第42話 やればできる子?ならやりなさい
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さて。勉強嫌いのリードに勉強させる方法は、と聞かれたら?
前世の園で小さい子達に勉強させる方法は「頼れる親がいない私達の身の上でどうしたら世間の荒波に溺れずに生きていけるか。結局頼るものは自分で苦労して得た経験や知識」ということを小さい頃から教えてきた。それに知識は持ってても荷物にならないしね。
しかしここ異世界では、となるとまた勝手が違ってくる。
もちろん知識や経験が身を助けるのは事実だとしてもね。困ったことにリードは貴族、しかも侯爵様の跡取りなのでお金に困ることはない。
しかしこのまま勉強せずに跡を継ぐと仮定する。その結果狡賢い商人や悪辣な他の貴族に財産を搾り取られてしまうという未来も強ち空想で済ませられない。
「ま、それは置いといてだけどねぇ」
「はい?」
「何でもないです。それでティオニン先生。この方法だといつまで経ってもリードは勉強なんかしませんよ」
「えええぇぇぇぇぇっ!何でですかぁ?勉強して知識が増えれば嬉しいじゃないですか」
「それはティオニン先生のような特殊な一部の人だけです」
「はぁぅ」
彼女からの反論をバッサリ切り捨てて一人思案にふける。
膝から崩れ落ちた姿勢のまま半泣きになっているティオニン先生は今は放置だ。役に立ちそうもない。
床に座り込んで臍を曲げているリードも同様に。
というか貴方のために今こうして困ってるんだけどね?!
ひとまず現状把握に努めることにして、私はティオニン先生に質問した。
「ところでリードはどのくらいの学力があるの?」
「ひぐ…文字の読み書きはだいたい半分くらいで数字は全部覚えて…ると思います。地理や歴史はまだ全然取り掛かれてないです」
大方予想通りだけど、これだけ講義をサボっているリードにまともな学力は期待してはいけない。
前世なら小学校入学前でも普通に読み書きと足し算くらいはできるだろうが、ここはあくまで異世界。郷に入っては郷に従うべきよね。
「いくら勉強が遅れてるとは言っても基本を蔑ろにして知識なんか身につきません。ここはまず読み書きと計算からやった方がいいと思いますよ」
「…で、でも領主様からは『いい加減王国内の地理と歴史くらい覚えさせろ』と言われてまして…」
「字も読めないのに?」
「あぅ…」
「ティオニン先生、『急がば回れ』という言葉があります。焦って結果だけを求めようとしてもうまく行かず、遠回りでもしっかりした土台を作り上げた方が結果は出るものですよ」
「…セシル先生はなんでそんなアカデミーの教授みたいなことを言うんですか…」
そりゃ前世での教育を受けているし、そこそこの成績も取って短大とは言え卒業してますから。
「ティオニン先生、セシルに『なんで知ってるか』と尋ねるだけ無駄ですよ」
「はぇぇ…なんだかすごいんですねぇ。私本物の天才を見たの初めてです」
別に天才とかじゃないんだけど。
さすがに少し照れて顔が赤くなるのを隠すようにティオニン先生に今後の授業計画について話をすることにする。
「ということでリードにはまず読み書きと簡単な計算を。あ、ついでに私にも教えてください。読むのは難しい戯曲じゃなくてもっと簡単な物語にしましょう」
「それって…貴族様なら5歳くらいの子がすることですけど…」
「現状その5歳児以下なんだから仕方ないよ」
「ぐっ…ぬぬっ…」
唸ったって駄目よ。今までサボってたツケなんだから。
「それと私がやる戦闘訓練もメニューを全部書いておくから、それを見てやるようにしてね。間違ってたら罰として全部3倍でやってもらうから」
「なっ?!勉強と訓練は関係ないだろう?」
「関係大有りだよ。…ゴブリンが15体出てきました。私が9体受け持つと、リードは何体倒さないといけない?」
「…は?セシルが9で出てきたのが15なのだから…よ、4体?」
「なんで質問に質問で返すのよ。しかも間違ってるし。正解は6体。このくらいすぐに答えられなきゃパーティも組めないじゃない」
「……確かに、そうかも、しれぬな」
「かも」じゃないよこのバカタレちゃんは。ネギでも背負わせて訓練させるぞ。
…いや、こんな皮肉言っても彼には通じないか。
「領主様になるなら領内の地理歴史はもちろん、上がってきた陳情に許可を出すのも却下するのも仕事だよ。そして何故駄目なのかをちゃんと言わないと領民だって納得しないと思わない?」
「…思う」
「それを文書にして伝えなきゃいけないよね?そして許可するならどのくらいお金がかかるのか計算もするんだよ?今のままのリードが将来できるようになるとはとても思えない。そんな領主様に領民がついてきてくれるはずないよね」
次から次へと説得の言葉を口にしてリードの逃げ道をどんどん塞いでいく。それに彼は貴族としての誇りも矜持もちゃんとある。「今のままでは駄目」と言うのは簡単だけど理由も一緒に説明しないとただの脳筋暴君の出来上がりだ。
「あと、私も一緒に勉強するから。一人より二人で勉強すればきっと楽しいよ」
「そう、だな。セシルが一緒にやるというならこれからは勉強もサボらずにやると約束しよう」
「うんうん、ティオニン先生もそれでいいですか?」
リードと話がついたところでティオニン先生に振り返り許可を求める。私が一緒に勉強することもナージュさんから訓練のない日は行動の自由を認められているので問題はない。
「それにしても知識も強さも理不尽の塊のセシルから正論ばかり言われるとそれはそれで頭に来るな」
ひどっ。そんなに私理不尽の塊かなぁ?
