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鉄血勇者の忘却録  作者: 鹿嶋臣治
第一章 森閑の賢者と汚穢の主
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第十六話 三年目の春の朝1

 懐かしい夢だ、とクレスはぼんやりと天井を見上げて小さく欠伸を噛み殺す。

 硬いベッドに身を横たえたまま、寝返りを一つ。

 

——もうすぐ三年になるのか。


 たかが三年前のことを懐かしいと思うのは、それだけ濃密な日々を過ごしているからだろう、とクレスは小さく吐息して起き上がる。

 簡素なベッドに腰掛け小さな窓から外を見やと、時刻は世が開け始めた頃だ。

 少し肌寒い春の群青の夜空に、朱色の朝焼けが差し掛かっている。

 故郷を騎士に連れられて旅立った時も同じ様な空をしていたな、とクレスはぼんやりと夢を思い起こしながら思う。

 育ててもらった父母と別れたこと、剣を朝焼けの空に突き立て吠えたこと、涙を振り払う様に馬を走らせたことを思い起こし、最後に家族同然に育った幼馴染の笑顔が過ぎる。

 脳裏に浮かんだ顔を振り払う様に強く頰を叩く。故郷の夢を見た後は大体家族の顔が浮かび、自身の選択が正しかったのかを自問する。

 直ぐに弱音を吐こうとする心に正しいのだと言い聞かせ、クレスは長い長い溜め息をついた。手で顔を覆い、じんわりと広がる熱で痛みを伝えてくる頰を摩って顔をあげる。

 ベッドから立ち上がり脇に転がっていた皮サンダルを突っかけると、粗末な箪笥から手拭いを取り出して机の上に丁寧に纏められている白い飾り紐を手に突った。

 少し薄汚れた、花柄模様が丁寧に刺繍された女性の髪を纏める飾り紐。唯一と言っていい幼馴染の少女との思い出の品。 

 相変わらず寝癖に跳ねる髪を一撫でして、クレスは手拭いと飾り紐を握ったまま自室を後にした。





◆□◆□◆□





 帝国第一練兵学舎。

 テオメスギリア帝国が有する将来の騎士や士官を教育する施設の中で、最も有名で歴史の長い練兵施設。

 現在も最前線で戦果や武勲をあげる名だたる騎士や有能な士官・将官達が、華々しい活躍の礎を築く学びの場として、必ずと言っていいほど在籍していた場所。

 そして現在、クレスが騎士としての教育を施され生活をしている場所だ。

 裏庭の井戸で水を汲み顔を洗い髪を梳かしたクレスは、手拭いで水気を払いながら建物を振り返る。

 石材と木材で作られた四階建ての建築物は騎士見習い達の宿舎。第一練兵学舎に在籍するのは大半が帝国に住む騎士貴族や豪商の息子達で帝国内に住むべき家があるのだが、団体行動や自立心、責任感を養う等の方針で安息日以外はこの宿舎で寝泊りをさせられている。

 もっとも今日は安息日であるから、宿舎に人影は殆どなく静まりかえっていた。

 クレスの様に田舎から出てきた帝国に親族のいないものなどは、このまま宿舎に寝泊りをしている。唯一辛い点は、安息日は宿舎に併設されている食堂も昨日していないので、食事の確保をしなければならないことだ。

 

 ——今日も昼くらいまでは狩りで、それ以降は鍛錬と兵術関連の勉強だな。


 勇者として枢機卿と騎士に迎えにこられ、帝都に腰を落ち着けて今年で三年目。

 ディルニスとローガンから、まずは練兵学校で剣術や格闘術に兵術の基礎を叩きこめ、と言われてここ第一練兵学舎に入れられて三年だ。

 田舎農夫の勇者をそのまま放り出しては文字通り野垂れ死なので、闘う術、生き残る術を学べと言われたのはありがたかったが、最近は少し悠長なのではと感じている。

 しかし実際は自分自身で帝国内でできることは少なく、来る日に備えてできること、言われたことを黙々とこなすしかない。

 必要であることは分かっているが、歯痒い気持ちを抱いているのは事実だ。

 実際に歯痒さを抱く気持ちの裏側には、帝国在中の騎士達の遠征が日に日に多くなっているという事実、街では魔物に関する不穏噂話を多く聞き、教会では負傷の治療や呪術等の祈祷依頼が増えている話も知っているというものがある。

 国全体が騒ついている、と同級生や教師達が口を揃えて話しているのを思い出す。

 それに、とクレスは飾り紐で髪を結い上げながら数日の出来事を思い起こし、溜め息をつく。去年辺りからではあるが、左手の聖印が稀に夜な夜な薄らぼんやりと光を帯びるのだ。

 何かの兆候だろうと、クレスは確かな根拠は無いが確信を得ていた。

 

 ——囁き声も多いんだよな。


 講義の最中、訓練の最中、食事の最中、街を歩いている最中にも関わらず、こちらへ囁きかける『姿無き隣人』の声。

 聖印が刻まれたことから度々耳に聞こえる様になった囁き声の正体は、精霊の声であることが教会で魔術の指導と教育を施される様になってから判明した。

 精霊達の言語は理解できないが、『姿無き隣人』達がどんな意思を伝えようとしているのかは感じ取れる。しかしその囁きはどこか忙しげでこちらに注意を喚起するものに感じる。

 

「聖印のことも精霊の囁きも街の噂も……全部、気のせいだといいんだけどなぁ」


 長い溜め息と共に言葉をこぼす。

 井戸の縁に手をついてぼんやりとそこを見下ろすが、早朝よりも冷えた空気がクレスの頰を撫でるだけで井戸の水面は何も映さない。

 杞憂に終われば良いと思う反面、神々の恩寵により予言めいた直感を度々発揮する様になった身としては、胸の中の騒めきが何かの前兆だと騒いで仕方がないのだ。

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