第70話 貴族院というもの
「はい、じゃあ今日の訓練はここまで!」
「あ、ありがとうございました」
リードもすっかり戦い方や体力筋力が身についてきて、最近では私の訓練で音を上げることもなければ倒れて中断することも少なくなってきた。
魔物との戦闘も経験させているのでレベルも上がっているし、多分今ならオスカーロくらいなら圧倒できると思う。
先日騎士団の上位者も打ち負かしてたし、もうゼグディナスさんくらいしか騎士団でリードに勝てる人はいないかもしれない。
「セシル様」
「はい?クラトスさん、どうしたんですか?」
「旦那様がお呼びになられておりますので執務室までお越し願います」
「領主様が?…うーん…これからモースさんにレシピの相談に行こうと思っていたんだけど、仕方ないね」
領主様が呼んでるとなれば何を置いても行かないといけない、よね?
私は訓練用の模擬刀をいつもの武器樽に挿して早速向かおうとすると今度はクラトスさんからストップがかかった。
「そういう訳でしたら旦那様へは事情をお話しておきます。昼食後、五の鐘より前にはお越しください」
「え?いいの?」
「はい。旦那様よりセシル様が新しいレシピを作るときは便宜を図るよう仰せつかっております故」
いや、さすがにそれよりは呼び出しの方が優先度高そうだけど?
でもクラトスさんは既に踵を返して立ち去っている。仕方ないので早めに昼食を済ませてモースさんにサンドイッチの説明をしてしまおう。
「えー…つまりこれはパンに野菜や肉なんかを挟んだだけもの、なんですかい?」
「うん。簡単なんだけどね、一つすごい利点があるの。ほら、こうすると?」
「…片手で持って食べられる?」
「そゆこと」
「…なんだかあんまりすごそうなレシピじゃねぇですねぇ」
サンドイッチの説明はモースさんにはかなり不評のようだった。確かに新しい料理というほどのことはなく、ただ片手で食べられるようにパンに野菜や肉を挟んだだけに見えるしね?
だがサンドイッチを舐めてもらったら困る!
私は厨房を借りてパンに挟むための具材をいくつか作り始める。まずはオーソドックスに玉子サンドは外せない。シャキシャキ野菜が心地良く塩味の効いたハムを挟んだハムサンドも定番だろう。
本当は玉子サンドにも、そして今回は見送ったツナマヨにも必要なマヨネーズを作りたいところだけど時間が無いので省略。
それらをパンに切り込みを入れてその中に挟み込んでいくわけだが、食パンもないのでかなりはみ出した形にはなる。これはこれで美味しいんだけどね。
モースさんに試食用のサンドイッチを渡して、自分も一つ摘まんで口に入れた。
「んぐ、ん…。味はよかったけどパンが今ひとつかなぁ?もっと柔らかいパンを作らないとダメかなぁ」
「なるほど…こうすりゃわざわざいくつもの料理を皿に出して食事の時間を取らなくてもいいってわけですかい」
「そうそう。この屋敷にはご飯食べる時間もあんまり取れない人がいるみたいだしね?」
誰とは言わない。
ロリ○ン疑惑、もしくは隠れムッツリきょぬー好きな彼はいつも執務室で食事を摂るか、かなり早く食べて仕事に戻るという。
そんな仕事人間のためのご飯。
でもやっぱりパンがイマイチなのでこれは要改善だねぇ。というかちょっと固いんだよね。酵母を使ってふっくらと柔らかいパンを作れるようにならないとこの問題は解決しないかな?
「とりあえず明日のお昼にそれをナージュさんに出してあげて。手軽につまめる軽食っていうのは大事だからさ」
モースさんに一通りの指示をした後、領主様の執務室へ向かうことにする。途中下位文官のギザニアさんとすれ違い「よっ!」と軽い挨拶だけで彼はどこかへ歩き去っていった。恐らくいつも通り魔物の討伐部隊編成の為にゼグディナスさんのところへと相談に行ったのだろう。
最近ギザニアさんには私から助言することは少なくなってきている。ちゃんと周りに相談することで仕事がうまく回っているよう。インギスさんも意見を求めてくることはあってもあからさまに助言を求めることもない。
しいて言うならシャンパさんだけは相変わらず計算間違いが多いので、こればっかりは訓練してもらう他ない。
それでも三人とも私が相談役に入ってからそれぞれ「説得」「交渉」「算術」のスキルを獲得しているので遠からず私はお役御免となるだろう。
コンコンコン
「セシルです。お呼びとのことでしたので参上しました」
「入れ」
ノックして名乗ると領主様からすぐに入室を許可される。
扉を開けて中に入ると領主様はいつも通り執務机に両肘をつき手を組んだ姿勢。忙しそうに仕事をしているところを見たことがないのは領主様なりの気配りなんだとクラトスさんから聞いた。
「すまんな、リードルディの訓練の後で疲れているだろうが話がある」
「問題ございません。それでお話というのは?」
「うむ…どこから話すかな…」
領主様は執務机から離れ応接セットのソファへ腰掛けると私にも座るように促してきた。その間にクラトスさんは領主様の後ろでお茶の用意をし、すぐに私達の前に豊かな香りがする紅茶を出してくれた。
「リードルディと君は同い年だな」
「はい、次の春で十歳になります」
この国では誕生日というものをそこまで重視しない。春になったらまとめてみんな一つずつ歳を取る。人物鑑定スキルを使った時に見える年齢は誕生日が来たときにちゃんと一つ歳を取るので恐らくこの国独特の制度なんだと思う。
「貴族は十歳になると貴族院という施設に入り、五年間勉強や訓練を行い成人とともに卒業、それぞれの役割に就くこととなる。これはティオニンから聞いたな?」
「えぇ。貴族としての最低限身につけなければならない教養や礼儀作法から知識や体力、また知己を増やすことでその後の貴族としての生活を円滑にスタートするための制度だと」
「その通りだ。無論、より深く学びたい者達にはアカデミーというものも王都にはあるのでそちらを選ぶものもいる。まぁつまり次の秋にはリードルディも貴族院に入る」
ということは…家庭教師の仕事も終わりってことかぁ。わかっていたこととは言え、はっきり言われるとなかなか堪えるものがある。他の家庭教師の先生方なら別の働き口もあるだろうから困ることはないだろう。私だって冒険者としてそこそこの稼ぎはあるから今放り出されても何とかなる自信はある。
「そこでここからが本題だ。貴族院に入学する貴族の子女達には一人だけ付き添いを付けることが可能となっている。殆どの者は侍従か護衛を付けるわけだが…セシル、君に行ってもらえないか?」
「………はい?」
「リードルディの護衛兼侍従兼家庭教師として、一緒に貴族院に入ってくれ」
…うそぉ…?