リードの呟きは聞こえなかったことにして未だに床に膝をついているティオニン先生に手を差し出して立ち上がらせる。
「ティオニン先生はこれから生徒が二人になるのですからより一層頑張ってくださいね」
「セシル先生を…私がですかっ?!」
「はい、よろしくお願いしますね」
作り笑顔ではない微笑みをティオニン先生に向ける。
この世界に来てようやくまともな勉強をして知識が得られる機会なんだから逃すはずがない。
だいたい私はこの部屋に入って、ティオニン先生の本を見て初めて今いる国の名前を知ったくらいなんだから。世間知らずにも程がある。そして無知はやっぱり罪になる。しっかり勉強しなきゃね!
その後気分を入れ替え、ティオニン先生から読み書きの講義を受けることにする。実際読むだけなら言語理解があるので問題はないが書けないのに読めるというのも不自然極まりない。
一通りの文字を見せてもらってわかったがこの世界の文字はローマ字に近い表記をしていること。子音が15個なのはわかるけど、母音が18個もある。簡単に言うと「あ」と「あー」で違う母音扱いをされるせいなんだけど。基本的にはその33個の文字と特殊な使用をする文字4個の計37個を覚えてしまえば書くのも問題無くなる。
もちろん覚えたからと言って講義を休むつもりはない。折角リードがやる気を出しているのだからここで私が抜けてしまっては元の脳筋暴君候補生に逆戻りしてしまうかもしれない。
読み書きが終わったあとは簡単な足し算からの復習。一桁同士の足し算は普通にできるが繰り上がりがあるともう躓いてしまう。考える頭がないわけではないので私は毎日100マス計算を義務付けさせた。足し算なんてのは反復して行い、脳に反射で解を出させてしまえばいい。繰り上がりもできるようになれば後は応用だしね。同様に引き算もやらせて九九を覚えさせる頃には割り算も自分で多少考える地頭ができていると思う。
尤も、今はまだ頭から湯気を出しながらうんうん唸っているのでそこに辿り着くのはしばらく先だろうね。
途中リードお付きのメイドさんにお茶を入れてもらった際にティオニン先生からアカデミーの話を聞いたり、年齢を聞いたり(23歳だった!)、恋人の有無を聞いたり(いないけど好きな人はいる)した。久々の恋バナにちょっと心が躍ったよ。なんだろう、心が洗われた気分だよ。
最後に屋敷の書庫から借りてきた絵本の話をリードが音読して今日の講義は終わった。
もちろん、私の指示でティオニン先生にはリードにたっぷり宿題を出してもらっている。遊んでる暇なんか取らせてやらないよ。
その日の午後。
リードは昼食後どこかへ出掛けて行ったので私は一人で屋敷の中を歩き回っていた。見取り図はもらったもののやっぱり自分が寝起きしている場所だし直接見ておきたかった。旅行とかでホテルに行った際は最初に必ず避難経路を確認していたのでその癖が今も抜けない。もっと言えば子どもの頃から酷い目に遭っていたので逃走経路はすぐに使えるようにしておきたかったということだね。
今のところ屋敷の中は使用人達が寝起きする場所、領主一家の私室、食堂、厨房、浴場などは把握している。もちろん領主様の執務室もわかる。
それでもこの屋敷は広すぎて、他に何の部屋があるか全くわからない。
さっきリードがいたログハウスの前にあった離れなどを含めれば確認するだけで数日はかかりそう。焦るようなものでもないけど早めに確認は終わらせておきたい。
大凡屋敷の中は見て回った。客室や応接室も何部屋かあって見るまでもないところもいくつか。
残るは領主様の執務室があるあたりだけで、そこには午前中リードが講義を受けた部屋や書庫もある。入ってはいけない部屋は特にないので気配察知を使いながら一つずつ部屋を確認していくと、残りはあと二部屋。一つはナージュさんの気配がするのでここが彼の執務室だと思う。もう一つからは気配を三人分感じるがどれも知らない人のようで感じられる魔力などから会ったことのない文官筋の人達だと察する。
どうしようかなと思っていたところで隣のナージュさんの執務室のドアが開いた。
「何をしている?」
「ナージュさん。屋敷内の探検です」
「……君は大人顔負けの発言をしたり戦闘能力を持っているくせに子どもなのだな」
子どもですからっ。
とは言わず、あえて子どもらしいことを言うことでナージュさんの警戒を解こうとした。眉間に皺を寄らせているものの一応企みは成功したようだ。
「ここは領主様の執務室がある関係で私や私の部下達の執務室もある。君が立っているそのドアの向こうが正に私の部下達の執務室だ。これもついでだ、紹介しておこう」
そう言うとナージュさんは私の前のドアをノックもせずに開けて入っていくのだった。
今日もありがとうございました。
 




