第453話 凶禍兆
ソフィアがグラスウルフと対峙してから数分。
彼女は未だに逃げ惑っていた。
グラスウルフ達は私達にもその牙を向けたきたけれど、ユーニャの威圧だけですごすごと引き下がり、今ではソフィアだけを狙っている。
「ソフィア、逃げてるだけじゃ終わらないよ」
この掛け声も何回目だろうか。
「だっ、だってえぇぇぇっ! きゃああぁぁっ!」
私の掛け声に反応してしまったせいで足下の段差に躓いて倒れるソフィア。
そんな決定的な隙を逃すはずのない魔獣達。
バウバウと吠えながらグラスウルフの一匹がソフィアに襲い掛かる。
「ひやあああぁぁあぁぁっ!」
悲鳴を上げながら必死に手を前に出すソフィアに対し、グラスウルフは何の躊躇もなく飛び込んでいった。
それが死へのダイブとは気付かずに。
ゴキョッ
骨と肉が変な風に捻れるような音と共に、グラスウルフはその首を一回転以上捻れさせて倒れた。
ソフィアは手を前に突き出した格好のままだ。
「へっ? え? 何っ?! 何がっ?!」
「いいよソフィア。その調子。でも次は短剣を使ってみて」
「はっ、はいっ!」
一匹倒したことで少し冷静になったのか、ソフィアは私から言われた通りに短剣を構えた。
そしてほぼ無意識のまま魔闘術で短剣に魔力を通してその切れ味を存分に発揮させる。
そこからは早かった。
昨日練習させた短剣の動きをそのままトレースしたソフィアは次々に襲い来るグラスウルフ達を避けながら一太刀、すれ違い様に一閃。
「シィッ!」
気付けば残るのは一匹のみ。
「ソフィア、落ち着いて。相手をよく見てね」
ユーニャの応援を背中で受けつつ、ソフィアは最後に一匹に向かっていく。
「たあっ!」
可愛らしい掛け声とは裏腹に、ソフィアの一撃はグラスウルフの首をあっさりと切断して光の粒へと変えさせた。
「お見事ですわ」
「うん。さすがセシルが直接訓練しただけあっていい動きだったよ」
ミルルとユーニャが手放しでソフィアを褒めている。
「本当に? セシルママ、私ちゃんと出来た?」
……まぁ確かに最初こそは逃げ回ってばっかりだったけど、ちゃんと自分の強さを自覚してからは悪くない動きだったと思う。
緊張していたせいか、少しだけ肩を上下させているソフィアに近付くとその小さな頭にポンと手を置いた。
「うん。よく頑張ったね。ソフィアはちゃんと出来てたよ。今日はママ達がついてるから、少しくらい無茶なことしてもいいからね」
「……うんっ!」
それからのソフィアは精力的に狩りを続けた。
いろんなところに行ってはその地形を確かめながら戦い、時には私達からアドバイスをもらいつつも一人でちゃんと戦い抜いていた。
ほとんどの地形を踏破して、草原エリアに戻ってきた時にはもうすっかり自信をつけたようで最初の逃げ惑う姿はなんだったかと思うほど、グラスウルフ達をどんどん光の粒に変えていった。
「セシル、そろそろ休憩させないと」
チラリとこちらを見るユーニャに私も一つ頷くと、たった今戦闘を終えたソフィアに近付いた。
「ソフィア、そろそろお昼にしよう。たくさん訓練してお腹空いたでしょ?」
ソフィアの背中に語りかけ、後ろでお弁当の用意をしてくれているユーニャとミルルの方を指し示す。
しかしソフィアはこちらを振り向きもせず、少し離れたところにいるグラスウルフの群れへと向かっていった。
「ソフィアッ?! 少し休んで! ソフィアッ!」
私が声を荒げて呼び掛けるも彼女は一向に止まる気配はない。
何事かとこちらを見ているユーニャ達も様子のおかしいソフィアの名前を必死に呼んでいるが、グラスウルフ達を葬っていくだけだ。
そしてまた群れを一つ全滅させると、ようやくその動きを止めた。
「……ソフィア? 訓練したい気持ちはわかるけど、少し休まないと……」
私が追い付いてその背中に手を置き、こちらを振り向かせると……いつもの優しいソフィアの顔は歪んだ笑顔で塗り潰されていた。
「な、に? どうしたの、ソフィア?」
「ふ、ふふひひふふひひひひっ……えひひひひひっ!」
あまりにもソフィアに似合わない笑い声に後ろから追い付いたユーニャとミルルも身構えた。
「ど、どうなさいましたの? ソフィア、そんな笑い方は淑女に相応しくありませんわ」
「そうだよ。ソフィアは優しくて、いつも可愛い笑顔をしてたでしょ?」
二人も話し掛けるが、ソフィアの笑い声は止まることなく続いている。
やがて。
パチン パチパチッ パチッ
ソフィアからいつか聞いた何かが弾ける音が立て続けに鳴り始めた。
それはどんどん速く、どんどん大きくなっていく。
バヂイィィィィィン
「っ……?! な、何……?」
耳が痛くなるほど大きな破裂音がしたと思ったら、ソフィアの身体から魔力に似た巨大な力が溢れ出した。
「『傲慢』……『解放』!」
その小さな身体に全く似つかわしくない巨大な力が一気に溢れ出すと、黒色の塊となってソフィアの隣へと降り立った。
それは全身を黒く染め、眼はルビーよりも赤く輝く巨大な獅子だった。
「な、なんなんですのっ?!」
ミルルが叫び、ユーニャはすぐに戦闘体勢に入った。
それは魔物の脅威度なんかじゃ計れない……純粋本物の悪魔だった。
私は慌ててメルを呼び出すとその身体を掴んで黒い獅子に突き出した。