「や。…だって私平民ですよ?」
「護衛する者には平民も多いぞ?それに付き添いの者でも授業を受けることができるから君の勉強にもなるだろう」
あ、これ。領主様の中ではもう確定してることなんだ。
一応了解を得るために説明だけはしてるけど私に断らせるつもりなんて全く無いんだと思う。
「貴族院での五年間、生活費も含めてこちらから全て用意するし、これはこちらからの正式な依頼だ。超長期間の護衛依頼を達成すれば…晴れてランクAになれるな?」
と、最後まで説明したところで領主様がニヤリと口角を上げた。
やられた。
完全に逃げ道を塞ぎに来た。
もちろん家庭教師の仕事が無くなった後、ギルドで護衛依頼を受ければいいだろうと思われるかもしれない。
でも考えてみてほしい。こんな幼い子どもに護衛が務まるかと、必ずそう見られるだろう。いや見られる。そうなると私は成人するまで護衛依頼を受けることができないかもしれない。
なら確実に指名依頼として受けられる護衛依頼を私が断るはずないと絶対わかってて言ってる。貴族特有の遠回しな物言いをしないだけ安心ではあるけども。
「それに君にとっても悪い話じゃない。先程の勉強できることもそうだが、貴族と知り合いになれば今後の人生で大きく損をすることもなくなるだろう。リードルディの家庭教師期間が終わったとて、君の人生はまだまだこれからも続くのだからな」
「大きく損はしないかもしれませんけど、余計なトラブルに巻き込まれる可能性も十分にあるのでは…」
「ふっ…それは否定しない。それで、どうする?」
どうする?って聞かれても…それもうやること前提で話してるでしょ?
私がしてやられたという顔をしていたのだろう、領主様は機嫌良くいつもの悪い笑顔を浮かべている。後ろに控えているクラトスさんに視線を向けると微笑みながら頷いているが、こちらも私が引き受けると信じて疑わないようだ。
「はぁ…断れないこと知っててそんなこと言うのってちょっと卑怯だと思いませんか?」
「思わないな。何せ私は貴族で君は平民だ」
「むー…いつもはそんなこと仰らないのに…」
「はははっ…では決まりということで良いな?」
再度考える振りだけして温くなっていた紅茶を飲んでカップをそっと置く。
「はい、お話を進めてください」
私の返事を待っていたかのようにクラトスさんは数枚の紙の束を持ってきて私の前に置いた。残っていた温い紅茶はそのクラトスさんの手で下げられた。
「これは?」
「貴族院から従者への決まり事と申請用紙だ。君は名前と年齢だけ書いておけばいい。後は決まり事にはよく目を通しておいてくれ」
領主様に言われるままに書類にサインするとクラトスさんがそれを持って執務机の上に置いた。
「ではこの話は以上だ。それで?新しいレシピの料理はどこだ?」
領主様は自分の要件が終わると同時に子どものようにキョロキョロし出した。そんなに探しても今日はありませんから。しかも領主様用に作ったものでもないし。
「明日ナージュさんにお出しすることになっていますので、お昼には見れると思います。領主様の分は頼んでないですけど」
「なっ?!なにぃっ?!何故ナージュの分があって私の分がないのだ!」
「いや…そんな大層なものじゃないですし…」
「…モースに明日は私の分も作るように言っておけ」
「はぁ…構いませんけど、多分ここで仕事しながら食べることになりますよ?」
「ここで?」
「はい、仕事中でも簡単に摘まめるようなものなんです。食べながら書類を見ることも、慣れれば字を書くこともできます」
それを聞いて領主様の顔が少しひきつったように歪んだが、逆にクラトスさんはとても嬉しそうに微笑んでいる。
「それは素晴らしい料理ですな。旦那様、いつも食事の時間だと言って途中でも放棄していましたがこれで時間を気にすること無く公務を行うことができますぞ」
「クラトス…お前は悪魔か…」
二人のやり取りを悪い笑顔で眺めているとそれに気付いた領主様が渋い顔をした。「やってくれたな」とでも言いた気な顔なので「さっきのお返しです」と微笑んであげた。
今日もありがとうございました。




