第十二話 父と息子1
グスタフは家族の他にディルニスとローガンを連れ立って帰宅した。
途中、休息に向かう騎士達が二人の姿を発見し、護衛役を買って出てきたが、ディルニス達が丁重にそれを断る。
騎士団長と領主の手を煩わせる訳には、と食い下がったが、グスタフたっての希望である事を伝えると、渋々と言う様子ではあったが、納得して引き下がった。
肩を並べて歩くグスタフとファンナの一歩先をローガンとディルニスが挟む様にして立ち、その四人の後ろをクレスとネリが追っていると言う並びだ。
騎士の持つ二つの洋燈の明かりがぼんやりと夜道を照らし、土の道に影を落とす。
騎士達は練兵学校時代、騎士時代の思い出話に花を咲かせており、仕切りに昔を懐かしむ声が上がる。ファンナは相槌を売っていることが多いが、三人との付き合いも長いのだろう。
会話に混じる声は楽しげなものが多い。ただ笑い声の数は余り多くなく、その当初の記憶を掘り起こし、過ぎた日々を噛み締め儚む様な少し物悲しい響きが濃い。
王命に背き夜中に領地を去るグスタフとその家族を、夜が開ければ罪人として練兵学校時代から過ごした友人であるとディルニスとローガンの二人が追う。
領主の館から家までの僅かな距離で、彼ら三人の思い出話を全て語り尽くすことは不可能だろう。
どんな心境で大人達は会話を繰り返しているのだろうか、とクレスは父と騎士の背中をぼんやりと見つめながら思う。
友情や領地を捨ててまで息子一人を守る為に家族を危険に晒すその選択が、正しいのか間違っているのかはクレスに判断がつかない。
ただファンナもネリも二つ返事でグスタフに頷いたのだから、歪であったとしてもグスタフの選択を正しいと信じたのだろう。
「……思い詰めてない?」
ネリが花束を抱える右腕に触れる。
優しく撫でる様な触れ方はファンナと同じものだ。
彼女から向けられる笑みは力なく、そして疲労が垣間見えるが、こちらを労ろうと言う精一杯の心遣いが垣間見える。
いっそ痛々しいくらいのその気遣いに、クレスは小さく首を横に振った。
「大丈夫。ネリの方こそ辛くない? 故郷……捨てることになるんだよ」
「正直言うと寂しいわ。思い出も沢山あるから……でも、クレスがいなくなってしまう方がもっと寂しいもの」
言葉に、彼女は目を伏せて同じ様にゆっくりと首を振った。
「王命に背いてまで、罪を被せられてまですること?」
「……もし私が、今日の貴方の様に連れ去られそうになったら、どうするの?」
「連れて行かせない、絶対に」
「うふふ、ありがとう。同じでしょう? 王命だから、とか、罪人になるからって関係ないの……」
力強く断言する言葉にネリは可笑しそうに笑ったあと、静かに身を寄せてくる。
自然な柔らかくて甘い花の香りがクレスの鼻腔をくすぐった。安堵を促す優しい香りだ。
彼女はゆっくりとした動きで腕に手を添えると、肩を触れ合わせ静かに、穏やかな声色で言葉を紡ぐ。
「罪を被ってでも愛する人を守りたい。国の法に逆らうのはダメだと分かっているけれど、愛する人を失うよりずっと良いわ……どちらを選んでも後悔するなら、私は貴方を選んで後悔したい」
視線がぶつかる。
昨晩と同じ、家族の弟分へと向けるものとは異なる、別の熱の籠もった視線だ。
——お姉ちゃんは嫌って言ったらクレスはどうする?
