第402話 テゴイ王国の少女
ある日の夜、私は執務室でいつも通りユーニャとミルルとで寛いでいた。
室内にはステラもいて、これまたいつも通り無表情でお茶を淹れてくれる。
さっきまでアネットもいたのだけど、これから会議だからと会社へ向かった。彼女の部下はみんな昼夜逆転生活をしているので風俗部門の会議はだいたい夜開催されている。
神聖国では風俗店が開けなかったので、ちょっと特殊なお店をいくつか開くようアネットに助言させてもらった。
簡単に言うとリフレ店なのだけど、お母さん系から若い子、幼い子などを集めて添い寝、膝枕、耳掻きなどちょっとだけドキッとするようなことをするお店だ。
何もいかがわしいことはない。
他の国では普通にやっている風俗店だと神聖国では法に触れてしまうからね。
そんなわけで神聖国の風俗部門だけは会議を昼間にやるからアネットも体力的にかなりきついと思う。…思うんだけど、本人は喜んでやってるね。
多分、彼女の個人資産はそこらの男爵家よりも多いんじゃないかと。
話が逸れたけど、そんなわけで今は四人でのんびりしている。
既にノルファとエリーは自室に下がらせている。
普通なら護衛として部屋にいるべきなんだろうけど、この部屋にいるのは彼女達より強いからね。
私がステラに新しく淹れてもらった紅茶を飲もうとカップを持ち上げた時、それは聞こえてきた。
『ご主人様。聞こえますか、ご主人様。緊急でお話したい件が御座います。魔鏡を使わせていただけませんか』
「リィン?」
口につけようとしたカップを放してリィンの名前を呼んだことで、他の三人も私に目を向けてきた。
「リィンからまた救援ですの?」
「ううん、違うけど…何か緊急で話したいことがあるんだって」
「セシル、何か大変なことかもしれないからすぐに話を聞こうよ」
ユーニャの言葉に頷くと、すぐにステラに言って魔鏡を用意させた。
執務机に置かれた魔鏡に魔力を込めると、すぐに自分の顔ではなくリィンの顔が浮かび上がってきた。
「どうしたのリィン? 急いで話したいことがあるって、何事?」
魔鏡の向こうではいつもの涼しい顔をしたリィンが背筋を伸ばして椅子に座っていた。
「突然申し訳ありません。このようなことを急ぎ報告することではないのかもしれませんが、どうしてもご主人様に聞いていただきたく」
リィンはそう前置きすると、現在滞在している町に神の祝福を持っているかもしれない鑑定を弾く子どもがいることを話してくれた。
ただ、その子は親がいるらしいのだけど…かなり問題のある親みたいだ。
「まだほんの五歳くらいの子どもを外で働かせ、そのお金で自分の酒を買ってこさせているのです。…私はかつて聖イルミナ教徒として困った人を助けるべく、悪の道に落ちた者を断罪すべく働いておりました。ですが、神は何も救って下さっておりませんでした。ご主人様。このようなことを私めがお願いするような立場でないことは承知しております。ですが、あの子を助けていただくことは叶いませんでしょうか。何卒っ…どうかっ…」
最後の言葉は、涙と嗚咽に詰まって声になっていなかった。
彼女達生体魔導人形は人間としての機能自体は残っているからちゃんと涙を流すことが出来る。
私みたいに泣くことも出来なくなった者より、よほど人間らしい。
でも私の意思や命令に絶対服従、絶対忠誠を植え付けられているのに、そんなお願いが出来るってことをちゃんと理解してないみたいなのは少し寂しいね。
リィンの懇願から少しの間無言だった私に成り代わり、ミルルがリィンへと声を掛けた。
「リィン、私達はセシルの目的のために動く人形ですのよ? 何もかも救うためにセシルは私達を働かせているわけではありませんわ」
「でっ、ですがっ!」
「くどいですわよ」
何もかも救うことは出来ないけれど、知ってしまった。
境遇も、あまりに似ている。だから。
「ミルル、少し黙って」
私の魔力を直接ミルルへと流し込むと、ミルルは自分の胸を押さえながらその場にうずくまった。
彼女にも痛みはある。
なので私の魔力を直接作用させれば、この通り。人間で言うところの心臓を鷲掴みにされたような苦しみがミルルを襲っていることだろう。
そして、そうされることさえもミルルの思惑だと私も気付いている。
「リィン、明日の朝すぐにそこに行く。貴女は貴女でマルギットと冒険者ギルドの依頼を進めて。後は、私に任せて」
「…はいっ。ご主人様、ありがとうございます…」
そう言うと、彼女との通信は途切れた。
「ミルル、あんなお芝居しなくて良かったのに」
「…セシルが悪いんですのよ? あんなに黙ってリィンを不安にさせるからですわ」
「部下思いの良いボスだね」
顔を赤くしてそっぽを向いたミルルはとても可愛かった。
翌日の早朝。
私は昨夜の内に話をしておいたアイカとクドーを連れてテゴイ王国へとやってきた。
「話には聞いとったけど…ホンマ有り得へんくらい荒んどる」
「私も旧オナイギュラ伯爵領のプイトーンでスラムの入り口とかは見たけど…ここは町全体がそれ以上だよ」
クドーだけは何も言わずに辺りの光景を見回していた。
あちこちに汚物や死体が散乱しているのに町の人はそれを気にもせずに生活してる。
