ風を送る。

 遠慮なく晒された胸元の肌色、頰に張り付く菫色の髪、首筋を流れる汗に妙な色香を覚えたクレスは、小さく咳払いして目を逸らした。

 彼女は少し小首を傾げると、バツが悪そうに視線を逸らすクレスを見て理解をした様で、慌てて首元から手を離して上着を整える。

 頰を僅かに赤く上気させたのは運動直後だからでは無いだろう。

 小さな咳払いを一つ、レベッカは片腕で胸元を隠す様にしながら口を開く。

 

「朝食……にしては少し遅いかも知れ無いが、一緒にどうだろうか?」

「大丈夫だよ。ただ、汗だけ流したい」

「私もだ。練兵学舎近くでいいか?」

「いや、東地区まで行けるならそっちがいいな」

 

 買い物もしたいし、と汗を吸った上着に顔をしかめ、一息に脱ぎながらクレスは告げる。

 ふと視線を感じてそちらを向くと、なんとも言えない表情をレベッカと視線がぶつかった。

 どうした、と眉を潜めると、彼女はモゴモゴと口を開く。

 

「お前……一応、女子がいるんだから上着は着ていて欲しいのだが?」

「惜しげもなく胸元広げた女が何言ってるんだよ」

「あれは! その……私の不注意だが、目の前で脱ぐのは……違うだろ」


 野外での格闘術や剣術の講義の際、休息中に上着を脱いで水を浴びたり上着の汗を絞る男の騎士見習いは多い。

 女の騎士見習い達からは文句を言われることが多いが、文句を言われることも一つの楽しみとしている男達もいるのは事実だ。クレスは文句を言われるのを楽しみにしている訳では無いが、気持ち悪いものは気持ち悪いし、水を浴びてもいいのならば浴びたいと思っている。


「見慣れてるだろ、野郎の肌」

「誤解を招く様な物言いはやめろ……」


 レベッカも同じ様に講義を受けている筈だがと指摘すると、口元を引き結んでレベッカが文句を言う。

 言い方が気に入らない、とふてくされて踵を返して歩き出す。

 

「待って、悪かったよ! そこまで怒らなくてもいいだろ⁉︎」

「ふん……変な言い方をする君が悪い」

「いや、でも……剣術の講義の最中に目に入るだろ?」


 レベッカは足を止めると、じっとりとした目つきで振り返った。

 唇を尖らせ、心外だ、と抗議する様に口を開く。


「君以外のものは見たことないし、見ていないし、見たくない」

「え? あ、うん……ありがとう?」

 

 呆けた様に礼を述べるクレスの顔を見て、彼女はハッとした顔をする。

 僅かに目元を赤くして悔しそうに口を引き結んで眉を寄せ、


「忘れろ」


 冷たく言いクレスのスネを蹴飛ばす。

 痛みに呻きながらしゃがみ込むクレスへ、彼女は再度歩きながら口を開く。


「部屋に呼びに行く。準備しておけ」

「はい……」


 宿舎に消えて濃い菫色の髪に、クレスは情けない声で返事をした。

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