色っぽい熱を孕んだ、潤いに満ちたネリの言葉が脳裏に蘇る。
なんとも言えない気持ち気恥ずかしさが胸元を迫り上がってくるのを感じ、クレスは小さく咳払いをする。
ネリは、ふと、表情を和らげると、暗い夜道にも分かるほど目元を赤らめて言葉を続けた。
「愛してるわクレス。ずっと……ずっと……。貴方がおじさんになっても、おじいちゃんになっても、ずっと愛してる」
「……家族としてって意味だよね?」
「……ええ、もちろん。家族として私の事を愛して?」
胸元に花束を抱きしめながら尋ねるクレスに、ネリは柔らかい笑みを浮かべる。
「愛する家族を守りたい、ずっと一緒に居たいって思うのは、変なことかな?」
「……間違ってないし、変なことじゃないよ」
ネリは気恥ずかしそうに告げて顔を俯けるが、体は先ほどよりも強くクレスに押し付ける様に密着させた。
作業用の厚手の服越しにでも、少女の——女性の、男性には持ち得ない体の柔らかさと暖かさが伝わる。
「私たちは追われることになってしまうけれど……貴方を守る為だもの」
「……家族だから」
仕方なさそうに、だが強く言い切る言葉にクレスは小さく言葉を返す。
「えぇ、家族だから」
「大切だから、守らないと……愛しいから、守らないと」
クレスは傍らで身を寄せる少女へ視線を向けたあと、前を歩く四人を見やる。
漏れ聞こえてくる語らいの言葉を耳にして、クレスは小さく吐息した。
胸の中に感情が渦巻く。
頭の中に怒りの表情のグスタフが、淡い笑みを浮かべるファンナのが、涙を流すネリの顔が次々に思い起こされる。
家族。
愛しいもの。
守らなければならないもの。
視線は腕の中にある黄色い花束へ移る。
赤黒い斑模様に汚れ、くたびれてしまった黄色い小さな花。
シュヴェンクフェルト領の春を代表する可愛い黄色い美しい花。
そして贈りたいと思った相手にそっくりだと思った春の花。
——家族を守る為に、か。
腕の中の花束を抱き直すと、腕に触れるネリの手をそっと手に取る。
少しだけ驚いた顔をした彼女は、しかし淡い笑みを浮かべた。
「どうしたの?」
「……何でもない。大丈夫」
「そう……」
彼女は淡いままの笑みを浮かべ、ゆっくりと指先を絡めてくる。
柔らかさと少し体温の高い温もりを感じ、クレスは静かに目を閉じた。
守らなければ、と心の中で強く思う。
家族を、ネリを愛しく大切に思うのであれば尚更だ、と強く思う。
クレスは己も指先を絡め小さな手を握ると、静かに呟く。
「大丈夫……大丈夫だからな」
◆□◆□◆□
自宅に到着したクレス達は休息する間も惜しんで領地を離れるための準備を行うことになった。
準備と言えども家財等は置いて行く他ないので、嵩張らない程度の着替えや、道中の食糧や使用する道具等を運び出せるものを荷袋にまとめるだけだ。
シュヴァンクフェルト領から南端のヴィンケルブルク領までは神環の周期を三度過ごす位の距離だ。長旅になることは必須なので、装備はそれなりに揃えて置きたいと言うのが本音なので、ギスタフは選別を慎重に行っていた。
ディルニスとローガンは外で待っているとのことで、二人して玄関前で待機している。
洋燈のぼんやりとした光に照らされる暗い部屋の中で、荷物をまとめているグスタフへクレスは声をかけた。
「父さん、話がある」
荒い作りの木のテーブルの上で保存食等の備蓄品を吟味していたグスタフは、ゆっくりと顔をあげる。
一瞬だけクレスの顔を見返した父は、しかし布袋の口を縛りなおしながら小さく吐息して口を開く。
「なんだ? 時間がないから手短にな」
「領地から逃げる必要は無い。荷物も纏める必要は無いよ」
静かに紡がれる言葉に、グスタフは手を止めた。
ファンナとネリが動きを止めて、クレスと荷物をまとめていたグスタフを見つめる。
視線を布袋から上げたグスタフはゆっくりと瞬きをして、たっぷり時間を置いたあと、口を開く。
「それはあれか……? まさか諦めて騎士共に捕まれって意味じゃねぇよな」
「違う」
「ほーう。まさかお前みたいなお優しい奴が、あの枢機卿の言葉を信じて勇者ごっこしに帝都へ向かうと?」
「そうだよ。父さんも母さんもネリも……僕のために罪人として帝国から追わせられない」
布袋から手を話したグスタフは、頬杖をついてクレスを見やる。
