第62話 地理の勉強
話し込んでいたためお昼を取るのが遅くなってしまったが、なんとか時間通りに午後からの訓練にも入ることができた。
私の前には革の防具を身に着けたリードがいる。彼の武器は使い慣れているショートソードなので、私も合わせて同じ武器を手に取る。
本来皮の防具をつけていれば刃を潰された剣の一撃くらい防いでくれるのだが、私の攻撃力ではあんなの紙と同じだ。なので私の攻撃は全て寸止めでやめることにしている。
リードの剣?当てられるものなら当ててみなよ。当てられたらご褒美に新しいお菓子を作って進呈しようじゃないか。ついでに婚約者の話も前向きに検討するよ。
「それじゃ私は準備できたから、リードの準備ができたらいつでもかかってきなさい」
「むぅ…?セシルは防具をつけていないではないか」
「そういうのは私に一度でも剣を当ててから言いなさい?」
私の言葉でさすがに腹が立ったようで明らかに不機嫌そうな顔になったリードは剣を構えた。
一呼吸置くと地面を蹴って私に突進してくる。今日の厳しい訓練のせいかあまり速くないし、真っ直ぐ来るには私と彼の実力差は離れすぎている。
キィン
リードの剣が中段からやや振り下ろし気味に迫ってきたのを私も剣で弾き返すと左手の人差し指を彼の胸へ突いた。
「はい、まず一回。実戦なら死んでるよ。今日の訓練中に何回死ぬつもりなの?」
「くっそぉぉぉっ!」
向かってくるリードの剣は鋭く小さくまとまっている。それでも今の彼から出される攻撃はどれもこれも軽すぎる。
ガンッ
力任せにリードの剣を弾くとそのまま手を離れて地面に突き刺さった。その隙に私は剣をリードの首筋にそっと当てた。
「二回目。あんな軽い攻撃なんて受けるよりも剣ごと弾き飛ばした方が楽だよ。剣も握ってられないほど脆弱なら、大人しく文官にでもなったらどうなの?」
「う……うあああぁぁぁぁぁっ!!」
「はぁはぁはぁ…くぅ…ううぁぁぁぁぁっ!」
リードは地面に大の字になって転がっていて、身体中が傷だらけになっている。
魔法も用いた模擬戦ではさすがに無傷というわけにはいかなかった。かなり魔力を絞ったので命に別状はないものの、相応の重傷に至ったというわけだ。
ただ、どちらかというと体の傷よりも心の傷の方が重傷かもしれないけどね。でもそれで手を休めるつもりはない。
「泣くくらい悔しいなら私に一撃入れてみなさい。体力も無い、筋力も無い、戦術を考える頭も無い、魔法も碌に使えない。無い無い無い!君の理想は地面に描いた絵ほどのものでしかないわ」
私は未だに寝転がっているリードに近寄ると顔の真横に剣を突き立てた。
「今日の訓練はここまでよ。今日君は四百十八回死んだ。来週はもう少し減らせるといいわね」
リードに手を触れて回復魔法を使い傷を癒やすと二人分の剣を樽に差し込んで片付ける。
その様子を何人かの使用人が見ていたようだけど私は気にせずその場を立ち去った。
リードが泣きながら立ち上がって屋敷に戻ったのは夕食の直前だったらしいが、私はその時領主様に呼ばれて執務室に行っていたため知る由は無かった。
「今日は初日から随分派手にアレを痛めつけたらしいな?」
「領主様からは『死なない程度に性根を叩き直せ』と言われておりましたので」
「あぁ、責めるつもりはないぞ。オスカーロのように意味もなく剣を振らせる馬鹿とは比べものにならん」
「少しやりすぎたとは思っていますけど」
「それも構わん。オスカーロのせいであの歳で頭が凝り固まってしまっていたからな。早い段階でまともな訓練に入れそうで安堵しているほどだ。…それにしても、普通侯爵家嫡男となれば訓練の手も緩くなるものなのだがな」
領主様は机に置かれた紅茶を一口飲むと頬杖をしていつもの悪い笑顔を浮かべてきた。
「で、アレはモノになりそうなのか?」
「…今もまだ地面に転がっていて、侍女の皆さんに起こされるような根性無しなら期待はできません。泣きながらでも歯を食いしばって立ち上がったのなら見込みはあると思います」
「で、あろうな…。クラトス」
「はい」
「ゼグスからの話、全面的に許可すると伝えろ。セシルにはまた負担が掛かるが、その分の給金は追加しよう」
ゼグディナスさんからの話というのは今日の昼に私が受けた相談事に関係することだ。リードも地獄を見ることになるけど私にも負担がかかる。地と光の日の自由時間さえ確保できれば問題はないけど、あまり拘束されるのも嫌かな。
ただ領主様は黒い笑顔から一転、真面目な顔でクラトスさんに指示しているので口を出すこともできない。所詮私は雇われの家庭教師でしかないのだし。
「それと、セシル。冒険者ギルドでCランクまで上がったそうだな?」
「はい、二日でここまで上がっていいのかと思うほどですけど」
「ランドールがCランクだったな…。あいつの半分の歳でそれとは恐れ入る。実際に依頼を受けてみた感触はどうだった?」
「採集の依頼しか受けてないのでわかりませんけど、森の奥に出た魔物は倒すのに少し苦労しました」
「ほう…もうそんなところまで入ったのか。何と戦ってきたのだ?」