「ちょっとメル! なんか知らないのっ?!」
「わかるわけないのだ! 神の祝福はわっちよりも上位だから何が起きてるかも、どうしたらいいかもわからないのだ!」
「使えないね!」
「うるさいのだ!」
私はメルを放り投げるともう一度ソフィアに向かい合った。
彼女は黒い獅子の隣に立っているが、その顔は先程までしていた不気味な笑顔ではなくなっていた。
ただ無表情に、その瞳には何も映していない。
グルルルアアアァァァァッ
黒い獅子が吠えた。
そのあまりに大音量の咆哮はダンジョン内だというのに地面を震わせ、衝撃波となって襲い来る。
「きゃぁぁっ!」
その衝撃によって三人の中では一番耐久力に劣るミルルが後ろに飛ばされた。
しかし飛ばされただけで怪我をしているわけじゃない。ないけれど、それでも私のパートナーに牙を向くのは許せない。
「くうっ! うるっさいなあっ!」
ミルルを傷付けられた苛つきのままに魔力を放とうと右手を突き出した。
「セシルッ! ダメッ!」
しかし発射直前、ユーニャの声によって止められた。
「ユーニャ、なんでよっ?!」
「あれはソフィアから出てきたんでしょ?! 傷付けたらソフィアに何が起こるかわからないよ!」
何かが起きたらその時考える、と言いたいところだけど、ミルルと同じくらい娘であるソフィアのことだって大切だ。
私の中は葛藤で塗り潰されていくというのに、黒い獅子は全身から黒く揺らめく魔力に似た力を噴き出し続けている。
「なに、あれ?」
「凶禍兆、なのだ……。あれは、まずいのだ! セシルッ! 神気の全力で押さえ込むのだ!」
「は? 全力なんて出したらソフィアがっ」
「世界が滅んだらそれどころじゃないのだ!」
世界って……何事よ、もう……っ!
「だったら本気でやってやるわよ! ユーニャッ、離れててっ!」
「う、うん!」
ユーニャが後ろに走り出すのと同時に私の出力制限を解除した。
亜神になったことでより精密な力のコントロールは出来るようになっていた気はする。しかし今必要なのはもっともっと強い力だ。
---凶禍兆と神気の激突を確認しました---
---ダンジョン内での許容超過戦闘を確認しました---
---空間隔離。世界の破壊を阻止して下さい---
---繰り返します。世界の破壊を阻止して下さい---
「なっ、何よこのアナウンスはああぁぁぁっ!」
「いいから押さえ込むのだ! 生まれたての凶禍兆ならセシルの神気で簡単に押さえ込めるのだ! 神の干渉が入る前にやるのだ!」
メルが慌てることは珍しくないけれど、これほど切迫感のある声は初めてだった。
現に顔文字も真っ青になって多くの汗が浮かんでいる。
オォオオォオォオォォォォォッ!
そして再び吠える黒い獅子。
同時に噴き出して周囲に力をばら撒かれる凶禍兆によって黒い靄が立ち込める。
ズガアアァァァァンッ
「ぐうぅぅあぁぁっ!」
突然黒い靄の中から激しい稲光が私の身体を直撃した。
痛みはそれほどでもないけれど、咄嗟のことに驚いてしまったことの方が大きい。
「びっくりした……。ソフィア、あんまり癇癪起こすとママも怒るよっ?!」
両手を前に突き出して神気を集中させる。
魔力や闘気よりも遥かに扱いやすい神気は私が意図した通りに流れていく。
しかしそれを危険と判断したのか、黒い獅子は私に飛びかかってきた。
このまますぐに神気を放つことは容易いけれど、それでは弱いしソフィアを巻き込む危険もあるのであえて私は黒い獅子の攻撃を受けることにした。
振り下ろされる巨大な黒い爪。
それをそのまま頭で受ける。
ガキイィィィン
しかしいくら凶禍兆とやらを纏っていても今の私の力には及ばない。
金属同時を激しく打ちつけたような音がして黒い爪は私に当たって止まった。
全くの無傷、というわけではないものの、皮膚一枚を軽く切っただけという結果に黒い獅子は更に噛み付こうと大きく口を開けた。
「捕まえた。結界魔法 封神縛絶陣」
空間自体がダンジョン内とも隔離されているので周りに被害を出さないためとかそのために使ったわけじゃない。
メルはずっと『押さえ込め』と告げていたから、こうして神気で封印してやろうと、そう思ってのことだ。
グルアァァッ! グルル、グルアアアァァァァッ!
神気による結界、それは黒い獅子にとっては強い痛みを伴う檻のようなものなのか、激しく悶えながら必死に咆哮を上げていた。
チラリとソフィアを見てみると、特にあの子が痛みを感じているような素振りはないものの、どのみちこの凶禍兆を見過ごすと世界が壊れてしまうなら放置することは出来ない。
「もうっ、ちょっと……う、うあああぁぁあぁぁあぁぁっ!」
バキィィィィィィン
しばらく拮抗していたけれど、それもすぐに相手の力が弱まって神気の檻によって完全に封じ込めることが出来た。
「はあっはあっ……これで、どうっ?!」
「……大丈夫そう、なのだ……。セシルが神気を使えていなかったらと思うとぞっとするのだ」
「それって完全にご都合主義じゃん……」
深い溜め息とともに前に突き出していた腕を下げる。
しかし目線を滑らせる黒い獅子から離れていたソフィアの身体がグラリと揺れて倒れるのが見えた。
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