彼の顔には確かな苛立ちがあり、一刻も早く会話を終わらせたがっているのが見て取れた。
「お優しい勇者様だ。だが俺も、自分の息子を魔王討伐に行かせろ、はいそうですか、で終わらせられるかよ」
「だからって、罪人になって帝国中を追い回されるのはどうなんだよ」
「息子の命を放り出して生き残るよりはマシだろうが」
「関係ない母さんやネリまで巻き込むのは本末転倒だろって言ってるんだ!」
「テメェ一人を無理やり帝都に行かせて、残った親子三人で能能と生きてろっていうのか!」
声を荒げたクレスを叩き潰すような怒声が響く。
ファンナとネリが身を竦めるのと、ドアが相手ローガンとディルニスが顔を出すのは同時。
騎士達は怪訝そうな顔をして暗い部屋を覗き込んでくる。
「おい……夜更だ、準備は静かにしてくれ。おかしいと思われて人を寄越されたら終わりだ」
「ちょうど良い、ディルニス。娘と嫁と荷物もって外で待ってろ。俺はこいつと話し合いだ」
唸るようなグスタフの言葉に、ディルニスとローガンは顔を見合わせると小さく溜め息をついた。
テーブルの上に置かれた口を縛った四つの荷袋と、丈夫な布で作られた二つの背負い袋を手に取る。
良いか、とローガンが念押しをするように口を開く。
「手短に頼む。時間はあまりないんだ」
「わかってるよ。直ぐに終わる……こいつがアホなこと抜かしやがるからな」
「少し聞こえていたよ私としては……その方が有り難いんだがな」
「おいディルニス。お前も話を蒸し返すのか?」
いいや、とディルニスは布袋を手に、肩をすくめる。
ファンナとネリに小さく頷いて目配せをして、
「だがな……友人としては、その方が有り難いと思ってしまっただけだよ」
「黙って外で待ってろ」
ディルニスは小さく吐息すると、ファンナとネリを促して家の外へと出る。
ローガンが何か言いたそうに振り返るが、グスタフに顎で外へ出るように促され、彼もディルニス同様に小さく吐息して出て行った。
木の扉が閉まり、しかし家の前から消えない気配に舌打ちをすると、それで、とグスタフは改めてクレスに向き直った。
「帝都に行って勇者ごっこだと? 笑えない冗談ほど、飯と人間関係を不味くするものはないぞ馬鹿息子。覚えとけ」
「だったらあんたも同じだろ馬鹿親父。騎士達から逃げ切って罪人として暮らす? 出された飯が豚の餌だ」
グスタフはクレスから飛び出した言葉にまず目を驚きに丸めて、次に口の端に強烈な笑みを浮かべて歯を剥いた。
「お前の親はそんな口答えを教育したのか? ご立派だな」
「あぁ、聞き分けのない犬っコロみたいな父親だよ……キャンキャン、キャンキャン良く吠える」
同じく歯を剥いて言葉を吐き出すクレスに、グスタフは笑みを濃くした。
目を細めて話を促すように顎をしゃくる父親に、クレスは眉を寄せて口を開く。
「罪人として大陸を追われながら生活するなんて無理だ。たとえ西側に行けたとしても、いつ見つかるか分かったもんじゃない」
「だから息子差し出してこの領地にいろってか? そんなことできるか、ファンナも納得しねぇよ」
「僕が自らの意思で帝都に行く。『聖印』を持つ光の使者として」
「お前……あの耄碌ババァの言葉を信じてるんじゃねぇだろうな?」
「信じるも何も、確かな証拠がここにあるだろう!」
クレスはグスタフの言葉に左手を突き出す。
見ろよ、と甲を父親の眼前に突きつけて、吠える。
紋様として描かれたものでもなく、焼印として焼き付けられたものでもない、確かに肌へと浮かぶ確かな証。
呪いの証とも言える聖なる紋章は、ぼんやりとした洋燈の明かりに照らされて、しかし、はっきりと肌に浮かび上がっているのが目に見える。
「僕にとったら奴隷の烙印よりも酷いものに感じられるけど、確かにあるんだよ! 枢機卿も言っていた、僕の夢の話も言い当てた
……何より目の当たりにしただろ! 加護とやらの不気味な力も!」
「魔術の行使による幻影だって言う可能性もあるだろう」
「そんな訳あるか! 父さんだって見たし殴られてただろう、幻影じゃない、確かにいたんだよアイツは」
クレスの脳裏には表面にびっしりと紋様が刻み込まれた、不気味な淡い海月を思い出す。
枢機卿を覆うように守るように存在していたそれは、確かに幻影と言うには存在感が濃すぎたのだ。