ランドールがCランクだったことは驚きはしたもののイルーナがBランクだったこともあり、ランドールを上回る強さであれば可能性としてあり得ることだろう。
領主様も懐かしそうな顔をして私の話を聞いてくれている。
「えっと確か…フォルコアトル、クラッシュタイガー、ムーンフェンリル、ブラッディベア、キルエイプ、ガッシュリザード…あとは忘れました」
「…な、に?」
私が魔物の名前を挙げると領主様は固まってしまった。隣にいるクラトスさんも同様で目を見開いている。
このままでは夕食の時間まで固まっていそうなので私から声を掛けようとして、領主様から質問が飛んできた。
「あれはBランク冒険者達が数人でパーティーを組んで討伐する魔物だぞ?それを一人で討伐したというのか?どれほどの死闘だったのだ?」
「数人?母さんなら一人でも倒せると思いますよ?それに倒すのに苦労したのはなるべく傷を付けないようにしたからで、何も考えずに討伐するだけなら苦労なんてしないと思いますが…」
「…お前のことはリードから散々聞かされ、ティオニンやアドロノトスからも理不尽だの天才だの聞かされたが…なるほどな」
「…あの?」
「…今日のところは話は終わりだ。また来週の訓練を頼むぞ。それとゼグスから例の件で話がいくはずだからそのつもりで。以上だ」
有無を言わさず領主様が話を打ち切ってきたので私も礼をして執務室を辞することにした。このあと領主様とクラトスさんで話し合いがあるのだろうけど。
知覚限界を使えば盗み聞きくらいできるけど、余計なことを知るのはトラブルの元なので私はそのまま部屋に戻ることにした。
翌日のティオニン先生の講義。
リードはサボるかと思われたが、先生が来るよりも先に、私より早く部屋に入っていた。
「おはよう、リード」
「…おはようセシル」
「…どうしたの?まだ昨日の訓練のこと引き摺ってる?」
ぶすっとした顔のままこちらも見ないで挨拶したリードに少しだけイラっとして昨日のことを掘り返してみた。
「…そうではない。体を動かすだけで全身が痛むのだ…。昨日は夕食後すぐに寝てしまったから入浴もできていないし、起きたらこの状態だ」
「あぁ…筋肉痛かぁ」
「筋肉痛?」
「うん、激しい訓練をして筋肉を痛めつけるとぶちぶち切れちゃうの。その痛みだよ。それが無くなる頃にはもっと強い筋肉がつくの」
「…相変わらず、何故そんなことを知ってるのか…」
「もちろん内緒です」
というか話したくても話せないんだけどね。
それにしても筋肉痛か。それなら回復魔法も使わない方がいいね。じゃないと筋肉がちゃんとつくかどうか解らないし。
昨日の訓練中にかなり厳しいことを続けて言ったからリードに嫌がられてるかなと思ったけど、見ている限りは普通でとにかく筋肉痛に苦しんでるだけの様子。
しばらくしてティオニン先生も入ってきたが、私と同じでリードがいることに驚いているようだった。しかも講義中も黙って黙々と書き取りや音読、計算問題に取り掛かっているのだ。それを見てうっすらと涙まで浮かべる始末。
この調子なら読み書きと計算くらいならそう遠くない未来にできるようになると思う。
ちなみに私は既に書き取りはできるようになったので、ティオニン先生からこの周辺の地理を教えてもらうことにしていた。
話を聞く限りは…。
まず王都はクアバーデス侯爵領から北にあり隣り合っている。西にはローヤヨック伯爵領があり、ここは鉱山がいくつもあるため工業で栄えているけど食料品は他領からの輸入に頼っている。そして更にその西は他国との国境線がある。
南にオナイギュラ伯爵領があるが私が二度行っている森が広がっているため交易はあまりない。しかし農業が盛んなため西のローヤヨック伯爵領との交易がかなり盛んに行われている。
東にはバッガン男爵領、ヘイシュオン男爵領に隣り合っていて更にその奥にミミット子爵領がある。この子爵領には港があり海産物の加工品が主な交易品。
そしてここクアバーデス侯爵領の特産品は…これと言ってない。鉱山で鉱石も取れれば岩塩が取れる塩鉱山もある。農業もそれなり。広大な森の近くに領都があるため冒険者の活動が活発でその素材のやり取りで他領から金が入ってきている。
王都がある直轄領は王都とその周辺の僅かな土地のみで他領からの税と王都内の税金で成り立っていると。
「えーっと…セシルちゃ…セシル先生には地理も大半教えてしまったんですが…」
「何言ってるんですか?他の領地のことも近隣諸国のこともちゃんと講義してください。まだまだ勉強することは山ほどあるんですから」
ティオニン先生は嬉しい悲鳴なのか嬉々として講義を続けてくれる。恐らくリードにする予定だった地理の講義は今ので終わってしまったんだろうけど、私はそのくらいじゃ満足しません。
知識や経験は荷物にならないんだからどれだけ持っていても持ちすぎということはないから。それをどう使うかは個人の能力によるかもしれないけど。
私が知識欲を満たされてホクホクしてる横では有り得ない速度で展開される講義内容に青い顔をしているリードが必死に百マス計算で引き算の練習をしていた。
ちなみに十七引く八は十二じゃなくて九だからね?
今日もありがとうございました。




