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鉄血勇者の忘却録  作者: 鹿嶋臣治
序章 辺境農夫と光の聖印
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第十一話 猶予の夜

 呆然(ぼうぜん)として、クレスは直前まで()()()()()()()()を見やる。腐臭を漂わせる(わず)かな肉の欠片(かけら)と葡萄酒の様な色の滑り気を帯びた液体。

 血溜まりの中に沈む赤黒い体液を吸い込んだ緋色の聖職者服を、崩れ溶けた枢機卿(すうききょう)の側に立っていた女がゆっくりとめくり、四肢を動かす赤子を抱き上げる。

 甲高い産声ではなく、えずく様なくぐもった声を上げて蠢く赤子は、小刻みに体を震わせながら、返り血に染まる女を見つめ返していた。


()()()はこちらでつけますので……お部屋へご案内します」


 蠢く赤子をあやす様に体を揺すり歌う様に祈りの言葉を小さく口ずさむ女を見ていると、クレスに服を着せていた隣の女が告げる。

 聖職者服を手早く着込むとクレスの背を軽く押して脱衣場を後にする。

 浴室のと廊下を隔てる扉をしめたところで、硬い木の枝をへし折る乾いた音が響き、赤子の呻き声と女の歌が止んだ。

 弾かれた様にクレスが振り返ると、咎める様に女がその肩を控えめに触れる。


「お気になさらず。申し遅れましたが、枢機卿(すうききょう)の事は口外せぬように……」


 抑揚なく紡がれる言葉に薄寒いもの覚えたクレスは、それ以上は何も言わずに軽く頷く。

 女に導かれる様に廊下を歩き、元の部屋へと案内される。

 応接室の扉の前にはシャネアが立っており、彼女はクレスと女の姿を目にすると僅かに頭を下げる。

 腕には血に汚れた黄色い花束を抱えていた。


「グスタフ様がお目覚めになりました。お部屋にご案内します。よろしいですか?」

「わかりました」

「これ……クレスさんのものですよね?」

「はい。態々ありがとうございます」


 シャネアはくたびれた花束を手渡すと、感謝の言葉と共にクレスはそれを受け取る。


「クレス様はこちらでご案内します。聖職者殿はご準備を」


 シャネアの言葉に頷くわけでもなく、聖職者服の女は騎士へ一瞥をくれることもなく二人の横を歩きすぎてゆく。

 白い衣の裾を揺らしながら歩き去る後ろ姿を見ながら騎士は小さく吐息した。


「言ってはならないとは思いますが、枢機卿(すうききょう)の姿を見た後だと……付き添いの聖職者の方も不気味に見えますね」


 言葉に、クレスは浴室での出来事を思い出す。 

 こみ上げてくる不快感と吐き気に顔を歪めると、騎士が慌てて謝罪の言葉を述べた。


「申し訳ありません……先程、辛い思いをされたばかりなのに」

「あぁ、その……大丈夫ですから。部屋まで連れて行ってもらえますか」


 恐らく騎士は応接室での出来事を言っているのだろう。

 クレスは浴室での出来事を振り払う様に首を振ると、声を落とす騎士に声をかけた。

 騎士は小さな咳払いの後にクレスを促し歩き出す。

 応接室から三室離れた部屋、鈍色の騎士が立つ扉の前で立ち止まる。

 騎士からの視線を感じてクレスは目を閉じ、無骨なノックをの音を聞く。


「シャネア・ウィンヘルです、入室します!」


 一息置いた後、中からディルニスの入室を許可する返事をきき、シャネアはドアを開けた。

 不機嫌そうにベッドに座るグスタフ、その隣に腰掛けるシャネアがおり、備え付けられた小さなティーテーブルの傍らの椅子にネリが座っている。

 ローガンが部屋の壁際に立っており、ベッド正面に置かれた椅子にはディルニスが座っていた。 


「お連れしました」

「ご苦労だったシャネア。控えていてくれ」


 礼の後にシャネアが退室する。 

 重たい空気が支配する中、グスタフが口を開く。


「体調はどうだ? 奴らに変なことをされてないか」

「大丈夫……だと思う。清めるとかなんとかで、身体に文字を書かれたくらいだから」

「十分変な事だろうが。気分は悪くないか?」

「大丈夫」


 訝しげな表情のグスタフにクレスは曖昧な笑みを浮かべ、花束を抱いたまま疼痛(とうつう)が治った左手の『聖印』に触れる。

 枢機卿(すうききょう)が溶け崩れた光景が再度脳裏に蘇るが、腕に爪を立てて込み上げる吐き気を飲み込む。


「父さんの方こそ大丈夫? 派手にやられてたけど」

「平気だ。あれくらい騎士時代はよくあった」


 グスタフは首を鳴らしてベッドから立ち上がる。


「領地を出る。クレスを理不尽に晒させるか」


 優しくファンナの肩を摩りながらグスタフは言う。


「勝手を許せファンナ」

「いいのよ。私もそのつもりよ」