「枢機卿の言っていたことは本当なんだよ。僕の左手の『聖印』は本物で、神様に選ばれた勇者って言うのは紛れもない事実なんだよ。王命だって出てる、父さんの友人達も父さんも罪人にしたくなって言っていたじゃないか」
「そうかも知れないな。だが、だからって父親が子供の未来や命を奪うことをしちゃいけないんだ」
「結果として同じことをしてるだろ! 罪人として追われ続けるなんて……ネリの未来を奪うことだろ!」
「じゃあどうしろって言うんだ! お前を連れて行かせるか、それとも断って逃げ続けるか……どちらも俺にとっては後悔のある選択だった。どちらを選んでも後悔するなら、息子を連れて逃げた方がよかった!」
グスタフの言葉と剣幕にクレスは押し黙る。
少し前、自宅に至るまでの道筋でネリが言っていたことと寸分も違わない。
クレスは悔しそうに歯噛みをした後、しかし、口を開いて絞り出すように声を発する。
「だったら……僕の後悔はどうするんだよ。あの時、枢機卿の提案を受け入れて家族を守ればよかったと言う、僕の後悔はどうするんだ。父を説き伏せ、母に許しを貰い、ネリに頷いて貰えばよかったと思う僕の後悔は!」
「死んだら元も子もないだろうが! このまま領地を後にして、少し肩身が狭い思いをしながらでも生きながらえた方が絶対に良い。西側へ行けば移民の村も多くある……それまでの辛抱だ」
「妻と娘に罪人の肩書きを持たせてまで手に入れるものかよ!」
「生きてりゃどうにでもなるんだよ! クソガキが剣一本で騎士になることだってできたんだぞ!」
グスタフが吠えテーブルを叩く。
硬い音と共に粗末なテーブルが震え、悲鳴を上げるように小さく軋みの音を響かせる。
「お前みたいに訓練でさえ人に剣を向けるのを嫌がる腰抜けが、騎士になって魔王討伐だ? 戯言も大概にしろ!」
「だからって家族を罪人にしてまで生きたいと思うほど腰抜けじゃないよ!」
クレスが吠える。
グスタフは苛立たしげに舌打ちをすると、左手を突き出す息子の胸ぐらを掴み上げた。
「いいか? あの時、決めたんだ——お前を守るために、俺達、三人は、罪人の汚名を喜んで被る」
言葉を区切り、クレスへ言い聞かせるようにグスタフは強く告げる。
「話は終わりだ。大人の言うことはきっちり聞いとけ」
「終わるかよ! 納得してない、父さんの——グスタフの意見に頷けるか! 一人の大人として、僕は断固その意見を拒否すするぞ!」
手を話そうとするグスタフの手をクレスが握る。
歯を剥いて憤怒の表情で父を見やると、彼は鼻を鳴らした。
「うるせぇな。これ以上、話し合うことはしねぇよ。とっとと黙れ。じゃないと無理やり黙らすぞ」
唸るような言葉に、しかしクレスは吠えた。
「やれるものならやってみろ! 僕は本気で——」
瞬間、クレスの体に浮遊感が生まれる。
掴まれた胸ぐらが絞るように握られ、首が窮屈に圧迫される。
苦しいな、と首に圧迫感と擦れる痛みを覚えた時、視界が勢い良く反転した。
背中に蹴飛ばすような衝撃が生まれ、粗末なテーブルが割れる乾いた音と、頭に突き抜ける衝撃が走ったところで、ようやく、クレスは理解する。
——投げられた。
頭に波紋を広げるように痛みと熱と衝撃が広がり、クレスは四肢を投げ出したまま、ぼんやりとグスタフを見やる。
ひっくり返った視界の中、ゆっくりと椅子から立ち上がったグスタフは、つまらなさそうに首を鳴らして口を開く。
「ご要望通り力で黙らす。手っ取り早くて丁度良い、時間もないからな。ファンナが馬に乗れて助かった」
クレスが鈍痛に呻きながら体を起こそうとすると、同時に腹を蹴り付けられる。
重たい音が響き、胃がひっくり返るような衝撃に咽せ、クレスはさらに床に転がった。
「暴れんな。諦めろクレス、俺はお前を連れて領地の外へ出る。腕へし折ってでも、足潰してでも連れて行く」
しゃがみ込み、グスタフは体を折り曲げ寝転がるクレスの顎を掴んで視線を合わせる。
鳶色の瞳に感情はない。ただ、事実を告げる冷ややかな瞳の色。
「……やってみろ」
「あん?」
クレスの言葉にグスタフは怪訝そうな目を作る。
「腕でも足でも折ってやってみろ。俺は帝都に言って勇者になる。グスタフ達三人に罪人の汚名を着せないために」
クレスは拳を強く握り、精一杯の力で振り抜いた。