それがあるのが当たり前の生活を続けている証拠だと思う。
「とりあえず例の子を探してみよっか。アイカ、『神の眼』をお願い」
「オッケーや」
私がお願いするとアイカの瞳が銀色に変わった。
神の祝福『神の眼』を発動した証拠だ。
以前ならちょっと使うだけでもキツいと言っていたけど、最近はレベルも上がったせいか大分長い時間使っていられるようになったらしい。
それからしばらく町の中を歩いていくけれど、それらしい子どもは見当たらない。
というかそもそも子どもなんてほとんど見掛けない。
「女や子どもをほとんど見掛けんな」
私が考えていたことと同じことをクドーが呟いた。
まぁ、見掛けない理由なんて一つか二つしかないだろうけどさ。
「セシルの時空理術で探せないのか」
「生きてる人間としかわからないかな。相手が明らかに強い力を持ってるならともかく、ただの子どもじゃ無理っぽい」
脳裏に浮かぶこの町の地図にいくつもの生体反応はあるものの、特別強い力を持つ者はいない。
「虱潰しにしていくしかあるまい」
「手分けしようにもアイカがいないと目的の子どもかどうかわからないしね」
「この調子ならば子どもは全て保護した方が良さそうだがな」
町にいるのはほとんど男。たまにいる女は春を売ってる人みたいで極稀に男と一緒に裏通りに消えていくところを見掛ける。
多分それすらも命懸けだろうね。
町中をキョロキョロしながら歩いていくことしばらく。中心部にある広場に差し掛かると、枯れた噴水の縁に堆く積まれた死体の山を見つけた。
下の方は既に腐敗が進んでいるらしく、酷い臭いなのと原型を留めず潰れてしまっているみたいだ。
「さすがにこれはちょっとキツいね。結界魔法 清浄膜」
パチンと指を鳴らすと自分達三人だけを透明の膜が包み込んだ。
この膜の中は清浄な空気で満たされた空間になっており、毒や悪臭を遮るだけでなく水の中にだって入れる。
ずっと昔、クラーケンを退治した時は天魔法を応用して水中に入ったけど、今ならもっと楽が出来る。
「こりゃえぇな。さっきから臭くてたまらんかったんや」
「俺も、お前達より鼻が利くから尚更な」
「ごめん、もっと早く使えば良かったね」
このままだったら服に臭いがついちゃいそうだしね。まぁそうなったら脱臭を使うだけだけど。
気を取り直して、昨日リィンが会ったという冒険者ギルドの方向へと足を向けた。
「こっちはそれほど町が汚れてない?」
「死体がないだけやろ」
「それにしても私達この町だとかなり浮くような綺麗な格好してるのに全然絡まれないね」
「この国も王国やし、貴族や思われとるんやない? そないなんに手ぇ出したら面倒事にしかならへんやん」
なるほどねぇ。
こういう時は貴族で良かったと思う。
絡まれてとしても実力で排除出来るけど、自国じゃないから余計な問題が発生しそうだ。
冒険者ギルドが近付くにつれ、道端で寝ている人が減ってきたなと思っていたら、路地の角から通りをチラチラ見ている人影が一つ。
とても小さいのですぐに子どもだとわかったけれど、あの子がリィンの言っていた子かどうかはまだわからない。、
アイカとクドーも当然その子には気付いていたので、アイカに目配せすると彼女もすぐに頷いた。
「間違いないで。あの子や」
「そう。あの子は神の祝福だけなのかな?」
「ちゃうで。『転移者』、『転生者』、『神の祝福』全部や。相変わらず神の祝福はようわからん効果なんが多いんやけど、間違いあらへん」
よくわからない効果っていうのがどういうことなんだろう?
確かにクドーやコルの神の祝福は名前だけじゃよくわからないけど、アイカは同時にスキルの鑑定もしてるはずなのにね。
「あと、めっちゃ衰弱してんで。小突かれただけで死んでまう」
「急ごう」
私達は路地から顔だけ出して辺りを見回しているその子の方へと歩いていく。
その子も私達が近付いてくるのがわかると路地から出てきて私達の方へと走ってきた。
「何か私でも出来るお仕事ありませんか?」
リィンから聞いていた通り、近寄ってきて仕事を貰おうとする。
多分この辺りの人の顔をほとんど覚えておいて、見たことが無い人が来るとこうして声をかける。この町に住んでる人は仕事なんてないことはわかりきっているのかもしれない。
私はその子の前でしゃがむと、挨拶のために頭を下げた。
「こんにちは。小さいのにお仕事してるの?」
「は、はい。ウチ貧乏でお金ないとお父さんのお酒買えないの」
キュウゥゥゥゥゥゥ
と、その時目の前の子のお腹からとても可愛らしい音が響いた。
自分のお腹も空いてるのに、それでも父親の酒を買うために働こうとしてるなんて…。
ギリッと自分の奥歯を噛み締める音が聞こえた。
だから、なんで世界はこんなにも理不尽なことばっかりなの!?
絶対許さない。
今日もありがとうございました。
セシルが貴族になる原因になった連鎖襲撃の話の次に書きたかったお話です。
この子の話のためにセシルの前世が辛いものになっていたと言っても良いです。
あと二つ、この物語を書こうとしたキッカケになったお話があるのですが、それはまたその時に。