「ネリ。辛いと思うが、大丈夫か?」

「うん……怖いけど、クレスが酷い目にあうくらいな」


 苦笑を漏らすファンナに合わせて、ネリがゆっくりと椅子から立ち上がった。

 苦悶の表情で壁際から一歩踏み出したローガンを、ディルニスが片手をあげて制する。

 彼は少しだけ疲れた表情で立ち上がった友人とその家族を見返した。

 ディルニスはじっとグスタフの鳶色の瞳を見つめた後、淡い憐憫の様な色を浮かべ、小さく吐息した。


「一晩だ。一晩だけ……目を瞑ってやる」

「悪いな。せいぜい捕まらない様に姿をくらませる」


 そうか、とディルニスは肩を落とす。

 黙った彼の代わりに、ローガンが口を開いた。


「考え直せグスタフ。ファンナやネリも危険に晒す気か?」

「だからってクレスを差し出せるかよ。ファンナやネリも同じ気持ちだ」

「だからと言って……王命に背いてまで、罪を犯すことをしてまで……」

「それくらい大事だから、仕方ねぇだろ」


 グスタフはファンナの手を取ってベッドから立ち上がらせる。 


「長い付き合いだったな。なるべく雑に追ってくれ」

「お前……」


 家族を連れて歩き出したグスタフに、ローガンは悔しそうに歯噛みした。

 ディルニスは長く吐息して、


「独り言だぞ、グスタフ」


 騎士団長はローガンへと視線を向けた。


「ローガン、夜の内に馬が二頭消えた。騎士団の早馬だ。夜盗の仕業だろう」

「……それで?」

「異変の発見と逆賊の判明は明朝。グスタフの家に派遣した騎士から一家が失踪した報告を受けた後、私とシャネアは一度、帝都に戻って捜索隊を編成する。アルヴィンに残りの騎士を率いて領地境界まで追跡させるから、ローガンは随伴して案内をしてくれ」

「追跡に使う馬を二頭、目星をつけておく」

「そうしてくれ。ただ、領民に取っても馬は重要な財産だ……理由なく入手するには時間がかかる筈。最終的に金を渡して買い取ってくれ」

「あとで騎士団に請求するからな」

「異論はない。騎士達はもう休ませる……魔物も増えている物騒な昨今だ、馬が二頭消えることくらいある」


 いいな、とディルニスはグスタフとローガンに言った。

 金髪の領主は小さく頷くと応接室を後にする。すれ違う際に、グスタフの肩を力強く握ると、


「南端のヴィンケルブルク領から交易船が出ている。南大陸経由で西へ行け。『ゴヌボラの賜宴』なら移民も多い……身を隠すのに最適だ。帝国の騎士もそこまで手は回らない」

「お前も独り言か?」

「あぁ……独り言だ。相変わらずの《鳥頭》っぷりに練兵時代のことを思い出した。俺たち三人で西へ行く話は叶わないみたいだからな」


 ローガンが声を震わせ、空いた手で顔を覆う。そうか、とグスタフは困った様に笑みを浮かべて震える騎士の肩を叩く。

 騎士は一度強くグスタフの肩を叩くと、それだけだ、と言い残して応接室を後にする。

 ディルニスはシャネアを呼びつけ、待機している騎士達に休息命令を出す様に伝えた。

 騎士は一礼の後、外で待機していたのでろう鈍色の騎士を連れて足早に部屋から遠ざかって行った。

 グスタフは騎士の気配がなくなった後、肩をすくめた。


「騎士様は随分と独り言がデカいな。いつからそんなにお喋りになったんだ?」

「寝酒の持ち合わせがないからな……不服か?」

「十分だ……助かる」

「ローガンも言っていたが、相変わらずの《鳥頭》だな」

「お前も言っていただろうが……」


 ディルニスは立ち上がると、右手を差し出した。

 グスタフが力強く握り返すのに頷くと、彼は口を開く。


「今生の別れにならない事を祈っている。一刻も早くここを後にしろ」

「あぁ、世話かけるな」

「……捜索はこの領地周辺を長めに行い、南端まではなるべく遅く手を伸ばす。馬は交易船に乗る前に路銀に変えろ……手塩にかけて育てた馬だ、高く売れる」


 ファンナ、とディルニスはグスタフの隣に立つ女へ顔を向ける。


「不甲斐なくてすまない。君たちにいつも辛い思いをさせるな……」

「そんなことないわ《泣き虫》ディール。任務も立場もあるのに、ありがとう」


 ディルニスから差し出された手を、ファンナは優しく両手で包み込む。


「さ、早く行け。全てが無駄になる前にな」


 送り出す無骨な言葉に、しかし、グスタフは肩をすくめた。


「家に一度戻って準備する。後あれだ、時間があるならお前とローガンもついてきてくれよ」


 怪訝そうな顔をするディルニスにグスタフは口を開く。


「感動的な言葉をもらったあとで悪いが、ちょっとくらい感傷にひたらせろ。お前ら二人の顔を見る最後の機会かも知れないからな……それくら、時間あるだろ?」

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